17 確信
朝、モモとスタースはシンハ支部の七階までエレベーターで上がっていた。
「いつも仕込み、ありがとうございます」
「当然さ、バイトなんだ。もっとこき使っても構わない」
スタースは何でもないように言う。むしろ、バイトの時間を楽しんでいるようだ。
(もっとこき使う、かあ)
やって欲しいことはあった。が、まだ言うのははばかられる。そんなにワガママを言うのも、どうかと思うのだ。
「ではこれで。望月のことを頼むよ」
七階まで着くと、エレベーター前で別れる。モモは医療部へ、スタースは分析部へ用があった。最近は、午前中の茶房をお休みしている。
侵食の為に入院しているマコトの為に、差し入れを持っていっているのだ。
医療部へ入る。皆、モモに声をかけてきた。医療部のメンバーの差し入れを渡していくと、喜んでくれた。
そのままバスケットを持って、病室に入る。
白い部屋に、白いベッド。マコトがモモに気づき、にかっと笑った。
「やっほー。いつもありがとね!」
モモはテーブルにバスケットを置く。中には差し入れが入っている。紅茶を入れたボトルと、クッキー。ティーカップに紅茶を注ぎ、簡単なティータイムを作った。
「モモのお茶はやっぱりサイコーだね。どこの紅茶を買っても、モモのが一番美味しいよ。元気も出るし!」
「そっか、よかった」
モモも笑顔を見せる。自分のお茶には、耐性を作る力があるということを思い出しながら。
少しでもマコトの役に立つなら、毎日でもお茶を持っていくつもりだ。
「明後日には退院だよね。ナイツにはいつ復帰するの?」
「あー……、うん。そうだね」
何か悩みがあるのだろうか、渋り気味のマコトをモモは心配する。
「戦うの、怖くなった?」
「うん……。モモ、ちょっと聞いてくれる?」
「何でも聞くよ。友だちでしょ」
不安な感情をモモは感じた。何か悩んでいるようだ。
「ありがとう。じゃ、話す。……あたしさ、すっごい怖いの。ナイツじゃなくなることが」
「ナイツじゃなくなる?」
マコトが頷く。ふと気づいた。マコトの手が震えていた。
「侵食されて、先生から復帰できるよ、って聞くまでめっちゃ不安だった。今も怖いんだ。また侵食されて、ナイツじゃいられなくなると思うとさ。あたしには、それしかなかったから」
マコトはモモと同じく孤児で、同じ養成院で暮らしていた。養成院は、孤児達に訓練をさせてナイツにする。
小さな頃からナイツとして生きてきたマコト。モモには、なんとなくマコトの恐怖がわかるような気がした。
「モモはどうだった? 適性がなくなった時」
「ショックだったのはショックだったかな。いきなりおまえはいらない子だ、って言われて。悲しかったのを覚えてる」
「そっかあ。あたしも、いらないって言われるんじゃないかって、不安なんだ」
マコトは自然と俯いていた。震えてる両手を重ねて。
「なーんだ」
モモが言うと、マコトはこちらを向く。モモの言葉に目を見開いた。
「なーんだ、って」
「なーんだ、だよ。マコト。大丈夫だよ。そんなことで人間の価値は変わらないんだから」
モモは、自分を拾ってくれた老夫婦を思い出す。二人の言葉が、喉からこみあげてくるのがわかった。
「生きてるだけでいいんだよ。わたしも、マコトに生きていて欲しい。侵食されたって聞いた時、本当に怖かったんだ。マコトが死んじゃうんじゃないかって。
でも、マコトは今、生きてる。それだけでわたし嬉しいよ。必要なんだ、マコトが。生きてるだけで」
マコトの目にみるみる涙が溢れる。身を乗り出し、ベッド横にいるモモを抱きしめた。
「モモぉー! ありがとー!」
「マコトなら大丈夫だよ。絶対」
しばしお互いを抱きしめる。離れると、笑い声が部屋に響いた。それから長い間、二人でティータイムを楽しんでいた。
「でさ! やっぱりモモって、バウリン隊長のことが好きなの?」
お年頃のマコトは、目をキラキラさせてモモを見ている。恋の話になると元気になるらしい。
「ど、どうなんだろう。わたし、よくわからなくて」
モモは戸惑う。恋をしたことがないので、この気持ちが好きというものなのがわからなかった。
「この前に見た顔は、確実に恋してたと思うけどな、あたし」
「そう……なのかなー」
モモはティーカップに入った紅茶を見つめる。
淡く映る自分の顔も、判断がつかないといった様子だった。
お昼になったので、モモは茶房に戻って店を開ける。ランチを食べにきた客がわらわらとやってきた。
夕方、客足が減るとモモは一息を吐いた。店を出て高台へ向かう。持ってきたお茶を啜りながらルルド街を眺めていた。
「モモ」
名前を呼ばれ振り返ると、ショーンがいた。なんだか浮かない顔だ。この前、ショーンが店を出てから一度も会っていない。
ショーンはモモの隣に座る。ボトルからほうじ茶を入れてあげると、礼を言って二人で啜った。
「今日さ、ちょっとミスしちゃって」
ショーンがぽつ、と呟いた。
「大丈夫だった?」
モモがそう聞くと、安心してくれとショーンは言う。
「なんとかね。でも隊長に怒られたよ。バウリン隊長にも」
「そういうことも、たまにはあるよ」
「そうかな……」
浮かない表情は、変わらない。
「ショーンはよくやってる、って聞いてるよ。観察眼もいいし、サポートも的確で細かくて、いつも助かってるって、ミッドゴルドさんが褒めてた」
「そうなんだ……。ありがとう、モモ。やっぱりボクは、モモのことが好きだよ」
「え?」
モモはショーンを見る。自分の言ったことに気づいたショーンは、何故か苦笑した。
「何でもないよ。それより、やっぱりモモはバウリン隊長のことが好きなの?」
「えっと……それ、マコトにも聞かれた」
「じゃ、確実だね」
「そうなんだ」
他人事のように答えるしかなかった。
ショーンと別れて、高台を下りる。店に戻ろうと歩いていたら、スタースが見えた。
「隊長さん?」
モモはスタースに手を振った。スタースも振り返してくれる。
だが、スタースは突然しゃがみこんだ。苦しそうに胸に手を当てている。そのただならぬ様子に、モモはスタースの元へ駆けよった。
「隊長さん! 大丈夫ですか!」
モモはスタースの精神波を読む。かなり乱れているようだ。これほど乱れていれば、苦しいのは当然だ。
スタースをゆっくりと立たせて、茶房まで歩く。辺りは薄暗くなり、茶房の灯りが白く輝いている。気のせいか寒さを感じた。
それが、スタースの体から起きる冷気なのにモモは気づいた。
「隊長さん、聞こえますか? ……聞いてない」
意識が朦朧としているようだ。休ませようと、二階に上がり自分のベッドに横にさせる。
精神波は相変わらず乱れている。スタースから、モモのお茶を飲むと落ち着く、と以前聞いていたことがある。飲ませてあげたいが、意識がないのでは無理だ。
モモはこの前のことを思い出した。モモの体から精神波は出ているのだ。ならば、近くにいればモモの精神波がスタースに干渉するだろう。
スタースの苦しむ原因なら、なんとなく想像がついている。マコトを助ける為に、異喰イの核に入りこんだと聞いた。それの後遺症かもしれない。もちろん、別の原因もある。
侵食が原因なら、モモの精神波が聞くはずだ。状況が変わらないなら、マリナを呼ぶことに決めた。
モモは椅子をベッド横に引きずって座る。そして、スタースの右手を両手で包んだ。
いつのまにかすーちゃんが隣にいるのに気づいた。心配しているのだろうか。
「大丈夫だよ。わたしのこの力で、必ず隊長さんを守るから。これがわたしのできること、だもん!」
モモは強くスタースの手を握る。手袋越しに感じる冷気。何故こんなにもスタースの体が冷たいのか、モモにはわからなかった。
そのうち、眠気が襲ってくる。モモは、こくりこくりと首を揺らして落ちるを繰り返していた。
「久しぶりじゃな。お互い、人間の味方しおるなんて奇遇だの。そっちは……だが……かすると……もし……」
薄ぼんやりとした意識で、モモは話し声を聞いていた。内容はわからない。誰かが喋っている。スタースではない。
(すーちゃん……?)
声はぷつりと途切れ、意識を手放した。
小鳥の声が聞こえる。カーテンが開く音がした。瞼越しに光を感じている。まだアラームは鳴っていない。もう少し眠りたい……。
「赤郷」
朝一番に聞く声じゃないことに気づいて、モモは飛び起きた。
「おっおはようございます! 隊長さん、大丈夫ですか?」
飛び起きたモモは、そのまま勢いよくスタースを覗きこむ。顔が近づく。息遣いを感じ、しばし二人は固まった。
「すすすすみません!」
モモはスタースから離れる。その動きはかなり素早く、異喰イの攻撃も避けられそうだ。
「い、いや、大丈夫だ」
スタースも心なしか顔が赤かった。制服のシワを伸ばし、髪をかき上げる。いつもはオールバックだが、金色の前髪が顔にかかっている。
普段見慣れないスタースに、モモは一瞬見惚れていた。
「倒れたところを助けてくれたんだな。ありがとう。そしてすまない。ベッドを使わせてもらったんだ。それに君は、ずっと私を見ていてくれたのだろう」
寝不足ではないか、とスタースは心配している。モモは大丈夫だと伝えると、スタースの今の状態が気になった。
「ああ。すっかり元気になったよ。君のおかげだ」
精神波が効いたのだろうか、顔に血の気が戻りしっかりと立っている。モモはとりあえず安心した。
「隊長さん、もしかして病気だったりしませんか? 前だって、苦しそうだったし……」
「大丈夫だよ。気にしないでくれ」
そういうスタースの顔には、感情が隠されていた。少し無愛想にも思える言葉。何か理由がある、とモモの直感が囁く。
「お礼と言ってはなんだが、朝食を作るよ。厨房を借りていいかな」
モモが追求しようとする前に、スタースはさっさと一階に下りる。
スタースが簡単な朝食を作る。その後ろ姿をモモはただ見つめていた。不思議な感情が湧き出てくる。
できた朝食の内容は、スクランブルエッグにベーコン、トースト。二人でテーブルに向かい合うように座ると、食べ始める。
「味はどうだろうか」
「とっても美味しいです!」
モモが満点の笑みを浮かべると、スタースもつられるように笑顔を見せる。
(あ。わたし、やっぱり、好きなんだ)
その笑顔を見て、モモは気づいたのだ。
スタースのことが好きなことを。
彼に恋心を抱いていることを。今、やっと。