什伍 心慌意乱
什伍. 『心慌意乱』
「お、お前は……?」
空を見上げると、緑陰の木漏れ日が差して一瞬目が眩んだ。とっさに瞼を閉じた俺は薄目で木の上を見据える。すると、食堂の制服姿をした短い金髪の少女が太い木の上から俺たちを俯瞰していた。
「よ!さっきぶりだね。ふひっ。」
彼女は気が知れない不気味な笑みで俺たちに挨拶をする。俺は彼女の顔を見て受けたショックが大きかったのだろうか、今の状況が全く飲み込めなくなっていた。
「お前、さっきの大食堂の店員さんだよな…?」
「海時さん気を付けてください!あの氷柱は恐らく彼女の仕業です!」
「あれは…まさか神才…?」
木の枝の上に立っていた彼女がしゃがみながら話す。
「残念だけどそれは違うネ。あたしはカンナ。シレネ様の最側近幹部だネ。」
俺はその言葉に耳を疑った。
「今なんつった…?」
「だから、兄さんたちが明日忍び込もうとするあの奴商所の幹部だってばネ。」
彼女の話にユリ姫が反応する。
「あなた、なぜそれを知っているのですか?」
「店で店員を振る舞ってあなたたちがしていた話は全部盗み聞きしたならネ。でもざぁん念!奴商所をそんな簡単に出入りできると思わないで頂戴ネ。あたしがいる限りそうはいかないわ。はあっはっは!」
どうやら彼女に俺たちの計画を全て聞かれてしまったようだ。あんなに可愛い顔をしていた彼女だったのに…。
俺は裏切られた気分が強まって彼女に怒鳴り出した。
「てんめえ!ふざけんじゃねえ!!!可愛い面して俺を騙しやがったな?!」
「可愛いのがあたしの取り柄よ?お馬鹿さん。」
「ソエ以外の人に馬鹿って言われたらなんかムカつくな!!」
今度は佐次郎に向けて怒鳴った。
「なんでこっちを見てそれを話すんですか!!」
「知らん!!!しぃしぃ…。」
「というか二人とも、可笑しくない?」
ユリ姫がカンナという奴商所の幹部を警戒しながら話した。
「何がだ?」
「あの子、神族だわ。」
「それがどうかしたのか?」
俺は首を傾げて訊く。
「ここは人族国家キギスなんですよ?」
「そうよ。神族が好き勝手に力を行使するわけがない。特に奴商所のような大きな組織になると余計にね。」
木の上から聞いていたカンナが話に割り込む。
「なあにぃ?あたしも話に混ぜてよネ~?。」
「お前!神族か?」
「そうだよ?それがどうかしたかネ?」
「ここはキギス。あなたのような神族が正当にいられる国ではないです!なぜ平気でいられるのですか!」
ユリ姫が質問すると、訳の分からない答えだけが返って来る。
「ふひっ…。それはネ?シレネ様がそう望んでいるからだよネ。」
「は?何言ってだ?」
「どういうことですの?」
「だから~、シレネ様の言葉ならこの国の掟がどうであっても許されるのよ。」
カンナは不敵な笑みを浮かべながら話した。一方体に大きな穴が開いたまま氷柱に刺されているソエは必死で俺たちに何かを伝えようとした。しかし、彼女の声は俺たちに届かない。
俺はソエの姿を見てカンナに怒鳴る。
「早くソエの体に刺さったあの氷柱を解け!!お前の仕業だろ!」
すると彼女は笑いながら、
「はははは、敵に解けって言われて『はい、分かりました』って言う馬鹿がどこにいるの?」
「かくなる上は…。」
「「ん?!」」
彼女が素直に氷柱を解かないと判断したのだろうか、隣にいた佐次郎は木と木を蹴りながら彼女に跳躍した。すると、
『天傘』
というカンナの詠唱とともに宙に氷の厚い膜が傘のように張られ、彼女に跳んでいく佐次郎を跳ね飛ばした。佐次郎は氷にぶつかり推進力を失ってそのまま下に落ちた。
「うああっ!」
「上に登ってきちゃだぁめっ!下に戻りなさ~い!」
「佐次郎!!」
「佐次郎君!!」
俺は落ちてくる彼を全身で受け止める。佐次郎は顔面をぶつかったせいで鼻血を垂らしていた。
「おい、大丈夫か?」
「は、はい。申し訳ありません。勝手に飛び出してしまって…。それより、あの神才は厄介ですね。近づくほど光が反射して目に見えなくなります。」
「まじか?!」
『凍牙羅思』
その時空からソエの体に刺さった大きさの氷柱が今度は俺たちの方に向けて降ってきた。
「危ない!」
俺は佐次郎を姫抱っこしたまま氷柱を避ける。
「海時!また来るわよ!」
ユリ姫が空を警戒しながら叫んだ。カンナは氷柱の数の少しずつ増やしながら俺たちを追いつめた。矢の雨のように容赦なく降り注ぐ氷柱はこの地帯を針地獄に変えた。
「や、やべぇ…。これじゃきりがないぞ!」
「大変だわ…!」
「皆さん、周りを見てください!」
佐次郎の言葉に俺たちは周りを見回す。カンナの神才の影響で周りの樹木がすべて凍り付いてしまった。
「こ、これじゃ木を登ることすらできねえぞ…!」
「しかも周りが氷柱で塞がれて逃げ場もなくなったわ…!」
「くっそぉ!!おい、お前!卑怯だぞ!遠距離攻撃は人としてどうかと思うぞ?!」
一方的に優位を取っているカンナに文句を言うと、
「文句はあたしに近づこうとしたその子に言いなさいネ。」
「あいつぅ…グヌヌン…!」
氷柱を避けるのに必死だった俺たちは今非常にまずい状態に陥っていることに気が付く。
「海時…。体が冷える。」
「そ、そうですね…。氷のせいで周りの熱が奪われてます…!」
「本当だ…。」
俺たちが寒さに体を震えているとカンナが言った。
「ねえ、お兄さんたち。それ知ってた?」
「なに…?」
「この山は酸素が少ないよネ?」
「それがどうしたっつうの…!」
その時、ユリ姫が妙な事に気づく。
「あれ…?そういえば、あなたは神族なのになぜ空気が薄いこの山に平気でいられますの?」
「やっぱり姫様は察しが早いネ!それはネ?木の上は空から入ってくる酸素をそのまま吸えるからだよ!この山の木は不思議に艇酸素を維持するために必要以上の酸素を吸いこんでいるから空気が薄いの。だから、木の上だと酸素を奪われることもない!」
「そういうことか!だからそこから降りてこなかったんだな…!」
俺たちは酸欠状態で冷気が増してさらに希薄な空気の中で息を切っていた。
ハァ…ハァ…。
判断力が鈍ってきた俺たちは態勢を低くして少ない動きで氷柱を避けられるように注意を払った。
「さすがに私もこの酸素量はきつい…。」
人族であるユリ姫も体に異常症状が出てき始めた。透明な氷柱から透けて見えたソエは既に気を失ってしまっていた。
——くそ、どうすれば…!!
絶体絶命の危機に迫っていた俺たちにカンナは一つ提案をし出した。
「ねえ、みんな疲れてるでしょ?」
「そうって答えてもどうせ引かないんだろうがよ…。」
「そんなぁ~。あたしはとても慈悲深い人なのよ?だからお兄さんたちに選択権を上げるわ。」
「「「選択権…?」」」
「そう、今から選択してネ?うちの商品になる?それとも、死ぬぅ?」
「商品って…?」
「奴隷だよ?」
カンナがとんでもない提案を言い出して俺たちは腹を立てた。
「どっちも嫌に決まってんだろ!お前を倒してここから出る!!」
「あっそう。商品として高値が付くと思ったんだけどそこまで言われちゃ仕方ないわネ。死んでもらおう。」
その一言でカンナの気配が変わりニコニコしていた彼女の表情は一瞬で凍える。彼女は右手を挙げて人差し指の指先に氷を作り出した。まるでこの山に漂っている水蒸気が一極集中して凍り付いているように見えた。やがてその氷は槍のような形に変わる。
「みんな気をつけろ!また何か来るぞ…!」
『玄武の槍』
カンナは人差し指を俺たちに向けて振り下ろした。すると、その氷結の槍は目で追えないスピードで佐次郎の左胸に突き刺さった。
「カハッ……。」
「佐次郎!!」
「佐次郎君!!」
佐次郎の胸を貫通した氷結の槍は彼の体の表面を少しずつ凍らせていった。そしてカンナはさっきと同じ質問を繰り返した。
「やっぱりあたし、お兄さんたちの体欲しいんだよネ…。だからもう一度だけチャンスを上げるから慎重に選んでネ。……うちの商品になる?それとも、死ぬ?」
「うるせぇ…。」
「早く決めて?あたし忙しいからこれ以上時間取られたくないんだよネ。」
「うるせぇつってんだろ!!!」
俺は鞘から刀を抜いて佐次郎の胸に刺さった槍を斬って佐次郎が凍っていくのを止める。
「本当に残念だよ。さよなら。」
カンナの黄色い瞳が紫色に光ると氷結の槍が七本現れるやすぐに俺たちに向かって飛んできた。俺は次々と飛んでくる槍を刀で斬ったり弾き飛ばしたりして必死に佐次郎とユリ姫を守った。しかし、俺が真っ二つに切り落とした氷結の槍の破片が俺の腕に当たると腕が凍り付いて動けなくなってしまった。
まだ槍は三本も残っていて、ものすごく速いスピードでこっちを向けて飛んできている。
「やばい…!避け切れない…!」
「海時!!」
その時だった。俺の目の前にまで飛んできていた氷結の槍が宙で動きを止める。
「なにっ?!」
「ど、どういうことだ?!」
カンナも俺たちもこの現象にただ目を丸めて見据えることしかできなかった。
「海時!あなたの首元が…!」
ユリ姫が俺の首元に指を差して言う。
「な、なんだ、この光は?!」
首元を見ると家を出る直前に仕込み杖と一緒に大城戸のおっさんからもらった首飾りが強烈な水色の光を放っていた。そして、その光に照らされた氷が全て水に変わった。この光景を木の上から俯瞰していたカンナは吃驚する。
「これは神才…?!ちょっと待って…。あのお兄さん半神じゃなかったの…?!」
母さんの形見といっていたこの首飾りの青い宝石は凍り付いた周りをすべて水に変えて大きな波を起こした。そしてその波はカンナが立っている木に向かって流れ、束の間、その木を折り倒した。
「うわあっ!!」
カンナは慌てて他の木に跳び移って木の下に落ちることを避けた。
俺は今のうちに急いでソエに駆けた。なぜかソエの体を貫通している氷柱は水に変わらずにそのまま地面に刺さっている。
「ソエ!!しっかりしろ!」
俺が彼女に近づくと、地面に刺さっていた氷柱が彼女を串刺したまま引き上げ宙を飛んだ。カンナの仕業だ。
「ソエ!!てめえ、早くソエをそこから降ろせ!!」
「だからこれはうちの商品だってばネ!それより、お兄さん半神じゃなかったの?」
「俺は混血だよ!それがどうかしたのか?」
「ううん、おかげでいいもの見れたよ。ますますその体が欲しくなったわ…!『凍牙羅思』」
カンナはさっきの氷柱神才を倒れている佐次郎に向けて飛ばそうとした。
「おい…、おい!!そいつはもう倒れてるんだぞ!」
「ん?言ったよネ?選べって。選択肢以外のことは死ぬってこと同然だよネ。」
「やめろ!!」
カンナは俺の叫びをものともせず、無情に人差し指を佐次郎の方へ振り下ろして氷柱を飛ばす。
——ヤバイ、本当に死んじゃう…!!
氷柱は空気抵抗も受けずまっすぐ飛んで佐次郎の顔を貫く、はずだった。しかし、氷柱は何かと衝突して跳ね返った勢いで隣の木をへし折った。
「今度はなんだ…?」
氷柱を跳ね返したのは自称守護神ホオノキだった。
「俺たちの山で大暴れしている神野郎は誰だ?」
「ホオノキ!!」
ホオノキの後ろにはこの間俺とソエと戦った山賊たちもいた。ホオノキは破茶滅茶に荒らされた光景を見回して怒鳴る。
「雉山の木を折ったやつは誰だ!!」
「そ、それは俺だけど…。いや、正確には俺の首飾りが…。」
「貴様!!二度とこの山に入って来るなと言ったはずだ!!報復のつもりでこんな真似してんか?!」
「ち、違う!!誤解だぞ、あの木の上にいるやつがこんなに荒らしてたんだよ!」
ホオノキはカンナがいる方へ顔を向ける。
「貴様か?」
「あら、髭のおじさん怖ぁい~。確かに荒らしたのはあたしだけど?それがどうか?」
カンナの話が終わるや否やホオノキは凄まじい脚力で跳躍して一瞬でカンナの目の前に近づいた。
「なに?!」
「不届き者め。『鬼尽獄』」
佐次郎の時とは違ってホオノキの跳躍はあまりにも速かったのでカンナが神才で膜を張る時間さえ作れずホオノキの居合術に斬られてしまった。
「そ、そんな…!」
「土に帰れ、小娘。」
「す、すげえ……。」
カンナを真っ二つに斬ったホオノキは木の下に着地した。ユリ姫は佐次郎を背負って俺がいるところへ駆けて来た。ホオノキは俺に刃を向けて話した。
「貴様!今度こそ駆除してやるぞ。」
「ちょ、ちょっとまってってば!」
「海時!佐次郎君が…!佐次郎君の体に熱を感じない…!」
ユリ姫がすぐにでも泣かんばかりに慌てて俺のところへ来た。すると、ホオノキが意外な反応を見せる。
「あ、あなた様は…?ユリ姫様ではないですか!?しかも、佐次郎って…、後ろに背負っているその小僧のことですか?!」
「ああ、そうなんだよ!こいつがユリ、こいつが佐次郎。俺もびっくりしたぜ、お前があの赤髪の野郎の弟だって聞いて。」
「お前ら一体どういう関係なんだ?しかも、さっきの空に浮いていた女の子って一昨日お前と一緒にいた生意気な小娘じゃないか?」
俺はホオノキの話を聞いてソエを重傷を負っていることに気が付く。
「そうだ!ソエ!!あれ……?」
空を見上げるとソエを差していた氷柱が消えずに彼女とともに宙に浮いていた。
「なんで消えない…?」
「海時、まだ彼女が気を保っているってことに違いないわ!」
「そんなはずがない!確かに俺が胴体を切り裂いたぞ!」
すると、空からカンナの声が聞こえた。
「ふう…。危なかったよおじさん。」
「な…なに?!」
「なんだ…。まさか、あたしがそんな単純な攻撃で死ぬとでも思ったの?うけるネ!」
ホオノキは慌てて彼女に訊く
「なぜ生きている!!」
「そりゃあ、氷であたしとそっくりの人形を神才で作っておいたからだよ。これが神の戦い方。人間には真似すらできないでしょうネェ~。」
「あの尼…!」
「おい!ソエを返せ!!そこから降ろせ!!そのままじゃ死んでしまう!」
俺がカンナに叫ぶと、
「死なせやしないから安心してネ。そろそろ潮時だから帰るけど、今度会う時はお兄さんもうちの商品にして見せる。」
と、彼女が舌なめずりをして言いソエを連れて逃げてしまった。
「おい…。どこへ行くんだ!!ソエを返せ!!」
「おい!とりあえず落ち着け!空へ飛んで行っちまったやつのどう追いかける気だ。」
俺が宙を飛んで去っていく彼女を追いかけようとすると、ホオノキが俺を阻止した。
「離せ…!どうすれば…!!どうすれば…!どうすれば…。どうすれば。」
俺は彼女が連れ去られて心の余裕がなくなってしまった。時間内に佐次郎の友達を救出すること。奴商所に監禁された子供たちを助けること。佐次郎を治療すること。連れ去られたソエを救出すること。
立てていた計画が全て無に還った。俺たちの完璧な誤算だ。やるべき事だけが増えて俺の心には不安だけが差し迫ってくる。本当にどうすればいいんだろう。
過呼吸症状を起こした俺は山の木に酸素を奪われた挙句、そのまま気を失ってしまう。
一方、同じ時刻の奴商所では…
カチ。カチ。カチ。カチ……。
時計の秒針が回る音が静寂な執務室に鳴り響く。柱時計の時針は什弐を示している。執務室の机には冷めたお茶と椅子には冷めた金髪の少女が腰を掛けている。
「ふひっ。そろそろかネ~?」