7 恋煩い
朝のシンハ支部は冷えこむ。モモとスタースはいつものように開店前の仕込み作業に没頭していた。スタースは今ではすっかり仕事を覚え、動かす手に迷いはない。
お汁粉を作る作業には慣れてきて、今では他のお菓子作りにも手を貸している。
だが、ほうじ茶だけはこだわりのあるモモが作っている。ケガをした手もすっかり痛みは引き、軽い物や短時間なら物を持つことができるようになった。あとニ、三日したら右手もしっかりと使えるようになるだろう。
最後に店内をきれいに掃除をして、開店準備オーケーだ。
空いた時間は二人で簡単にお茶をいただく。
少し多めに作ったつぶあんを使ってどら焼きにした。お茶はモモの炒ったほうじ茶だ。
二人でお茶をずずっとすすり、一息吐く。
「やはり君の作るお茶は美味しい」
ぽろりとこぼす言葉に、モモはスタースを見る。彼は感心したような目でほうじ茶を見つめていた。
「あの」
スタースが「ん?」と首を傾け、こちらを見る。
「隊長さんは、どうしてそんなにわたしのことを気にかけてくれるんですか」
それがモモには謎だった。ナイツや職員にはいつも厳しく、冷酷冷徹と呼ばれるスタース。
支部の皆ともどこか距離を置いているのも、昼間にトーマスとやってきた時に感じた。
そんなスタースが、何故、自分を気にかけ素を見せてくれるのか。
モモにはそれがわからなかった。
「そうだな」
スタースは口を結び、しばし考えこむ。モモはスタースが口を開くのを待つ。
いつのまにかすーちゃんが隣の席で丸まっていた。二人の話を聞いているのかいないのか、目を閉じ静かに息をしている。
「放っておけないからかな」
スタースの口から、そんな言葉がこぼれる。
何やら含みのある言い方に、スタースにはスタースのちゃんとした理由があるとモモは感じる。
ただ見ていて放っておけない、だけじゃない。
そう、モモの直感がささやく。
「それは、どういう」
「詳しくは言えない。だが、君は思ったより私にとって重要な存在なんだ」
重要な存在? 混乱しそうになって、モモは額に手を当てた。突然の単語に、ついていけない。
「じゅ、重要って、その……」
大事に思っているとか、そういうもの?
頭がくらくらしてきた。次になにか言われたら、貧血でも起こしそうだ。
「君は似ているんだ。私の妹に。放っておけないというか、なんといったらいいかな」
スタースに妹がいるとは初耳だ。しかしそんなことより、とモモは心の中で言う。
(そういうことだったんだ。妹ね、妹。よかった、びっくりしたあ)
安心すると同時に、ちょっぴり寂しさを覚える。モモは相反する自分の感情に首を傾げる。
(何で、寂しいって思うんだろう)
モモにはそれが、よくわからなかった。
九時前にはスタースは店を出て、モモも茶房を開店させる。十時頃にサイレンが鳴り、異喰イが発生したのを知らせる。
すーちゃんが耳を小さく動かし、窓辺に飛び乗る。モモは店の外へ出ると、手すりに体重を預けながら街を見下ろした。
「本当なら、わたしだってみんなと戦ってたのにな」
中央区北付近から銃声や剣の音が響き、煙が街から上がる。きっとスタースも、マコト達も戦っているのだろう。
歯痒い思いのモモは、せめて頑張ったみんなに一息ついてもらおうとお客さんを待った。
昼過ぎにやってきたのは、ナイツ三人組のマコトとショーンだ。スバルは来ていないらしい、珍しいなとモモは思い二人に聞いてみる。
「あのバカ、また突っ走っちゃったの。バウリン隊長がお怒りみたいでさ、呼び出されてそのまま。何やってんだか」
マコトはため息を吐くと、冷たいお茶を一気に飲み干す。モモは空になったコップにもう一度お茶を注ぐ。マコトはまたお茶を喉に流すと「ぷはっ」と満足気に椅子にもたれかかった。
モモはスタースがスバルに説教するところを想像する。が、いつも会うスタースが優しすぎるのでなんとなくイメージがわかない。
「ほんと、なんであいつっていつもさあ。正義感はわかるけど、突っ走りすぎるのよね。いつか死んじゃわないかって心配」
「あはは。なんだかんだ言って一番心配してるよね、マコト」
「同じ隊だし、同期だからねっ」
モモはそんな二人の話を聞きながら、スタースのことを考えていた。
「ねー、モモ、聞いてる? 何考えてんのさ」
「え? あ、いや、ちょっと」
「なになに? マコトちゃんの予想では、男のことを考えていたとみる!」
「ええっ」
マコトの勘はよく当たる。ショーンが反応した。モモはマコトの言葉に、さらに頭にスタースを思い浮かべる。振り切ろうと、頭を振る。
「好きな人でもできたのかなー」
「そういうのじゃないけど……」
スタースが好きというより、素のスタースを知っている人が少ないのをもったいないと思っただけだ、と心の中で否定する。
スバルもマコトも、スタースのことを嫌っている。ショーンも良い印象はないだろう。
それがなんだか、もったいなく思えるのだ。
「だれだれ? 教えてよお」
マコトは目を輝かせて迫ってくる。ショーンの顔が何故だか青かった。調子でも悪いのだろうか。
「マコトこそ、スバルのことどう思ってるの?」
切り返されたマコトが、うっと唸ると腹を押さえる。ダメージを受けたようだ。
「いっつもスバルのことばっかりだし、好きなのバレバレだよ。ね? ショーン」
「うん。支部の皆、知ってるよ」
モモの言葉から続いてショーンの追撃が入り、マコトにボディブローをくらわす。
「え。う、ウソだよね? みんな知ってるの?」
二人が同じタイミングでしっかり頷くと、マコトはゆでだこのように顔を真っ赤にする。
そんなマコトを見て、モモとショーンはにやにやと怪しい笑みを浮かべお互いを見た。
「だよね」
「うん。ほんとさ、早くくっつけばいいのに」
ユウさんとリカさんもね、とモモは心の中で付け足した。
「だって……だってさ、素直になれないんだもん! あたしもスバルも気が強いから、いつもケンカになっちゃって。あたしだってほんとはスバルに好きだって伝えたいよ、だから」
「ただいまー!」
スバルが店に入ってきた。固まる三人。もしかしてマコトの話を聞いていただろうか? モモとショーンは注意深く見守っているが、マコトは完全に動作が止まっている。顔も変わらず真っ赤だ。
スバルがそんなマコトを見つけて、つかつかと歩いて近づく。
「す、スバル、その、あたし……」
「聞いてくれよマコト、あいつホント鬼だわ。始末書まで書かされたんだぜ? いい加減にしろっての! たく、なんなんだよ!いお前もさっさと逃げやがってさ」
空気が停止している。スバルはひとしきり喋った後で、そのことに気づく。
「あ? どうしたんだよ、おまえら」
きょとんとした顔で三人を見ている。モモとショーンは呆れた様子だ。マコトはと言うと、
「も……もー! なによなによ! バカスバル! 知らないわよそんなこと! あんたがバカなことしたんだから始末書書かされただけじゃん! ほんとあんたってバカ!」
「なんだとテメッ!」
二人の喧嘩が始まる。モモは呆れて口が塞がらない。いつものことだが、こうもすれ違ってはくっつくのはまだまだ先だろう。
両片思いとはつらいものだ。モモは二人に同情する。頑張れ、と心の中でエールを送っておいた。
「あ、あのさ、モモ」
ショーンが声をかけてくる。両手をもじもじと動かしながら、何が言いたげにモモを覗き見る。モモはそんなショーンに首をちょっとだけ動かす。
「どうしたの? ショーン」
ショーンはなにか言いたそうだ。モモがそう聞くと、しばらくどもった後、羽虫のような小さな声でこう聞いてきた。
「ほ、ほんとにさ、好きな人……いるの?」
モモは突然の話に、目が点になった。どうやら、マコトの話をまだ引きずっていたらしい。
ショーンは繊細だから、細かいことが気になるのだろう。
「え。別に。そういうわけじゃないよ」
モモはなんでもないというように答える。
「そっそうなんだ。そっかあ」
顔色がとたんに明るくなる。なにか安心した様子だ。
モモがじっと見つめると「いやいや、なんでもないよ」と慌てて両手を振る。と、ふと店の入り口を見て声を上げた。
「ペアーノ隊長とバウリン隊長だ」
スタースが、第一討伐部隊隊長のカミッロと話しながら茶房を通り過ぎた。
「隊長さん……」
モモはスタースが見えなくなるまで目で追う。
ショーンはそれに気づいたようだ。ぼんやりスタースを見つめるモモ。その視線に何かを感じとる。
「ええ、ウソ……まさか、モモ、え、ウソだよね?」
「何が?」
何がウソなのか、モモにはわからない。
「な、なわけないよね。ううん、なんでもない。スタース隊長って、よく店に来るの? この前、一回来たのは知ってるけど」
モモはどう答えたらいいかわからず、戸惑う。朝、仕込みを手伝ってくれているのを話してもいいのだろうか。スタースは別に秘密にしてくれとは言わなかったが……。
「あーいう人ほど、甘い物が好きそうに思えちゃうんだよね、ボク」
モモが笑うと、ショーンも笑顔を見せる。
(好きというよりかは、今、みんなが「食べている」甘い物を作ったんだけどね)
とは言わなかった。