6 モモの過去
戦闘が終わり、ユウは分析官として異喰イの残骸を集めているようだった。スタースは拳銃を懐に仕舞うと、彼が帰るまで待つ。
ユウが採取を終え帰るところで、スタースは声をかけた。
「バウリン隊長! お疲れ様です」
「君もご苦労」
二人は西シャンア地区を歩く。討伐も終わり、シェルターに避難していた住民達がちらほらと戻ってくる。ユウは、そんな住民達に声をかけながら歩く。彼らもユウを見て嬉しそうに手を振っていた。スタースの視線に、ユウは恥ずかしそうに頭を掻く。
「街で分析してたりすると、自然と仲良くなってしまって。最近は、住民とのコミュニケーションもなかなか大事だと思うようになりました。人を守る為のアーシェスですから、人からも理解されないと」
「そうか」
そのまま無言で歩いていると、ユウがちらりとこっちを見る。目を合わせると、体をびくりと振るわせぎこちない笑みを浮かべられた。怖がられているのが、スタースにはよくわかった。
しかし、どう印象を変えればいいかスタースにはわからない。そもそもスタースは笑顔を見せるより聞きたいことがあったのだ。
「君は、昔はナイツだったと聞いたが」
「はい。異喰イに侵食されてしまって、ナイツを続けることができなくなりました。それでも、僕にできることはないかと思って分析官に」
「赤郷や望月も、君と同じ養成施設の出だと聞いた」
「そうなんですよ。モモちゃんとマコトちゃんは僕の後輩なんです。二人とも妹みたいな存在で。いつも気にはしているんです」
「しかし、赤郷はナイツ適性がないと聞いた。適性のない者が養成施設に入れるのか?」
「それがですね、不思議なんですけど」
ユウはモモの話を聞くと、少し声を小さくして話し始めた。
「昔は適性があったんですよ。しかも普通の候補生より高い適性が。侵食耐性も高くて精神波を読むのも飛び抜けていました。将来は天才ナイツになるんだろうって、僕も鼻が高かったんですけどね。僕が施設を出てナイツになった後に、突然、適性がなくなってしまったらしいんです」
波動力歩道に入る。波動力により自動で道が動くのだ。二人はそれに乗りながら話を進める。
「そんなことが、あるのか?」
「僕も聞いたことがないですよ。でも、ある日突然なくなってしまって。モモちゃん、施設を追い出されたんです。ずっと心配だったんですけど……ある日、ひょっこりシンハ支部に現れて店を始めました。元気そうで安心しましたよ」
そのうちシンハ支部に着く。ユウとは正面エントランスで別れることになった。
「結城」
「は、はい」
結城は体をぴんと張り、スタースの言葉を待つ。
「……君はよく頑張っている。無理はしない程度に任務にあたりなさい」
「あ、ありがとうございます!」
ユウは声を張り、深々と頭を下げた。
スタースは波動力エレベーターに乗り考える。
高い適性を、突然失くすとはどういうことだろうか。適性がなくなるなど、スタースも聞いたことがない。きっと奴らが関わっているのだろうとスタースは睨む。
しかし何故適性を失ったのか? その理由は?
モモに聞く必要があるな、とスタースは顎を撫でた。どのみち自分のせいで手が使えない。朝の仕込みを手伝うつもりだ。その時に聞くことにした。
サイレンが鳴り、異喰イ発生を警告する。スタースは波動力エレベーターのボタンを押した。休むヒマもないが、これがスタースの仕事である。何より、自分からこの生き方を望んだのだ。
何があろうと、異喰イを殲滅し人類を守る。
それがスタースの信念だ。
翌朝、スタースは茶房ももの裏口を覗いた。
モモは裏口付近の椅子に座ってぼんやりとしている。自分を待っていたのだろうかと、スタースは声をかけた。
「あ! 隊長さん、お疲れ様です! 昨日は異喰イ、多かったけど大丈夫ですか?」
「よくあることだ。心配、ありがとう」
昨日は結局、三回も呼び出しをくらった。さすがにスタースも疲れを感じているが、モモには欠片も見せない。彼女に心配をかけるつもりはなかった。精神波が読めるモモに嘘をついても、バレている可能性はあるが。
二人はさっそく仕込みにとりかかる。モモはあまり手に負担をかけない作業だけだ。痛みは引いたらしいが、ぶり返したり慢性化したりしてはいけない。
あと数日はモモの手をつかわせるつもりはなかった。
「隊長さん、本当は優しい方なんですね」
ぐつぐつと煮込む小豆を見張りながら、モモがそんなことを洩らす。
スタースもよくわかっていた。氷のスタースと呼ばれ、コネで隊長になったとウワサされる自分。異喰イには容赦せず、人々を守る為には苛辣なことも言う必要もある。そのせいか、どこに行っても人々に厳しく接するスタースを、皆、冷徹だの冷酷だの言う。
それでもスタースは構わなかった。どれだけ恐れられようとも、自分の信念を貫くことを優先するのが大事だったからだ。
「君も最初は怖かったか」
そういわれても仕方ないとは思っている。スタースは白玉をこねながらモモの言葉を待つ。
「最初は。でも、今は全然です。だって、白玉をこねてる隊長さんなんて滅多にいませんから」
しばらく、モモの最後の言葉を心で反芻して……吹き出した。白玉に唾が飛ばないように、手で口を覆う。低い笑い声が隙間から漏れてしまう。
そんなスタースを見て、モモも小さく笑う。
しばし、二人はお互いを見て笑い合っていた。
「確かに、そうだな。俺もこんなことをするとは思っていなかった」
支部の皆が、今の自分を見たらどう思うだろうか。想像してしまう。呆気にとられるだろうか、スタースのように吹き出し笑うだろうか。少しだけ、皆の驚く顔を見てみたいと思った。
仕込みが終わったら、店内の掃除だ。スタースが床を掃いて拭き、モモは片手でテーブルを拭く。スタースも慣れてきたので、開店の四十分前には準備が終わった。
少し時間が余ったからと、モモがお茶を淹れる。北ノ系の紅茶と、昨日作ったクッキーをスタースに出した。二人はテーブルに向き合うように座ると、紅茶とクッキーをいただく。
スタースは紅茶を飲んで一息を吐いた。小さい頃、飲み慣れていたお茶に懐かしさを覚える。
モモはちまちまとクッキーをかじっている。ハムスターみたいで可愛いなと素直に思った。
茶房に来た時から話し出す機会を伺っていたスタースは、タイミングを見計らい、口を開く。
「君は昔、ナイツを目指していたと聞いたが」
「はい。わたしは孤児で、十二歳まで養成施設で暮らしていました」
養成施設で暮らすのは孤児だけだ。死と隣り合わせのナイツに志願する一般人は滅多にいない。ナイツのほとんどが、孤児で養成施設に入り訓練した者達。
モモも同じようなものだったのだろう。
「そうか。君はなかなか将来を見込まれていたらしいな」
「みたいですね」
言い方に違和感を覚える。モモは紅茶の水色をじっと眺めていた。その目は昔を思い出しているかのように、ぼんやりとしている。
「わたし、記憶がないんです」
スタースは紅茶から視線を動かし、モモを見上げる。表情は変えていない。モモの話を、最後まで黙って聞くつもりだった。
「適性を失う前の記憶が。理由も原因も誰もわかりませんでした。もちろんわたしも。ナイツの適性も、期待も、仲間達の記憶も、全てある日一瞬でなくなったんです」
モモは目を伏せたまま、ティーカップの取っ手に小さな指を絡ませる。カップを優しく持ち上げ、手で覆い、温かさを感じているようだった。
「わたし、訳がわからないまま捨てられました。適性のない子どもなんて必要ないって。それでさまよっていたところを、甘味処をやっているおじいちゃんとおばあちゃんに拾われたんです」
口元にティーカップを持っていくと、紅茶を含み再びソーサーに戻す。
「二人とも優しくて、いろいろ教えてくれました。お茶の淹れ方や、お菓子の作り方、それから愛情も与えてくれて。捨てられた傷も、二人のおかげでいつのまにか塞がっていて……感謝してもしきれません」
モモは僅かに微笑みを湛える。その老夫婦達のことを思い出しているのだろう。声色も、感謝を滲ませていた。
「でもわたし、やっぱり、みんなの役に立ちたくて。何かわたしでもできることはないかって考えて、二人が亡くなった後にここで茶房を始めたんです」
「……そうか」
「ナイツじゃなくても、できることはある。そう思って今も茶房を続けています。ちょっとでも、支部のみんなや街のだれかの役に立てるように」
モモは顔を上げると、いつもの笑顔を見せる。
その笑顔を見ると、スタースは自然と腰を浮かせていた。屈みこみ、左手をモモの頬に添える。モモはスタースの突然の行動に目を見開く。
スタースはモモの目をじっと見て、口を開く。
「君は確かに、みんなの役に立てている。それを誇りに思っていい」
ゆっくり、はっきりと、そう伝えた。
「ありがとうございます」
モモは目を伏せ、涙を拭う。テーブルにすーちゃんが飛び乗ってモモの頬を舐めた。
「すーちゃんも、ありがとね」
涙を拭いだ手で、すーちゃんの背中を撫でた。
九時前には、茶房ももを出て行く。昨日の連戦による疲れは、いつのまにかなくなっていた。モモのお茶のおかげか、あの穏やかな時間によるものか。スタースにはどちらにも思えた。
あと数日すれば茶房ももに通うこともなくなる。それがスタースには不思議と寂しく思えてくる。
「まあ、いいさ。客として通えばいい」
トーマスでも誘って行けばいいのだ。そうは思ったが、やはりあの二人きりの時間がスタースは好きだった。
「いや……しかし、迷惑だろう。俺のような人間が通って楽しいわけがない。気を遣わせるだけだ。だが、奴らの事もあるからな……」
ぶつぶつ呟いていると、職員に凝視されながらすれ違った。
「と、とにかく、仕事だ仕事」
咳払いをすると、意識から邪念を取り払う。自分の信念を思い出す。スタースの顔が、いつもの冷たく無愛想な表情へ一瞬で変わるのだった。