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三題噺 「翼をください」・「狐」・「冷蔵庫」 そして「春一番の瞬間を描く」という条件付き タイトル「キツネの伝説」

作者: 影咲シオリ

「思うにアナタは家事が苦手な主婦の冷蔵庫ですね」


 それが彼女と交わした最初の会話だった。

 皆がキツネさんと呼ぶ敏腕編集者。出版社の最終兵器であって、そしてボクの蜘蛛の糸である。

 

「はぁ……」


 僕はこの際は徹底的に下手に出ることにした。彼女が「最終」兵器と呼ばれるのは、彼女に見切りをつけられること、即ち作家としての最後を意味するからだ。

 来年の4月号に空く枠が一つ。その候補に僕の原稿が上がっているらしい。

『翼をください』は、数年ぶりに自分自身で確かな可能性を感じることのできた物語だった。どうしてもこれだけは作品として世に送り出したい。

 

「えーっとまず、翼をくださいというタイトルですが……」


「ちょっと待ってくださいよ、冷蔵庫」


「はい?」


 キツネさんは少しおしゃれなアンダーリムのメガネをあげる。その名前とは正反対でクリクリ丸っこい目をしていて、それはどこかとろんとして冷たい印象は受けない。むしろ、こちらがあれこれと心配をしてあげたくなる容姿をしていた。


「僕は冷蔵庫なんでしょ? どういう意味かなって」


「ああ、それですかぁ。はははは。やっぱり冷蔵庫のままでは困りますよね」


「ええ、まぁ」


 今までに会ったことのないタイプだ。苦手だ、と判断するにも得体が知れなさすぎる。


「これから色々お話していくうちに伝わると思ったのですけど、単刀直入にいうと先生は整理が苦手ですね。消化ができていないから腐らせてしまってます。作りたいモノを作るのもよろしいですが、せっかくお持ちのものを使わずに捨ててしまうのはもったいないのではないでしょうか」


「それは、『翼をください』に問題があるということですか」


「いえ、それはそれです。今は目の前の作品に集中していただいて結構ですよ。将来のことは連載を続けながら、考えていただければです」


「将来まで心配いただいてありがとうございます。それよりも連載、取れますか」


「ん、まぁ。私は先生の才能を信じてますので、そういう意味では大丈夫ですよ。もしダメだったら、100%先生のせいですね」


 冗談めかすようなこともなく、そう言い切った。


「そんな無責任な。あなた最終兵器なんでしょ、もう少しこう。なんかあるんじゃないですか」


「最終兵器といっても私は編集ですから。風は……いえ、時間もないので、タイトルの『翼』について先に」


 風?まぁいいか。


「翼とは何ですか」


「ああ、それなら説明できますよ。主人公翔の未来です。当初はつまらない日常から彼を救い出してくれるような、ただの願望としての翼。それが、彼の成長とともにより具体的で地に足についたものへと変化してく。思い描く未来が彼を運ぶ、たしかな手段となる。その過程を描きたいんです」


「はい、結構です。私の認識とズレはないようですね。もう少しストーリーの中身に触れながら具体的に説明いただけるとなおよしでした。参考までに。作中に翼が出てこないのが、少し残念かなと思います。せっかくタイトルに出てくるキーワードですのに、単なる象徴で終わっているのはもったいないかと」


「は、はぁ。ま、検討してみます」


 よろしくと彼女はいう。あとは全部俺任せというようで、寄り添う姿勢が感じられないな。


「本作のメインプロットは、中学卒業を控えて自分の未来像を描けないでいた主人公翔が、都会から引っ越してきたヒロイン夢と出会うことをきっかけに焦燥感を覚える。必死に自分探しをするうちに、仲たがいし離婚危機にあった両親、そのそれぞれの若かりし頃の夢を掘り起こすことになり、結果として周囲の人間関係が変わっていくというお話ですね。連載では、町の大人たちの現在とその意外な過去の夢を対比し、そこに主人公翔の気付きと、人間関係の変化を描くことで、ヒューマンドラマを展開していくという方向性でしょうか」


「え、まぁ」


「大丈夫ですか。私の理解が足りない部分があれば、遠慮せず指摘いただきたいですよ」


「あ、いや、すでに5話までのストーリー読んでいただいているのですから、そういう解釈になってしかるべきです。で、何か問題でも?」


「いえ、プロットはこのままで行きましょう」


「あ、ありがとうございます」


 ほっと胸をなでおろす。まぁ僕の自信作だからな。


「これは先生の作品なんですから、お礼を言われる筋合いではありませんよ。では、次に気になる点が3つほど」


「え、どこを直せばいいんですか?」


 キツネさんは本当に困ったと伝えるためか、眉毛を八の字にして僕を見つける。


「先生ェ、勘違いしてもらっては困りますよ。少なくとも作品の中身に関して、我々が何かを指図するつもりはありません。先生の作品なんですから、先生が書きたいものを書いて欲しいんです。これは嘘じゃないです」


「ああ、うれしいです。でもね、僕はもう打席が残ってないんですよ、そんな自由に書いていいのかな」


「ええ、先生自身それが分かってらっしゃるのですから問題ありません。最初に申した通り、私は先生の才能を信じていますから。私にできるのは、先生がご自身の作品をきちんと消化できているのか、それを確かめることだけです」


「そう言ってもらえると心強い気もしますね。えっと質問が3つあるんでしたっけ。どんどん聞いてください」


「では第一点ですが、翔の母親が一人なのはどのような作劇上の意図があるのでしょうか」


「はい? なんですか。母親は普通ひとりでしょう?」


「うーん、そこがステレオ・タイプというか、あまり意識的に検討されていないように感じられました。作品の序盤をリードする重要人物ですから、ディティールには拘られた方がいいというのが、私の感想です」


「なんなんですか、それは。母親が二人いるんですか。おかしいでしょ」


「私としては三人は多いと思うので、二人という可能性についてもう少し検討いただいてもよいかと思います。プロット上、母親が果たす役割は大きく二つに分けられると思いますので、それとうまくパラレルにできると綺麗じゃないですか。あくまで私の意見ですので、よろしくお願いします。次」


「次はマトモな指摘お願いしますよぉ」


「ヒロイン夢の出身地ですが、東京という認識でいいんでしょうか」


「そうだよ」


「田舎の対比としての都会というのは分かりますが、今時東京というのは陳腐ではないですか? 電車も飛行機もありますからね。主人公にとって未知の場所ではないでしょう。むしろテーマをより鮮明に浮き彫りにするため、もうワンアイデア頂けないでしょうか」


「帰国子女にしろとでも。ニューヨークなら納得するわけですか」


「いえ、もう少し読者に強い印象があるほうがいいんじゃないですか。それはもう先生のアイデア頼みですけど、たとえば銀河帝国の首都星ターミナスとか、そんな感じで」


「いや、これ青春ヒューマン・ドラマですから! SFじゃないですから!!」


「ははは、先生ェ。SFでヒューマンドラマは語れないなんて言ったら、世界中のSFファンの総叩きに会いますよん。それに私、先生の書かれた『銀河西部開拓史ウェスト・スター・ブレイズ』好きなんですよ。ああいうメカを書ける作家さんって最近少ない気がするんですよねぇ」


「あ、そうなの。ふーん」


 褒められて悪い気はしない。


「最後ですが、先生。ファッションは意識されてますか? 申し訳ありませんが、登場人物の服のセンスが昭和30年代なんです。これじゃあ、若者の心はキャッチできません」


「でも田舎の漁港だよ。こんなもんだろ」


「やはり先生の認識はそんなものでしたか。それは田舎に対する偏見ですよ。先生はもっとディテールにこだわるべきです。というわけでこれ読んでください」


 パリコ・レ2000-2020という題。

 中にはギャグとしか思えない奇抜なファッションをしたモデルたちの写真が並んでいる。

 歩くトイレブラシか、これ。なんかウルトラ怪獣みたいなのもいるし。


「どこの漁港にこんな格好した一般人がいるってんだよ!」


「でも、先生の画力を生かすには、こういうカラフルで意欲的なデザインのほうが映えると思います」


「いや、なんなんだこれは。こんなもん俺の作品じゃねーよ。もうやめだやめだ」


 この女は結局、俺をイジメて潰すために出版社が送り込んできた刺客じゃねーのか。


「本当にそれでいいんですか? 私の言葉に嘘はないんです。私たち編集者に風を吹かせることはできません。風を吹かせることができるのは作家である先生だけなんですよ。吹かせませんか? 大きな、大きな超特大の春一番を?」


 うるんだ彼女の瞳を見つめたとき、僕は思ったんだ。人生で一度くらいは、馬鹿みたいに他人を信じてみようと。

 そして、自分自身を。


「細かい疑問点があと108個ほどあるんですよねぇ!」


                         ◇


 こうして生まれたのが、空前のヒット作「|ツバサ・シーカー《TSUBASA/SEEKER》」である。

 現代の田舎の漁港とも超未来の超銀河ターミナルとも思える架空の街を中心に、自分の夢を確かめた主人公翔はやがて宇宙船翼号を駆り、大宇宙へと進出する。世界観は全く理解できないが、圧倒的な画力で描かれる不思議な人物・風景と、心に響くヒューマンドラマが癖になると少しづつファンを増やすと、時間を掛けてアニメ化、その次はハリウッド映画化と世界中にその人気は拡散した。


 その陰に伝説の編集者フォックス・ハンティングの活躍があったことを業界人で知らないものはいない。

 しかし、その二つ名が徹底的に作家を追い込むことで、その実力を開花させるという彼女の手法にある事はあまり知られていない。

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