陸 キギス城下町へ
陸. 『キギス城下町へ』
ホーホケキョ!
窓の外からウグイスの涼しい鳴き声が聞こえてくる。眠りから目を覚ますと…、天井からするにここは俺の部屋だ。俺は窓から差し込む日差しに目を細める。そして体を起こそうとした。しかしこれは筋肉痛なんだろうか、腹辺りがズキズキしたせいで体がまるで言うことを聞かなかった。
「いててぇ…。なんだこれ?俺怪我してたっけ?てか、今何時だ…。」
俺が体を起こすと下に響いたんだろうか、おっさんが二階に上がってきた。
「起きたか?死んでないのが奇跡だぞ?」
「え、俺何かされた?」
「昨日のこと覚えてないのか?」
「昨日のこと?飯食って風呂あっためて、、風呂から悲鳴が聞こえて入ったら…。」
昨日の記憶を辿っていくうちに昨夜俺が打ちのめされたことを思い出した。
「ぶっ飛ばされた…。」
「このアホが…。」
俺はおっさんにチョップを食らった。そして説教が始まった。
「女が体を洗っている時に入るんじゃないんだぞ。」
「え、なんでだ?おっさんはよく入ってくるじゃん。」
「だからよ、女はさ?いろいろ事情があるんだよ!体を見られたがらないというか…。」
「あ、分かった!あいつチン○ンついてなかった!それが原因なんだろ?」
と、俺が昨日目撃したソエの下半身のことを話すと、一階からドンと大きな物音が聞こえてきた。
「海時。今までお前に一般常識も教えなかった俺を恨め…。」
おっさんはため息をつかんばかりに首を横に振った。
「え、なんの話かよく分かんねえよ。」
「兎に、角だ!女の全裸を見ることはやめろ!昨日みたいに命を落とすかも知れん…。分かったか?本当に気つけるんだぞ?」
おっさんは訓練の時よりも真剣に俺を注意させた。
「わ、分かったよ。見なきゃいいんだろ?…てか、おっさん今何時だ?」
「もう十時を回ったところだ。あの娘、お前が起きるのをずっと待ってたぞ。」
「もう十時?!やべえ、急がないと!」
俺は細めていた目を丸くして慌て出した。するとおっさんが声を低くして訊く。
「海時。」
「ん?なに?」
「行くのか?」
俺はニコッと笑みを浮かべて答える。
「ああ、ちょうどいいタイミングじゃないかな?」
「そうか…。ちょっと遅くなったが、とりあえず朝食は食って行け。」
「分かった。頼んますぜ!」
おっさんはどこか寂しげな顔をして俺を見据えていた。だからといって、俺を止めたりはしない。そのまま下に降りたおっさんは朝食の準備を、俺は利休茶色の包みに服などの荷物をまとめた。
俺は昨日気絶したせいで入れなかったから朝食ができ上がる前に軽く風呂を浴びてきた。着替えて台所に行こうと廊下に出ると、茶色で襟の先に十字架が刻まれた俺の服を着ているソエが廊下の前に立っていた。俺は彼女に昨日のことを謝った。
「あ、おはよう!昨日はなんかごめんな?」
「私こそ、ごめんなさい…。お腹大丈夫?」
彼女はさっきから俺の具合が気になっていたようだ。
「ああ、まだちょっと痛みはあるけど心配するほどでもないぞ。」
「良かった。次は力入れすぎないように気をつけるわ。」
と、恐ろしい言葉を口にしながら拳を撫でる彼女だった。
「次って…。暴力はよくないぞ?てか、その服似合ってるな。やろうか?」
「え、大丈夫よ!元の服取り戻したらすぐに返すわ。」
彼女は笑みを作って遠慮した。
「遠慮しなくてもいいって!」
「いや、本当にいらないから。」
「お、おう…。」
どうやら気に入ってないみたい。
廊下に佇んでいた俺はいい匂いに釣られて台所に向かった。俺が寝ている間に二人はすでに朝食を食べたそうだ。だから俺はおっさんが用意してくれた朝食を一人で食べた。
食事を終えると俺は二階の部屋に戻り、先程まとめておいた荷物と訓練中おっさんからもらった鍔のない白い鞘に金の装飾が細工されている刀を持って一階へ戻った。
一階の玄関の前にはソエとおっさんが俺を待っていた。
「早く行くわよ。」
「待った待った!待たせて悪い!」
俺は急いで階段から降りて下駄を履いた。その後おっさんに、
「じゃあ、俺行ってくる!」
と挨拶をするとおっさんは、
「海時、ガキのお前が外でその刀を持っていると不審者だと思われるかも知れない。」
と、俺を呼び止めた。俺が眉を潜めて、
「え、でも、刀がないとどうやって自分を守るんだ?」
と訊くと、口の下からおっさんが一見木刀にも見える木の棒を俺に渡した。
「これを持っていけ。」
「木刀で戦えってこと?!」
「見た目は木刀に見えるが、これは仕込み杖なんだ。」
俺は木の棒を見ながら首を傾げる。
「仕込み杖?」
「そう。よく見てみろ、取っ手の方に切れ目があるだろう?」
「あ、ほんとだ。」
俺は取っ手を引っ張ってみた。すると中から小町鼠色の刀身がほのかに光を放っていた。
「その刀だと外で疑われることもないだろう。」
「そうだな!ありがと、おっさん!」
「あ、その刀、絶対に折るなよ。分かるよな?」
俺は二年前に一度おっさんの刀を折ったことがある。その時はおっさんの連続殺人蹴りで俺の骨も一緒に折られた。その時のことを思い出した俺は怯えながら答える。
「わ、分かりました…。気をつけます…。」
「よし、それともう一つ、この首飾りを身に着けておけ。」
おっさんは鮮やかな青色の丸い宝石が付いた首飾りを俺に渡した。
「なんだこれは?」
「それは昔お前の母さん、アヤメが俺にくれたものなんだ。もうお前が持ってろ。」
「へえ、そうなんだ。」
俺はその精巧に細工された首飾りを首に着けた。それから、おっさんは表情を殺し、真顔で俺に一つ注意すべきことを言う。
「海時、外界で注意してほしいことが一つあるんだ。」
「注意すること?」
俺はおっさんのその顔を見て真摯に話を聞いた。
「ああ。もしお前が外界でイソトマという人間に会ったらまずは逃げることだけを考えろ。」
「イソトマ…?誰だ?おっさんの知り合い?」
「知らなくていい!とにかく逃げるんだぞ!」
なぜかおっさんは理由も言ってくれずただ逃げろと強要した。
「分かった分かった。ったく、心配性なんだから〜。じゃあ、俺行ってくるよ。」
俺はソエと一緒に玄関を出た。すると、
「行ってこい!お嬢さんも海時のことよろしく頼む。今までのこいつの人生はこの森以外ないから世間知らずで危なっかしいんだからね…。」
と、ソエにまで俺のことを頼むおっさん…。本当に優しい俺の育ての親。
「はい、分かりました。任せてください!そして昨日は誠に相すみませんでした。」
ソエはペコリと腰を曲げて最敬礼をする。するとおっさんは困った顔で苦笑いする。
「謝るのはもうやめてくれ、ハハハ。」
「じゃあ、本当に行くよ!」
「さようなら。」
「いってらっしゃい!お嬢さんも達者でな!」
玄関先でおっさんが大きく手を振って俺たちを見送る。同じく手を振った俺たちは二階建ての丸太小屋を背中にして森の外へ向かった。
いよいよ旅に出られると思い、浮かれていた俺とは違ってソエはさっきから無言のまま森道を歩いている。緊張しているんだろうか。気になった俺は彼女に話をかけてみる。
「お前、もしかして緊張してる?」
「あ、うん…。少しね。さっき家を出る前に思い出したんだけど…、私たちさ、昨日やっつけたあの人たち、あそこに置いてきたままだったよね…?」
彼女は不安な顔で俺に訊いた。
「そういえば、そうだったな。それがどうかした?」
「もしこの森の周りに他の関係者でも通っていたら、これは大騒ぎになることよ。」
「え、じゃあ、俺たちも危ないじゃん!とにかく急いであの死体の方に行ってみよ!」
「う、うん!」
俺はソエと急いで森の北へ全力で駆けつけた。
昨日の死体がもし他の関係者に見つかってしまうと、奴商所の手先の二人が殺した鉄条網の警備をまるで俺たちが殺したように誤解されてしまう。
さらに、森に立ち入りして奴商所の二人を殺した罪まで加わってしまう。いくら呑み込みが悪い俺でも、今の状況がどれだけ深刻なのかは重々理解している。
それでも念のため、彼女に訊いてみた。
「な、ソエ。」
「なに?」
「もし発覚されたらどうなる?」
「どうなるって…。手当者になるに決まってるでしょ?馬鹿!」
「ですよね…。アハハ…。」
また馬鹿と言われた俺は訊かなきゃよかったと後悔してみる。
普段なら三十分もかかる森の出口をたった十分で着いた俺たちは、急いで黄色い光が漏れている森の外へ足を運んだ。昨日と同じく乾燥した風が鉄条網側から吹いてくる。俺たちはすぐに奴商所の二人と戦った所に首を回した。
「そんな…。」
ソエは視線が固まったままワナワナと体が震えていた。俺は自分の目を疑ってみる。
そこには、まるで嘘のように二人の死体も手押し車も、俺が切断した木箱も、死体の血痕すらも残っていなかった。俺たちはその場所に駆けつけた。
「おいおい…。何もないぞ?っていうことは、誰かここに入ってきたってことだよな?」
ソエから返事が返ってこない。彼女に振り向くと彼女はそのまま腰の力を抜かして地面にドッと座り込んだ。
「ソエ!大丈夫か?しっかりしろよ!」
「うわああん…!もう人生終わったよ。手当者だよ私たち。どうしよ…。」
彼女は泣き出した。彼女の意外な反応を目の当たりにした俺は怪訝な表情で彼女を見据える。
——こ、子供…?
するといきなり彼女の八つ当たりが飛んでくる。
「何じっと見てんのよ!」
「え、いや、大丈夫って!何とかなるさ!」
俺は彼女を安心させようとしたけど、これは無理があるかも…。
「馬っ鹿じゃないの?あそこ見てみなさいよ!警備の死体もないんだよ…。」
彼女が鉄条網の扉の方へ指を差して言った。
「え、ほんとだ。やばいな…。」
「全部あんたのせいよ!!あんたがもうちょっと早く起きてこっちに来てたらこんなことにはならなかったのに!!」
彼女の屁理屈を聞いてられなかった俺も一言言ってやることにした。
「はああ?!ぶっ殴って一発KOさせて十時まで気絶させたのはお前だろうが!しかも、今朝廊下の前で謝ってなかったっけ?あーん?!」
「ヌンン…!それ以前に!昨日森に誘ったのはあんたでしょ?!私はすぐ行かなきゃって行ってたのに…。どうしてくれるのよ!フアアァン…。」
「だから殺す必要はないんじゃないかって言ったじゃんか…。しかも、昨日お前も森で楽しんでたくせにその言い返しはないだろ!」
「責任取って!私たち奴商所どころか、この国にもいられなくなったよ…。」
この尼、もはや現実から目を背けていやがる…。
「必ず関係者が来たとは思えないからさ、とりあえず落ち着こう。ここでギクシャクしててもなんも変わらんぞ?」
「よくそんな冷静にいられるね。馬鹿だから?ふん!」
——こいつぅぅっ…!!
俺は彼女のわがままを何とか凌いで話を続けた。
「まあ、とりあえず近境の町にでも行ってみようぜ!もし何かあったら俺が責任取るからよ。」
「本当?あなた、他言無用って言葉知ってるわよね?」
「分かったからさ。ほら、立てるか?」
「ん…?」
俺は道中で座り込んでいる彼女に手を差し伸べた。
「あ、ありがと…。」
目尻に涙を溜めたまま彼女は俺の手をつかんで立ち直る。そして、俺たちは開門されてある鉄条網の向こうへ足を運んだ。鉄条網の外には果てしないクネクネと曲がった道と街路樹が俺たちを迎えていた。
「おお、ここが森の外の土!!初めて踏んだぜ!」
「子供かよ。置いて行くわよ?」
「お前にだけは言われたくないな!!でも、近境って言っても俺外界のこと全然知らないんだよな…。」
「この近境だと栗鼠之宮という港町が徒歩二時間ほどで着くところにあるわ。でも、奴商所は首都のキギス城下町にあるの。だから、あそこに見える雉山を超えないといけない。」
彼女のしなやかな指が指していた方角にはそびえる暗緑色の山が空を半分以上隠していた。俺はその山を仰向けながら言う。
「でっけえ山だな。どれくらいかかるんだ?」
「六時間くらいかかった気がするわ。」
「気がするって…。そうか、お前あそこから来たんだよな。あれ?ちょっと待って?じゃあ、昨日の二人もあそこから来たってこと?」
「そうよ?どうした?」
彼女は首を傾げて俺を見た。
「いや、手押し車と箱持ってあの山登るのって相当大変じゃないかなって思ってさ。」
「それは警備室に備えてあるものよ。あんなの持って追ってくる人いると思う?それくらい考えなくても分かるでしょ!馬鹿。」
「ううっ、また馬鹿呼ばわり…。じゃあ、すぐあの山登ろうぜ。」
俺は道を知っている彼女の後ろをちょこちょこと追っかけて山に向かった。二十分は歩いただろうか。道の木々で隠れていた雉山の麓が少しずつ姿を現して、やがて山の入り口が顔を出す。俺たちはようやくその入り口の前に着いた。
「近くから見たら空が全然見えない!」
「ここから山に入れるよ。足元気をつけてついてきて。この山は斜面が急だからはしゃぐと転んで死ぬはよ。」
「し、死ぬってそんな…。」
俺は彼女に続いて山の入り口に入った。この山は俺が住んでいた森とは違って空気も薄く、肌がヒリヒリするほど乾燥していた。そもそも生まれて初めての山登りだったから世間一般の山の環境はどうなのか知らない。
「な、山ってこんなもんか?なんか息苦しくて眩暈するぜ…。」
「雉山はキギスの山の中でも一番空気が薄い山なの。麓からこんなに酸素がないから身体能力に優れた人族じゃなきゃ酸欠で命を落とすかもしれないわ。」
殺伐とした言葉を何気なく言う彼女を見て呆れ顔を言う。
「冗談じゃねえ…。俺ハーフなんだぞ…。」
「でも、キギス城がある鳥之都に行くにはこの山を登ること以外方法がないよ。鳥之都を通る道は国兵の取り締まりで私たちみたいな不審者は通れないから…。」
彼女に文句を言いながら山を登ると、前方からガサガサした男の声が聞こえた。
「今なんだって~?ハーフって言ったよな?」
すると、下顎をすべて覆うほどフサフサした髭の巨漢が俺たちの前に立ちはだかった。それから次々と巨躯の男たちが姿を現して俺とソエを囲い込んでいく。ソエは身を構えて訊く。
「あなたたちは…?!」
「おいおい、これはさすがにまずいんじゃねえ?!」