玖 鼓腹撃壌?
玖. 『鼓腹撃壌?』
俺の横に倒れたのはやせ細った骨だけの少年だった。その少年の姿は喫驚させるほどひどい様だった。血だらけの袖や裾が粗く破られている服の中に見えたのは、あっちこっちに鞭などで打たれたような黒い傷跡と痣が鮮明に残った体だった。少年の足首には米一斗はある鉄の足枷がはめられている。
「…みません、すみません…。許してください…。すみません。」
彼は俺を見ると何かに怯えているようにワナワナと骨だけの体を震わせながら俺に謝り始めた。
「お、おい!俺は大丈夫だ。それより、この傷は何だ?誰にやられたんだ?」
彼は俺の質問に答える力も残っていなかったのか、そのまま気を失ってしまった。俺は彼を背中に背負って昨日ソエが言ってた病院というところに行こうとした。しかし、彼の足首のはめられた重い足枷のせいで身動きが取れなった。俺は、手に持っていた仕込み杖の先っぽで足枷を力いっぱい打ってみる。しかし、足枷は取れなかった。俺は彼を背負って人気の少ない裏路地に身を隠した。そこで刀を抜き、刀を有りっ丈の力で足枷に打ち下ろす。すると高く清い音で足枷が取れた。
「よし!早くびょう…院ってところを探さなきゃ!」
俺は彼を背負って街中の人たちの病院がどこにあるか聞いた。そして、病院まで彼を連れて行ったものの、「下民は診察ができない」という言葉とともに病院から追い出された。それを四回は繰り返したのだろうか。俺はだんだん熱が上がっている彼の様子を見て焦りだした。
——どうすれば…!どうすればいいんだ…!
その瞬間、昨日泊まっていた街を思い出す。きっとあそこなら下民でも診察してくれる病院があるはずだと思った俺は、すぐに隅角に向かった。少年を背負って二十分は走ったのだろうか。やっと隅角に着いた俺は道を通っていた人に病院の所在を聞き、病院に辿り着いた。
「はあ、はあ…!この病院なら…!」
と、期待を抱いて扉を開ける。幸い、そこの病院では下民の診察も受け付けていた。羊の角のような髪型をした白衣の医者は俺に少年の体の状態について教えてくれた。持続的な殴打や過労、そして食い物も摂取してないことで生きていることが軌跡だと言われた。
「それにしても珍しいですメェ。」
「何がだ?」
「普通、下民が下民を病院に連れてくること自体ないんですメェ。」
「下民が下民を…?…って!俺は下民じゃねえ!多分だけと。」
「ほっほっほ。あなたさんは優しい目をしていますメェ。」
今まで見て来た人たちはみんな俺を蔑む目で見ていたが、この医者は他の人たちとは違ってなぜか懐かしく感じた。そうだ、六年前森で会った外界人と似たような感覚だ。
「おっさんは下民が嫌いじゃないのか?なんで下民の病気を見てくれてんた?」
「本来、医者という者はその人の身分が偉かれ卑しかれ、命を優先とする使命を果たすべき存在なのです。例えそれが神族、半神であってもメェ。」
——そうだ。大城戸のおっさん。極一部でも世界にはまだこの医者さんみたいに優しい人もいるよ。
「おっさんも優しいな。俺、この街に入ってからずっとこの世界は哀しい世界だと思っていたわ。」
「君、海外でこの世界をどう呼ぶのかご存じですか?」
「かい…がいってなんだ?」
俺は首を傾げて聞く。
「この国キギスじゃない国のことを意味しますメェ。」
「俺ずっと森に住んでて何も知らない。」
「そうでしたか。この世界が十四の国に分けられていることはご存じですね?」
「うん。」
「その中でも東に位置する国々はこの世界を『フラワールド』と呼んでいます。」
「フラワールド…。どういう意味だ?」
「花のような華やかな世界。この世のすべての者が各々美しさを持っていて何があろうが互いに和解して協和し調和を成し遂げることを意味します。が、なぜか身分と血統により差別慣習があるここキギスはフラワールドの意義とは程遠い国になっていますメェ…。」
「みんなが美しい…。みんなが調和を成し遂げる世界…。なんで変わってしまったんだろう…。」
「どうなんでしょうメェ…。」
俺は暫く医者さんと話をして少年のために水や食料を買ってきた。気が付いた彼は俺が買ってきた食い物に目が眩みパクパクと食べだした。
「お、おい!水も飲め…!喉に詰まるぞ。」
彼はアタフタ食い物を食い尽くして俺に礼を言った。
「ほ、本当にありがとうございます…!僕如きの卑しい下民に…。この恩は一生忘れません!!でも僕、お金なんて一文もないです…。」
「まあ、いいってことよ!てか、お前、生きてることが軌跡だってよ。」
「僕はどうしても死ぬわけにはいけませんから…。」
「ん?」
彼は首を垂れ、拳を握って語った。
「僕はこの国の最高幹部太政官の一人、左大臣ホオズキ様の家僕です。」
すると、隣で話を聞いていた医者さんが驚くリアクションを見せる。
「偉いやつなのか?」
「この国の政事を司っている最高責任者ですメェ。今現在キギスでは国政の最高責任者の太政大臣が不在でして左大臣がその役目を代わっています。」
「僕には和って友達がいます…。その子のためにでも僕は死ねません!」
「死ねない理由でもあるのか?」
「彼女を二度と一人にしないと約束したんです。彼女も僕と同じくホオズキ家に仕えています。引っ込み思案の彼女に僕がいないとダメなんです…!だから、早く元の所へ戻らないと…。」
彼は病室から出ようとした。
「お、おい!その体でどこへ行く気だ!また倒れちまうぞ!?」
「今日は七草様直々の花鳥宴が始まる日なんです。僕はそこでホオズキ様の世話をしなければなりません!ホオズキ様の恥をかかせると僕も彼女もただではすみませんから…。病院に連れて来てくださったこと、食べ物をくださったことは本当に感謝します。では、早速僕は城前へ戻ります…!」
彼は震える脚で病室を出た。俺は彼のことが気に後ろで尾行することにした。彼は足を引きずりながら病院を出て、まっすぐ大通りの方へ向かった。暫くしてから俺も彼の後を追う。
彼を追いかけて大通りに入って俺は人混みを縫って前へ進んだ。城の前まで辿り着いた俺は開かれた城門の前を二列に並んでいる兵士たちと、その中を通っている赤色と青藍色の衣装を着た二人が前へ出て各々左と右に立って道を開けることが見えた。それから黄色い衣装を着た男が道をまっすぐ通り抜け、前に立つ。
後から喇叭の音がキギス城下町中に鳴り響き後ろから誰かがのっそりと歩いてくる。日光に照らされ鮮明な翠色を帯びた華麗な衣装を着た男が笑みを浮かべて兵士たちが作った道を通る。男が足を一歩進める度に衣装の薄紅色の花柄がキラッと光りを放った。
男が兵士の道を通り抜けて群衆の真ん中に立つと、その後ろには真っ白の綺麗な衣装を着た可愛らしい少女が地面に裾を引きずりながら男の隣に立つ。頭に着けた白い花飾りは彼女にとても似合っていて、俺は思わず彼女の顔を見つめる。男は黄色の男から巻物を渡され、直にその巻物を両手で開いて何かを話し出した。
「皆の衆、今日は我がキギスの大祭日である。町内の者たちにも、あえて遠くからここ鳥之都に来てくれた者たちにもかたじけまい。今日は花鳥宴の始祭の前に、ここに立っている寡人の長女を皆に紹介したいと思う。」
男の話で一瞬周りがざわついた。
「ここに立っている彼女が六年前天に帰ったサクラ王妃と寡人の子、ユリ姫である。今までユリの存在を隠していたことには事情があったからである。」
「姫様がおられたとは!」
「どおりでお美しい…!」
「まるで若い頃の王妃様を見ているようだわ…!」
俺が先から腑抜けた顔で見つめていたあの子がこの国の姫らしい。ユリ姫の存在は今この場で初めて公にしたそうだ。そのせいでだんだろうか、外野が急にうるさくなった。七草萩と呼ばれる翠色の男は笑みを崩さず右足を上げて思いっきり下ろし地面を踏み鳴らす。すると、爆発音のような地鳴りが鳴り響くとともに軽い地震が起きた。ざわついた人たちは転ばないよう姿勢を低くして男に注目する。男は笑顔のまま話を続ける。
「寡人は王でありながら一人の武人でもある。この意味を分かっていような?」
すると、男の顔が一瞬で凍え、人を蔑むような目でみんなを見下ろした。周りはすぐ静かになり男は笑顔に戻った。
「三日間の大祭、花鳥宴は、我が国キギスの鼓腹撃壌を祝う聖なる祭式である。ここ鳥之都に集まってくれた皆の衆、存分に楽しむがいい!これより花鳥宴を始める!」
と、男が叫ぶと城門の上から矛が錨のように曲がっている槍が男に向けて飛んでくる。男は飛び上がり飛んでくる槍を左手に取った。男は暫く宙を舞い、両手を使って槍の芸を見せると空から薄紅色の花びらが舞い散る。さっきまで黙っていた人たちは何事もなかったように空を見て歓喜した。男が芸を見せて着地して槍を地面に突き立てると数十羽の雉が鳥之都の空を飛びまわる。
「す、すげえ…!これが七草か!」
俺は舞い散る花びらと雉を見上げながら感心した。
「あ、そうだ、こんなことしてる場合じゃなかった!あいつはどこだ?」
俺は七草のお出ましに気を取られて少年を見失ってしまった。あちこちを見回すと、さっき赤色の衣装を着ていた男の後ろの地面にうずくまっている少年の姿を見つけた。俺は彼に駆けつけていった。
「おい!大丈夫か?」
「あ、あなた!なんでここまで来たんですか!?」
「お前が心配で来たに決まってんだろ?どうした?またどっか痛いのか?」
彼の具合を聞いていると前から声が聞こえてくる。
「どこの骨の馬だ、貴様。我が家僕に何か用か?」
「ち、違いますホオズキ様!この方は倒れていた僕を助けてくれました!」
「誰の許可を得て手を出したのだ?」
男は俺たちに近寄ってきた。俺は少年の前に立ってホオズキという男を見上げた。
「どうすれば人の体がこうなるんだ?」
「や、やめてください!ホオズキ様に盾突くのは反逆行為です!!」
「お前、死ぬところだったぞ!このままじゃ絶対死ぬんだよ!」
と、彼を叱ると、重い蹴りが俺の腹に横切る。ホオズキに蹴られた俺は速いスピードで城壁に吹き飛ばされる。壁にぶつかって地面に落ちた俺は口から少量の血を吐いた。俺が蹴られているというのに周りは誰一人俺を見てくれなった。俺だけじゃない。少年のことを気にしてくれる人もそこにはいなかった。
「くうっ…。いきなり蹴りやがって…!しかもおっさんの殺人蹴りよりも痛いぞ…。」
「不届き者め。下民風情が私の目を見るんじゃない。今日がどんな日なのか知っているのか?ごみクズ。」
「大祭日なんだろ?うぅっ。」
「そうだ。キギスの鼓腹撃壌を祝う日なのだ。この国の太平を祝う日なんだぞ!!」
「この国の太平?鼓腹撃壌?人の体をああなるまで虐待しといて、何が太平だ!」
「おいおい、ここにいる皆を見てみろ。皆が幸せそうに祭式を楽しんでいる。貴様ら下民の不幸など、この国の太平とは関係のないことなのだ。分かるか?」
「不条理なことを堂々と言ってやがる…。」
「ホオズキ様!!僕を叱ってください!全部僕の責任です…!」
「言われなくとも佐次郎貴様には天罰を下すつもりだった。足枷はどこに置いて来た?」
「そういえば、僕の足枷が外されている…?!」
「こいつを仕留めて、貴様の足も切り落としてやるから大人しく待っていろ。」
ホオズキが俺と少年を睨みながら腰に差した刀を抜き放った。俺も身を構えた。ホオズキが俺に跳躍しようとする瞬間、隣から女の子の綺麗な声が聞こえた。
「やめなさい、左大臣!祭中に横暴は私が許しませんわ!」
俺とホオズキは声が聞こえる方向へ顔を向けた。そこには先ほどのユリ姫が腰に手を当てて立っていた。俺は姫を見て驚きを隠せなかった。