1 茶房もも
今日も「茶房もも」は大盛況だ。
人類の敵と呼ばれる「異喰イ」。
異喰イ討伐国連機関「アーシェス」。
セイレン国にある、アーシェスのシンハ支部にある小さなお店。名前は茶房もも。
そこは、魔物「異喰イ」と戦う人々の憩いの場。疲れた体をお茶とお菓子で癒す。
その店主であるモモ・赤郷は、くるりと振り返って新しいお客さんにあいさつをする。
「いらっしゃいませ!」
燃えるような赤髪は肩まで。振り返り揺れると、黒い瞳を大きく広げる。
背は低めでいつもちょろちょろ動き回る。顔つきも幼いので、実年齢より若く見えるだろう。
「や。モモちゃん。お疲れ様」
「ユウさん、お疲れ様です」
やってきた男性に、モモは小さく礼をする。ユウ・結城はアーシェスの異喰イ分析官だ。
モモと同じく東ノ系の顔立ちで、童顔だ。いつも白衣を着てももにやってくる。
ユウがお茶とお菓子を注文すると、モモは再び動き回り準備を始める。
そんなモモを、ユウは微笑ましい瞳で見つめていた。もちろん、その場にいる全員も。
モモがここでお店を始めてから、殺伐としていたシンハ支部に休息の場ができたのだ。
モモの姿を見るだけで、元気を貰えるような気がするといつも彼らは話す。
それくらいモモはシンハ支部で大切にされていた。
「今日、新しい隊長がやってくるのは聞いているかい?」
カウンター越しに、ユウはモモに話しかける。
それにモモは大きく頷いた。モモの愛猫も一声、返事をする。
モモは、この前からお客のナイツや職員達から聞いたウワサ話を思い出す。
第二討伐部隊の隊長が退職するので、新しい隊長がやってくるのだ。前隊長だったクリードもよくモモの店にやってきてくれた。
「はい。みんなウワサしてますよ。氷のスタース。冷酷冷徹な鬼隊長だって」
「コネで隊長になったって話だよ」
「隊員はみんな辞めるとか聞いたなあ」
ももでお茶を飲んでいるお客たちも話し出す。
みんな新しい隊長に興味津々のようだ。
「確か、伯父さんがアーシェスの議長で、軍の中でもエリートなんだろ? なんだってこんなところの討伐部隊に入るんだか」
モモは話を聞きながら、お盆にお茶と団子を乗せるとユウの元へと歩いていく。
「はい。お茶とお団子です!」
「ありがとう。やっぱりもものお茶とお菓子は最高だね」
「ありがとうございます」
モモは笑顔を見せると、新しく入った客の注文をとりにいく。
その時、サイレンが鳴った。地響きのような轟音が響く。ももにいたお客達が一斉に顔を上げる。もちろん、モモもだ。
「ロウオン地区で異喰イ発生! ミッドゴルド隊とスシェーテネ隊は出動!」
「こりゃ僕も呼ばれるな。ありがとね、モモちゃん!」
ユウがお茶を一息で飲むと駆けていく。職員達も店を一斉に出る。一気に店の中に誰もいなくなってしまった。
モモはひと気のない店を見回して、テーブルにつくとため息を吐いた。
「わたしだって、適性があったら異喰イと戦えたのになあ。耐性はあるのに適性はないってどういうことよ。しかも、突然なくなるなんて」
頬を膨らませると、愛猫のすーちゃんが擦り寄ってくる。
「励ましてくれてるの? ありがとうね、すーちゃん」
すーちゃんの額に唇をそっとつけると、笑顔を見せる。すーちゃんは嬉しそうに鳴いた。
「落ちこんでも仕方ないか! みんなが帰ってきたらお茶を淹れられるように、作っておこうかな」
モモはキッチンに立つと、緑茶の中でも茎茶と焙烙と呼ばれる道具を並べる。
火をつけて、焙烙をセット。少し温めたら、茶葉を入れていく。
「ふーん、ふふふー。んんー」
焙烙を揺らして煎ると、香ばしい匂いが店に充満してきた。つい鼻歌が流れてくる。
焙烙を揺らす手を止めることなく、モモは茶の香りを鼻から吸いこむ。
「はー……落ち着く」
きつね色より少し手前で、皿に茎茶を焙烙から取り出す。焙烙は持ち手の先に穴が空いていて、そこから煎った茶葉を移動させられるのだ。
黄金色に輝く焙じ茶を見て、モモは充実感で何度も頷いた。
数年前に、異喰イ討伐に導入された拳銃の銃声が響く。ナイツ達が異喰イと戦っているのだろう。モモは窓から街を見下ろす。
シンハ支部はルルド街でも高く建設されている。街のみんなは雲まで届くのではとよく見上げているくらいだ。シンハ支部に店を構えている茶房ももからも、街が一望できる。
ロウオン地区のところどころから煙が上がっていた。大きな結界が見当たらないということは、レベル一かニの異喰イのようだ。
「みんな、無事に帰ってくるといいな」
待つことしかできないモモには、この時間が歯痒くて仕方がない。
「ついでにお菓子も作っちゃおう」
もどかしさを振り切るように、モモは作業に没頭することにした。
二時間して、ナイツ達や分析官、支部の職員が帰ってきた。みんな無事とわかり、モモは安堵する。
とたんに店は忙しくなった。さっきお団子を食い逃したユウも来ている。
「しっかし驚いたなあ、あの隊長さんは。アーシェスの新型武器で敵をばったばったなぎ倒すんだから」
「連射銃でしょ? 僕、初めて見ましたよ。展開盾の扱いもさすがですね。迷いなく叩きこむのはちょっとぞっとしました」
どうやら新任の隊長も駆り出されたようだ。モモが盗み聞きしていると、店の外が騒然となった。
「あの人だよあの人! 氷のスタース!」
みんなが店を出て、手すりから身を乗り出し下を眺めている。
モモも何事かと店を出ると人混みの間を縫って下を見下ろした。ここからならちょうど、シンハ支部の入り口が見えるのだ。
遠目からだが、スタースと呼ばれる隊長が見えた。金色の髪はぴっしりとオールバックにし、アーシェスの軍服に身を包んでいる。
「あの人か。なんだろう、精神波が乱れてるような……」
スタースが上を見上げる。目が合ったような気がした。
モモは慌てて手すりから手を離し、後ずさる。
すごい眼光だった。遠くからでも射抜くような瞳。心臓が激しく鳴り響く。あんな風に睨まれたのは初めてだ。
「大丈夫かい? モモちゃん」
ユウが隣に立ち、心配そうに顔を覗く。同じ孤児院出身ということもあり、何かと気にしてくれるのがいつもモモには嬉しかった。
足に何かを感じる。すーちゃんも心配したのかモモの足に体を擦り寄せてくる。モモはすーちゃんを抱くと、優しく頭を撫でた。
「なんか、怖そうな人ですね」
モモの素直な言葉に、ユウは苦笑を浮かべる。
「実際、目にしたらもっと怖いよ」
ユウの言葉は実感がこもっている。どうやらスタース隊長に会ったようだ。顔が引き攣っているので、相当怖かったのだろう。モモはぶるりと体を震わせた。
あの怖い隊長さんも、うちにお茶でもしにくるのだろうか? とモモは再び見下ろすが、すでにスタースの姿はなくなっていた。
翌朝、スタースの着任式にモモは参加していた。ただの茶房の店主だが、シンハ支部の者たちはモモも仲間の一人だと認識していた。
なので、彼女もスタースの着任式に顔を出すことができるのだ。モモはステージに上がるスタースを見つめる。
昨日の冷たい目線には今も身震いするが、モモは気になっていることがあった。スタースの精神波の乱れだ。
「……以上、よろしく頼む」
スタースは簡単なあいさつを済ませると、さっさとステージを降りた。無表情と必要な情報だけの儀礼にそっけなさを感じる。
着任式は十分もかからずに終わってしまった。
モモは店に戻ると開店作業をし、営業を始める。すぐに三人組の少年少女がやってきた。
第二討伐部隊所属スバル・早川、同じくマコト・望月。第三討伐部隊ショーン・コネリー。
まだ新人のスバルとマコト、二人より経験のあるショーン。仲が良くいつも三人で行動している。
「いらっしゃいませ! 三人ともいつもの?」
モモとも歳が近いということで、気を使わずに話すことができる。
「うん。いつものお願い!」
三人はモモに近い席に座ると、話し始める。モモは湯を沸かしながらそれを聞くことにした。
「てかアイツ、なんなんだよ? 昨日の戦闘もダメ出しばっか。いずれ死ぬぞ、って、うっせーの」
茶髪を尖らせた、吊り目の少年、スバル。一般人から志願しナイツになったばかりだ。
パーカーには集めているらしいバッジが並び、動くたびにガシャガシャと音がする。
無鉄砲で短気な性格なので、よく他のナイツ達とも衝突してしまう。正義感が強いからこその行動だが、モモはいつも心配している。
「誰の話?」
ショーンにこっそり聞くと、スタースの話らしい。なるほど、叱られたのか。モモは納得してしまう。まだ新人でアラも残っているスバル。注意されるのは仕方ない。
「エリートだかなんだか知らねーけど、あんまバカにすんなよって話!」
「あんたが調子乗ったのが悪いんでしょ? そのせいであたしまで怒られたんだから」
マコトはモモと同じ養成施設の出身だ。ベリーショートの黒髪と、翡翠色の瞳。セーラー服が目立つのですぐに見つけられる。活発な性格で、面食いなところも。スバルと同じ部隊で、よく二人で怒られているのを見かける。
「オレが悪いって言うのかよ」
「ま、まあまあ二人とも! 落ち着いてよ」
ショーンはスバルとマコトより一歳歳上で、冷静な判断力はあるが消極的すぎるのがたまにキズ。金髪に童顔、気弱な印象を受ける。
兄たちはアーシェスでも優秀なナイツ達なのだが、自分はできそこないだといつも呟いている。
これがこの三人のデフォルトである。
スバルとマコトがケンカを始め、ショーンがそれをなだめる。いつもの光景にモモはつい笑ってしまった。
「はい。お茶ともなかね。ケンカはそこまでで終わりだよ」
モモがお茶とお菓子を持ってくると、これまたいつも通りみんな機嫌をなおしてお茶を啜るのだ。
「新しい隊長さんは、怖い人なのね」
「うん。おっかないよー。ちょっとミスしたらあの冷たい目でこっち見てさ、ひゃーっ!」
と、マコトが体を震わせる。
「まあ、ボクたちのこと心配してるんじゃないかな」
とショーンが言うと、スバルが首をぶんぶんと横に振る。
「な訳ねーって、絶対!」
「でもさ、隊長、怖いのを除いたらイケメンだよねー。もっと優しかったらよかったのに」
「あーあ。またスバルが拗ねる」
「好き同士のくせによくすれ違うよね」
と、モモとショーンは再びケンカを始める二人を見ながら、ひそひそ話を始める。
そんな彼女らを横目に、すーちゃんが大きな口であくびをするのだった。