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襲撃―さけび―

変形。

近くにいた1人の商人は後にそう語った。

突然に身体のあちこちが、ゴキゴキと歪な形をかたどっていくと、有り得ないくらいの大きさへと膨れ上がっているではないか。

皮膚は変色し、骨格は変わり、人のなりをしていた男性は狼の顔つきとなっている。


喉元を鳴らし、口からは多量の唾液が垂れて地を濡らしていく。


恐怖が走る。

彼の近くにいた人々もその光景におののき、中には腰を抜かす者もいるが、我先にと逃げ出すばかりだった。


青狼は彼らには目もくれず、ただ一点を凝視している。

その先にはあの『睡蓮の金姫』の姿。


激しい音がした。

爆発、いや、それは破砕したような、音。

人の力では地を蹴ろうとそんな音は出せやしない。


青狼はその長い脚をバネに、力強く地を蹴りつけた。

それだけで地面は下に向かう圧力のベクトルに耐えられなく、悲鳴を上げて崩れていった。


跳ぶ。


決して翼のある鳥類のように大地と平行に飛ぶわけではない。

高く、早く、空へと舞い、上空から獲物を捕らえようとするばかり。

狙いの先にはやはり女王の姿があり、鋭く尖らせた牙と爪をむき出しなのは明確な殺意があり、矛先へと一直線に向かっていく。


この間たったの数秒。

逃げ出そうと思った時には既に青狼はいなくなっている。


呆然と肩を震わせて、為す術なく立ち尽くすだけ。

一般的な市民なら、間違いなくそうなるであろう。


現に動けたのは魔物を見たことのある旅人や、行者、貿易商といった外界を行き来する者達。

しかしながら、その場合、いかにして逃げ切るかや、注意を払うなどの対処法しか知らないため、いち早く後ずさりながらも距離を取っていた。


固唾を見守るとはこういうことなのだろう。

動けない者達は青狼がこれからする行動に目を離せないのだ。










青狼が跳ぶのを誰より早く確認したのは騎士達であった。

瞬間には自らの武器に手を添え、臨戦態勢へと入っている。


長躯の男、見た目は20代後半といったところか、青い髪を流し精悍な顔つきをした騎士達の中央にいる彼こそが騎士を率いる者であるのか、



「散っ!」



命令するより掛け声という合図で、10人の騎士が一斉に駆け出したのだ。

だが、誰一人としてあの青狼に対峙する騎士はいない。それぞれが散り散りとなって人垣へと消えていく。


女王への刺客は執行者が応対するため、不要だと結論づけた。見れば、彼女はどこからか弓を引っ張り出して標的を捕捉している。


引かれた矢が、放たれた時には彼の視線は彼女には向いてはいない。



「警備隊は民間人を誘導しろ!他の【ライカンスロープ】は私達騎士が相手をする。兵士たちは列を乱さず周囲に敵影がないかを確認、守るべきはアルテリッシュ様だということを忘れるな!」



優秀な指揮官がいることは何より重要である。

混乱するこの状況を素早く把握した男は適切な命令を下した。

警備隊は彼の命に我を取り戻し、慌てふためく市民をあらかじめ確保してあった街道へと誘導する。

多くがそれに従い、騒ぎ立てながらも移動していく中、恐怖にまみれた市民の少数があらぬ方向へと走っていく。


警備隊に彼らを追う余裕はなく、見逃すほかはない。



「ちぃッ!」



舌打ちをする警備の1人がその場を離れるわけにもいかず、恨めしそうに視線を送った時



「う、うわぁぁぁぁ!!」



ライカンスロープ3体が待ち構えるように態勢を保っていた。

人というのは混乱するさなかにさらにショックを与えると、頭が真っ白になり全身が強張ってしまうもの。

前方にライカンスロープがおり、後方には退路があるにもかかわらず、彼らは逃げ場を失ったかのようにへたり込んでしまう。


もうダメだ、死ぬ。

絶望と悔しさを混じった表情は狼たちを喜ばせば、爪を光らせてゆったりと近付く。



「うおりゃぁぁぁぁぁ!!」



突如として先行した狼の1体が脇からのタックルに体を転がした。

とはいってもわずか1メートルにも満たず、どちらかというと狼に全体重を乗せて覆いかぶさっているよう。



「早く、早く立って逃げるんだ!」



目の前の少年はまだ成長過程にあるのだろうか、声変わりも少ししかしておらず、甲高い声がへたり込む市民の頭に深く響いていった。

何よりも自分よりも全然若い彼が身を挺してまでしてくれていることに、市民たちは不甲斐なさを感じていた。



「急ぐんだ!いそ、ぐぁぁぁあ!」



虚をつかれたライカンスロープではあったが、腹部から腕にかけて乗る少年をいとも簡単に釣り上げ、地面へと叩きつける。

痛みよりも先に内臓が圧迫され、肺にある空気が口から抜けていく。その苦しさで意識が遠のいていくが、次に背中から伝わる激痛が良くも悪くも少年の意識を保たせてしまう。


後ろの狼も続くように少年に襲いかかる。



『やべ、痛そうな爪だなぁ』



意外に冷静な自分に苦笑した。振り上げられる腕、先にある爪は確実に息の根を止めてくるだろうと、じっとその一連の動作をみていた。



『そういえば、あの人らは逃げられたかな。ははっ、俺、何やってんだろ』



体がかり出されていた。

どうしてか、そう、心の中の声が呻いては衝動的に突き動かされていたのだ。



『痛ぇなぁ……あれ刺さったらもっと痛いんだろうな』



目をつぶる。

やはり恐怖心は拭えないために、鋭利なあの爪を見たくはなかった。



『………』



「レックス!!」



誰かが少年の名を呼ぶ。

聞き覚えのある声だった。


幻聴か、と耳を疑う



「レックス!立ちなさい!」



『呼んでる、あの人が、俺を』



「レックス!」



見開く先。

かすむ視界に映る金糸の髪。

後ろ姿でしかないが、それはレックスの脳裏に焼き付いた強烈な印象は彼女が誰かをはっきりと認識させた。



「騎士様!!」



傍らに落ちた獣の腕。


ライカンスロープの腕を斬り捨てた後、即座に襲いかかる2体の動きを両手に持った短剣で止めているヴァレルヘリカ。



「今のうちです、逃げなさい」



腕を斬られた1体が怯んではいるが、その眼はレックスの方へと向いている。


レックスは瞬時に自分が足手まといの荷物と判断し、背中を見せないようにバック走でその場を離れた。


彼は確信している。

あの騎士が負けることは万一にもない、ということ。


ゆえにレックスは警備隊が誘導する通りへと走る。

ヴァレルヘリカは一息つく。



『賢明な判断です』



迷いなく駆けたこと。

そこには自らが彼女の負担になると恥も悔しさも捨てたことがある。

なかなか出来ないことを彼はやってのけた。


僅かに唇を動かし、微笑する。



「願わくば、貴方方に救済があらんことを」



爪を弾き身体を地面すれすれまで降下。

後ろからの攻撃を見切ってのことと同時に、2メートルを越す巨躯は視界から消えた彼女を探し出す。


まずは後ろにいるライカンスロープの足を斬ると、倒れ込む胸元にもう一方の短剣を突き刺す。

深く食い込んだ短剣をしっかり掴み、地面を蹴り上げると彼女の長い足が狼の首を捕らえる。

起き上がり様に脳天への一撃。

完全に鼓動は消え、巨躯がばたりと地に伏した。


なお彼女の動きは止まらない。首を捕らえて時には他の2体が彼女を見つけ、襲いかかるが、倒れ込んだせいで、その動きを止めざる得なかったのだ。


肩を蹴って飛び上がったヴァレルヘリカは両手の短剣を投擲すると、それらは片や右足、片や肩へと刺さり、痛みからか唸り声を上げた隙を彼女は見逃さない。


既に握っている槍。


空中にいながらも、まるで振りかぶる様子もなく投擲。


先程投げた短剣のように牽制ではない、狙い定めた必殺の一撃。

槍は空を切り、一閃の光となって1体の身体を完全に貫き、絶命させた。


残るは1体。


彼女の足が地に着いた。

何もする気配がなく、悠然と腕を組み、辺りを見回しては現状を整理し始める。


背を向けたまま。


これ見よがしに振りかざす獣の爪。



「カムバック」



言うが早く上げたままの腕が下ろされることはなかった。

貫き通した光の槍が、意志を持つようにして彼女の手元に戻ってたのだ。


その軌跡の上、1体の狼がいたのは彼女の計算通りであるのか、振り向くことなく槍が戻ってきた感触を確かめると残ったライカンスロープがいないか歩き始めた。


レックスが立ち去って実に10秒の出来事。










「見事ね」



控えめな拍手を送ると、少しだけ微笑む彼女。

あれから直ぐに事態は収拾がつき、負傷者は出たものの、騎士団長の指揮や騎士の迅速な対処によって死者を出すことだけは回避できた。


今では兵士たちと騎士のみが本部前に残って、警戒態勢に入っている。


本部内へと入り、登城するために奥へと進む中、口を閉ざした女王が初めてヴァレルヘリカに賞賛を贈ったのだった。


2人のみの空間。


本来なら更に騎士が数人付いての護衛を行うべきだが、女王たっての要望と、収拾がついたとはいえ警戒を解くことができない騎士達は押しに押されてのことであった。


侍女であるマリアは負傷者の手当てに出てしまっているため、さらには本部にいる兵士たちも表にでているので、ほとんど無人状態である本部内。



「………」



対するヴァレルヘリカは沈黙を守ったまま、女王の前を歩いていた。



「相変わらずなのね」



女王の口調は悲哀を含み、顔はかすかに俯いている。


カツン、カツンとヒールの音が室内に響き、虚しさが漂っている。



「………」



「………」



返答を待っていても、たヒールの音のみが答えかのようにヴァレルヘリカは無言でい続けた。


「でも元気そうでよかった。ちゃんと食べてる?休日はとっているの?」



カツン、カツン。



「身体には気を遣うのよ、こっちは心配してるんだから」



カツン………



「………さい」



「え?」



「うるさい!!」



それは無視ではなく拒絶。

振り向いた表情は本来の彼女からは想像出来ないくらいに険しく、激情に駆られていた。


混じり合った負の感情。

全てが眼前の女王、アルテリッシュへと向けられている。



「………」



「アタシのことは構わないでって前々から言ってるじゃない!!母親ぶられると不愉快なのよ!」



溢れた醜い感情は御することができない。

溜めに溜めたものや、ストレスが一気に爆発してしまったのだから。



「何なのよ、アタシが心配?アタシが元気かって?よくもそんなことが言えるわね!」



始まりと終わりを告げた、あの日を。

全てが砕け散ったあの出来事を。

叶わなかった、彼女の夢を。


一度たりとも忘れることはなかった。



「………リカ」



それはアルテリッシュも理解しているのだろう。

彼女にとっても忘れられない日だから。



「こんなことまでしてアタシと話がしたいの?」



一枚の手紙。

いや、書状というべきか。

もともとこの国の女王に宛てたものだが、内容こそ国政と貿易についてだが、最後にはこう記されていた。



『娘を、ヴァレルヘリカを護衛に就けて欲しい』



ささやかな、そして、切実な願いだったのだろう。

そこだけがインクが滲んだり、ぶれていたりする。

彼女は何度も何度も迷った挙げ句に、震える体を押さえつけながら書いたのだ。

書状は先日ヴァレルヘリカの元へ送られ、その内容に憤りを覚えていた。


本来ならば内密にすべきだが、ヴァレルヘリカにとっては送ってきた女王に感謝したいほどだった。



「せっかく……に………これじゃあ、アタシは」



「リカ、その、あたしは」



「………お願い。もう、放っておいてよ、もう、アタシの前に…現れないでよ…………!」



「………」



悲痛で、小さな小さな叫びだった。

涙こそ流していないが、心の中ではきっと泣いているのだろう。



『優しくて、弱い子だから』


彼女の時間は動いていない。

あの日から止まってまま。



「そうね……ごめんなさい」



どれだけ傷つけたのか、どれだけ苦しめたのか、痛いほど解ってるつもりでも、それは本人のみぞ知ること。


唇を噛み締め、ぐっと喉からせりあがって来る衝動を抑え、彼女は視線を下げた。


再びヒールの音が響く。

寂しげにカツン、カツンと。


以前よりも距離が開いた気がするのは、おそらくは気のせいではないのだろう。

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