捌 花鳥宴
捌. 『花鳥宴』
夜は、闇に呑まれ静寂になった森を星影が映し、ホトトギスやコオロギがその夜の寂しさを慰めるために歌を歌う時間だと、俺は思っていた。
しかし、ここ鳥之都の夜は俺が思っていた夜とは少し、いや、全く違う。星影明かな夜も、夜のしじまもなく、ホトトギスとコオロギの歌も聞こえない。ここは完全に別世界だった。
総門の向こうに見える空を貫くように聳やぐ高い城と四方に広がる瓦屋は軒を並べ、それぞれ華麗な明かりをつけて鳥之都全域を照らした。そして街中が人混みでごった返して非常に騒がしい模様だった。あまりにも人が多くて、我を忘れて街中の人たちをぼうっと眺めていた。すると、ソエは急かさんばかりに俺の左袖を引っ張って総門を潜る。
総門を潜るとき俺は一つ気になる点があった。
「なんでこの門には警備とかがいないんだ?」
「キギス城下町は一年中こうやって人で賑わって宴会が取り続く街だからよ。ここの人たちに武装している警備兵たちはただの目障りにしか思ってないからね。だから、警備兵は、ここから見えない外壁を守るか、ここ鳥之都に通る道に配置されているの。」
「でも、王様って偉いんだろ?おっさんから聞いた話なんだけど、王様は数十、数百人の兵士たちが守ってくれてるって聞いたぜ?でも、こんなんじゃ王様を守れないじゃん。」
「七草側近の国兵ならいるよ。あの城の中にね。」
「へえ、あのでっけえ城の中か…。」
「とりあえず交換所に寄ってから宿を探そう。」
「おう!」
彼女は先立って俺の袖を握ったままテクテク歩いて人混みをすり抜ける。すると、手形交換所が姿を現した。交換所の前に立つと、きちんと整理されてある窓口からは年輪を感じる迫力のない濁ったおばあさんの声が聞こえた。
「いらっしゃい。銀葉の交換かい?」
俺はそのおばあさんの言葉の意味が分からなかった。
「ん?銀葉?」
ソエは俺の左ポケットに入っている手形を取り出して窓口に出した。俺がモジモジしているとソエが俺の代わりに手形を交換してくれた。
「おばあさん、この手形を銀葉と交換してください。」
「さぁて…。銀葉百十枚じゃのぉ。はい、どうぞ、百十枚。」
「ありがとうございます。おばあさん。」
「ありがとう、ばあちゃん!」
俺たちはおばあさんから茶色の袋をもらった。その袋は葉っぱ模様をした銀が袋いっぱい詰め込まれていた。
交換所での用を済ませた俺たちは、今夜泊まる宿を探しに歩き回った。
「さっきの銀葉ってお金のことか?」
「そうだわ。キギスの貨幣はこの銀でできた葉っぱなの。」
「お金ってこんなに小さいんだな。」
「それと、銀葉百枚分の価値を持つ金葉があるわ。」
「これ百枚分の価値がある?じゃあ、それでもらえばよかったんじゃない?これ以外と重たいぜ…?」
「金葉は大体貴族たちが使う貨幣なの。だから一般庶民が金葉を持っていると周りから怪しまれるし、不審者にも狙われやすいの。」
「不便な国だな…。いろんなもんが一気に頭に入りすぎて頭痛くなったぜ。」
俺は親指サイズの銀葉の面裏を交互に観察してみる。外界に出てからずっと初めて見るものばかりで、頭をポリポリ掻いて一つずつ覚えようと努力した。
「大城戸のおじさんから折角もらった大金なんだから、なくしたらダメよ?分かった?」
「努力してみる!」
「殴るわよ?」
「全力で死守します!!」
俺たちはごった返す大通りから早速抜け出して路地に入った。暫く路地を進むとキギス城の明かりが届かない薄暗い街が出て来た。キギス城の外郭の中も隅角の方では人気のない閑散とした街があるそうだ。
「さっきのとことは随分雰囲気違うな…。」
「ここは庶民たちが暮らす街だからよ。人の出入りが少ないから素性をバレることもないし私たちにはちょうどいいでしょ?宿もここで探そう。」
「おう。」
俺たちは誰一人も見当たらない蕭然とした道を歩きながら宿を探した。五分は歩いただろうか、遠くからひねこびた看板が目に映った。すぐにでも崩れ落ちそうな看板とそれに釣り合う古臭い建物。まさかとは思ったが、ここが今日俺たちが泊まる宿だそうだ。
「ここにしよう。」
「こ、ここにか?森にある俺ん家よりも古臭いぜ?」
「その分値段も安いから文句言わないで。さ、入るわよ。」
「えぇ…。」
俺たちはすぐにでも取れそうな古い扉を開けて中へ足を運んだ。すると、カウンターの前でしんと沈んだ声の男が腑抜けた顔で俺たちを迎えた。どうやらこの宿の店主らしい。
「いらっしゃいませー。一部屋銀葉一枚でございやすー。」
「一部屋ください。」
「まいどありー。」
思った通り安い値段で空室も多かった。俺たちは男に銀葉一枚を払い掌の大きさの紐付きの木札を受け取って部屋を案内してもらう。剥がれかけの廊下をまっすぐ通っていくと両腕を広げた長さの黄色い障子が見えた。男は俺たちをその障子の部屋に案内した。
「こちらの部屋でございやす。木札は障子の横に固定してある釘にかけてくだせー。では良い夜をー。」
俺は男から受け取った木札の紐をを釘にかけた。そして、障子を開けてみる。すると、障子の奥から映った部屋は意外きちんと整理されていて、同じ建物の部屋だと思えないほど壁紙や畳が綺麗だった。俺は感心して下駄を脱いで部屋に上がって荷物を解いた。しかし、なぜかソエは部屋が気に入ってないようだ。彼女は不貞腐れの顔で畳の上に敷かれた布団を見つめていた。
「ん?布団がどうかした?」
「ちょっとカウンターに行ってくる。」
と、彼女はすぐ部屋から出ていった。
暫く経つと、彼女が障子を開けて入り、店主が両腕で布団を抱えて彼女について来た。
「ここにおいてください。」
「は、はい…。」
男は持ってきた布団を下に敷いた。
「では、もう戻りやすんで…。」
「はい、ありがとうございます。」
「ここに布団あるのになんでわざわざ新しいの持ってきた?」
「あんた、布団一枚で私と一緒に寝るつもりだったの?」
「ん?それがどうかした?」
「はあ…。いちいち説教するのももう疲れたわ。」
「女の人って訳わからないことばかり言うよな…。」
すると、そば殻入りの枕が俺の顔面に直撃する。
「いたっ!またすぐ殴ってくる!!」
「うっさい!バカ!変態!」
——俺、また何か変なことしちゃったのかな…。おっさん、助けて…。
そうやって彼女との間に見えない壁ができたまま一人ずつ宿の風呂を借りた。先に風呂から上がった俺は直に布団に入りこんでモフモフした布団の感触を堪能すると、その気持ちいい布団は俺を眠りに誘った。俺は徐に目を閉じる。
「…きなさい。」
暗闇だった周りが一気に明るくなった。俺は聞こえてくるソエの声で薄目を開けて周りを見回してみる。俺の隣にはソエが俺の布団を半分めくって俺を起こしていた。
「起きなさいってば!」
「ううん…。もうちょっとだけ…。」
しつこく起こしにくる彼女のせいで俺はいやいやながら体を起こした。外はすっかり明るくなっていて閑散とした昨夜とは違いもかなりの数の人が街を歩いていた。
「さっさと支度しなさい!今日こそ奴商所に乗り込むわよ。」
「分かったけどさ、まずは作戦からだろ?着物も新調してもらってないぞ。」
「今から呉服屋に向かう。そこで作戦も考えましょう。」
——言ってることがめちゃくちゃだ…。
俺たちは出かける支度を終え、木札をカウンターに返却して宿の外に出た。日が昇ると城下町の隅角でも人が流れてくることが分かった。でも、城下町の大通りの人たちとは違い、質素な服装でその色も茶色や藍鼠色、紺色といった暗い色ばっかりだった。
「な、ソエ。」
「ん?」
「ここの人たちって、昨日の大通りにいた人たちとちょっと雰囲気違わねえか?服とか。」
「大通りにいる人たちはほとんどが貴族だからよ。貴族は赤系の色か紫色みたいに高貴な色の着物を着てるの。でも庶民と奴隷のような下民は白、赤、青、紫などの高貴な色の着物を禁じられているわ。」
「なんで服まで自由に着させてくれねえんだ?」
「自分たちの地位や権力を誇示するためでしょうね。なんで人は身分なんかを作って同じ人を蔑むのかな…。」
「ハーフの差別はおっさんからよく聞いたけど、同じ人族でも差別が存在してるのか。哀しい世界だ…。」
俺は彼女の話を聞いて六年前森で初めて会った時の彼女の姿を思い出した。そして彼女に聞く。
「六年前森で会った時にさ、お前も綺麗な青い着物着てたよな?」
「……。」
「お前も偉い人か?」
「……。」
俺の声が聞こえなかったんだろうか、それとも何か言えない事情でもあるんだろうか。彼女は俺の質問に応じず黙々と俺の前を歩いて呉服屋に進んでいた。彼女に追いかけてもう一度聞こうとしたが、彼女の顔には影ができていた。
俺は紡ぐ言葉を失い、黙々と呉服屋へ足を運んだ。暫く歩くと何の変哲もない小さな呉服屋が目に見えた。彼女はその黙ったまま店内に入った。俺は一緒に入らず店の前で待っていたが彼女が店の扉から顔を半分出して手招きをする。
「早く入ってきなさい。」
「お、おう!」
俺たちが入った呉服屋は庶民が利用する店だったらしい。店内に置いてある着物の色が全てくすんだ色だった。彼女は店員さんと話し合い、俺と彼女の店にある着物を選び、体のサイズに合わせて着物を新調してもらった。二時間ほどかかるそうだ。俺たちは着物ができるまで近くの大食堂で朝食食べながら奴商所にどう忍び込むか作戦を練ることにした。
呉服屋を出て俺とソエは大通りの近くにある大食堂に向かった。俺たちは店に入りそこで一番安いものを注文した。
「それで、なんか策は考えてみた?」
「それだけど、まず奴商所について説明しないとね。これを見て」
彼女は後ろポケットから折り畳まれた紙をテーブルに出した。そして、その紙を開くとそこには何かの図面らしき絵が描いてあった。
「なにこれ?これ全部お前が描いたのか?!」
俺が思わず大声を出したとたんに彼女は俺の口を塞いだ。
「声が大きい!これが奴商所本部の図面なの。私が一人で奴商所に忍び込んだ時にこの図面を描いたの。なかなか広くて全部を回るのに苦労したわ。」
「お前すげえな。これを一人で作ったって…。」
彼女は図面の左真ん中を指差しながら奴商所の内部の説明を始めた。
「ここが奴商所の正門で私兵の門番六人が午前と午後に分けて三人ずつ交代で門を守っている。」
「ここってバレずに入れるの?」
「門番が交代する時間が唯一のチャンスなの。交代する時には奥の建物で勤怠をチェックして代わらないといけないから約三分ほど門番がいなくなる。この交代時間を利用して入ることができるけど、私たちは正門からは入らないわよ。」
「え、じゃあこの下の門から入るの?」
「ううん、その裏口は正門より幅も狭いし門番の交代も早いからなかなか入れないの。私たちはこの奴商所の北の方から入る。そこの壁に隠し通路から潜り込むの。」
「まさかその隠し通路もお前が作ったのか?」
「いや、隠し通路はたまたま見つけたの。でも奴商所の頭首のシレネはこの隠し通路のことを知らないみたいだった。きっとこの屋敷を買い取る前の主が作っておいたのかもしれない。」
「なるほど。子供たちはどこに監禁されてるんだ?」
「子供たちは北の方から入って…、左にまっすぐ行って見える突き当たりを右に曲がると…、はい!ここ。この建物の地下牢に監禁されている。私もそこに監禁されていたわ。」
「じゃあ、そこに行けばいいんだな!お前が取られた持ち物もそこにある?」
「持ち物は残念だけどどこに置いてあるか分からないわ。私も見つけられなかったからこの様よ…。持ち物はさておいて、まずは子供たちを地下牢から脱出させて隠し通路までバレずに引率すること。」
「ここまで用意してるならわざわざ作戦立てなくてもよかったな。」
「ここで問題が、地下牢の鍵がある場所なの。」
「え、どこにあるんだ?」
「シレネの執務室…。」
「鍵盗めそうか…?」
彼女は渋い顔をして徐に首を横に振る。
俺たちが話に夢中になっているうちに料理が出来上がったそうだ。店の綺麗な女の人が笑顔をして注文した料理をテーブル置く。
「どうぞ、召し上がってください!」
そして、彼女は笑顔を崩さずに厨房へ戻っていった。俺はテーブルに置かれた白い器に目を向けた。俺たちが銀葉一枚で注文したのは鳥之都名物の鳥だし蕎麦二杯だった。器の中には薄茶色の出汁に今まで見たことのない灰色に近い黒色の長い何かがクルンと螺旋を描いて盛られていた。その上には鮮やかな薄緑色の野菜と鶏肉が乗っけられていた。
「う、美味そう…!この細長いのはなんて言う食いもんだ?」
「それは蕎麦っていう食べ物よ。薄緑色の野菜は葱。一緒に食べると美味しいよ。」
俺は昨日の夜から何も食べてなかったから、すぐに箸を取って蕎麦をすすった。蕎麦を食べている俺をじっと見ていたソエもやっと自分の空腹に気づいたのか、箸を取る。俺はモグモグと蕎麦を食べながら話す。
「うんめぇぇ!あ、そう。本当にそれが問題だな。シレネってやつはずっとその執務室に居んのか?」
「奴隷の取引などは下の者が担当してるけど、シレネも国の偉い人たちとの取引があれば執務室を空けるわ。でも、それの取引があるのがいつなのかが分からないのよね…。」
「じゃあ、シレネってやつを尾行してみようぜ!」
「だから…そのシレネがいつ外に出かけるか分からないってば。」
「そっか…。じゃあ出かけるまで待とうぜ!」
「あんた、子供たち忘れてないよね?」
「あ、そうだった…。」
「はあ…。とにかく建物に潜入することから考えましょう。」
「分かった!」
俺たちは作戦を考えながら食事を済ませた。銀葉一枚の値段の割にはとても豪華な食事で満足した。この店での食事が俺を蕎麦にハマらせるきっかけとなる。
二時間という時間は考えたよりも長く感じた。それで、別行動をして時間をつぶすことにした。俺は昨夜よりも賑わっている大通りに入り街を見物した。軒を連ねる店は、山では一度も見たことのない道具が沢山陳列されてあった。俺は一軒ずつ店を回ってみる。次の店に入ろうとした時、城の方から喇叭の音が聞こえて来た。喇叭の大きな音は、一気に大通りの人たちの注目を集めた。
「え、なんだこの音は…?」
何のことか分からなかった俺は、喇叭の音が聞こえるところへ向かった。城の前に着くと妙に大勢の人たちが集まってそわそわしていた。
「おいおい、もう始まるぞ!」
「ああ、今日の日が来るのを待ってやした!」
「あのお方もお出ましになるのかな?」
「わ、わいは七草様を生で見るのは初めてだわ…!」
「せっかくキギス最西端の牛溝から来たんだ。一度国王様に謁見してみたい…!」
俺はこれから何が始まろうとするのか気になって隣の貴婦人に聞く。
「城の前で何か始まるのか?」
「あら、知らないの?年に一度七草花王が直々に開催する『花鳥宴』が今日から三日間行われるのよ?…って、その格好。下民じゃないか!話しかけるな!」
「え、ちょっ…!」
貴婦人は俺をまるで虫でも見るような表情で押しのけた。そして彼女はそのまま城の前に集まった群衆に紛れた。俺は暫く呆れた顔で群集していく人々の眺める。
「どけ!下民風情が。病気がうつるぜ。」
「下民なんかが来るんじゃねえ!」
「あら、気色悪いですわ。」
集まっていく人たちは皆そろって俺を蔑視していた。服装だけでもこの街の人たちは人をここまで貶し、蔑むのか。俺はこっそりその場から抜けて遠くからその「花鳥宴」とやらを見ることにした。
「あーあ、ソエがそこまで服のこと気にしてたのってこれのせいだったのか。この反応じゃ流石に納得いくわ…。」
俺は近くにある建物の軒下で一人でブツブツ言いながら城の方を眺める。その時、建物の右に通じる路地からトボトボと人が歩いてくる。
「…んなとこで倒れてはいけ…な…。」
ブツブツと何か独り言を言いながら近くまで来たその人はトンと俺にぶつかるや、そのまま地面に倒れた。
「お、おい!大丈夫か?!気をしっかりしろ!」