愛情―ほうよう―
騎士団本部。
王城に連結するこの建物は、ローゼスが誇る騎士や騎士を目指す兵士達の総本山である。
創設こそ数は少なかったもの、志願者は年々に増して、今となっては数千にも及ぶ。
基本的には兵士達は騎士の下に、つまりは部隊に入隊させられそこで訓練を受ける。
6ヶ月に渡る訓練を修了すれば、晴れて兵士としてローゼスから認定される。
そうなればいよいよ任務、仕事を請け負うことが可能となり、地位や名声を上げるチャンスとなる。
忘れることなかれ
騎士団に掲げられし言葉
『汝、己が信念を貫け。汝、誰がために在ることを忘るるな』
それは盟約。
それは誓い。
それは初志。
最も重要で、最も必要なこと。
その言葉を胸に、志願する者はローゼスにとってこれ以上ない兵士なのだ。
そして、21の騎士。
彼らこそ数千にのぼる兵士達の頂点であり、目指すべき指標。
ゆえに、騎士に憧れて入る者達も決して少なくはない。
中には騎士に命を救われた子供が後々に入隊することもある。
あぁいう風になりたい、と。
青く、真っ直ぐな意志をもって。
そして、ここにもその一人がいた。
リカード・スィヴァルク
三年前、彼が住んでいた村が強力な魔物に襲われ、壊滅状態まで追い込まれた。
その惨劇を目の当たりにしたリカードは恐怖のあまり魔物の前で腰を抜かしてしまっていた。
彼の傍らには地に倒れた両親が、血だらけになりながらも互いの手を取り合っていた。
もはや虫の息。
それは誰から見ても一目瞭然なこと。
親の死とともに自らの命も散っていくと諦めかけた時だった。
閃光と表現するだろうか。
忽然と魔物の前、リカードの前に颯爽と現れた女性の姿。
そして輝く金糸の髪が人の体から成せる技とは思えないスピードで魔物を翻弄し、瞬く間に討ち滅ぼしたのだ。
彼女こそがヴァレルヘリカで、リカードの中で一生刻まれることになった鮮烈な印象だった。
そこからは最早リカードの瞳には彼女しか映らず、次々と魔物が討伐され、リカードや両親、村人が救護隊に運ばれて手当てを受けた。
死傷者28名、負傷者32名、うち重傷者11名。
結果としてみれば、対応が悪く被害も大きいと悪評を彼女一人が受けた。
リカードはと言うと傷も深く、何より失血し過ぎたために、両親は亡くなり、自身は施設へと預けられることとなった。
突きつけられた両親の死はリカードを酷く困憊させ、追い詰めてしまった。
ゆえに捌け口が必要だった。
それは村人たちも同じだったのだろう。
そして、騎士はただ頭を下げていた。その美しい顔が苦渋に染まっていたのをリカードはよく覚えている。
その時は許せない気持ちで、ざまぁみろと、もっと苦しめと思っていた。
彼女は非難され続けた
対応が遅い、何をしていた、もっと早く来れば、など
酷い時は男たちから慰め者になれと襲われかけたこともあった。
怒りはすべて彼女に向けられ、リカードもまたその一人だった。
事件は片付いた。
ヴァレルヘリカには罰を課せられ謹慎と始末書。
納得はしなかったが、その頃にはリカードの怒りは沸かなくなっていたのだ。
忘れよう、と
それから一年が過ぎた頃、彼の施設生活は特に苦もなく順調だった。
事件は既に過去のことと割り切り、何か新しいことを始めようとした矢先。
施設に、リカードを訪ねたある兵士がいた。
彼はリカードと2人っきりにして欲しいと願い出、望み通りに客間へと運ばれた。
挨拶の時に、兵士が元ヴァレルヘリカの部下であると聞いた時には頭に血が昇りかけたが、なんとか抑えることができた。
兵士を無理矢理追い出してもよかったが、リカードは何故か彼の表情に何かあると思い話だけ聞くことにした。
『あなたはまずヴァレルヘリカ様があの事件を担当していると、そうお思いでしょう。
ですが、今から語るのは全て真実です。あなたの矛先が見当違いであることを自分は証明したい』
兵士はすらすらと話し始めた。一字一句間違うことなく、詰まることなく。
『その日、ヴァレルヘリカ様が当たってのは別の任務でした。
滞りなく任務は進み、無事に終えることができました。
自分たちも当時はあの方の下にいたので、報告書やら何やらでパリバートへと戻る途中のことでした。
近くで悲鳴が聞こたのです。そう、あなたの村に魔物が襲撃した事件ですよ。
状況は最悪でした。
駆けつけた時には手遅れの者が数人はいて、なお増える負傷者。
救護班がいないために近くの町へ搬送しなければならない。
多くの者が亡くなりました。本当に辛い事件でした。
しかし、あの方はあなた方に何もおっしゃっていなかったでしょう?責任はあの方にある、いえ、違います。
あの方が自ら責任を負ったのです。
実はあの日、その任務にあたるべきだった兵士達は運悪く同様に魔物の襲撃にかかり道中で命を落としてしまったのです。
しかし死にゆく者達が任務失敗の責を負うとはどういうことかわかりますか?
名誉ある死?とんでもない!
侮蔑ですよ。ただひたすらの。
あの方はそれが耐えられなかったのでしょうね。誰よりも他者の痛みが分かる方です。
だからあの方はその事件を自らの担当に書き換えてしまい、非難と罰を受けることとなりました。
謹慎だけで済んだのはあの方の地位や信頼があってこそでした。
それからですね。
今君がいる施設、ここですね。多大な援助金が投資されるようになったのを知りませんか?
あの人ですよ。
他にも数え切れないほどの支援をあの人はしているんです。
もちろんこのことは内密にと、口を酸っぱくしておっしゃいますがね。
自分は嫌なんですよ。
あんな優しく若い女性が苦難にあえぐのを。
だから、どうか許してやってくれませんか?
お願いします。』
リカードは後悔と自責の念にかられた。
どうして自分はあんなに辛くあたってしまったのか、と。
そして彼女の見えない恩恵をなにも知らずにただ受けていた自分に腹が立った。
だから恩返しがしたい、そう思ったのは必然なのだろう。
彼女に会いに行った時に彼女はこう言った。
『私にとって恩返しというものは、本人に返す物ではなく、他の方に貴方の持てる限りの力で返すものです』
驚きを隠せなかった。
まずあの事件で不当な扱いを受けた彼女は気にする素振りすら見せなかったのだから。
それどころか、他者に対して恩を返せと言う。
心が打たれる思いだった。
だからこそ、リカードはその時に強固な決心をした。
この人のようになりたい、と。
他者を助けてあげたい
これ以上自分みたいな境遇を持った人を出さないためにも。
強く強く、彼は望む。
騎士になりたいと。
「ってわけなんだい」
暇がてらに付き合ってちょっとだけ話を聞くつもりだった。
何となくリカードが騎士団に志願した理由を尋ねただけ。
思いのほか、重い話になってしまい途中気まずい空気が漂っていたが、最後の結末を聞いたあたり、レックスにも思い当たる節があった。
『騎士様は辛い道ばっか歩いているな』
レックスの時も似たような状況だった。
改めて騎士の、いや彼女の強さがわかったような気がした。
「カッコいいなぁ」
ついこぼした本音。
自然と口から出た言葉は隣にいたリカードにも聞こえたらしく
「かなり、な」
彼も応じた。
2人の共通点はこんなところにあったのだ。
「実は、さ………」
そしてレックス自身も自らの境遇を語った。
最近のことだったが、レックスは終始懐かしむように、どこか遥か遠くを見つめていた。
「ってのがあった」
詳細までは言わない。
話したくないのはもとよりだが、どちらかというと彼女、ヴァレルヘリカを中心に話を進めたから。
だから一通り話し終えた時に、間髪入れずにリカードは興奮した口振りでこう言う。
「くぅ……最高だ!やはりヴァレルヘリカ様は最高だ!」
レックスも頷き返す。
「あぁ、それは同意できる」
「何であんなに綺麗で優しく、お強いのか」
「ちなみに、俺の理想だ」
「ふっ、何を言うかと思えば………俺もだ」
「ど、同志!!」
2人はしっかりと握手すると肩を組み合い、意気投合した。
「お前はわかる男だと思ったんだぜ!俺は」
「任せろ!」
「改めてリカード・スィヴァルクだ。よろしくな」
差し出された右手。
すぐにそれを握り返すと
「レックスだ、よろしく頼むよリカード」
「おぅ、レックスな!」
そして、再度2人は語り合う。もちろん、話題の人は1人しかいなく、互いに知ってる情報――とは言ってもレックスはヴァレルヘリカについてはほとんど無知状態のため、リカードが主にレックスに教えていく――
を交換し合う。
本来なら軽く話をつけるはずだった2人であったが、盛り上がってしまった会話は途切れることなく続いていき、気が付けば夕刻前になっていたのはそれほど満たされた時間だった。
少なくともレックスはそう思っている。
結局、2人は近くで食事をとって別れることにした。
そうして帰路につくレックスの背中、リカードは手を振りながら大きな声で
「レックス−−−!!また会おうなぁ!」
何気ないこと。
ただレックスにとって、また会おうという言葉がどうしても胸に染み込んでいく。
ほのかにあったかくなった心で、彼は歩いていった。
同時刻。
暗がりの一室にて
日が沈み部屋に明かりを灯すことなく、闇に染まる室内。
太陽と月が交代した時。
物静かに照らす蒼い月が、丸く輝いていた。
射し込んだ月明かりの下、窓に手を当て1つの人影が浮かび上がっている。
女性だ。
見目麗しい姿が照らされ、まるで月夜に舞い降りた星の姫のよう。
髪は黒く、されど鋼のごとき光沢を帯びて控えめに輝いてる。
蒼い月を映す瞳は真逆、対をなす色。
燃える深紅。
魅入られてしまう魔力めいた双眸は悲愴に満ちているが、かえってより一層彼女の神秘性を増していた。
そして髪に合わせ、体のラインがはっきり出る黒衣を纏う彼女の体は未発達でありながらも艶めかしい。
上半身を見れば拘束されたイメージを持ってしまう。
それほど彼女の黒衣は彼女の腕、腹、胸に至る部位を縛り上げるXを描いている。
下にスカートを履いているために拘束されたイメージはここで払拭されるだろう。
ふと、彼女の唇が動いた。
すると目の前にはスクリーンが表示されてある人物が映し出される。
アルテリッシュだ。
彼女は明日の朝にパリバートを発つらしい、スクリーン越しからの会話で聞き取れる。
相手は侍女のマリアであろう。彼女がプライベートでも親しくするのは今ではマリアくらいなのだから。
「…………」
深紅の瞳はずっとアルテリッシュを見てやまない。
悲愴だった色が一転して、この時の彼女はとても幸福感に満ちた顔で微笑んでいる。
「ローラ、いるか?」
ノックも無しに一室へと入るの男性。
月明かりの届かない、ドア先に立っている彼の声が部屋に響いた。
彼女は慌ててスクリーンを閉じる。
幸いにも背中をドアに向けていたために、アルテリッシュの姿を彼に見せずには済んだ。
「明かりも点けないで何をしているんだ?」
そう言う彼もまた明かりを灯すことなく2つ置かれた簡素なベッドに腰掛けた。
安っぽい軋みを上げたが構うことなく体重を乗せる。
軋みがまるで悲鳴だな、と彼は苦笑する。
「………」
彼女は答えない。
空に浮かんだ雲と、月をまじまじと見つめていた。
対して男性は気にすることもなく再び彼女に話しかけていく。
「今宵は月が綺麗だな」
近くのテーブルに置かれた安物の酒瓶を手に取ると、一口軽く喉に流す。
まずくはないが、旨くもなかった。
渋った顔でそれをテーブルに戻すと
「月見に一杯ですの?」
いつの間にか彼の向かいのベッドに腰掛ける彼女は声だけ笑いながら問いかけた。
「言っただろ、今宵は月が綺麗だって。たまには呑むのも悪くないと思ったんだが」
ちらりとテーブル上の酒瓶を一瞥すると
「進まないんだな、これが」
「フフ…」
「何だ、お前も呑んでみるか?」
親指で酒瓶を指すと、彼女は掌を彼に向けて
「いいえ、お酒は嫌いですわ。お酒飲みも嫌いですの」
辛辣な言葉を発した。
男性は吹き出し、頭を掻くとわざとらしくため息をついた。
「はぁ……全く、お前は手厳しいぞ、いったい誰に似たんだかな」
「さぁ、誰に似たのでしょうか?うふふ、お父様はきっと身に覚えがあるのではなくて?」
「くっ、本当に可愛げがない娘だ。親の顔が見てみたい」
「ホント、父親の顔をまじまじと見てみたいですわ」
言って彼女は向かいのベッドから立ち、彼が居るベッドへと移った。
正確には彼に抱きつく態勢である。
「おい」
「はい?」
「何してる?」
「さぁ?」
「抱きつくな」
「よいではないですか、家族なんですから」
「お前、親しき仲にも礼儀ありって言葉知ってるか?」
「仲は仲間の仲ですし、あたくし達は家族でしょう?どちらかというと中ですわね」
「………」
「あらあら、お父様ったら。そんなに力を込めてあたくしを剥ごうとしないで下さいます?」
彼女の身体、というより背中に回した腕がぎゅっと力を増す。
引き離そうとしていた彼はその背後からの締め技を喰らうことになり、カエルのような声を上げた。
「は、な、れ、ろ」
「イヤですわ」
周りから見れば仲むつまじい2人であるが、互いの腕にはかなりの力が込められブルブルと震えている。
男である彼と拮抗しているのは彼女の腕力が強いというわけではなく
『照れ隠しですわね』
彼女は悪戯な顔で笑う。
嬉しいのだ。
口では離れてと言う父親が本心ではこのままでもいいと思っていることに。
現に力を抜くと、彼女が一気に離れてしまうため、彼も即座に力を抜いている。
結局は父娘のじゃれあい、愛情の表れなのだから。
「はっ……はっ……」
「もうへばってしまいましたの?」
最終的には彼はわざとらしく息を切らせて、彼女になすがままになっていた。
より強く抱きつき父の温もりを味わう娘。先ほどよりも幸せに満ちた表情で心が安らいでいる。
「くっつきすぎだ」
「照れないで下さいまし」
「いくら娘だからって変な所が当たっていると俺としては困るんだ」
わかっている。
彼女はあえて自らの身体、主に胸を寄せ付けているのだ。
発展途上ながらも順調に育っている彼女の膨らみは同年代よりも上であろう。
彼女はよくそれを武器に父をからかうのが好きだった。
「お母様に比べたら小ぶりでしょう?」
「………」
「………」
「いや、そんなこと」
「今の間が答えになっていますわ」
「え−−−………」
「どうせ小さいな、とか思っているのではなくて?そんな洗濯板じゃ無理無理とか」
「お前は卑屈なのか、何なのか、たまに分からなくなるよ」
「ふん」
彼女はぷいっとそっぽを向き、腕をほどくと彼の足の上に体を乗せた。
しかしそれは彼女にとっての合図。
呆れながらも笑みを浮かべてわずかに頷くと彼は娘の頭を撫でた後、優しく包み込むように抱く。
まるで恋人のように。
そこには確かな愛があるように。
丁寧に紡がれる彼女の名前
「ローレライ」
彼女は答える。
今度はきちんとした声で
「はい、レインお父様」
レインは名前を呼ばれると、どこか哀しげに俯き、少しだけ抱きしめる力を強めた。
もれるローレライの吐息が、きっとレインには聞こえていなかったろう。
虫がさえずる夜の中、帳が見える月夜の光が2人を包み込む。太陽の光の元ではいられない、2つの黒い髪がそっと揺れていた。