魔王領域要塞にて
空には禍々しい暗雲が垂れ込め、滝のような雨と耳をつんざく稲妻が止めどなく地上に降り注いだ。その様は世界の終わりすらも想起させるほどに、ただただ恐ろしい様相だった。
途方もない程の大きさと滲み出る不気味さを併せ持つ、魔族の誇りである城の最深部の一室。
赤く染まったカーペット。それは最初にそう染められたのではなく、そこに転がった体から流れ出た血潮によって染められて間もない。
体から流れ出る鮮血の主は、朦朧とした意識の中で自らの死を悟り、そして右手人差し指にはめられていた指輪に左手をかざす。自らの次にこの指輪をはめる者へと「力」を託すために。そして、魔族を統べる者としての使命を託すために。
そして、力を指輪に込めた抜け殻は、自らの運命を受け入れ静かに目を瞑った。
その日、魔王は死んだ。
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「いいかお前ら、準備は出来てるな?」
思わず恐怖を覚えるような禍々しいオーラを放つ大きな鉄の扉。その扉の前に、五人の戦士が立っている。
彼らは勇者のパーティ。人族の希望である勇者を中心とした一団である。
「この扉の向こうには魔王直属の四天王の一角がいるはずだ。今までの雑魚魔族共とはレベルが違う。全員最善を尽くせ」
「へ、人族の希望である勇者様が何を言いますやら。魔王領域西側の防衛の要であるこの要塞に配置された精鋭の魔族軍を苦戦らしい苦戦もせず突破するような天才勇者がよぉ」
黄金に輝く剣をその手に持ち、同じく黄金に輝く鎧を見に纏った青年が、冷静な面持ちで扉を見つめながらパーティメンバーに声をかけると、厳ついモーニングスターを持った大男がその背中をバシバシと叩いてガハハと笑った。
「油断をするな。魔族は狡猾で陰険だ、どんな汚い手を使ってくるかわからない。特にここにいるのは四天王、人族の勝利のためにもここで確実に殺す」
「そうだ、油断するなよゴードン。お前はすぐに調子に乗る癖があるからな」
剣を持った青年が大男をたしなめると、弓矢を携えた青年もそれに続いた。
「けっ、わかってるよ!しっかし、ここ千年で最強と言われているこの勇者のパーティが、四天王1人に負けるとは考えにくいがな、なぁリサ?」
「え、う、うん。そうだね…」
大男が同調を求めたのは、杖を持ちローブに身を包んだ少女。美しい金色の髪が腰まで伸びたその姿は、さながら天使のようにも映る。
「だってよ、過去最高と名高い天才勇者のイグニスさん。コレは慢心じゃねえ、四天王くらい軽くぶっ倒してやるっつう強さに裏打ちされた自信なんだよ」
「まぁいい、お前ら自分の役目は分かっているな?」
勇者と呼ばれる青年は一人一人を指差して指示する。
「カイは敵と距離を取りながら弓矢で援護、四天王以外に雑魚がいたら全て任せる。リサは魔法で俺とゴードンの援護をしろ、強化魔法と回復魔法を適宜使用するんだ。ゴードンは四天王の張ってるであろう防御結界を破壊しろ、その瞬間に俺がこの剣で貫く」
勇者は一人一人に指示を出していった。そして、最後の一人、武器は持たず盾だけを携えた少年を指差して睨みつけ、吐き捨てるように言い放つ。
「いいなアドラ、お前はもしもの時の蘇生役として連れてきてるだけだ。お前が本来勇者のパーティにいるべきじゃない事を自覚しろ。それに、俺はお前を信用していない。もし力を使ったらどうなるか、わかってるよな?」
「……わかってるよ」
盾の少年はこくりと頷く。
「はっ、せいぜい死ぬなよ。ま、もしもの事があったら見捨てるがな!」
「蘇生役の役目だけ果たせ、それ以外は何もするなよ」
大男と弓の青年が口々に少年に冷たい言葉を浴びせかけた。少年はその言葉をただ受け入れるだけだ。
魔導士の少女はそんな光景を見て、少年の耳元に口を近づけて囁いた。
「大丈夫、何かあっても私がアドラを守るよ。だから、力は使わないで、お願い」
「……ありがとう」
凝り固まっていた少年の表情が少女の言葉によって少しだけ和らいだ。
「じゃあ、行くぞ!」
勇者の青年が禍々しい扉に手をかざす。すると、その大きな扉は不気味な音を立てながらひとりでにゆっくりと開いていった。
瞬間、空間がひりつく。その扉の向こうから発せられる黒々としたオーラに、五人の全身のありとあらゆる細胞に感じたことのない程の緊張が駆け巡った。
扉が開ききり、恐怖に支配されそうな体をなんとか理性で保ち、五人はその扉の向こうへと足を踏み入れる。先程までの威勢はよもや水泡の如く消え失せていた。今までとは明らかに違うと強烈に感じ取ったのだ。
その空間の奥に、玉座に鎮座する一人の魔族の女がいた。その空間の異常なまでの禍々しさの根源、五人は武器を一斉に身構える。
五人は刹那に察した。やつが、四天王だ。
「へぇ、先代の勇者は3年前に死んだはずだけど、本当にこの短期間でここまで強くなる勇者がいたんだ」
鮮血の如き紅に染まった髪は、まるで今まで手にかけてきたであろう人々を物語っているかのようだった。
その空間の恐怖を支配するその女は、右手で頬杖をつき不敵な笑いを浮かべながら五人を見定める。
「勇者はまだ若いけど、確かに強い。先代の勇者よりも内に秘めた才能は計り知れないわね。鉄球も、弓も、魔導士も強い……」
一人一人をじっくり観察する様に流れていく視線が、ある一点でピタリと止まった。
「アイツは……いったいなに?本当に人間なの?」
魔族の女は眉をひそめた。パーティの最後尾にいた盾の少年にえもいわれぬ奇妙なものを感じ取ったのだ。
そうして空間の緊張が和らいだ一瞬、勇者が口を開く。
「護衛もなしに最奥部に鎮座とは、随分余裕じゃないか。これからお前はこの手で殺されることになる、魔族にかける情けなどないぞ」
魔族を前にして、勇者は憎悪に目を血走らせる。その強大な敵意は、体を恐怖から解放させていく。
「その滲み出る憎悪、その秘めたる才気、確かに凄まじい力になったでしょうね。でも残念、アンタはまだ若すぎたのよ。いずれ魔族の大きな脅威になりそうなら、早いとこ芽を摘んでおかないと、ね?」
魔族の女がゆっくりと立ち上がり、右手を前にスッと出した。魔術の構えである。
「魔王領域防衛のための要所が、なんでこうもアッサリと突破できたか不思議に思わない?それはね……勇者のパーティをこの手で確実に葬るためよ!」
魔族の女が不敵な笑いを浮かべたと同時に、勇者が剣を振りかざし、その黄金の装備も相まって光にすら形容できる程の速度で踏み込んだ。
この瞬間、戦闘が開始されたのである。