什参 佐次郎の悩み
什参. 『佐次郎の悩み』
「ママ…!!」
私は目が覚めた。何か、長い夢を見ていたように胸がモヤモヤした。周りを見回すと最初は暗くてちゃんと見えなかったが隣に空いたベッドが一台と、きちんと整頓されている寝室、いや、病室の光景が目に映った。怪我をした私の左肩と太股には包帯が巻かれていた。
「私、今までずっと寝ていたんだ…。うぅっ……。」
病室は静かで窓の外は既に黄昏ている。窓からは月影がほのかに病室内を照らす。暫く窓から空を見上げていた私は、右手でそそけた髪を弄りながら感傷に浸る。
「この世界もあの月みたいに綺麗だったらいいのに…。この世界はとても醜穢だ。」
私は泣かんばかりに翳りのある表情で六年前の悲劇を思い出す。そして、自分のやり方でこの世界を変えて見せると想いを強めた。
「そういえば、みんなは…?」
同行していたはずの海時たちがいないことに漸く気づいた私は、病室の扉を開けて廊下に出た。しかし、廊下には空の椅子だけが並んでいる。
「誰もいない…?」
私は廊下に出て光が入ってくる右の方へ足を運んだ。トボトボと廊下を歩いて何個かの病室を通り過ぎる。そして一番角にある病室に通りかかる瞬間、勢いよく扉が開き誰かが大声で病室から飛び出た。
「もう行かないと殺されます!!!」
飛び出たのは私がさっき背負っていた下民の少年だった。
「あの子は確かに…。」
すると、今度は海時が病死から出てきて少年の足を引っ張って少年を止めた。
「だから、今戻ったって死ぬってば!!今まで何聞いてた!!バカか!」
「僕じゃなくて、和が殺されます…!!」
和…。どこかで聞いたことがある名前だ。どこだったんだろう。
「俺たちがそのノドカってやつも助けてあげるから、ちょっと落ち着け!」
「ちょ、俺たち?!何で私まで入れてるのよ!あんた、奴商所のこと忘れてるでしょ?!」
私は海時の自分勝手な発言に反応した。
「ほら見てください!あなた方も忙しいのではありませんか!僕もこれ以上他人に助けられるわけにはいきません…!!」
「どっちも片づけりゃいいだろ?……あの赤髪の野郎には俺も用ができたんだから。」
海時の顔に一切の表情が消えた。まるで鋭利な氷の欠片のように彼の神経が尖っていることが伝わる。一瞬凍り付いて三人とも言葉を失っていたが、ちょうど診察室からユリ姫が出て来た。姫は私の返り血で汚れてしまった白い衣装の姿ではなかった。
「皆さん、全員揃って廊下で何しているんですか?!」
「お!!お前その部屋にいたのか!ううっ?!」
私は無礼を働く海時の口を思いっきり掴んで膺懲する。そしてユリ姫と会話を続けた。
「ユリ姫様、お体は大丈夫ですか?」
「それは私が言いたいことです!私のせいでそこまで傷を負ってしまって…。」
ユリ姫が首を垂れて涙を流した。
「わ、私は大丈夫ですよ。心配させてすみません…。ところで、その服は…?」
「あ、着ていた衣装が汚れてしまってこの病院の看護服を暫く借りることにしました…。」
「ひ、姫様?!」
海時に引っ張られていた少年が姫を見て驚く。
「あなたはホオズキの家僕ですわね。体はたいじょ…。」
「なななな、なぜ姫様がここにいらっしゃるのですか?!これは一大事ですよ!!」
私はまた声を上げる少年の頭に拳骨を叩きつける。
「さっきからうるさいわよ!!ここは病院なのよ?」
「い…痛い…。」
さっきまで落ち着かずに暴れていた少年がすぐ大人しくなった。
「姫様、ここにおられても良いのでしょうか?今まで城から出られたことはなかったのでは…?」
「そうです…。今日花鳥宴で初めて城外に出られました。それでまだ分からないことだらけです。」
「本当に大丈夫ですか?花王が憤るのでは?」
「御父上様は私なんかのために感情を費やしたりしませんわ…。花王はただ隣国のケイリンとの戦争だけを考えています…。」
私は戦争という言葉に目を丸めた。
「せ、戦争って…。ケイリンとは休戦協定を結んでまだ十年も経ってないんですよ?」
「そうです。八年前、お父上様があなたの両親シャガとヒマワリたちが率いる科学閣に全国の優秀な研究者を集め研究を進めさせたのがその原因なのかもしれません。」
私は両親の名前を聞いた瞬間冷や汗をかいた。
「その研究って何ですか…?」
「極秘だったので子細は私も分からないです…。ただ、その研究が始まって以来朝廷も殺伐とした雰囲気に変わりました。」
私に口を封じられてながら姫の話を聞いていた海時が口をはさんだ。
「でもさ、昼間に祭式が始まる時にはみんな楽しそうだったぞ?」
「馬鹿、公家の大臣たちが本当に花鳥宴を楽しんでいると思う?」
「そう、あれはすべて演技。彼らは裏で悪巧みをして愚民政策を主導しているのです。」
「なんだそれは?」
「民の知性を失わせて政府の行政に関心を示さないようにさせる政治のことです。私は今日初めて城外に出たのですが、今日城前に集まった人たちを見て恐怖感を覚えました…。」
海時がまるでユリ姫の気持ちを察しているように話した。
「確かに、今日俺もおかしいと思った。人が殺されそうになっているのにあいつら誰一人も俺らに目も向けなかったぜ?」
「私も外の人たちがここまで冷たいとは思いませんでした。」
「この国の人たちが冷たく変わったのも六年前からです。その前まではみんなが支え合っていたのに…。」
私は城前でのホオズキの行動を思い出してユリ姫に聞く。
「あの、姫様。ホオズキが姫様を弑逆しようとしたのはなぜですか?あの優しかったホオズキがなぜ…。」
「私も今日彼が取った行動にはすごく動揺しました。あの目は本当に私を斬ろうとする目でした…。」
すると、隣でじっと話を聞いていた少年が口をはさむ。
「ホオズキ様が急に変わったのは奥様が亡くなられてからです。」
「アザミさんならこの間、宮の庭園で会いましたよ?」
「アザミ様ではなく内妻のサツキ様です…。」
「え、ホオズキに内妻って初耳ですよ…。」
少年は顔に影を作って話した。
「それはサツキ様が人族の方ではなかったからです。」
「では、神族の者だったのですか?」
「はい、ケイリン出身の方でした。」
「ほ、ホオズキとどんな繋がりがあったのですか?!」
ユリ姫は愕然として聞く。
「そ、それがですね…。生前のサツキ様から聞いた話なんですが、ホオズキ様が国境視察のために北へ向かっていた時に北東の海岸で流されて倒れていたサツキ様を偶然見つけたそうです。」
「ケイリンの海から漂流してキギスまで流されて来たのね。良くある話よ。」
「はい、その場に同行していたホオズキ様の護衛兵たちはサツキ様を捕虜として捕えろことを提案したそうですが、ホオズキ様が当時のサツキ様に一目惚れしてしまったせいで兵を引き下げた後、サツキ様をそのまま実家に連れて帰ったそうです。」
「嘘、あのホオズキが?想像もつかないわ。」
私はホオズキの意外なところを聞いて鳥肌が立った。
「はい。ホオズキ様の意外な行動に正妻のアザミ様は猛反対したのですが、それでもホオズキ様は無理やりサツキ様と婚姻をしたそうです。でも、大臣という立場のせいでサツキ様のことを公にすることはありませんでした。」
「そうだったのですね…。」
「それから、ホオズキ様とサツキ様の間に子供が生まれました。」
「子供もいたのですか?」
「はい、その子供が……。」
少年は途中で口を止めた。躊躇しているのだろうか。隣で大人しく聞いていた海時が少年を急かした。
「なんだよ佐次郎~。焦らさないで早く言えよ!」
「そのお二人のご子息が…和です…。」
「え、ちょ、待って?その和って友達も赤髪野郎に仕えてるって言ってなかったっけ?」
「はい…。もともと僕は和を見守るように命じられていました。でも、ある日急にサツキ様が亡くなられてからホオズキ様の様子がまるで別人のように変わったのです。それから自分の娘である和を僕と同じ奴隷にしてしまったのです。」
「なんてやつだ…。」
私は少年の話に疑問を持った。
「ねえ、そのサツキって人の死因は?重い持病でもあったの?」
「いいえ、サツキ様はとても明るくて元気でした。外の者に存在をバレないように閉ざされた環境で生活なされていたことはありますが、ホオズキ様がそのサツキ様の健康を気にかけて毎日厳選した食事を入れていました。なのでサツキ様の訃報に接した時は僕も自分の目で見る前までずっと信じられませんでした…。」
「やっぱり、可笑しいわね…。」
私が顎に手を当ててサツキの死についてしばし考えると海時が私に聞いた。
「ん?ソエ、どうかした?」
「健康な人が急に死ぬかな?」
「うーん…。普通を死なないな。」
「だとしたら誰かが暗殺を謀っていたとか?」
「あん…さつってなんだ?」
私は呆れた顔で話す。
「人をひそかに狙って殺すことだよ。」
「なるほど…!それじゃない?!」
すると少年がまた口を挟む。
「で、でも!体のどこにも傷はありませんでした!しかも、サツキ様は外に顔を出したことが一度もないので暗殺はまずあり得ないと思いますよ。」
「まあ、とりあえずそれは置いといて…、お前の友達はなんで奴隷にされたんだ?」
「ホオズキ様は和のせいでサツキ様が死んだと思っていたからです…。それでその怒りを和に向けたのです。それ以来奴隷になった彼女は屋敷でこき使われてしくじる度にホオズキ様とアザミ様からひどい虐待を受けています…。」
「それでお前が彼女を助けに行かないといけないと?」
「はい…。」
少年の話を聞いた海時がやけに期待していそうな顔で私を見た。彼の心が読めてしまった私は即答する。
「ダメよ。」
「なあんでだよ!!まだ何も言ってねえぞ!」
「顔に書いてるわよ。あんた本当に奴商所に忍び込む気はあんの?」
「あ、あるって!でもこいつも可哀想じゃん!」
私は海時の首を絞めながら言った。
「だから奴商所が先だってば!」
「けっけ…。わ、分かったから…!」
「お二人さん、ど、奴商所に忍び込むのですか?!」
私たちがもめていると少年が私に割り込んだ。
「そうよ。奴商所に監禁されている子供たちを助けるの。」
「もしかして、その子供たちの名前は知っていますか?」
私はしょんぼりした顔で言った。
「ううん、彼らに名前はないわ。」
「名無し者ですか…。あ、そういえば、花鳥宴が終わる三日目の夜にホオズキ様が奴商所と取引をすると聞きました。」
「ホオズキが?」
少年の話を聞いた海時が私を見ながら話した。
「おい!これってシレネが執務室を空けるんじゃね?その赤髪野郎偉いやつって聞いたぜ?」
「そうだわね。ねえ、ホオズキが奴商所の誰と待ち合わせをするか知ってる?」
「申し訳ないですが僕も名前は聞いてないのです…。うろ覚えですが、奴商所の頭首に会うとかなんとか…。」
「「シレネだ!!」」
私と海時が興奮して叫ぶと少年はギクッとした。
「な、ソエ。奴商所には三日目の明後日でもいいよな?」
「し、仕方ないわね!」
「じゃあ、佐次郎の友達から助けに行くぞ!!って、あれ?でもお前の友達、そこの娘だろ?救出してからどうすんだ?」
珍しく海時が正論を言って私は内心驚いた。少年は言葉を紡げず首を垂れる。
「それが…。」
「おいおい、それじゃあ赤髪んちから逃げたって無駄だろ!」
「でも、今のままでは殺されるかもしれません…。すべて僕のせいなんですけど…。僕にもっと力があれば…!」
自分を咎めている少年がまるで私を見ているようで、私は彼に何の励ましの言葉も言ってあげることができなかった。その時、海時が少年の肩を叩いて言う。
「俺に一つ考えがある!」
「考え…?」
「え、あんたずっと森にいたでしょ?鳥之都に詳しくもないくせになんの考えが…。」
私はその瞬間彼が考えていることを知ってしまった。
「あんたまさか…。大城戸おじさんのところに行かせるつもりじゃないよね…?」
「正解!!さすがだなソエ!だっておっさんのところなら安全だろ?」
「本人の許可なしに勝手に決めてもいいの?!」
「まあ、いいだろ別に!おっさんも森で一人じゃ寂しいだろうしよ!」
海時は無邪気な笑顔で言った。彼のあの笑顔をたまには鬱陶しいと思うけど、なぜか人を引き寄せる力があると感じる。
「じゃあ、決まりだな!」
「はあ…。」
「え、何か考えがあるんですか…?」
「ああ、俺が生まれ育ったところだぜ。そこなら安全に暮らせる!」
海時の話に少年は地面に跪いた。
「お、おい。なにを…。」
「何度も助けられてばかりで…。本当に…。」
「顔を上げろ。男が簡単に跪くんじゃねえ。俺たちもう友達だろ?」
「あ、あの、すみません。僕まだあなた方の名前も知らないのですが…。」
ん…?
「あれ、言ってなかったっけ?」
「あんた…。友達って意味知ってるの…?」
「あれだろ?あれ…。いっぱい喋ったら友達だろ?」
「はあ…。お互い信頼し合って、たとえ自分が犠牲になるとしても相手のために協力することができる絆を持った人のことを友達と言うのよ。もう、あんたのせいでため息が癖になるそう。」
海時と一緒に行動してから本当にため息をつく回数が増えた。
——この馬鹿、吃驚するほど何も知らないんだから放っておけないわ…。まるで私がお母ちゃんになってるみたい。
「まあ、協力するところは一致してるし!友達でいいだろ、な?佐次郎。」
「まずは名乗りなさいよ…、バカ。」
「あっそうだった。俺は海時!お前の友達は俺たちが必ず助けてやっから安心しろ!」
「海時さんですね…!僕はホオズキ家の家僕、佐次郎です!改めてよろしくお願いします!」
「私はソエ。」
私たちがお互い名乗ると隣に立っていたユリ姫も名乗り出した。
「わ、私はキギス花王七草ハギの長女、ユリです!」
「ああ、さっき城前で聞いたぜ!よろしく、ユリ!」
「姫様に失礼だってば!!」
私はまた海時の口を引っ張ったが、ユリ姫に止められる。
「だ、大丈夫ですよ。シャガの娘。今まで名前だけで呼ばれたことなかったので…何でしょう、嬉しいです!」
ユリ姫が笑顔を見せると、
「「か、可愛い…。」」
と、海時たちは魅せられたように突っ立って顔を赤らめた。
「失礼でなければ、私にも協力させてください!」
「姫様、それは危険です!」
「そ、そうですよ。これは反逆罪になりますよ…。僕のような一介下民如きにそんな危ない真似はやめてください…!」
ユリ姫の言葉に私と佐次郎は積極的に止めようとした。
「大丈夫です。お二人が思っているほど私は弱くありません!こう見えても鍛えていますから!」
「でも…。」
二人で心配している中、海時が横に割り込んで言う。
「いいんじゃね?人数は多い方が心強いぜ!」
「それでは、私も入れてくれるのですね?!」
「いいぞ?」
「やった!」
「「そんな…。はあ…。」」
私たちは浮かれている二人の姿を見てため息をついた。
「ソエさん…。本当に大丈夫ですか…?」
「さあね…。正直、不安しかないわ。」
海時たちが病院の廊下で騒ぐと羊頭のお医者さんが部屋から現れた。
「みなさん、廊下でそんなに大声出すと他の患者さんに迷惑ですメェ…!時間も時間ですし、今日はもう病室に戻ってゆっくり休んでください。姫様もソエさん病室を使ってくださいメェ。」
羊頭のお医者さんは「什」を示している時計の時針に指を差して私たちを各自の病室に戻した。
「「「「おやすみなさい。」」」」
私たちは各自の静かな病室に戻り布団の中に潜る。布団から顔を出して左を見ると、さっきまで空いていたベッドにはすっかりユリ姫が占領して寝ていた。私は、暗い病室の窓から差し込む月影を見て呟く。
「もう少し待ってて、みんな…。」
私は奴商所に監禁されている子供たちの顔を思い浮かべながらゆっくりと瞼を閉じた。