昏き森の竜
ケータイに書き残していたものを供養のために投稿。
ある竜がいた。その竜は暇があれば物思いにふけているため、他の竜からすればボーッとしている穏やかな竜であった。
急に動き始めたかと思えば、よくわからない。一見無駄のような事をして、また同じ場所でボーッとしている。時には話しかけても返事すらしないこともあった。
その竜は賢かった。奇行に見えたそれらは人間で言うところの実験である。普通の竜は知恵を絞る事を趣味になどしない。
世界において、同種を除いたあらゆる生物の天敵である竜はあまり考える事をしない。発達した脳と人からすれば永遠とも言える寿命を持ちながらも圧倒的力のために工夫する事を知らないのだ。
そんな竜の元に、彼からすれば吹けば消えゆく小さな命がやってきた。妖精と呼ばれる、果物より少し大きい程度の、人に羽が生えたような生物。妖精はか弱く、精霊の加護の無い中では他の動物に瞬く間に狩られてしまう。それが肉食生物の頂点とも言える竜に近づくのは、通常ありえない事である。
その竜はいつも通り大樹のうろの中で物思いにふけていた。最近は人間の本を読む時間が増え、うろの中は大量の本で埋め尽くされている。
書物より会得した魔法と呼ばれる奇術を用いて、本を目の高さに浮かべて読んでいた。すると明かりもないのにボウっと本が明るくなった。
「何をしているの?」
あまりに突然の来訪者に竜は内心驚いていたが、ゆっくりと口を開いた。
「本を読んでいるんだ」
「本?」
「そう、本だ。知らないのかい?」
「初めて見たわ、これが本って言うのね」
妖精は興味深そうに本を覗き込んでいる。
「……小さな少女よ、本が見えないから、そこをどいて欲しいのだが…」
妖精は竜に背を向けるようにして、本のど真ん中に居座っていた。
「……」
「ねぇ、これってなんって読むの?」
「どれ……?」
その竜は、他の竜が人間から奪い集めていた魔道書を読み漁り、魔法を習得していた。集めた本の中には様々な物語の本も含まれていた。
「……騎士が拾い上げたその剣はなんと言葉を話す剣であった」
「えぇ〜?剣は物でしょ?喋らないわよ?」
「物語の中の剣は喋るのかもしれない」
それから竜と妖精は楽しい時間を過ごした。
竜が妖精に物語を読み聞かせる。ふらりと妖精がどこからともなく現れて、またしばらく居なくなる。
いつからか竜は妖精が来るのを楽しみに待つようになって居た。竜の仲間には竜と仲良くしても、彼の趣味を共有できる者はいなかったのだ。
そんなある日のこと。竜がいつものように大樹のうろに帰ると仲間の竜が一人来ていた。
「おお、帰ってきたか」
竜の仲間の一人であった、竜の巣から離れたこの地に住む彼に会いに来る変わり者の竜であった。
「珍しいね、どうしたんだい?」
「いや、暇だから遊びに来ただけだ。ああ、それと害虫がお前の部屋にいたから潰しておいたぞ」
「害虫?」
ほれ、と友が首を向ける方を見ると、そこには赤いシミのようなものができていた。
「お前の本…とかいうやつを持ち出そうとしていてな、羽虫の分際で生意気だったので殺してしまった」
赤のシミは血であった、それこそ果物と同程度の大きさの。見覚えのある金の糸のような髪と薄く輝く透明の羽、体は跡形もなくすり潰されている。
「我のとこに真っ直ぐ飛んで来てだな、全く命知らずの羽虫よ」
友が軽快に笑う中、竜はピクリとも動かなかった。竜と友は近しい血を持つ兄弟である、鱗の色、背丈はそう変わらない。遠くからでは違いはわからないだろう。
竜は、はぐれ者である自分にも良くしてくれる友のことを大切に思っていた。本を大量に集める事ができたのも友が世話を焼き尽力してくれたからである。友には感謝していた。
しかし、そんな友に……今まで感じたことのないような、ドロドロとした怒りを持った。持ってしまった。
「なぁ、おい、どうした?」
友も竜の様子がおかしいのに気がついたが、彼には理由がさっぱりわからない。自分がしたことといえば、部屋を少し散らかしたことくらいである。確かに片付けをしなかった事は悪く思うが、竜はこの程度で怒る奴ではない。
オロオロと戸惑う友に対して竜は口を開いた。
「すまない、帰ってくれないか」
「わ、我、何か良からぬことをしたか?」
「大丈夫、大丈夫だから」
「あ、新しい本でも探してこようか、西の青めが勇者を撃退したと……」
「早く帰れ」
それは決して大きな声では無かったが、あたりの温度が下がったと感じるほど低く、冷たい声であった。それは友を黙らせるには十分であった。
「早くしないと、君を殺してしまいそう、なんだ。帰ってくれ、頼むから……」
竜の顔は形容し難い感情でぐしゃりと歪んでいた。今にも爆発しそうな感情を、押しとどめるように体は震えている。
「あっ、謝るぞ、後で何か、ほら、お前大シカの肉好きだろ、持ってきて……」
「そんなものはいらない!! 早く帰れ!!」
鬼のような表情の竜の目には明確な殺意が込められていた。ギリギリと噛みしめた口と、充血しきった真っ赤な目からはドス黒い血を流していた。
「わ、わるぃ……」
友はバタバタと慌てた様子で飛び去った。
ハァ…ハァ…
竜は胸を押さえてうずくまる。呼吸は浅く、目は未だ血を流し続けている。
ふと妖精の残骸に目をやる。踏みつけた果実のような真っ赤な跡に見えるほんのわずかな面影が胸を締め付けた。
竜はそれを丁寧に集めると胸に押さえて……泣いた。
「う…うう…ううう…」
その涙は血を洗い流すような透明な涙であった。
魔導を極め、知恵を蓄えた竜は里で最も力を得ていた。竜がもしも、狂っていたならば。里は一晩で形を無くすほどに彼の力は圧倒的であった。
それ故に、その竜は聡明であった。それ故に狂うことができなかった。
妖精は竜によく似た友を竜だと見誤り近づいたのであろう、そうでなければ絶対強者である竜になど近づく生命などいない。友の方も、ただ羽虫を殺しただけ。軽く埃をはたいたような感覚であろう。
まさか竜と妖精が趣味を同一として友情を育んでいると、誰が思おうか。竜は妖精との空間にこれ以上のない心地よさを感じていた。
大切な存在であった。
どちらも捨てれぬ大切な存在。
それこそ羽虫を殺すように、怒りに身を任せて友の命を奪うこともできた。しかしそれは意味を成さぬとわかっていた。故に里に返した。
竜の胸を抉るのはどうしようもない悲しみであった、不幸な事故。不幸な巡り合わせだったのだ。
そう、わかっていても行き場のない気持ちはーー
ふつふつと煮える怒りはーー
竜をゆっくりと蝕んだ。
大樹のうろの中、妖精だったものが入った小瓶を首から下げ、静かに本を読む竜。以前と変わらぬように見える姿は少しずつ変化していった。
赤褐色であった肌は歳を重ねるごとに黒く染まり、やがて黒龍となった。エメラルド色の瞳も輝きをなくし、光を返さぬ黒となった。
大樹のうろはそんな竜の魔力に当てられたのか陽だまりを作っていた枝も葉も太く硬くなり、一切の光も通さぬ巨木となった。うろの中には黒竜が浮かべた小さな光球のみがふわふわと浮かんでいる。
やがて竜の魔力は伝染し、あたりは日の射さぬ強大な迷いの森へと変貌していった。エサを求めて集まった魔物たちもその力により姿を変えていった。
長い年月を持ってしても竜の怒りと悲しみは治ることはなかった。
やがて地上の知識を網羅した竜は夢を見るため永き眠りについた。小さき友との幸せな日々を見るための夢。叶わぬ日々の夢を見る。
おやすみ




