10 マトカ村で
モモはシンハ支部前でスタースを待っていた。今日の茶房ももは休業だ。少し暖かくなった、午前中の日差し。普段着にエプロンをつけているのは、今から行く場所に必要だからだ。
休業と言っても、仕事のようなもの。足音に振り返ると、スタースが支部から出てきた。
モモは、スタースの私服をチェックしてしまう。シンプルなシャツに、カーキのジャケット。黒いパンツ。いつもつけている白い手袋は、色が黒に変わっていた。
「すまないな。遅れた。それで、どこに行くんだったかな。……どうした? 赤郷」
「あ、えっと、はい。今日、行くのはマトカ村です」
モモは、スタースの問いに我に返る。初めての私服に、ついガン見をしてしまった。楽な恰好にした自分が恨めしい。少しは可愛い服を着ればよかった、と後悔した。
二人は波動力歩道に乗り、ルルド街を出る。郊外に出ると、建物はまばらになり草原が広がる。
モモはつい数日前のことを思い出していた。
それはいつもどおり開店準備を終えた後だった。二人でお茶を飲み、くつろぐ時間。
「隊長さん、週末って空いてますか?」
モモは壁にかけているカレンダーを見上げて、伺う。確か、日曜日は非番と聞いていたが。
「ああ。日曜日は非番だ。前にも話していたが」
「他の用事があるかな、と思って」
「特にないよ。ま、異喰イが発生したら呼び出されるかもしれないが」
「そうですか……」
そればかりは仕方ないことだ。ナイツとしての義務である。モモが萎れたように落ちこむので、スタースが慌てる。
「いや、空いているのは空いているんだ。何か店の仕事があるのか?」
「実は、郊外へお茶の仕入れに行くんです。よかったら隊長さんも、と思って」
「そういうことか。なら同行しよう。寮にこもるより健康的だしな」
スタースの機嫌がよくなる。意外と出かけたかったのだろうか。
そんなわけで、週末に二人でお茶の仕入れに行くところなのだ。
街を出ると、波動力歩道などの便利な乗り物はない。二人は馬車にのりマトカ村を目指す。
マトカ村は街から二時間ほどかかる、田舎の村だ。
「マトカ村はお茶の名産地です。村の麓にあるヨウリン山から吹く風により、美味しいお茶の葉が育つんですよ」
最近は、夜は冷えるが、日中はだんだんと暖かくなってきた。暖かい日が続くと、茶は休眠から覚めて新芽をつける。今の時期は一番茶が採れるのだとモモは説明した。
「隊長さんは、非番の日はずっと部屋にいるんですか?」
気になったモモは、スタースに聞いてみる。
「恥ずかしいのだが、ろくに趣味もないから出かける必要性を感じなくてな。支部を歩いていても、皆、怖がるだろう?」
一緒に居て知ったのだが、スタースはなかなか気を遣う人間だ。さらに少しネガティヴも入っている。いい噂のない自分のことなど、好きになる人間はいないと思っているようなのだ。
過去の出来事から人を避けているのだろうが、それが余計にスタース自身を苦しめているのだ。
「普段は部屋で何をしてるんですか」
「身体を鍛えているかな。いつ異喰イが現れてもいいように」
真面目だな、とモモはスタースを観察する。
スタースは、異喰イを倒すことには執念を持っている。たまに見かける憎しみの表情から、そう読みとれるのだ。
今日はいつもよりも明るい表情だ。誘ってよかったな、と素直に思った。
二時間かけて、マトカ村に着いた。村長のエイオンがモモを迎える。スタースを見て、何か訊きたげだ。
「ウチのバイトの、バウリンさんです」
モモが説明すると、納得したのかスタースも歓迎すると言ってくれた。
「よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
スタースとエイオンが握手をする。すると、モモが来たと知った村人達がぞろぞろとモモとスタースを囲む。
「モモちゃん、もしかして彼氏かい?」
「なかなかイケメンねえ」
などと、冷やかしたり興味を持ったり、様々だ。エイオンが咳払いをすると、村人達が謝り去っていく。ひと気がなくなってきたところで、茶畑へと案内をしてくれた。
正直、モモはかなりドキドキしていた。側から見れば恋人らしく見えるのだろうか? と考えてしまう。
(ダメダメ。変なこと考えてたら、隊長さんも困るよね)
先程、冷やかされた時の、スタースの困り顔を思い浮かべる。妹として気にかけてくれているのだ。きっと迷惑だろう。邪念を振り切るように、歩く。
すぐにその邪念は消え去った。
山に隣接する、延々と並ぶ茶畑。新緑の芽は日を浴びて眩く光っている。茶摘みを行う村の女性の姿が、遠くに見えた。
ヨウリン山から爽やかな風が吹き、モモの頬を撫でる。
モモはスタースを見た。スタースは黙ったまま、モモと同じように茶畑を眺めている。言葉を失っているようだ。
「……美しい」
スタースはやっと口を開いた。それは確かに感嘆の声色だ。太陽の輝きに目を細めながらも、茶畑から視線を外すことはなかった。
さっそくモモは茶摘みの手伝いを始めた。籠を背負い、よく観察して新芽を摘みとっていく。隣にはスタースも籠をしょって、モモの手捌きを観察している。
「こんな感じに摘みとってください」
「ああ」
スタースはおっかなびっくり、新芽を手にとりそっと摘む。摘んだ新芽をまじまじと見つめている。
「スピードを上げてください。お茶は鮮度が大事ですから」
「わ、わかった」
モモが素早く摘みとるのを見て、スタースも黙々と作業を進めた。
昼ごろになると、村長の家で昼食をとる。おにぎりとたくあん、山菜の味噌汁をいただいた。
もちろん、出てくるお茶はマトカ村でできた緑茶だ。
マトカ村で作られるのは、ほとんどが大陸に輸出する為の紅茶だ。だが、ごく少数、緑茶も生産している。
セイレン国でポピュラーなのは緑茶なので、国の中で消費する分は作ってある。そして、モモが買いつけるのも大半が緑茶だ。いろいろな客の要望に答える為、紅茶も少しだけ購入はしているが。
昼食を終えた二人は、お茶の製造工程を見学する。
お茶の製造は、全て手作業だ。かなりの労力と時間を必要とする。
「まずは茶葉を蒸して、発酵を止めます。その後は助炭と呼ばれる、木の枠に和紙を張ったものを使うんです。水分を蒸発したら、よく揉みながら乾かします。揉むのを繰り返していけば、お茶のできあがりです」
モモの説明を聞きながら、スタースはお茶の製造過程を静かに見守っていた。
見学が終わると、モモは仕入れについて茶農家と相談する。今年のお茶も出来がいい。何より一番茶は質がいい。モモのお茶のこだわりは、品質のいい茶葉を使うことだ。
ほうじ茶に使う茎茶や、紅茶などの仕入れの数について相談する。話がまとまると、農家のおじさんが抹茶ソフトを奢ってくれた。
「隊長さん」
スタースにも是非、ともう一つサービスしてくれた。溶けないうちにスタースの元へ行く。
「赤郷。話は終わったのか?」
「終わりました。抹茶ソフトクリームをもらったので、食べませんか?」
二人は縁側に座り、茶畑を眺めながらソフトクリームをいただく。抹茶の味が、クリームに負けないくらい濃くて美味しい。
「不思議だ」
ぽつ、とスタースが呟いた。
「君と一緒にいると、世界が広がる。知らないものをたくさん知れる。知らなかった自分にも。君に会わなければ、私は、誰かと共にいることなどしなかっただろう」
スタースは目を細めて、陽の光を浴びる茶畑を眺めていた。寂しげな表情に、モモの喉の奥から何かがこみ上げる。
抹茶ソフトは食べ終わった。モモは空いている両手で、手袋をつけたスタースの手を包んだ。
びくり、とスタースの肩が震えた。怯えた表情でモモを見ている。何が怖いのだろう、とモモは思った。それほど、人と触れ合うことをしてこなかったのかもしれない。
「これから、もっといろんなことが知れますよ。ウチのバイトになったんだから、たくさんこき使いますから。イヤでも知るはずです」
イタズラっぽく笑ってみせる。スタースは、モモの言葉に穏やかな表情を浮かべた。
「そうか。なら、心しておこう」
こほんと咳払いが聞こえる。振り返ると、村長が居心地悪そうに立っていた。モモは恥ずかしくなり顔を赤くする。ちなみに、奥の部屋から村長の奥さんが二人を応援していた。
日が山に近づいてきた。二人はマトカ村を離れて馬車に乗る。二時間はかかるが、日が暮れるまでには帰れるだろう。
モモの目が細くなる。疲れて眠くなったのだ。
うとうとしていると、スタースがその様子に気づく。
「大丈夫か?」
「うーん……ちょっと、眠いです」
スタースの苦笑が聞こえる。
「私が起きているから、眠ってもいいよ」
お言葉に甘えよう。その時のモモは眠気でどうかしていた。
「じゃあ、おやすみなさいぃ……」
スタースの膝に頭を乗せる。少し硬さのある太もも。眠れないほどではない。
「あ、赤郷?」
スタースの声が真上から聞こえる。
「隊長さん、あとはよろしくお願いしますう」
モモの意識が飛ぶ。二時間後、スタースに平謝りするとは知らずに。