12 お茶の葉定食
昼時。今までなら、皆、食堂で昼食をとっていた頃。茶房ももにはたくさんの客がいた。
「モモちゃん、お茶の葉定食二つ!」
「はーい。少々お待ちください」
スタースがアイデアを出した軽食は、すぐに皆に受け入れられて人気メニューとなった。
名前はモモがつけた「お茶の葉定食」。お茶っ葉を使った、おにぎりや味噌汁が美味しいと評判だ。いつもは誰も来ずにヒマな時間だったのが、一人で切り盛りするのが大変なくらいだ。
「いや、ずっとももでお昼が食べられたらなーなんて思ってたんだよな」
客の一人が嬉しそうに話す。隣の連れもうんうんと頷く。
「リカ的には定食とパフェが同時に食べれてしあわせ。ももちありがとー」
大食いのリカには定食だけは満足しないらしく、リカ専用パフェも同時に頼んでいる。
「この定食のアイデアは、バウリン隊長さんが考えたんですよ。隊長さんのお陰です」
「ええ! あのバウリン隊長が?」
「うっそだあ……」
皆、目を白黒させている。リカは最後のおにぎりを口に放りこみ、もにゅもにゅしながら喋り出す。
「いはいとたいしょうさんっていいへんすふるんだへー。ひかひっくりはなー」
何を言ってるかさっぱりだ。モモは苦笑しながら、入り口近くの客に料理を持っていく。エンジニアのおやっさんだ。味にはうるさいおやっさんも、お茶の葉定食を気に入ったようだ。
「お茶の葉定食です……きゃっ」
モモはつまづきそうになり、体が前へ傾く。
転んでしまう! モモが目を瞑った時だ。何かに支えられたのを感じた。
「あ、隊長さん」
「大丈夫か?」
スタースが、心配気にモモを覗きこんでいた。
周りが凍りつき、緊張感が走る。モモがスタースに何か言われないか、ヒヤヒヤしている。
「何故、君は何でもないところで転ぶんだ」
全く、とため息を吐く。表情は怒っているようではなかった。心配しているのだ。
「これは私が運ぼう」
お盆を持つと、おやっさんの元へ歩く。
「お茶の葉定食です。どうぞごゆっくり」
スタースはぎこちない笑みを浮かべて、テーブルにお盆を置いた。
沈黙が店内を支配した。
「これはあんたがアイデアを出したらしいな」
おやっさんが口を開くと、スタースは頷いた。
「あんた、いいアイデアだよ! おらあ気に入ったぜ、この定食が。ありがとなあ」
おやっさんが、にっかりと歯を出して笑う。前歯が一本ないのが、おやっさんだ。スタースの手をとると、強く握手をした。
「私はアイデアを出しただけだ。作るのは赤郷だからな」
突然の感謝に戸惑い、そんなことを言うのでモモが首を振る。
「何言ってるんですか。隊長さんも手伝ってくれてるんだから、感謝は素直に受け取ってください」
「そうか……それなら、素直に受け取ろう」
モモの言葉に、スタースはおやっさんに向けてはにかむ。振り返ってモモを見ると、こう言った。
「少し手伝おう。君一人では大変だろう?」
「ほほー。バウリンのバイト姿が見れるのか。誘って正解だったらしい」
スタースと一緒にももに来たトーマスは、にやにや笑ってテーブルについた。スタースに視線をやる。仕事をしてみろと言っているようだ。
「全く、わかりましたよ。だがスコット、君も手伝え」
「な、なんだって! ……仕方ないな。バウリンの貴重なバイト姿の為に頑張ろう」
何故か、トーマスも給仕をすることになった。モモとしては、人手がありがたいので気にならない。感謝しかない。
お茶の葉定食は二時半まで注文が殺到した。スタースもトーマスも臨機応変に対応している。最初の頃、スタースの表情はぎこちなく、体も固かったが。
「うーん。やっぱり男二人だと可愛げないよな。みんな、注文受けるなら、モモちゃんみたいな可愛い子がいいだろう」
注文をモモに渡すトーマスがぼやく。
「二人ともイケメンだし、女性としては嬉しいと思いますよ?」
モモは素直な考えで言った。イケメンと呼ばれてトーマスは嬉しそうだ。
「スタースもふつうにすれば美形だしな。モモちゃんは、そんな顔をたくさん見てるんだろう」
トーマスは振り返って、スタースを見る。お茶の葉定食を運ぶスタースは、少し慣れたのか表情が和らいでいた。
「さっきのでわかった。やっぱり、モモちゃんには優しいな。大切に思ってんだよな」
妹として、でしょうけど。なんだかもやっとした気持ちが出てくる。
「多分、妹みたいに思ってます」
唇を尖らせるモモに、トーマスは小さく笑った。
「それはどうかな? あいつはああ見えて鈍感人間だから。……モモちゃんも同じか」
きょとんとしているモモを見て、「これはどっちも難関だな」とトーマスは呟いた。
「おいスコット。暇つぶししてる時間があるなら、仕事をしろ」
スタースがこちらに来て、トーマスを睨んでいる。サボる人間には厳しいようだ。
「悪い悪い。それにしても二人はお似合いだなあ」
またにやにや笑っている。トーマスは意外といじわるのようだ。
「いっそのこと、夫婦になって店をやったらどうだ?」
「君は……」
サイレンが鳴り響く。皆が一斉に顔を上げた。
「エンシャン街で異喰イ発生! バウリン隊とミッドゴルド隊は出動!」
モモはスタースを見た。目は鋭く、冷たく輝いている。顔は、表情を感じさせない冷酷さ。ぞっとするほど燃える瞳の奥。
そんなスタースを見ると、胸がやけに不安に煽られる。
「行くぞ、スコット」
「ああ」
「隊長さんっ」
モモは思わず、スタースの元へ駆け寄った。邪魔をしてはいけないと思っても、その憎しみに駆られた瞳を引き留めたくなる。
「赤郷。また来る」
そのまま立ち去っていく。店にはモモとすーちゃんだけが残った。
「隊長さん、みんな、頑張って」
店を出て、手すりから身を乗り出しルルド街を見下ろす。どうやらレベル三の異喰イのようだ。最近は、レベル三以上は見かけない。レベルが低いほど死亡率は下がる。
きっと皆なら大丈夫だ。何よりスタースがいる。
でも、もしスタースが侵食されたら?
そう思うとぞっとする。
きっとそんなことはない、と自分に言い聞かせるしかない。
モモは店内に戻ってテーブルにつく。息を吐いて、頬杖をついた。
「心配か?」
すーちゃんがテーブルに飛び乗り、モモを見上げる。モモは頬杖をついたまま、首を振った。
「わたしも一緒に戦えたらいいのに」
「お主の真の力なら、あの半異喰イと互角には戦えるがな。そうはされられんのじゃ。お主を危険な目に合わせたくないからの」
すーちゃんは目を伏せる。ちゃんとした理由があるのは、モモにもよくわかっていた。
「わかってる。すーちゃんはわたしのことを守ってくれてるもんね。でもわたしも、みんなの力になりたいよ」
「お主の力はちゃんと皆の役に立ってるぞ。いずれわかる。いずれな。また話そう」
肩に感触を感じ、目を開ける。いつのまにか眠っていたようだ。何か夢を見ていた気がするが、覚えてはいない。どんな夢だっただろうか?
「赤郷?」
見上げると、いつものスタースがこちらを見下ろしていた。
「隊長さん……」
何故だか涙が溢れてくる。立ち上がると、スタースに抱きついた。スタースの体が小さく震える。悪いとは思ったが、抑えきれなかった。
「無事に帰ってきて、嬉しいです」
「心配をかけたな。大丈夫だよ」
スタースの大きな手が、モモの頭を包む。
「はい……」
いつも不思議に思う。彼の体は冷たい。氷でできているようだ。だが、不快ではなかった。スタースらしい、そんな気がする。
茶房ももは閉店して、二人は後片付けを始める。皿を洗い、テーブルを拭く。明日の仕込みの前準備も終える。
「今日は助かりました。ありがとうございます」
「忙しそうだったからな。役に立ててなによりだ」
そこで、何故か思い出した。そう、何故か。
思い出すきっかけが何かはわからない。
「夫婦で店をやったらどうだ?」
隊長さんと夫婦? 考えるだけで、熱くなる。
「赤郷、顔が赤いぞ? 大丈夫か?」
「あ、え、や、はい! 全然元気ですっ! それではまた明日!」
「あ、ああ」
スタースは気にしながらも、店を出て行く。モモはその後ろ姿を見送り、ほっとする。
「はあ。変なこと考えちゃったよ」
でも、もし夫婦になったら?
その日の夜は、なかなか寝つくことができなかった。