19 バイト隊長
正午、ももにお客さんが入る。シンハ支部の女性職員達は、話に花を咲かせながら店に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませー」
一番最初に聞こえた、男の声に足を止める。
「たっ、た、バウリン隊長?」
「いらっしゃいませ」
スタースははにかみながら、職員達をテーブルに誘導した。昼とあって客は多い。だが、皆戸惑っているようだった。
何故バウリン隊長が、ウェイターをしているのか? 謎である。
「あ、あの、バウリン隊長? どうなさって」
「隊長さんは、ウチのバイトですから。時間のある時は、給仕もしてくれることになったんです」
モモが説明する。職員達はスタースを見上げた。スタースは困ったような笑みを浮かべている。いつもの冷たい無表情が欠片も感じられない。
「注文は?」
スタースに促され、我に返った職員達。お茶の葉定食を頼む。
「隊長さん、ライさんのお茶の葉定食ができました」
「わかった」
「いいですか? 無愛想じゃなくて、笑顔で! お客さんはこの店自体を楽しみにされているんですから、対応は丁寧にお願いします!」
「は、はい!わかりました!」
モモはしっかりスタースに念を押す。その気迫にスタースは押されて、何故か敬語になっている。
「すげえな、モモちゃん……」
「あのバウリン隊長に、あんなこと言えるなんて」
客達は、モモを尊敬の眼差しで見ていた。
あの氷のスタースに注意をするなんて。
スタースがバイトだとしても、皆、彼に注意するという自信はなかった。
サイレンが鳴り響く。皆、顔を上げた。
スタースの空気が一変に変わる。モモが何やら動き出した。
「ロウオン地区に異喰イ発生! バウリン隊とミッドゴルド隊、アンシェン隊は出動!」
客の何人かが店を出て行く。スタースもエプロンをとると、制服を整える。いつもの冷たい表情と空気。
モモが厨房から飛び出した。スタースにボトルを渡す。
「これ、わたしの作ったお茶です。任務、頑張ってください」
モモは少しでもスタースを守りたいと、お茶を淹れたのだ。また、異喰イ体内にでも入って侵食されないように。スタースはボトルを手にとり、モモの頭を撫でる。
「行ってくる」
一瞬笑みを浮かべ、店を出て行った。モモはしばらくぼんやりしていた。あの、任務になると性格が変わってしまうスタースが笑った。
ちょっとだけ。
(わたしのこと、妹みたいに思っているからかな……)
嬉しいような、悲しいような。スタースが好きだと気づいてから、妹と思われるのが辛くなってしまった。
(でも、隊長さんがわたしのことを好きになるわけないし。妹と思われるだけでも、いい方なのかも)
あくまで妹。それでもいいじゃないか。
恋心でスタースが遠ざかるより、今の関係で優しく笑ってくれるなら……それでいい。
モモは自分に言い聞かせるしかなかった。
それから二週間もすれば、スタースはれっきとしたももの給仕となっていた。客への対応もスムーズで、笑みを浮かべることも多くなってきた。
「バイト隊長さーん。注文お願いしまーす」
リカが声を上げる。バイト隊長というあだ名もかなり浸透してきた。
「お前バカ! そのあだ名を隊長本人に言うな!」
ユウがリカの口を押さえている。これにはモモも苦笑するしかない。多分裏では皆使っているだろう。
「べセット」
「はっはい! 本当に誠にすみませんでした!」
何故かユウが謝っている。
「いや……その、いつものパフェも、でいいんだよな?」
「お願いしまーす」
スタースは注文をとり、モモの元に来る。お互い笑っていた。
「相変わらず、結城とべセットは面白いな」
「そうですね。いっつも仲良いし」
「付き合って……ないんだよな?」
「多分……」
モモとスタースは、二人を見る。隣に座って話している姿は、恋人同士にしか見えない。
お似合いだと断言できるが、あれほど進展しないのもおかしい気がする。
「ギャップ隊長って、本当だったんですね!」
注文をとりにいくと、若いナイツがスタースに話しかけている。
「ギャップ隊長……?」
「任務中は厳しいけど、ももでは優しいって聞きました!」
なるほど、ギャップ隊長か。モモは納得した。
確かに任務になると怖いが、バイト中は優しくて穏やかだ。
「私はそんな風に呼ばれているのか?」
モモはつい吹き出してしまった。
「赤郷、君」
「すみません。だってギャップ隊長って……ふふふ」
スタースは不服そうだが、的を得ているのだ。その場の客達も、新人ナイツの言葉に笑みを浮かべている。
「君達な……」
「あ。水嶋さんのお茶セットできました」
説教でもしそうだったので、モモは素早く注文のお菓子を用意した。
「む。……了解だ。注文表を」
「ありがとうございます。あ、笑顔でお願いしますよ。笑顔で!」
念を押すと、渋々頷いた。
スタースはお盆を運んでいく。モモは渡された注文表を見て、お茶とお菓子を準備する。
「どうぞ、お茶セットです」
「ありがとう。いやー、モモちゃんと隊長さん、息ぴったりだね。夫婦みたいだよ」
モモの耳が素早く「夫婦」をキャッチする。
(そう見えるのかな……)
嬉しいが、スタースがどう答えるかが気になる。
「私はただの給仕だよ」
さらりと返して、スタースは新しい客の注文をとりにいった。
(まあ、そうだよね)
モモは、スタースの言葉に肩を落とす。わかってはいたが、実際に言われると悲しい。
「いらっしゃいませ!」
ももにまた客が入る。マリナだ。白衣を羽織って、颯爽と入ってくる。
「あら、バウリン。やってるみたいね」
スタースを見ると、くすりと笑ってテーブルについた。スタースが注文をとりにいく。
モモは真剣な瞳で二人を観察していた。
マリナの席は遠いので、何を話しているかはわからない。だが、スタースの顔は綻び、和やかな会話なのがわかる。
「そういえば、バウリン隊長とラングドン医師って仲良いよな」
近くの席にいる客達が、小声で話しているのが聞こえる。
「しょっちゅうラングドンさんの執務室に行くの、医療部の奴らが見てるんだよ」
「へえ。付き合っているのかね」
二人はじろじろと、スタースとマリナを見ているようだった。
(付き合ってるのかな、二人共)
ない話ではない気がした。胸が締めつけられる感覚を覚える。
「赤郷。お茶セットそのニをひとつ」
「は、はい」
作業を始めるが、二人が付き合っているのかと思うと気が気でない。だがそこは店主であるモモ、顔色や手つきに感情を出さない。
モモは、忙しさで忘れるように仕事をこなした。マリナとスタース、二人の姿を見ないように。すーちゃんが心配そうにこちらを見ているのが、わかった。
店仕舞いを終え、二人は店内のテーブルについていた。まかないの、おにぎりとたくあんを食べている。
「今日もありがとうございました。とっても助かりました」
「いいさ。バイトなんだから、もっとこき使っても構わない」
そんなことを前も言っていたな、と思い出す。
「じゃあ……これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼む」
スタースは礼儀正しく、お辞儀をした。
「あの……今日は、マリナさんが来てましたけど」
二人のことが気になっていた。モモはさりげなくマリナの話題を上げる。ああ、とスタースは思い出したのか目線を斜め上に向ける。
「そういえば、来ていたな。客が多くて忘れていたよ」
「その……二人って、付き合っているんですか?」
「俺が? ラングドンと?」
スタースは信じられない、といった顔をする。
その表情を見て、モモは安心した。
「そういう関係ではないよ。侵食のこともあって、よく話をしているだけだ」
「あ。そうだったんですね。ちょっとウワサを聞いたから気になって……」
「バイト隊長なりギャップ隊長なり、変なあだ名も流行ってるしな」
腕を組んで、ため息をついている。
「でも、みんな隊長さんの本当の姿を知ってくれました。なんだか嬉しいです」
「……ありがとう。君のおかげだ。こうやって気張らずに誰かと話すのも、久しぶりだ。ここに来て、いろんなことが変わったよ」
スタースが微笑む。
(こんな毎日が、ずっと続くといいな)
そう思いながら、モモも笑い返した。
茶房ももの明かりは、すっかり暗くなるまで灯っていた。暖かさを増したシンハ支部は、夏へと進んでいく。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。