ジョーイ邸の殺人
2022年4月1日、ワシントンD.C.のジョーイ邸には満開の桜が並んでいた。ジョーイ氏はとにかく日本が大好きで、家も屋根、壁、畳、照明など全て日本の物で作っている。もちろん冬にはコタツも出てくる。そんなジョーイ氏の家周りはこの時期になると花見客でいっぱいだ。
ジョーイ氏も縁側から桜を眺めるのが大好きで、いつも花見客と世間話を楽しんでいる。朝は居間で日本の映画を見て、昼過ぎになると縁側に現れるのがこの時期の日課だ。しかし、今日は少し違うようだ。
「ジョーイが部屋から出てこないの、誰か力のある人はいないかしら」
14時を過ぎた頃、焦った様子でジョーイ夫人が縁側に出てきた。ジョーイ氏はいつも映画を見る時は集中出来るよう鍵を掛けて和室で見ているのだが、昼前にはご飯を食べに出てくるはずがいつになっても出てこないので、心配になった夫人が花見客に協力を呼びかけているのだ。
「俺に任せろ」
名乗り出たのはザ・力自慢という見た目の大男。この男はこの街にある大きな監獄の獄長で、いつも兜を被り、鞭を持ち歩いている。
「この襖を壊して中に入りたいの」
夫人が襖を指差して言った。
「お安い御用だ」
そう言うと大男は右肩に力を込め、襖に向かって走り出した。かつて名のある拳法家を追い詰めたタックルだと彼は言う。肩がぶつかるとあっという間に襖は粉々になり、夫人と大男はジョーイ氏の和室に入ることが出来た。
「な、なんてこと⋯⋯!」
夫人の目線の先には、夫であるジョーイ氏が血を流しうつ伏せで倒れていた。下半身が血にまみれ、流れた血は広がり、畳に染み込んでいる。
「殿! 殿〜!」
ジョーイ氏の家来のニンジャ・殺丸が血相を変えてこの和室へ走ってきた。
「救急車を呼ぶでござる!」
殺丸は持っていた携帯電話で救急車を呼んだ。日本とは違い、アメリカでは救急車を呼び治療を受けると高額な医療費がかかるが、ジョーイ氏は富豪なので心配は要らないと判断した。
「殿⋯⋯拙者のおらぬ間になんというお姿に! いったい誰がこんなことを!」
殺丸と同じく家来のサムライである桜井も到着した。しばらくして、救急隊がやってきた。
「申し上げにくいのですが、もう亡くなっておられます。おそらく出血多量による失血死かと⋯⋯そして、これは99%殺人です」
救急隊員によってジョーイ氏の死亡が確認された。刃物で刺された尻からの出血のせいだそうだ。誰が見ても分かるが、殺人の可能性が高いとのことだ。
「まだ昨日55歳になったばかりなのに⋯⋯」
夫人は早すぎる夫の死を悲しんでいる。
「やれやれ、せっかくの花見が台無しですね」
いつの間にか部屋に入ってきていたこの男は、街1番の腕を持つと評判の探偵・キングだ。街で何か起こると必ず現れ、どんな事件も解決して去っていくと言われている。今日は1人で花見に来ていたようだ。
「この部屋にいたのは、あなた達で全員ですか」
と、キングが皆を見渡して言った。
「いえ、息子と家来が1人おります。電話してみますね⋯⋯」
ジョーイ夫人は力なく答えた。夫人は携帯電話で2人に電話をかけると、探偵に状況を説明した。
「なるほど、密室だったんですね。あ、遺体には触らないでください」
ほどなくして、息子のアンドリューと家来のカラテマスター・佐々木が部屋に着いた。広い家なので2人とも騒ぎが聞こえていなかったという。
「状況を整理しましょう。この鍵のかかった和室でジョーイさんは映画を見ていたが、何者かに尻を刺され部屋の真ん中で亡くなっていた、そうですね」
夫人から聞いた情報をまとめて確認するキング。
「そうだと思うんですけど、部屋に入った時テレビはついていませんでした」
と、夫人は答えた。
キングは部屋の中をゆっくり歩き始めた。怪しいものはないか徹底的に調べるのだ。
「こんな電気初めて見ましたよ。前に見た日本の映画に出てくる湯婆婆というキャラクターの頭にそっくりです。へぇ、紐を引っ張ってつけたり消したりするんですね」
キングは日本家屋を初めて見たようで、興味津々だ。壁や畳を触ったりもしている。
「旦那さん、いつも電気を消して見ていたんですか? その割にはカーテンが開いているのが気になりますね」
現在電気は消えている。真っ暗で映画を楽しみたいのなら、カーテンを閉めないのは不自然だ。とはいえ、カーテンが開いていてもわりと暗い。
「いつも集中したいって言って鍵を閉めるので、電気を消して見ているかどうかまでは分かりません」
夫婦といえどプライベートな空間は必要だ。
「キング、状況を説明してくれ!」
また新たに2人、外から男が入って来た。1人はアメリカ人らしき男、もう1人は顔の特徴からおそらく日本人だろう。
「その前にあなた達の説明をしてください。1人は土足で入ってきてるじゃないの」
つい先程夫が殺されたこともあり、夫人は挨拶もせず土足で入ってくる見ず知らずの男に腹を立てていた。それに対しハッとした様子で日本人らしき年配の男が答えた。
「失礼しました、私達は刑事です。キング君から通報を受けましてね」
男は自分を八幡と名乗り、もう1人の男をジェイムズだと紹介した。ジェイムズはいつものように靴を脱がず部屋に入ってきたが、日本家屋では靴を脱ぐのが常識だ。八幡も急いでいて気にしている暇が無かったという。
「完全な密室で尻を刃物で刺されたようです。凶器は見つかっていません。部屋の状態はそのままになっています。そして、関係者は今ここにいる人達で全てです」
キングは八幡に事件の詳細を説明した。襖を破った大男は関係ないだろうとのことで、帰って行った。
「少し部屋を調べさせてもらいますよ。とりあえず私がいいと言うまであなた達はそこにいてください」
八幡が皆に向かって言った。
「おや、DVDが入っているようですな。再生してみますか」
そう言うと八幡はテレビの電源をつけ、リモコンの再生ボタンを押した。すると、画面にエッチなそういうビデオが映った。全員が気まずくなったので、何も言わず八幡は止め、テレビの電源を消した。
「わざわざ襖に鍵をつけていたのはそういうことだったんですね。でもこれを見るのにカーテンが開いてるのは⋯⋯そうか、隣の家との間が狭く、向こうに窓も無いから大丈夫だと判断していたんですね、ジョーイ氏は」
キングが冷静に分析している。夫人はショックを受けたようで、その場にしゃがみこんでしまった。キングが夫の考えを赤裸々に皆の前で言うからだ。エッチなDVDを見るための小癪な浅知恵を。
「尻に何かを入れて楽しむタイプだったのかもしれんな。そのせいで大量出血を⋯⋯」
「八幡さん!」
夫人や息子の前であまりにも失礼な事を言う八幡をジェイムズが止めた。八幡より20歳下だが、ジェイムズのほうがしっかりしているのだ。
「だから嫌いなんだ」
キングは八幡に聞こえるように言った。
「まあ僕はけっこう聞こえてたから知ってたけど。そういうことばかりしてるからこうなるんじゃないの」
息子のアンドリューが初めて口を開いた。歳は20代前半といったところで、肌が白く、かなり小柄な美青年だ。
「凶器らしき物もないし、テレビも電気も全部消えている、それに手に血もついていないんです。これは殺人でしょう」
キングが改めて言った。続けてキングは家来のニンジャ・殺丸に視線を向け、質問した。
「まずあなたから聞きましょうか。刺されたのは3時間ほど前との事です。その時どこで何をしていましたか」
「拙者はいつもその時間は屋根に座って見張りをしているでござる。今日もそうだったでござるよ」
殺丸はそう答えた。
「あなたは家来の中では真っ先にここに着いたようですが、なぜ分かったのですか。また、あなた達はボディーガードとしてジョーイ氏に雇われていたのですか」
キングは次々に質問した。
「花見客が皆騒いでいたからでござる。それで殿に何かあったのではと思い参上したまで。拙者達はボディーガードでもあるが、坊ちゃんの教育係でもある。拙者は忍術も教えているでござる。他の2人もたまに稽古をつけてあげているみたいでござるよ」
「なるほど、ありがとうございました」
キングは納得した様子で目を閉じ、少ししてまた目を開いた。
「続いてサムライの桜井さん。あなたは何をしていましたか」
「拙者は家の周りを歩きながら警備をしていた。花見客の相手をしていたこともあり、殺丸より後の到着となってしまった」
実の所キングも花見客の1人なので桜井の姿は見ていた。しかし、嘘をつく可能性もあるので聞いてみたのだ。
「カラテマスター・佐々木さん。あなたはどうですか」
「その頃は坊ちゃんとゲームをしていました」
キングは少し疑いの目を向けている。もし2人がグルならアリバイは成立しない。
「本当ですよ、僕とずーっとゲームをしていました。ね、佐々木さん」
「ええ」
そう言う2人をキングはじーっと見つめ、何かを考えているような顔をしている。佐々木は目がとろーんとしている。眠いのだろうか。アンドリューは何もしていないと言わんばかりの自信に満ちた表情をしている。
「まあいいでしょう。最後に夫人、あなたのアリバイも聞きましょうか」
「朝からお掃除したり洗濯したり、ご飯を作ったりしていました。ジョーイはご飯だよと言っても出てこないことが多かったので、最近は勝手に出てきて食べてねということになっていました」
そう言うと夫人は立ち上がった。エッチな話題が終わったので元気が戻ってきたのだ。元気というより、夫を殺した犯人への憎しみというべきだろうか。
「ちょっといいですかね。私実は日本人でしてね、ある説が思い浮かんでいるんですよ」
八幡が自信ありげな表情で言った。日本人だからこそ思い浮かぶ説があるのだろう。
「ズバリ犯人は殺丸さん、あなたです」
八幡は殺丸を指差し、勝ち誇った顔でそう言った。
「拙者は屋根の上にいたと言っているではござらんか。この密室から逃げるトリックも思いつかんでござるよ」
殺丸はすぐに否定した。
「トリックは簡単ですよ、忍者であるあなたにとってはね」
八幡の言葉にその場にいる全員が息を飲んだ。
「床下に潜み、畳と畳の間から刃物で尻を突き刺したんです」
このトリックを聞いた瞬間、どっと笑いが起きた。いくら忍者でもそんなこと出来るわけが無い、と。笑ってる場合かお前ら。
「昔から日本では畳の縁を踏むなと教えられます。それは礼儀作法などの理由もありますが、床下に潜む忍者からの暗殺を防ぐためだったとも言われているんです」
八幡が熱弁する。
「でも、殿がどの辺にいるかなんて下からじゃ分からんでござるよ!」
殺丸が言い返す。
「そんなことはありませんよ。この部屋の電気を見てください。この電気は部屋の真ん中に来ないと消すことが出来ない。つまり、電気が消えた瞬間のジョーイ氏の位置の予測は出来るということです。血だらけで見にくいですが、よく見ると畳の間が少し開いているはずです。確認してください」
八幡の言う通り、畳と畳の間に何かを通したような跡があった。電気が消えた瞬間を狙ったという推理もこれでより信憑性が高まる。
「キング、今日は俺の方が冴えてるな」
八幡はキングを見下し、鼻の穴をパンパンに膨らませてニヤついている。
「あの、私朝から花見してましたけど、彼はずっと屋根の上にいましたよ」
キングが久しぶりに口を開いた。
「なんでもっと早く言わないんだ! 恥かいただろうが!」
八幡は怒りをあらわにしている。
「あなたのことが嫌いだから恥をかかせたかったんですよ」
キングの意地悪が炸裂した。度々デリカシーの無い発言をする八幡にひと泡吹かせたかったのだ。
「さて八幡さん、本物の推理というものを見せてあげましょう」
「チッ⋯⋯」
自分は遊ばれていたのか、と恥ずかしさが込み上げてくる八幡。
「アンドリューさん、あなたはこの3人に稽古をつけてもらっているようですが、どんな戦い方をなさるんですか? 武器はなにか使っているんですか?」
キングが突然的はずれな質問をしたことで、皆ポカンとしている。
「いや⋯⋯あの⋯⋯」
「ん? いつもエクスカリバーで戦っているではないか」
なかなか答えないアンドリューを不思議に思い、サムライの桜井が代わりに答えた。エクスカリバーとはアンドリューがジョーイ氏にねだって作ってもらった剣で、突きを得意とする洋剣だそうだ。
「なるほど、凶器はエクスカリバーなんですね。アンドリューさん」
キングは淡々とアンドリューを追い詰める。
「いやいや、僕にはアリバイがありますから。ね、佐々木さん」
「はい、私とゲームをしていました」
キングは呆れた顔をしたあと、笑った。
「佐々木さん、仕事中に寝ていたことを怒られたくないんですよね。でも、眠らされたんだとしたらどうですか、飲み物に睡眠薬を入れられたとか」
そう言いながらキングは佐々木の肩を叩いた。すると、佐々木の目から涙が溢れた。
「すみません、坊ちゃんと遊んでいたらいつの間にか寝ていたんです。奥様の電話で起きたのですが、怒られると思って言えませんでした。すみませんでした」
全て吐き出したことですっきりしたのか、涙が止まっていた。
「アンドリューさん、アリバイが無くなりましたね。眠っている佐々木さんと何時間もゲームをしていたなんて、言いませんよね」
「もう逃げられませんね、そうです、僕です。僕がやりました」
あっさり白状するアンドリュー。
「トリックは八幡さんの推理通りです。佐々木が裏切ったせいで僕は終わりですね」
佐々木のせいにするアンドリュー。
「それは違うぜ。父親を殺した時点でお前は終わってたんだよ」
八幡が格好つけている。しかし、今事件のMVPと言っても過言ではないはずなので許してあげてほしい。
「テッテレー! 皆さん騙されましたね、エイプリルフールの嘘ですよ! 僕が父を殺すわけないじゃないですかぁ」
アンドリューが楽しそうにそう言った。
八幡が遺体を確認したが、やはりジョーイ氏は亡くなっている。そもそもエイプリルフールは午前中だけだ。もしエイプリルフールだとしてもこんな嘘はダメだ。
「アンドリュー、なぜなの」
声を荒らげるわけでもなく、落ち着いた様子で質問する夫人。
「僕はアメリカ人なのに、昔から日本のしきたりや文化を叩き込まれて学校では浮いてたし、毎日の稽古もつらいし、そしてなにより、父は日本のビデオしか分けてくれなかった! あいつはモザイクの無い洋物をいつも見てたくせに! 許せなかった⋯⋯絶対に許せないと思ったんだ!」
アンドリューの魂の叫びを聞いた夫人はその場に倒れ込んでしまった。エッチなビデオが原因で夫が死に、息子が人殺しとなったのだ。普通でいられる方がおかしいはずだ。
「じゃあ八幡さん、また次の事件でお会いしましょう」
そう言うとキングはどこかへ去っていった。