5 距離
モモが看板を店の前に出すと、スタースも制服を整えて出てくる。やはり、モモの手が治るまで、スタースは手伝ってくれるようだ。最初は気を遣っていたモモも、男手がいるとこんなに楽なのかと最近では結構こき使っている。
「では、私は行かせてもらう。あまり無理はしないように」
スタースは心配気にモモを見下ろす。迷惑をかけてはいけないと思ったモモは、明るく眩しい笑顔でスタースを見送ることにした。
「はい! いってらっしゃい!」
モモの言葉に、スタースは戸惑ったような笑みを見せて行ってしまった。
「あれ……なんだか、今のって」
ふと気づく。いってらっしゃいとは、まるで夫婦のような言葉のようにも思えなかったか。
途端にモモの顔が赤くなった。
「隊長さん、困ってたよね。変なこと言っちゃったよう」
明日謝ろうか。いや、わざわざ掘り起こすこともないか。などと考えていたら、すーちゃんがモモの肩に飛び乗り、顔を覗く。
「あ、何でもないよ、すーちゃん。……さ、今日も頑張ろうか」
落ち着いてきたモモは、お店にひっこんでお客さんを待つことにした。
十一時まで客は来なかった。今日、初めて来たお客さんは、分析官のユウ。一緒に研究者でもあり武器エンジニアでもある、リカ・バークバッハの二人だ。
ツインテールの髪、無愛想な作業服がミスマッチだが、ある意味一目でリカだとわかる。結城より年下のリカだが、さまざまな分野で天才と呼ばれている優秀な支部のメンバーだ。
ただ、マイペースすぎるのと考えていることがわからないのが困ったところで、さらにかなりの大食いで、いつも何か口にしている。
「ももち、やっほー」
そして、誰でもかれでも自作ニックネームで呼ぶのがリカであった。スタースは怖いのでちゃんと名前で呼んでいるらしい。賢明な判断だ、と支部の人は久しぶりにリカを褒めていた。
「手、大丈夫ー? ケガしたんだよね? リカが運ぶから気にしないでねー」
と、リカは自分の分のお茶を持っていく。
「って、僕のはないんかい!」
「ゆうゆうは手、ケガしてないでしょ? 自分でとりにいかないと」
「ついでに持って行くとかないのかよ……」
とぶつぶつ言いながらお茶を運んでいる。
モモは笑い声が聞こえないように気をつけながら、二人の掛け合いを横目に見る。
ユウはいつもみたらし団子を注文する。リカはリカ専用オリジナル抹茶パフェだ。大食いのリカの為に、普段出すパフェの倍中身が詰まっている。初めて見た者は、見ただけで胃もたれを起こしそうになるだろう。リカならぺろりといけるが。
注文されたお菓子を作りながら、モモはリカとユウの話を聞いていた。
「昨日さ、隣の支部の奴と話してたんだけど、ここ数年は異常らしいな。ナイツの寿命が」
異喰イを討伐するナイツ達は、常に死と隣り合わせで戦っている。その為ナイツの寿命は短い。三十歳までいかずに死ぬ者もいる。しかしこのシンハ支部では、モモが知る限り戦闘で命を落とすナイツはいなかった。たしかに、そう考えると異常なのだろう。ありがたいことではあるが。
「うん、リカのところもそれについては調査してるんだー。耐性が他の支部と比べて高いのはわかってるんだけどね。どうして高いのかはさっぱりなんだよねー」
「リカでもわかんないことってあるんだな」
ユウもモモも意外と言った目でリカを見ていた。実は数年前に導入された拳銃製造には、リカも関わっている。それ以外でも、ナイツの武器のメンテナンスから改造まで引き受け、シェルターに使われている精神波防壁開発にも手を貸したと聞いている。
十六歳で有名大学を卒業してキャリアもある、シンハ支部の中ではエリート中のエリートなのだ。そんな風には見えないが。
「はい、お団子とリカさん専用パフェできました。でも、いいことですよね。理由はわからないけど……みんなが無事に帰ってこれるなら」
「まあ、そうだね」
「だねー。リカは気になるけど」
二人とも頷いて、同じタイミングでお茶を啜る。
「ふー。もしかして、モモちゃんのお茶のおかげだったりしてね。みんなが長生きなのはさ」
ため息を吐いてそんなことを言うユウに、モモは笑う。
「だったら嬉しいなあ」
「ももちのお茶かー」
リカは何か心あたりがあるのか、考えこんでいる。目が大きくて、可愛いらしい雰囲気にツインテールがよく似合う。モモもユウも、リカが真剣な顔をしているのが珍しくつい黙ってしまった。
リカは立ち上がると、真剣な顔でパフェを運ぶ。ユウもモモの手に気を遣ってみたらし団子を運ぶ。
しかし、席についたリカは一分もしないうちに元の表情に戻る。
「考えすぎた。ゆうゆう、お団子ちょーだい」
「バカお前、これは僕の団子! お前はパフェがあるだろっ」
「いいじゃん一口ぐらい。ほら、あーん」
口を開けて催促するリカ。
その口にパフェに入ってある白玉が放りこまれた。ユウがスプーンですくって口に入れたのだ。
「パフェにも団子があるんだから、それ食っとけ」
「むぐぐ……。みたらし団子がいいのにー」
(これ、完全にいちゃついてるよね。二人とも早くくっつけばいいのに)
などとモモは思いながら、ユウとリカの掛け合いを眺めるのだった。
昼を過ぎると、客が増えてきた。モモの手はまだ使えないので、みな自分で運んでくれる。
店の席はほとんど埋まっていた。モモは店内の椅子に座って客達と話す。
「スタース隊長って、どうですか?」
モモは気になって、ナイツである客にさりげなくスタースについて聞いてみる。いつも自分には優しいスタースが、普段はどんな感じなのか知りたくなったのだ。
ナイツの一人が、顔を強張らせるのをモモは見た。
「あの人か。おっかないよー。異喰イを倒す時も、なんて言うか徹底的で……憎んでるみたいでさ。非情って感じだね。ま、それは当然なんだけどさ。でも、仕事内容以外の会話とかしたことないよ」
「オレも一度も話したことないなあ。トーマス副隊長くらいしか話しかけないんじゃないかな。というか、話す話題ないし」
「そうなんですか……」
皆、あの、優しいスタースについて知らないようだ。
店に人が入る。モモがいらっしゃいませと口を開けようとして、気づいた。スタースだ。
店の中が凍りつく。客もみんなスタースに気づき、緊張が走った。
「いらっしゃいませ。あ、トーマスさんどうも、隊長さんも」
どうやら副隊長であるトーマスに誘われたらしい。二人が席に着く。モモは注文をとりに二人のテーブルに駆け寄る。
「何になさいますか?」
モモはスタースの顔を覗きこむ。冷たい瞳だ。それは異喰イが発生した時に見た、あの冷徹な色の瞳だった。
スタースは淡々と、ほうじ茶とお汁粉を注文する。トーマスはいつも通りお茶と大福だ。
厨房に入るとお茶を作りお汁粉を入れる。
なんだか悲しいな、とモモは心の中で口にした。朝に合うスタースの穏やかな表情を思い出す。そして、今の冷たい顔。距離が空いている感覚に、何故だか胸が苦しくなる。
ふとモモは不安に襲われた。明日の朝、スタースは店にやってこないのではないか。あの優しい笑みもなにもかも、もともとなかったのかもしれない。
厨房に誰かがやってきた。見上げると、スタースがモモを見下ろしていた。その表情は、あの冷たいものではなく、いつも朝に見る穏やかな雰囲気。
「私が運ぼう。無理をしてはないけないよ」
スタースはお茶とお菓子の乗ったお盆を手に取ると、すたすたと歩いて行ってしまった。
「……よかった」
聞こえないように、ため息と一緒に吐き出す。
一瞬、距離を感じていたが、あの優しいスタースはちゃんといたのだ。嬉しくて顔に表情が出そうになり、手で隠す。
(わたし以外には冷たいのかな。本当は優しい人なのに、みんな知らないんだ)
それに優越感もあったが、同時に寂しさを覚える。自分だけが知っているというのも、どうも嬉しくない。
モモは厨房からこっそりスタースを観察する。
トーマスの話に時々、短く答えたり頷いたりしている。だが、自分から話しかけることはあまりないようだった。
他の客はスタースにビクビクしながら、様子を見つつお茶を飲んでいる。皆、スタースに話しかける勇気はないらしい。
腫れ物に触るようかの対応に、モモはもどかしい想いを抱く。
(みんなだって、隊長さんの本当の姿を知れば、もっと話したくなるはず)
しかしスタース自身も、周りから距離を置いているのだ。モモが無理に距離を縮めていいわけがない。スタースは何故、周りから一歩身を引くのだろうか、と考える。
「モモちゃん、注文いいかな?」
「あ。はーい! 今行きます!」
そのまま考えるヒマもなく、モモはオーダーをとりに行く。今日は異喰イが現れることなく、夕方まで店には客が耐えなかった。
スタースは早いうちにトーマスと一緒に店を出た。明日の朝も来てくれるだろうか、とモモは忙しい中で心の片隅に思うのだった。