志願―けつい―
いつも通りの街並み。
淡々と過ぎていく時間。
せわしない人たち。
賑わいを見せる広場には子供達がはしゃぎたてて遊びに耽って、輪になって誰一人外れることがない。
大人達は温かく見守り、自らの仕事にとりかかっている。
平和に包まれた風景。
楽しく、苦難無く毎日を送れる。
それがパリバート。
その名を聞けばほとんどの者が行ってみたいと言うだろう。
かつては堕ちた都市でありながら、現女王の恩恵に今では隆盛を極めて、多大なる権益を受けている。
市民は絶対的信頼を彼女に置いていた。
女王がいれば安泰だ。
幸せだと実感している人々。
剣となり盾となってくれる騎士や、兵士達。
警備隊も巡回をして、常に目を光らせている。
いざこざや犯罪も起きるが、すぐに対応がなされる。
ゆえに不安などなかった。
万事うまくいっている。
そう彼らは信じてやまない。
レックスは右往左往していた。
喧騒からやや離れた場所に、彼は腕を組み唸りながら歩いている。
かと思えば突然立ち止まって、ぐしゃぐしゃと頭をかき回すと、盛大なため息をつく。
ちらほらと見える市民らはレックスの一挙一動に面白おかしく見守っていた。
時々、ちゃちゃを入れてくる者や応援してくれる者もいたが、だいたいは離れた場所で、楽しそうに笑っている。
彼がいるのは騎士団本部より50メートルほど離れた地点。
手には書類を持って、本部を見つめながら右往左往していたのだった。
「よし、もう行かないとな!さすがにな!」
すたすたと本部へ進む足。
ぴたり。
「うぅ、緊張するなぁ。入っていいんだよね?あぁ、でも人とかいっぱいいんだろうなぁ………」
すたすた。
本部から遠ざかる足。
ぴたり。
「いや、もう何回もこうしていて結局入れていないじゃん」
意を決する。
向かう先は騎士団本部
「でも、まだいいんじゃ…」
3歩進んで4歩下がる。
何度も何度も行っては帰り、行っては帰りを繰り返し。
「いや、本当にやらなきゃ。行ってこれを渡すだけなんだ」
「よっ!」
「何てことない、何てことない」
「おぉい!」
「マジで緊張する……俺ってこんな根性なしだったのか」
「レックスくん?」
「くそぅ、手が震えてやがるぜ」
「………」
「行かなきゃ行かなきゃ行かなきゃ」
「………」
「よし!」
「無視すんなよぉ!!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
背後からのわめき声。
すっかり1人の世界にいたレックスはいきなりのことに驚き、つい情けない声を上げてしまっていた。
手を挙げたまま固まってしまう。危うく腰を抜かしそうになってしまった。
その際、手に持っていた書類がはらりと地面に落ちたが全く気付くことなく
「ん?何だこれ」
拾い上げたのはリカード。
先ほどからレックスに声をかけていたのも、わめいたのも彼である。
書類を覗くと、見たことのある文字の羅列。
ごく最近リカード自身も手にしたことのあったそれは
「志願書じゃんか、これ」
末尾にはレックスの名が記されて、朱印も押されている。
つまるところ書類はレックスが騎士団に入団する志願書であり、すなわちそれはリカードと同じ騎士を目指すということ。
リカードはたちまち喜びを表して、固まったままのレックスの肩を揺さぶった。
「お、お前、騎士団に入るのか?入るんだよな?よし、行こうすぐ行こう!」
「…………」
強制的に連行されていくのをレックスはまるで記憶にはなかったと後に述べていた。
「確かに受け取りました。後はこちらで受理します。貴方に騎士の導きがあらんことを」
「ありがとうございます」
「あ、リカードさんですね?適正試験の日程ですが」
「そういえば…………受付さん、こいつと同じ日程にできる?」
「え、あ、はぁ……それは構いませんがよろしいのですか?明日にでも行えるのに」
「いい、いい。どうせ受かるには変わらんしね」
「ふふふ、わかりました。そう手配しておきます。貴方に騎士の導きがあらんことを」
「ありがとう」
終始、呆然と口が開きっぱなしだったレックス。
その場に居合わせただけで、一連の手続きは隣にいた男が勝手に進めていった。
「え?」
ようやく意識が戻ってきたときには既に手にあった書類は消えており、目の前にいる受付の朗らかな表情の女性が絶えない笑みを浮かべている。
「え?」
隣にいる男は上機嫌でレックスの肩を掴んではまたしても行動を促していく。
歩を進めていく2人はどこか仲のよい兄弟のように見えたのは、きっと誰もが思ったことだろう。
「ほら、受付は終わったから今日はもうこれだけだぜ」
「え……」
実感も何もなかった。
自身が手続きをしたわけではなく、また、いざやってみれば存外にも呆気ない。
志願者は基本的にその意志を尊重して全て受け入れていくのが、騎士団のモットーであり、適正試験も名ばかりで余程の事情がない限りは通るものらしい。
騎士団から出たリカードはそういった説明をきちんとしてくれたが、唖然としたままのレックスの耳にはいまいち入っていなかった。
しかし、リカードはそんなレックスを知ったか知らないか、どんどんと騎士団のルールや入隊してからすべきことを話していたが、結局はほとんどが独り言扱いだった。
「って感じだ、かんなり分かりやすく説明してやったからな。覚えたろ、覚えたよな!」
「あ、あぁ」
2人の温度差はかなりある。
本来であればレックスも興奮しているところだが、リカードのせいによりまるで他人事に感じていた。
リカードのテンションは下がらない。
「お前も騎士団かぁ。よっしゃ、頑張ろうぜ!目指すは騎士だ!」
「そ、そうだな」
「おいおい、どうしたどうした?元気がないなぁ」
誰のせいだよ
レックスは突っ込みたかったが、そんな元気もなくわざとらしくうなだれて見せた。
「本当にどうしたんだ?ん、ってかお前はなんで騎士団に入んだ?」
「あぁ、何となくだよ」
「またまたぁ、正義感に強いお前のことだから、人助けのためだろ?わかってるわかってる」
反論をしてやりたかったが、見事にレックスの図星をついたもので口ごもる。
適当にごまかすつもりが、一発で当てられるというのは、友人の理解かそれとも自身が単純なのか、喜ぶにも喜べない。
「しっかし、お人好しというか何というか……」
「いいだろ、別に」
「もちろんだ、むしろ俺は嬉しいぞ」
「そっか」
レックスは笑った。
隣で肩を組む友人は、レックスにとって尊敬にも値できた。
誰かのためにあろうとする精神。
かつて自己を救ってくれた恩人に対する恩返しは、他者、すなわち市民へと向けられる。
そうさせたのはやはり恩人ではあるが、今ではリカードは他者のために何かすることを当たり前だと思えるようになったという。
他人に恩を返すため、騎士団へと入る彼の瞳はそれこそ他人のためにあろう意志が伝わってくる。
眩しささえ覚えた。
「多くの人を助けられるんだな、騎士団に入ったら」
その瞳は輝き、本当に純粋なものだ。
リカードに会えたからこそ、レックスへの心に影響は与えられたのれっきとした事実。
「……俺も」
「どうした?」
「俺もみんなを守りたい、助けたい」
「………」
少しだけ面食らったリカード。
レックスの瞳もリカードにはきっと輝いて見えたのだろう。
にんまりと笑みを向ける。
レックスも笑い返した。
「やろうぜ!」
「あぁ!」
リカードの手がレックスの手を求めるように差し出される。
迷いなく握ると、力強く2人は互いの手をしっかりと握りしめた。
リカードの影響はもちろんのことだが、レックスが騎士団を志願したのには他の理由もあった。
毎日を怠惰に過ごし始めていたレックス。
やることもなく、しかし、資金面でもヴァレルヘリカからの援助で全く困ることがなかった。
だが同時にそれが引き金となったのは言うまでもない。
パリバートで仕事に就かなければならない。
レックスは一日中探し回ってみるも、意外というべきか、どこもかしこも首を横に振ってきた。
初めは疑問に思っていたが、さして気になるわけでもなく
再度そこら中を訪ねている内、騎士団募集の掲示板を見かけることがあった。
つい立ち止まって掲示板に貼られた紙に目を向けると
騎士団の人員不足が強調して記されていた。
辺りにいた市民が口を揃えて不安の声を漏らしては、立ち去っていく。
やはり守られる立場としてはこういった人員不足は市民に悪影響を与えるもので。
だが市民が志願するわけでもなく、いやな悪循環が起きていた。
「みんな、何で自分が志願するとか言わないんだろうか」
困っているのは騎士団であり、市民が行動を起こせばいいのではないか。
単純ではあるが確信をついた疑問が浮かぶが、レックスのすぐに自分の考えが子供ということで納得させる。
「騎士団か……」
憧れではある。
正直なところ、入ってみたい気持ちがあるが、自分みたいな中途半端な者が入るべきではないし、好奇心で入るのはよくないと考えている。
きっと騎士団の者達は真剣だから、レックスは彼らに失礼をしてしまうと。
「ママー、おなかいたいの?」
「………っぅ………う、ううん、大丈夫よ」
ふと背後から聞こえた声。
母と娘だろうか。
娘といってもおそらくは5歳前後の子供。
心配そうな顔で母親を見上げている。
母親はというと、随分辛そうな顔で必死に笑みをつくっている。
「ほんとう?」
「えぇ、ご、めんなさいね。さっ、行きましょう」
手を繋ぐ時、母親はもう片方の手で腹部を押さえていた。
苦痛に満ちているのをレックスは見逃せなかった。
「あ、あの……」
遠慮がちだが、声はしっかりと聞こえるように。
「は、はい……あら、あなたは」
どうやらレックスのことを知っているらしい。
母親は作りかけた笑顔を途端に歪めて、小さなため息をもらす。
「あの時はありがとう」
頭を下げた母親。
レックスに思い当たる節はなかったが、彼女の間違いというわけでもないので
「い、いえ」
とりあえずは何も言わなかった。
「それよりもお腹は…」
「あ、あぁ、えぇ。あの時ちょっと怪我してね、でも大丈夫よ」
「あの時………」
頭に閃くものがあった。
過去の記憶はつい先日の出来事。
ライカンスロープ襲撃の件だ。彼女はその際に負傷した1人なのだろう。
そして、レックスに対して頭を下げるということは彼が体当たりをした時のことしかありえない。
「気に病まないでね。あなたがいなければわたしはもっと重傷……ううん、下手すれば死んでいたかも」
「………」
「ママー」
「はいはい、それじゃわたしたちはここで。本当にありがとう」
母親は再度頭を深々と下げた。ゆっくりと去っていくのをただレックスはぼんやりと見送っていた。
悔やみだろうか。
やるせなさだろうか。
拳を握りしめその場から動くことができなかった。
自らの考えの甘さ。
守られる者は弱く、助けを必要としている。
余裕など無くて当たり前なのだ。
レックスは己を責める。
直接的でないにせよ、彼は市民を無情と見なしていたから。
あんな優しそうな母親と小さな子供がか?
いや、違う。
2人はか弱く、とてもではないが守る立場にはなりえない。
子供がいる。
騎士団に入れば否が応でも子供とは会えなくなり、場合によっては命の危険さえあるのだ。
殴ってやりたい、自分を。
同時に彼女たちを守ってやりたい気持ちが溢れ出した。
ただの自己満足かもしれないし、偽善かもしれない。
レックスはそれでもいいと思った。
自分にはできるかもしれない、家族のない自分なら失うものなどないから。
彼の決意は固まっていた。
もはや好奇心でも憧れでもなく、使命感としてレックスの意思は強くあったのだ。
「こちらを」
王座に腰掛けるのは誰でもない、ローゼス女王。
重厚な鎧を纏う彼女が僅かに身を動かす度、金属音がよく響いた。
傍らには二歩ほど控えた騎士の姿。
こちらは随分と軽装をしており、砕けた格好をしていた。
腰には剣を差していて何故か似合っている。
王座にひざまずいている家臣が何かを献上している。
それは騎士団志願者のリスト。
パラパラと興味なさ気にめくると、彼女の指がある一点で止まっていた。
【レックス】
ファミリーネームのない名前。珍しくもなく、ありふれた名前ではあるが、何故かファミリーネームはないのだ。
年齢と誕生日、血液型……
女王の身体、鎧が大きく身じろいだ。
「どうかされましたか?」
「いや」
そう言って、彼女はリストを家臣へと返して王座から立ち上がった。
「騎士団長を呼べ。話があると」
声色は相変わらずに重なり合った重音ではあるが、どこか喜々とした感情を含んでいる。
誰も気付かない。
長年の臣下であり、友人であるシュヴァイゼンでさえも彼女の考えを読むことは出来なくなっていた。