惨劇―はじまり―
鉛色の空は見渡す限り広がって、雨粒を流していた。
見るも鬱なその景色はほとんどの者につい視線を下げさせてしまうだろう。
曇天を仰いで“晴れて欲しい”と強く願ったとしても決してその雨雲を払拭することかなわず、ただ無情で冷酷な雨の雫に打ちひしがれる
崩れた建物、えぐれた地面、潰された食物、千切れた植物………
動くことなく、壊れてしまった人……
いくつもの壊れたモノが地に張り付き、赤い液状を流していく
上に鈍色があるならば、下には紅色が広がっている
本来ならば赤がこんなに広がることは有り得ないことであるが、雨のせいで薄まり伸び倍以上に至る。
そんな壊滅、凄惨的な光景の中、赤い溜まりの上に浮かんだよう、人が立っていた。
涙を流している。
果てしてそれは“涙”なのか?
雨がただ頬を伝っただけかもしれない。
だがそれを雨の雫と言うことが出来なかった。
表情、そこで彼が男性だということに気付く。
この世を厭う顔。
全ての悲しみを背負い、生きることを感じられない死にいく者の絶望。
嗚咽こそ聞こえないものの、涙を流さずしてこのような表情など作れやしない。
ふと、彼の身体が動く。
ぎこちなく、機械のように、ゆっくりと重い腰を上げるように背を向けている方向へ首を動かした。
瞳に映ったのはこの曇天にもかかわらず、太陽を思わせる赤黄の髪を伸ばした女性が足を引きずり、右手をぶらつかせ左手があらぬ方向へと曲がっていた。
全身には無数の切傷や、内出血の皮膚、血に染められた身体。
そして、有らん限りの憎悪を男性に向けている。
恐らく女性は美しい容姿をしているはずだった。
何故、“だった”か?
その顔を見れば、その憎しみを孕んだ目を見れば、彼女が他者を畏怖させる顔つきになっているのは一目瞭然。
男性は何も言うことなく、うつ向いていた。
怒号の叫びが耳に入っても彼は微動だにしない
そこで彼がうつ向いていたのではなく、何かを儚げに見つめていたのがわかった。
その腕に眠る赤子を抱いて、これ以上ない深い愛情と共に哀しみを露にしている
叫びはもはや金切り声となって、今にも斬りかからんとする女性がいるのに、彼は自分と赤子だけの世界にいた。
寝息を立て、すやすやと可愛らしい赤子を少しだけ強く抱く。しかし、決して起こさないように
怒り狂う女性はだがしかし動くことが叶わない。
立っていることすらままならない身体は声を出す度に体力と気力を奪っていく。
ふらり、と堪らず膝を着いてしまう。
彼女は全身を鼓舞して、むち打ちながら立とうとする。
が、それ以上に血を流し過ぎていた。
霞む景色、歪む視界、消えいく意識。
目線が下へと落ちていく。堕ちていく、堕ちていく…………
振り絞る力で彼女は最後にこう言った
「レイン。許…さない、貴様を…絶対…に……」
レインと呼ばれた男性はそれを聞いてなお表情を崩さず、赤子だけを見つめていた。
すぐ近くに剣が地に刺さっている。
そして、そこにあったのはあの女性にとっては耐えられない……
彼女の生涯の友たち。
彼女の愛する男。
彼女の守る人々。
あまたの死体が彼女にとって大切な人たちであった。
その場にいるのは彼、レイン・エリシオンと
彼が抱く赤子だけだった