歌姫は婚約破棄されて自由になりたい
俺たちの戦いはこれからだエンドです。
私はルシィ=カントレア。カントレア伯爵家の長女である。
私の家は先代当主が領地経営に失敗し、財政難に陥っていた。
そこで打ち出された策が、侯爵家のご令息マリウス様と私ルシィの結婚である。
私を結納金代わりに差し出すことで、援助を受けるというものだ。
つまりこれは、結婚とは名ばかりの人身売買。嫁ぎ先で奴隷のような扱いをされるのは目に見えている。また私は知っている。ヴォルトゥーナ家がカントレア家への発言力を強め、カントレア家を乗っ取るつもりなのだということを。
嫌だ。
私を売った両親や、見て見ぬ振りをする兄がどうなろうが知ったことではない。
だが、私にだって人権はある。暗い未来が待っているのに、何もしないで嘆いているわけにはいかない。結婚が決まったその日から、着々と脱走の準備は進めていた。
それから十年後、結婚が目前に迫った十七歳のある日――私に事件が起こることとなる。
とある男女が、親しげに体を密着させて談笑をしている。
「ねぇ、マリウス。わたくしステラのコンサートを観に行きたいですわ」
「ああ。そう言われるだろうと思って、コネで今夜の公演のチケットを手に入れてきたよ」
「流石はマリウスですわね!」
側から見れば仲睦まじいカップルだが、男の名前はマリウス=ヴォルトゥーナ。私の婚約者だ。
「おい。これ家に持っていけ」
マリウスは私に参考書などの荷物を投げつけた。
「……っ」
痛みに声が漏れそうになるのを必死に抑え、散らばった本を回収しようとする。だが、
「なんだその目は!」
激昂したマリウスに右手を踏み潰された。
「いっ……」
「俺はお前なんかを貰ってやるんだぞ! もっと感謝しろ!」
硬い革靴で何度も蹴られ、激痛が走る。
「…………」
「チッ、だんまりか。つまらねーやつだな」
「マリウス。その子は何者なんです?」
「これ? これはただの奴隷さ。まともに喋ることすらしない不出来なやつだが」
マリウスは私の頭部を乱雑に鷲掴みし、前後に揺さぶった。
「まあ、そうでしたか。確かに髪もボサボサで見窄らしい見た目ですから、マリウスとは釣り合いませんわね」
おほほ、と甲高い笑い声をあげる女性。
「そうだろう? こいつの親に頼まれたから仕方なくそばに置いてやるだけありがたいと思え」
「こんなのと一緒に過ごさなければいけないなんて、マリウスが可哀想ですわ」
「……」
私は目を合わせないようにしてペコリと頭を下げると、マリウスの荷物を抱え、急ぎ足でその場を後にした。
数十分後。私は王都で最大の許容人数を誇るコンサート会場の前にいた。
そのまま小走りで関係者用エントランスから入り、控え室に向かう。
「あっ、ルシィ! どこに行ってたのよ!」
「す、すみませんジュリアさん。すぐ準備します」
「その制服、まさか学校行ってたの!? 今日くらい休みなさいよ!」
「……そうですね」
金曜夜とはいえ王都開催だし、休まなくてもいいと思っていたけど、手を踏まれるくらいならやめればよかったわ。
私は手をちらりと見る。
異常に痛い。折れてなきゃいいけど……。
治癒魔法を唱えるが、私の能力では骨折は治せないので気休めにしかならない。
まあ、見た目を変えるのは得意分野だから、きっとバレないだろう。
「じゃ、着替えますね」
「了解。人払いは済ませてるから心配しなくていいわよ」
私は制服を脱ぎ、きらびやかなドレスに身を包む。
ダークブラウンの髪を金色へ変化させ、長い前髪をかきあげれば、ステラの出来上がり。
あとはメイクをして完成度を上げるだけ。
そう。私は話題の歌姫、ステラ本人なのだ。
「それにしてもあなた、随分と人気出たわよねぇ。今じゃ世界的大スターだし」
ステラは、大陸一人気の歌手と言っても過言ではない。コンサートのチケットは人気すぎて入手困難。大金を積んで夜会に招こうとする貴族も後を絶たない。
「なってくれないと困ります。お金が必要なので」
十年前。あの男との婚約が決まってから、私はずっと考えていた。
どうすればあの男から逃げられる? あの家から解放される?
考えて考えて、私は歌手になる道を選んだ。
私は魔力も少ないし、事業を始めるにしても先立つものがない。だけど、歌だけは得意だった。それで、ほんのりと魔力を込めた歌を道端で歌い、お小遣いを稼いでいたのだ。
するとある日、この女性ジュリアさんに才能を見出され、私は正式に歌手になった。
しかし、そのままの見た目では両親やマリウスにバレ、報酬を奪われてしまう。
そこで私は、人前では極力声を出さないようにし、髪色も徐々に暗くしていった。ステラを覆面歌手にするのではなく、ルシィを偽ることにしたのだ。いずれ私はあの家を出る。その時に、私の容貌が違う方が逃げやすいし。
それから私は努力した。ジュリアさんも尽力してくれ、そのおかげで私は人気歌手になれたのだった。
「ま、頑張んなさい。期待してるからね」
「はい」
私は頷き、発声練習を始めた。
そして本番。
「ステラーっ!」
「ステラ!」
満員の会場を見渡していると、ふと二階席、最前列にマリウスがいるのを見つけた。もちろんあの彼女さんとご一緒。
うわ、最悪。目が合った。
しかしマリウスは私の気持ちとは裏腹に、嬉しそうに目を細めた、きっと"歌姫も見惚れる俺罪深い"とでも思っているのだろう。顔だけならイケメンだし。
私は見なかったことにして、簡単な挨拶の後歌い始めた。というかあそこ関係者席なのに、どうやって手に入れたんだか。
「おい、アフタヌーンティーの用意をしろ」
「……」
私は無言で頷き、食堂へと向かう。
はあ。あのコンサートでの笑みは見間違いだったのかしら。あの一%だけでも優しさを見せてくれたら、もう少しやる気が……起きないわ、別に。
あの眼差しは結局、私には永遠に向けられることがないんだ。分かっていたから、今更気にならないけれど。
食堂の店員にテラス席まで運ぶよう告げ、私はマリウスらのお茶が終わるまでフラフラと散歩していた。
「……痛い……」
私は不意に右手の痛みを感じ、手を押さえる。
応急処置はしたものの、時間がなく病院には行けていない。そのせいか倍近く腫れ上がっていて、見るからに痛々しい雰囲気だ。
だがこれをした当人は無反応、というか気付いてすらいないようだ。マリウスは私に関心なんてない。分かりきっていたことだ。
「……♪」
私は、限りなく小声で冷却魔法を唱える。私は歌うことでしか魔法を使えないので、あまり使うべきではないのだが……我慢の限界だった。
手の温度が下がり一息つく。少し落ち着いた。私もお茶の時間にしよう。
そう決め、振り返ると、
「……見つけた」
黒髪の青年が、こちらを見つめていた。
「……」
私はごくりと息を飲む。まさか、私がステラだとバレた? 歌唱魔法はそこまで珍しくないし、聞かれていたとしても分かるはずがない。
「君がステラ……だろ?」
「……」
「……何か言ったらどうだ」
何か言ったら、と言われても、私は元々学校ではなるべく喋らないと決めている。あれだけで分かるはずがないし、カマをかけているならボロを出したくない。
「殿下。彼女は……」
男性の後ろに立っていた側近?の一人が私を知っていたらしく、説明をしてくれる。というか殿下って……王子!?
「……っ」
「待て!」
一礼して逃亡を図ろうとするも、男性に腕を掴まれる。
「ひどいな、この手は……どうして治療しない。上級魔法ですぐ治るだろ」
「……」
目を逸らす。時間がなかったんだから仕方ないだろう、
「何か言え」
「……お金」
しかしライブしてて時間がありませんでしたなど言えるはずもないので、咄嗟にそう言い訳をした。上級魔法を使える人は少ないため、治療費はそれなりにかかる。
「金がないとは思えないが……まあ、一日経っても治療しなかったおかげで見つけられたんだから、俺的には良かったな」
「……?」
男性の言っている意味が分からず、私は首を傾げる。
「昨日のコンサートでも、怪我していただろう」
「……どうして」
歌唱魔法じゃなくて、怪我でバレたというの? ありえない。
私はステラになってからはずっと手に変身魔法をかけていた。今まで髪色を変えてもバレたことはなかったのに、どうして分かったのだろう。
「なんとなく庇っているように見えたから、魔眼で見たら魔力を感じたんだ。ああ、俺くらいしか気付かないレベルだったから安心していい」
「……」
安心なんかできるはずがない。庇っていたって、マイクは右手で持っていたし、ひたすら歌ってしかいないのに気付くものなのか? この男性は王族で魔法が得意なのだとは思うが。
「その髪も、魔法で色を変えてるんだろう? 髪は魔力濃度が高いから分からないが……」
分からない? まだ確信に至っていないなら誤魔化せる?
そんな私の期待は、次の言葉ですぐに打ち消された。
「なんなら今ここで、本来の姿を暴いてやってもいい」
暴く。私より魔力のある王族にかかれば、私の魔法を消すことなど容易いのだろう。
「……何が目的なんです?」
ステラの正体を暴いて、なんの利益があるのだろう。私が損をするだけだ。同業者が私を潰そうとしているのか……この姿はスキャンダルになるのかな。
「はっ、ちゃんと喋れるじゃないか。そっちの方がいいぞ」
「はぐらかさないでください」
私がハッキリ言うと、男性は腕を掴んでいた手を徐々に先端へと滑らせ、
「……敵意はない。目立つのが嫌なら場所を変えよう」
と、右手の怪我を治して告げたのだった。
人通りの少ない校舎裏のベンチに座ると、男性は早速喋り始めた。
「俺はルカ=オルディオン=アイリス。アイリス王国の第一王子だ」
「私はルシィ。ルシィ=カントレア。隣国の王太子様が、どうしてこんなところに?」
アイリス王国は、大陸でも有数の魔力を持つ大国だ。そこの王太子が隣国の学校を訪問だなんて、普通では考えられない。
しかしルカは、平然とした様子で、
「そうだな。単刀直入に言う。――俺の国に来ないか、ステラ」
まっすぐ私を見つめて、そう言った。
「……は?」
「あなたの歌唱魔法は素晴らしい。アイリスの大聖堂で毎朝歌ってほしいんだ。もちろん謝礼は奮発する」
「そんなこと、事務所を通して……」
「門前払いだったよ」
まあ、そうだろう。ジュリアさんとしては、ステラには稼げるだけ稼いでほしいだろうし。
だが、私としては別だ。身の安全が保障され、ある程度自由になれるというのなら、アイリスの修道女になるのも悪くない。
だけど。
「……信用できません」
「信用できない、か。ならアイリスに来る自体は構わないということか?」
「……元々、国外へ逃げようと思っていたので」
詳しく聞かせてくれ、というので、私はかいつまんで事情を説明した。どうせ調べればすぐ分かることだ。隠す必要もないだろう。
「なるほど。親に売られ、婚約者からは奴隷同然の扱い……ね」
「逃げれば間違いなく、両親もマリウスも追いかけてきます。守ってくれるというのなら、すぐにでも行きたいですが……」
「そこまで俺を信じられない、と」
私は力なく首肯した。逃亡を図っていることをマリウスに知られたら、何をされるか分からない。早まっただろうか。
と不安になった時、私の頭にルカの手が置かれる。
「心配するな。告げ口したりしない」
「……はい」
「そうだ、髪の魔法を解いてくれないか? 本当は金髪なのだろう?」
「でも……」
「従者に見張らせているから、誰も来ない」
私の髪を弄びながら、ルカが要求する。
少し悩んだ。だが「どうにでもなれ」と思い、魔法を解く。
「……!」
金色の髪が露わになると、ルカは予想していたはずなのになぜか驚きに目を丸くしていた。
そして。
「会えて光栄だッ!」
と、頭を下げたのだ。
「えっ……ちょ、や、やめてください」
「あ、ああ……すまない。ステラが目の前にいると思うと感動してしまって」
私は長い前髪をかきあげながらもそう言うと、ルカはまだ興奮した様子で私を眺めていた。
「……ファンなんですか?」
「ファンなんて言葉じゃ形容できない。俺はステラの歌を愛し、信仰する者」
「ファンなんですね」
私は少し安堵した。嘘をついているようには見えない。
「……ステラ。さっき、守ってくれるならすぐにでも行きたいと言っていたな」
「……? ええ、はい」
「だが、おそらく教会に迎えるだけでは家族らは連れ戻しに来るだろう。消えた娘と同時に他国に迎え入れられた歌姫……嫌でも想像がつく」
「……はい」
ヴォルトゥーナ侯爵家の支援が受けられなければ、カントレア家はおしまいだ。両親は何としてでも私を取り戻そうとするだろう。
「教会は、それを追い払うほどの権力がない。が、両親を黙らせる方法はある」
「な、何ですか!?」
私は身を乗り出して続きを待つ。両親を諦めさせる方法とは、一体……!?
「俺とステラが――結婚すればいいんだ」
「……え?」
白昼堂々、初対面でのプロポーズ。
それは私にとって、吉と出るか凶と出るか……。
続きません。タイトルが婚約破棄されて〜なのでプロポーズは断るでしょうがきっとハッピーエンドです。
最後までお読みいただきありがとうございました!