王都―あこがれ―
暗闇に染まった空間
一筋の光さえ遮断したこの場に一切のモノが不可視であった。
ここは本来であれば月光に照らされるはず。
しかし、今宵は新月
白銀たる光はその手を差し伸べてはくれない。
ふと、闇の中に何かが動く気配がした。
コツコツと一定の間隔で響く音は何処かへ向かっていく。
やがてその音がピタリと止むとそこで始めて音の正体が足音と分かった。
「こんな夜更けに如何されましたか?」
男性の声だ。低い声にも関わらず、力強さが感じられる。
誰かに話しかけていた。
一体誰に。
答えは直ぐに解かれる。
「少しばかり昔を思い出して、な」
返って来たのは、女性のものではあったが、くぐもった声音。何重にもなって発せられる。
まず声としてはあり得ないものだった。
だが、男性は一向に気にかける様子もなく
「またあの事件を?」
「あぁ、何時になっても消えやしない。この痛みと共にな」
がしゃり、と金属音が鳴ったのは女性の鎧。
重量感のある鉄の衣は見えはしないが、恐らく豪華で厳かであろう。
吐いた溜め息がこの静かな場所ではよく耳に入る。
男性は僅かに身じろぎ
「貴方様にはお辛い出来事でした…」
「過ぎた事よ。お前が気に病む必要などないのだ」
男性は次に口に出そうとしたが、ためらい、そこで止めた。
沈黙する空間。
男性はどうしてか居たたまれなくなり、見えないにも関わらず敬礼をし、踵を返して立ち去っていった。
残された彼女は未だ沈黙し、ただ虚空を見すいている。
「あれから、早いものだ」
呟いた言葉は誰に聞こえるわけでもなく、闇に溶け込むように消えていった。
「だが、ようやく…ようやくだ」
暗闇の中でその表情を窺うことはできないが、その声はただ含みを得たもの。
彼女の目的であり、願いに願ったことが目の先に見えてきたのだ。
そして彼女は立ち上がるとゆったりとした足つきで、その闇に包まれた空間を抜け出していった。
王都パリバート
別名奇跡の都市。
かつては廃墟と化した地であったものの、現王であるイヴ・ローゼスによって再建、幾年もかけて人を呼び、さらに幾年もかけて発展に次ぐ発展。
怒涛の勢いと言わんばかりの繁栄を築き上げた。
小国ではあるが、国と為し他三国と同盟。
更に巨大な組織がバックにつくことで余りにも超大な力を持つことになる。
人々はこの豊かな暮らしを享受し、同時にローゼス王国直下の騎士団によって堅固な守りを誇っていた。
故に多くの者が憧れ、かの地に移り住むことを積極的に望む。
首都であるが為に商人が活発に往来し商業が盛んになり、貿易も離れた同盟国との多種多様な物々を交易する。
何より効率化を産んだシステムが瞬間固定転送陣。
エルフの王女によって発案、設置された半永久魔法。陣を展開し、固定された陣に転送されるもの。一つの陣から転送される地は一つだけであり、パリバートには実に50を越える転送陣がある。
そう、パリバートとはあらゆる面において発展した都市なのだ。
昼上がりの活気に満ちた喧騒の中、憧れの地に足を踏み入れた青年がいる。
辺りをせわしなく見回しては喜びを露にしていた。
彼の前には優美という形容が似合う女性。薄めの金の髪が日に照らされよく映えていた。
女性は青年を待つように一歩一歩をゆっくりと進んでいる。おかげで青年は取り残されるわけでも、辺りを見回す余裕もある。
「へぇ、ふんふん、ほぉほぉ……むむ、おぉぉぉ…ん?うぉ!」
あっちこっちに足を運び、初めて見る物には感嘆な反応を示す。
まるで物心のついた子供のよう。
しかし女性はちらりと一々青年の行動を見ては足を緩め、微笑みを浮かべている。
「レックス、如何ですか?パリバートは」
余りにも集中していたのだろう。
背後に立たれ優しく声をかけられたことに、
「ぬあぁぁぁぁ!!?」
勢い余って前のめりになる。
女性は少しだけ呆気にとられ、きょとんと目を丸くしていたが、直ぐに手を差しのべてくる。
「あ、す、すいません!すいません!」
「お気になさらず、さぁ、そんな所で座っていては周囲の方々のご迷惑になります」
気付けば周りにいる人々が怪訝な表情でレックスと呼ばれた青年を見ていた。
気まずい雰囲気になったので、慌てて立ち上がろうとして
「うわっ、とと」
また違う場所に転んでしまう。
これには周りの人々も溜め息をつき、興味がなくなったように去っていく。
「まったく、仕方ありませんね」
見かねた女性はレックスの肩を自らに掛けると、するりと持ち上げる。
「えっ」
レックスは驚愕した。
何故なら現状が信じられれないからだ。
自らの肩を担がれたということは肘から下が行き場を探し、不自然にも彼女の胸に触れてしまった。
そう、驚愕は驚愕によって制される。
「〜〜〜〜!!」
声にならない叫びがこだましたが、即座にレックスは彼女の方を見た。
「…?立てますか?」
まるで何事もないかのよう。
そもそも彼女はボディタッチなど気にするような女の子、的な気質ではない。
「何するのよ、変態!」
という言葉など使うはずもなく、レックスは安心したような残念だったような複雑な心境だった。
「……………」
思わずガッツポーズ。
この手を洗うことはもうない
「水と触れ合い、石鹸と踊ることは………もうないだろう」
フッ、と柄にもなくニヒルに笑ってみた。
「…本当に如何されました?」
表情退散、思考再開。
目標を定めて視線を向ける。
彼女は煩悩に満ちた考えを知るはずもなく、心配そうにこちらを見つめている。
「いえ、何でもありません。騎士様」
「はぁ?ならいいのですが。それより先程の質問を」
先程の質問。
レックスにはそんなことあったか、と自問してみるが見当がない。
と言っても恐らくは聞いていなかっただけなので、馬鹿正直に聞いていませんでした、と言うのも恥ずかしいので
「むむむ……そう、ですねぇ。うぅん、と」
とりあえず考える振りだけやってみることにした。
「難しく考えず、思ったこと、感じたことでよいのですよ」
汗が一つ
「は、ははは!え、いや、えと…そのですね」
汗が二つ
「はい」
汗が滝へと進化。
もはや耐えがたい重圧。
苦苦しい笑いで言葉を探す。しかし、質問がわからない。
「とても(胸の感触が)いいです」
言ってしまった。
馬鹿正直なくらい、馬鹿過ぎる感想を。
そして、ちらり、と彼女を窺ってみると
両手を合わせて嬉しそうに
「そうですか。それは何よりです」
と宣って下さった。
その瞬間に重圧から解放されたレックス
「はい!」
と結果オーライだと相槌を打ってその場を過ごした。
ローゼス王国直属騎士団。ローゼスに住む者にとってその存在は尊く、憧れである。
騎士は民の剣となり民の盾となり、これを以って騎士道となす。
子供は夢を抱き、皆将来は騎士になろうとする。
故に志願者は絶えることはなく、また、来る者拒まずの騎士団は莫大な人数を誇っていた。
しかし、入団したからといって誰しもが騎士になれるわけではない。
見習いとなって、雑用と使いっぱしりから始まり、更には学問を取り、実習を受け技量を上げる。
実力が認められれば騎士の補佐として、更には騎士抜きでチームを編成して任務を与えられることになる
ここで見習いは兵士として扱われる。
兵士間にはCランク、Dランク、Eランクとあり月に一度の検定試験で決められ、Cランクの者だけが騎士との交流試合を果たして実力に見合えば晴れて騎士となれるのだ。
「とは言うものの、実際には騎士の数は一定数で、交流試合での相手騎士に勝利することで、相手の騎士の称号を奪うようなものです」
騎士団本部前まで来て、おおよその話をレックスは聞いていた。
今現在の騎士の数は21。それぞれ序列があり、1が最も強く、21が最も弱いもしくは新参者であるということ。
「兵士が騎士と交流試合を出来るように、騎士同士もそれは可能で序列を交換するためです」
「へぇ、なるほど」
「しかし、これは稀有なことです。互いの実力が分かっているため、滅多なことでは挑みはしないのですから」
特に一桁の騎士はしばらく変動してはいないらしい。
「物凄く大変なんですね。騎士になるって…」
「……………そう、ですね」
「??」
レックスは首を傾げる。
彼女にしては珍しく、いや、初めて明らかに表情を暗くさせていたのだから。
やがて自分がどのような表情をしていたのか気づき、取り繕うかのごとく無理に笑顔を作った。
どこかぎこちなかったが、レックスは素知らぬ振りで
「じゃあ、俺ここで待っていますので!用事済ませちゃって下さい!」
乱暴にその場に座り込んで、彼女に対して手を強く振る。
一瞬レックスの対応に驚き何も言わずにいたが、意図が分かったのか、こくりと頷いて
「えぇ、申し訳ありませんがしばらくお待ち下さい。直ぐに戻ります」
優雅な足取りで門へ歩み始めて、あぁ、それと、と口を加える。
「ありがとう、ございます」
「…あ」
悟られていた。
どうしようもないくらい気恥ずかしくなってしまう。
同時に先程の言葉がプレイバック&リピート。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます…………」
衝撃が繰り返しレックスを襲う。
何重にもなって彼を打ち付ける。
嬉しさが溢れるばかりに満ちいく。あんな美人に言われて落ちない男などいない。
「これが、恋というものか!!」
心が爆動する。
顔が熱くてたまらない。
「いやっほォォォォォォ!!」
再度ガッツポーズ。
「こ、この喜びを誰かに伝えたくてたまらなくなってしまった」
その時、隣を誰かが過ぎ去っていく。
余りにも良いタイミングに彼レックスは神様に感謝と祈りを0.001で終わらせ急ぎ足で後を追う。
「ちょっと待ってくれ!」
「ん?ん、ん、俺のこと?」
辺りを見渡しても誰もいないので、必然と呼び止められた人物が振り返って応じた。
おかげで簡単に追いつくことができ、その人物が男であることがわかる。
「あぁ、聞いて欲しいことがあるんだ」
何故か相手に話すと思った途端に緊張して、心なしか真剣な表情になってしまう。
それを見た男はごくり、と息を飲み込み、こちらも真剣な表情でレックスを見据えた。
「どうした?何かあったのか?」
「それが、上手く言えないんだが、いいか?」
「あぁ、言ってみろ」
これだけでこの男が気の良い性質だと判断できる。
普通見ず知らずの他人が呼び止めたら怪しむのが妥当だというのに。
「俺は、こひ、恋をしたみたいだ」
「…………」
「なぁ、どうしたらいいんだ!頼む、この哀れな子羊にお慈悲を!」
瞬間。
頭に鈍い衝撃が走ると同時に声にならない激痛がきた。
痛む頭をさすると既にこぶらしきものができており、そこで彼に殴られたとわかる。
「お前、馬鹿か」
「なっ、な、な!なんだとっ!」
「何かと思えば、そんな下らないこと…実に不愉快だ!時間の無駄だった」
そそくさと早足で立ち去ろうと踵を返して一歩踏み出した時にレックスは伸ばした手で彼の肩を掴む。
ことができなかった。
「いで、いででで!」
「お前、礼儀の無いヤツだな」
腕を軽く捻られ、後ろに回り込んでの関節技。
動こうにも節がぎしぎしとひしめいて鈍痛が走る。
「っ、てて、はなせ!離せ!」
「…………ふん」
「っっぅ、なにすんだよ!!」
「それはこちらの台詞と言いたいところだ」
「いてぇじゃんかよ」
「…………」
まだ関節が痛い。
涙も少しだけこぼれて、恨みがましく見つめる。
対して彼は腕を組み合わせて呆れた様子。
ややあって、ふぅ、と溜め息をついて口を開いた。
「やれやれ、疲れるもんだ」
その言葉がレックスの怒りを広げるには十分過ぎた。
先程腕を捻られたのにも関わらず、再度、掴みかかろうとした
が、
「懲りないヤツだ」
あっさりとかわしてついでに足を掛ける。
勢い付いたままのベクトルが斜め下から地面へと向かう。
そのまま転がって3メートル程してから止まった。
「…あいてて」
「ふぅ、何がしたいんだか」
彼は最早付き合いきれないらしく、早々とレックスから離れている。
また、レックスもレックスで沸き上がる怒りで追い掛けようとしても、腰を強く打ったのか立ち上がることができず
「それじゃあな」
「あっ、待ちやがれ!くっそぉぉぉ!」
拳を地面に打ち付けた。
駄々をこねるようであったが、それでも彼の歳――外見はレックスより2つくらい上――と変わらないのに
「……くそっ」
「如何しましたか?」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
突如、気配もなく背後から声がかかる。
思わず叫んでしまう。
「驚かせてしまいましたね」
「い、いえ、大丈夫です、すいません。用事は終わったんですか?」
「えぇ、お待たせしました。それでは…」
そこで彼女はレックスの身体が埃まみれで、擦り傷から血が出ているのに気付いた。
すっと傷のある箇所に手をかざし、治癒魔法を唱える。
「あ、ありがとうございます」
「はい、それでは参りましょう」
一足先に進む彼女に歩調を合わせて速くもなく遅くもなく、レックスにとって丁度良いペースだった。
きっと彼女の意図的なものなのだろう。何から何まで気遣ってくれる彼女はどうしてこんなにも優しいのか。
その答えは後に分かることになる。