漆 UNLOCK
漆. 『UNLOCK』
声が聞こえたところに目を向けると、紅色の髪の毛に下顎をすべて覆うほどにフサフサした赤髭の|巨漢が俺たちの前に立ちはだかった。その髭男は不敵な笑みを浮かべながら俺たちに眼差しを注いでいた。
まもなく男の後ろから次々と巨躯の男性たちが現れ、俺とソエを囲い込んでいく。ソエは警戒しながら男たちに訊く。
「あなたたちは…?!」
「おいおい、これはさすがにまずいんじゃねえ?!」
俺も荒い息を吐きながら気を引き締めた。
「俺たちはこの雉山の守り神だ!」
「ふざけないでよね。この国で人族が神を名乗るのは死を意味するのよ!」
渋面をしたソエは声を上げた。すると赤髭はため息をつく。
「はあ、そうだったっけ?俺たちに国が決めたことなんじゃどうでもいいんだよ!」
「あなたたち。さては、山賊なんでしょ?」
「おいおい、山賊って…。野蛮人扱いすんなよ、嬢ちゃん。」
「あなたたちがやっていることが山賊と何が違うの?」
彼女が喧嘩腰で話すと、左から三尺はありそうな灰色の戦斧が彼女のところに飛んできた。すると彼女は高く宙を跳んで戦斧を避けた。いつも思うけど本当に凄まじい脚力だ。彼女が立っていたところに飛んできた戦斧は地面に刺さったまま取っ手が空を向いて固く固定された。宙を跳んだ彼女はそのまま戦斧の取っ手の上に立ったまま着地して山賊たちを俯瞰する。彼女の動きを見た赤髭が足に力を入れて言う。
「この尼、その動きからすると人族だな。」
「そうよ。この人数に囲まれて私が怯えているとでも思ったの?」
「まあ、いいから聞け。お前に用はない。用があるのはそっちの半神だ。その半神だけ俺たちによこせ。」
「それはできない相談ね。私はこの子に責任を取ってもらわなきゃいけないの。早くかかってきなさい!群れなきゃ何もできないお猿さんたち。」
ソエが山賊たちを挑発した。
「ぬんんん…、この生意気な!野郎ども!二人ともやっちまえ!!」
「「はっ!!」」
「おいおいおいおいおい!お前は何けしかけてんだ!俺を見ろ!立ってるのに精いっぱいだぞ?」
俺は赤髭のその一言で俺たちを囲んでいた山賊たちは戦斧や刀、鎌などの武器を構えて俺たちに飛びかかってきた。
「うわっ!!お前はそんなに喧嘩が好きか?!俺は喧嘩なんてまっぴらごめんだぞ!勘弁してくれよ!」
「うっさいわね!こっちは売ってきた喧嘩を買っただけなのよ!しかも、この山賊たち私じゃなくてあなたが狙いなのよ?あなたの立場ちゃんと理解してる?」
「分かったよ!巻き込ませて悪かったよっ!」
俺と彼女は四方から飛んでくる刃物をよけながら山賊たちの急所を狙ってパンチは蹴りをぶちかました。しかし、あまりにも希薄な空気のせいでか、俺の体はいつもより鈍くなっていた。また、体力の消耗も普段より大きかった。その時だった。
「危ない!」
彼女は俺に向かって叫んだ。乱れた彼女の叫びとともに冷たく藍鼠色を帯びた刃が俺の左鎖骨の下にグサッと刺さり、俺は初めて味わう刃物の味に耐えきれず悲鳴を上げた。
「ぐあああああっ!!」
「海時!!」
俺に気を取られたソエは赤髭の蹴りを避け切れずくらってしまった。
「ううっ…!」
「どこ見てんだ?お嬢ちゃん。人の心配する場合じゃねえぞ?ふふふ…。」
赤髭は倒れている彼女を何度も踏みつけて喜悦していた。
俺は刀に刺さった左胸がだんだん熱くなっていた。鮮紅色の血が傷口から流れ出てあっという間に俺の服は赤く染まっていた。
少しずつ熱を奪われていた俺は踏みつけられている彼女を見て横になったまま彼女の方へ右手を伸ばしてみる。すると俺の胸に穴を開けた刃が今度は伸ばした俺の手の甲に突き刺さった。
「あああああっ!!!」
刀は俺の右手を貫いて地面に刺さっていた。
「出来損ないの半神め。この山にお前ら出来損ないが踏み入れられるところなんてねえぞ。大人しくくたばりやがれ。きいっきききき…。」
「…もんか。」
「はあん?」
「こんなところでくたばるもんか!!」
俺は手が地面に固定されたまま、有りっ丈の力で山賊の脚を蹴った。
「な、なにっ?!」
脚を蹴られた山賊はそのままバランスを失って横に転んだ。その間に俺は地面に刺さった刀を抜いて喜悦している赤髭を狙って投げた。一直線を描いて飛んだ刀はそのまま赤髭の背中に刺さる。しかし、人族の鉄並みの皮膚のせいか傷は浅かった。
「くうっ!!き、貴様!!」
赤髭はゆっくり俺の方を向いて怒髪天を突いた目で俺を睨みつけた。俺は苦しんでいる彼女を見て赤髭に言った。
「これ以上その子を傷つけるのはやめろ。俺は喧嘩が大嫌いなんだ。」
「はあ?それが人の背中に刀ぶっ刺したやつが言う言葉か?」
「俺はやられた分だけやり返しただけだ。もう誰にも傷つけたくないんだ。」
「戯れ言言うんじゃねえええ!!てめぇら半神に権利なんかねえんだよ!!」
俺はその言葉を耳にして、六年前に俺に聞かせてくれたおっさんの話を思い出した。本当にこの世界は半神を忌み嫌っていることを。そして、弱い半神は悲鳴も上げられず無惨に殺されてしまうことを…。
俺は心の底からこの世界の有様を悲しんだ。やがてその悲しみは俺の体に変化をもたらした。耳鳴りなんだろうか。時計の秒針の音が頭に直接響きだした。
カチカチカチカチ……。頭の中に鳴り響いたその音は、程なく止んだ。そして気が付くと穴が開いたはずの左胸と右手がすっかり元の状態に戻っていた。しかも、空気が薄くて動くことさえ上手く出来なかったはずなのに、なぜか力が漲ってきた。俺の変化を目の当たりにした周りの山賊と赤髭は一歩下がって俺を警戒した。
「な、なんだ!?こいつ不死身なのか?」
「今の見た?体が再生したぞ。」
今の不思議な出来事で回りは戦意を失いつつあった。俺は賭けをした。今の流れで俺は山賊たちを脅してみた。
「えへん、見た通り俺は不死身だ。いくら俺をそんな物騒な武器で刺そうが、俺はまたこうやって元に戻るんだぞ。それでもやんのか?」
——お願いだからここは引いてくれよ…!
すると、山賊たちとこそこそと何かを話していた赤髭が俺に近づいて来た。
「こ、今回は見逃してやる。もう二度とこの山に入ってくるんじゃねえぞ。」
——こいつが冷静な判断ができるやつで助かった…!
争うことなく前へ進められるようになった俺は内心喜んだ。
「俺たちはキギス城下町へ向かってる途中なんだ。だから、向こうの山の出口に辿り着くまで我慢してをくれ。」
「仕方ない。本当に今回だけだぞ!」
「分かった!約束するぜ。てか、お前名前はなんていうんだ?」
「俺か?ホオノキだ。二度と合わないやつになんで名前なんか訊くんだ?気色悪い!」
「念のためにな。俺は海時!勝手に山に入って悪かった。背中に刀ぶっ刺したのもごめん!」
俺は倒れている彼女に近づいた。そして砂だらけの服を軽く叩いて彼女に話をかけた。
「ソエ、大丈夫か?」
「私は大丈夫よ、人族なんだからすぐ直る…。それより、あんたその体どうしたの?人族よりも再生力が早くて驚いたわ。」
俺は小さい声で彼女に囁いた。
「実は俺も俺の体に何が起きたのか全然分からないんだよ。」
「え、あんたの神才なんじゃないの?」
「どうなんだろう…。とにかく人目が多いから早くここから離れようぜ。」
俺は彼女を引っ張り起した。そして、山賊たちに別れの挨拶を言い、彼女と一緒にすぐその場から立ち去った。
俺は彼女と山を登りながら体に起きたことを思い出した。あるはずもない時計の秒針が回る音がカチカチと頭の中に鳴り響いて、気がついたら体が再生している…。
「なんだろう…。」
「私は人族だから神才については詳しくないけど、あなたのさっき再生は間違いなく神才だわ。純粋な人族でさえ七草に匹敵しない限りそんな再生力は持ってないからね。」
「そうなんだ…。俺神才に目覚めてたんだ。でも、どんなもんか未だピンとこないんだよな…。」
「神才は解放したからもうじきどんな力なのか分かるようになるかもよ。それより、あんた本当に臆病者よね。」
「え、どこがよ!」
「だって、昨日といい今日といい、全然戦わないじゃない。」
「俺は人を傷つけたくないだけだぞ?俺の母ちゃんもそんな人だったらしい。」
俺が母のことを口に出すと、ソエはまた顔が凍えてしまった。
「そうやって逃げてばかりだと、いつか大切な人を失うかもしれないよ…。人は踏ん切ってやらねばならない時があるの。それが例え嫌なことでもね。」
「分かるさ。俺にもたまに心の叫びが聞こえることがあるんだ。でも、さっきはそれが聞こえなかったよ。だから自分の刀を抜かなかった。何より、戦わずに済んだから良かったんじゃない?人を殺すことになんの躊躇いもなかったら、それは命を軽く思ってる証になる。それこそ、大切な人を失う導火線になるかもしれないぜ?」
「まあ、それはそうだよね…。」
正論を言われた彼女は反論もできずそのまま黙り込んで山を登った。
そうやって二時間は登ったんだろうか。俺たちはやっと峠を越えて下り坂に差し掛かった。しかも、そこからはキギスの首都である鳥之都が一望できた。四角い枠の壁の真ん中に大きな城がそびえていて、それを中心に大小様々な建物が建っているのが見えてきた。
「あそこが鳥之都…!!なんかワクワクしてきたぜ!」
「向こうに着いてもあまりはしゃがないでよね?目立ったら疑われるから。」
「分かってるって!それより、俺の服血だらけで既に怪しく見えるんだけどな…。」
「着替え持ってきた?」
「持ってきた。」
「じゃあ着替えてから行こうね。」
俺は包みの中にある余分の着替えを取り出した。それを見たソエはなぜかドン引きした。
「うわっ、全部同じ服…。」
「なによ!俺この服しか持ってないんだよ!文句あんのか?」
「あんた、お金は持ってる?」
「あ、そういえば、おっさんから手形ってやつをもらったぞ。手形交換所ってところに行ったらお金に変えられるらしいぜ。」
「じゃあ、とりあえず袴でも新調しに行こうね。」
「袴?俺はこれでも別にいいぞ?」
「あのね…。私たち狙われてるかもしれないのよ?ちゃんとした着物でも着てないとすぐに気づかれてしまうわ。」
「じゃあ、お前の着物も新調しないとな!」
「そ、そうよね…。でも私、持ち物全部取られちゃって無一文になったのよね…。」
「そんくらい俺が出してやるぜ。任せろって!ひひいっ。」
彼女は俺を見て軽く笑みを浮かべた。さっきホオコキに酷くやられていた彼女をずっと意識していたんだろうか。そう微笑む彼女を見ると俺は少し安堵感を覚えた。
「さてと、早く鳥之都に行こうぜ!!」
と、気合を入れる瞬間、俺の視界が暗くなった。また、全身を繋ぐ筋肉から力がスウッと漏れていくような感覚が強まった。束の間に立っていられる力すら残らなくなった俺は、そのまま地面に跪き傍へ倒れ込んで目を瞑った。
「海時!!海時!!」
慌てている彼女の声が耳元で聞こえてきた。しかし、それも束の間、無音の暗い世界に吸い込まれていくように、俺は気を失っていく。
あれから何時間が経ったんだろうか。俺が目を覚ますと周りはすっかり夕焼けで橙色に染まっていた。それから、俺はなぜか彼女に背中におんぶされていた。俺はまだ体の力が戻らず、声を出すのが精一杯だった。
「え、なんだ…?さっき何があったんだ…。」
彼女は俺をおんぶしたまま潤んだ声で言った。
「急に倒れなのよ。いつも人に心配ばっかかけて…。」
彼女は俺をおんぶしたまま山を降りていた。
「お前、まさかこのままずっと山降りてた?」
「当たり前でしょ?山に病院なんかあると思う?」
「いや…その、びょう…いんってやつは何かよく分からないけど、俺は大丈夫だよ。疲れただけかも。」
「でも一度病院に行った方がいいかもよ…?病院ってところはどんな病気でも治してくれるから。」
「へえ、すごいね病院。な、ソエ。心配してくれてありがとな。」
「わ、分かったならもっと強くなりなさいよ。男の子のくせに女の子におんぶされて恰好悪い!」
「じゃあ、今度は俺がおんぶしてやるぜ。」
「いらない。そもそも私はおんぶされるほど弱くないし?」
俺が彼女におんぶされていて一つ気になることがある。昨夜、風呂場で見た彼女の体のことだ。妙に膨らんでいた胸元を見たが、ちょうど今前にぶら下がった俺の腕が彼女の胸元に当たっている。これは病気なんだろうか。俺は少し力が戻ってきた左手で彼女の左胸をギュッと握ってみる。すると、
「ひっ?!」
と変な声を出す。そして、
「なに人の胸触ってんのよ、この変態が!!」
と怒られ、山の下り坂へ投げ飛ばされた。そのまま俺は顔から土塊に埋まった。
「いでぇぇぇっ!!死ぬよ!命をもっと大事にしてくれよ!」
「うるさい!!淑女の胸を触る変態に言われたくないわ!!置いていくわよ!人の胸触る気力があるなら自分の足で降りてきなさい!」
彼女の過激な態度で俺はおっさんの顔を思い浮かべた。
——おっさん…。俺はまた何かの過ちを犯しちまったみたい。女ってやっぱ怖いよね…。
こうした紆余曲折な下山の末に二人はやっと山の出口に辿り着いた。空はすっかりと闇に呑まれた。
俺たちはすぐに豪華な光が見える街の方へ足を運んだ。そして赤色の大きな総門が俺たちを迎えていた。
「すんげえ高い門…。もう夜なのに街はこんなに明るいんだな…。外界すげえ!!やべえ!!」
「ここが鳥之都、キギス城下町の南総門よ。私たちもここから入るわ。ついてきなさい。」
「お、おう!」
俺たちは巨大な総門を通過してキギス城下町へ足を踏み込んだ。俺は生まれて初めて見る街の光にワクワクが止まらず、城下町内を歩き回った。
そして、高い建物が櫛比した街の裏には謎の人影が蠢いていた。