4 手伝い
早朝。モモの朝は午前五時から始まる。目覚め振動器に起こされ、寝ぼけ眼で髪を整え支度をする。てきぱきと服を着ると、朝食を簡単にすます。朝はいつも味噌汁とお茶漬け。茶房なのでお茶はいくらでもあるので、安心して食べられる。
六時になると店前の花に水をやる。昨日は風が強かった。天気がいいので防風シャッターを上に押しやろうとする。
「うーん。重い。これじゃナイツになんてなれないよ」
と、この前と同じことを言っている。再び力を入れようとして、急に重みがなくなった。
振り返ると、スタースがいた。
「隊長さっ、わっ」
振り返った時にシャッターに頭をぶつけ、くるりと回って地面に倒れこむ。体を支えようとした右手を挫き、痛みが走った。
「赤郷! 大丈夫か?」
スタースが手を差し伸べる。モモはその手を掴もうとするが、痛みに声を上げた。
「手を痛めたか。とりあえず、冷やそう」
まず打った頭を優しく撫で、そっと両手でモモの右手を包みこむ。モモよりも大きい、男性の手。白い手袋越しに、冷んやりとした感触が気持ちが良い。スタースはモモの手をしばし包んでいたが、立ち上がりモモを抱き上げる。
「へ? た、隊長さん?」
モモの顔が真っ赤に染まるが、スタースは真剣な表情のまま前を向いている。
一体どうなっているのか、モモはそれ以上考えることができなかった。
スタースは店の中へと入ると、モモを椅子に座らせる。冷凍庫の場所を聞いて氷水を用意すると、袋に入れてタオルを巻き右手に押し当てた。
「応急処置だ。医療部の者達の出勤時間が来たら、見てもらいなさい」
「ありがとうございます。わざわざこんな」
「いや……私が悪かった。驚かせてしまったのだから。申し訳ない」
スタースが素直に謝る。心配した様子でモモの顔を伺い、目にも表情が映っている。氷のスタースと呼ばれる面影はどこにも感じない。
モモは、この前に見たスタースの冷たい表情を思い出す。
(隊長さんって、どっちが本当の隊長さんなんだろう)
「大丈夫です。気にしないでください。これくらい……。とにかく、仕込み作業をしないと」
モモは立ち上がり厨房へ行くが、そこで困ってしまった。右手が使えない。今日のお汁粉を作っておこうと思っていたのだが、これでは仕込みができない。
「何をすればいい?」
厨房にスタースがぬっと現れると、そう聞いてきた。モモには最初、言っている意味がわからなかった。何をすればいい? と聞かれた?
それはスタースが仕込みをするということなのか。戸惑っていると、スタースは厨房を見回し小豆の入った袋を見つけた。
「凄い量だな。これを使うのか?」
「へ? あ、はい」
聞かれてつい答える。どうやら仕込み作業を手伝ってくれるらしい。ありがたいが、隊長さんにそんなことをさせていいものだろうかとモモはスタースにおずおずと訊く。
「いいさ。私のせいで君の手を痛めてしまったのだからな。少しでも君の手伝いをしたい」
「えと、じゃ、じゃあ、お願いします」
真っ直ぐなスタースの瞳に負けて、またありがたくもあったので、モモはスタースにお汁粉の作り方を教えることにした。
まずは小豆をさっと洗い、水を鍋に入れて強火に。沸騰してきたらアクをとり、一旦煮汁を捨てる。
「捨てるのか。この汁は使わないんだな」
スタースは煮汁を捨てながら、興味深げだ。
「はい。こうすることで美味しくなるんですよ」
「ふーむ」
作業はモモの指示通りに淡々と進んでいる。初めてにしてはなかなか手際がよくて、スムーズだ。
たっぷりの水を入れて再び火にかける。沸騰したら中火にし、水を足しながら一時間ほど煮ていく。
お汁粉の様子を見るのはモモにして、白玉を作ってもらうことにした。白玉粉に水を入れて、耳たぶくらいの固さにすれば丸く形を整えて完成。お汁粉に進む。一時間煮て小豆が柔らかくなったら、砂糖と塩を入れる。溶けるまでかき混ぜたら、出来上がりだ。
「わあ、ありがとうございます! 美味しそうにできました!」
「初めてだったから緊張したが、上手く行ったようで何よりだ」
恥ずかしげに笑うスタースに、一瞬モモは見惚れる。彫りが深く高い鼻に陰影が差し込み、彫刻のように優雅な表情。優しく垂れる目尻。口元は微かに微笑している。
「赤郷?」
スタースは首を傾げて、モモを覗きこんだ。
とたん近くなったその瞳を見て、モモの心臓がどくんと跳ねる。
「あ、い、いえ。助かりました」
「他にすることはないのか? できる限り手伝おう」
「え。でも、そんな」
断ったがスタースは聞かずに、その他の仕込み作業や店の掃除を率先して手伝ってくれた。
「隊長さんがウチで働いている……」
テーブルを丁寧に拭いているスタースを、モモはぼんやりと見つめる。すーちゃんも珍しいものでも見るかのように、スタースをじっと観察していた。それは不思議な光景だった。
氷のスタースとは何だったのだろうか。ただの男性店員に見えてくる。
(いやいや、あの冷酷冷徹な氷のスタースを忘れちゃダメだよ!)
モモは、ぶんぶんと変な想像を振り切ろうとする。
それを見てすーちゃんもふるりと頭を振った。
彼は一応(?)シンハ支部第二討伐部隊の隊長である。今だって服は機関に支給される制服で、胸元には隊長であることを誇示するかのようなアーシェスの紋章と階級のバッジが輝いている。
「赤郷、終わった。次は何をするんだ?」
「あ、はい! えーと、次は」
結局、八時半までスタースは店を手伝ってくれた。茶房ももの開店は九時。今なら早番の医療部員が出勤しているだろう。
「送っていこう。分析部まで用がある。ついでだ」
二人で店を出る。スタースもいるので、今回は外壁階段でなく波動力エレベーターに乗って七階にある医療部前へと向かった。
「本当にすまなかった。ちゃんと手を見てもらいなさい。では、な。また、店に行くよ」
「ありがとうございます。じゃあ、また……え?」
スタースはすたすたと行ってしまう。モモはしばらく立ち続けていた。最後の言葉を、もう一度思い出す。
「また、店に来るってこと、だよね?」
空耳だったかもしれない、とモモは結論して医療部に入った。多分、幻聴だ。
右手は幸い軽症で、無理をしなければ一週間で治るとのことだった。痛みは少し引いている。一応の用心として、モモは注文のお茶とお菓子を客がキッチンテーブルから各自持っていくようにした。
お客は皆、モモが怪我をしたと聞いて心配する。だがモモは何故だかスタースの名前を口にしなかった。
話していいものか悩むし、信じてもらえるとも思わなかった。スタースが店の手伝いをしたなんて話しても冗談だと思われそうな気がしたのだ。
しばらくは自分の内に(それからすーちゃんの内にも)留めておこうとモモは決めたのだった。
翌日。朝、朝食を食べ終わったモモはエプロンを着ると「さて、どうしようか」と独り言を呟いた。
右手の痛みはまだ鈍く続く。無理をして悪化してはいけないが、仕込みは待ってくれない。
テーピングでもして作業をしようかと考えていると、すーちゃんがにゃあと鳴くのが聞こえた。どうしたのだろうと思うと同時に、厨房に大きな影が落ちる。
モモが見上げると、スタースがいた。
モモは驚きで三センチ飛び上がった気がした。
「おはよう。君、まさか、無理するつもりじゃないだろうな?」
「へっ? いや、でも、やらないとお店が開けないですし。それでその、隊長さんはどのような御用で」
「手伝いにきた。私のせいなのだから、当然だろう」
スタースは厨房の中に入る。厨房自体が小さいので、スタース一人でかなり威圧感だ。何というか、断れる気がしない。
「さて。何をすればいい?」
スタースは腕を捲る。やる気のようだ。モモの指示を待っているようで、その場に待機している。
「じゃ、じゃあ、お団子作りをお願いします!」
もうどうにでもなれ。モモはスタースをしっかりこき使うことにした。やけくそである。
とても恐れ多いが、こうなったら手が治るまで使い倒してやろう。
それと同時に、怖くない優しいスタースをもっと見てみたいとも思ったりもしていた。
その時のモモは、まさか手が完治するまでスタースが通うとは考えもつかなかった。