銃撃
彼は自動車工の父親とスナック従業員の母親の間に生まれた。その馴れ初めに故あって、長らく母方の祖父母の暮らす田舎の長屋で暮らした。二年後には妹が生まれた。
父親は温順で朴訥とした人であったが、他者との折衝にあたりどうでも譲らぬ頑ななところがあって、それは父方の親族に大概当てはまるのであるが、そこに個別の自負心だとか思い込みだとかが付随して、各々の特徴を成していた。良く言えば一本気のある人間性とも言えようが、ともすれば自分本位になりがちであり、自らに義あらば徹底して容赦をしない苛烈な性向でもある。父親の場合を言えば普段を良く忍ぶ分、なにか自分の定めた規則に我慢のならぬ事件が出来すると、たちまち激発した。大概のことは我慢できてしまうから、そういった事態に突然遭遇すると傍目にはなにが気に入らないのか判らない。昨日は良くて、今日は駄目、ということもある。簡単に言ってしまえば癇癪持ちの人間で、当人もそういった性情を恥じているものだから、ますます八方美人になり、反動を強めてゆく。狂人でもなければ、内省の及ばぬ癇癪などは成立しないのであるが、正にこの内省の力によって、父親は内在化した不満を爆弾のような凶器に作り変えてしまうのである。
母親の方はどうかというに、どちらかと言えば放埓な人間で、派手好きな人であった。風呂上りに素っ裸で家のなかを歩き回ったり、真夏に冷房をガンガンにかけて室内を南極のような有様にしてみたり、流行の服を買い漁ったり。父親に比して生活欲の旺盛な人間で、感情的だと評するのは些か早計ではあるけれども、実生活に即した感情を隠さず、滔々たるその流れに身を任せて泰然としている。社交的で屈託がないように見え、それが如何にも御気楽な感じを人に与えるのであるが、どこか一点、心にヒビがあって、そのなかに父親とは別種の硬く澄んだ悲哀を隠し持っているような、本質的に孱弱で人に慣れない寂しい人であった。
宗助が生まれた頃には父親は仏教に腰を据えていたから、自然、長男の宗助はその手解きを受けた。とはいっても本格的な教説を授かった訳ではなく、いわば初等的な技術と、それに纏わる道徳的な訓戒のようなものを父親は熱心に教え込んだ。日常的な儀礼から果ては仏教書、儒教書などの引用。枚挙に暇が無い。母親はどうせ宗教に入るなら、キリスト教にでも入れてあげればいいじゃないかと父親に提案したが、言下に拒否された。もっとも、母親は母親で格別考えがあった訳ではなく、キリスト教の被造物から受け取ったイメージに依拠するある種の陶酔があったに過ぎないから、文句ひとつ言うこともなかったのである。
さて父親に鞭撻され一定の下地が出来上がると、宗助は父親と一緒に朝夕の読経をするようになった。或るとき宗助は父親になぜ経をあげるのか、と問うた。
――お祈りとも違うけどね。まあ、今日より明日が良くなるように、さ。
宗助は父親の言葉をそっと胸の内に仕舞い込んだ。ずっと、忘れることが無いように。
宗助が幼稚園にあがってしばらくして、父親は娘の智子にも同様の教育を施そうとしたのであるが、これには失敗した。兄の宗助が温厚で恭順なのに比して、些か我が強く奔放に過ぎたのである。これは表層的な部分であって、単に性向が内向するか外向するかの違いに過ぎないのであるが、それが行為に結果するとなると、親の見る眼も変わるものである。妹は例えば、家中のありとあらゆるものにクレヨンで落書きをする。壁に障子、箪笥に果ては畳の上まで、縦横無尽である。強か殴られても、改めない。例えば近所の悪友と共に万引きをする。これも改めない。後年あまり警察の厄介になるものだから、激昂した父親に車に乗せられ、山奥に捨てられたこともある。これには宗助も度を失ったが、ともかくそんな按配で、父親は娘を陶冶することを断念してしまった。
結果、教育的な情熱はますます宗助に傾注される。画業で食っていくことを目指していた父親は、その技術を宗助に一から丹念に教え込んだ。素質を色濃く受け継いだ宗助は飲み込みも早く、見る間に上達した。父親は宗助の技能に抃舞して、一層自らを投影するようになる。宗助も父親の喜ぶ顔見たさに、何枚も何枚も繰り返し絵を描いた。反対に智子はそんな父親からは一歩距離を置いて、母親の方に親近した。ひとつには同性の気安さといったものもあったであろうが、父親が宗助に与えるのと同等の愛情を得られなかった傷心から、その補填を図ろうとしたのではあるまいか。宗助は実際にそう考え、妹を少なからず不憫にも思ったのであるが、別段の優越は感じ得なかった。彼は母親を愛してはいたものの、それもこの人が産みの親なんだ、という感慨を大きく超出するほどのものではなく、父親にしても、些か歪曲してはいるけれども、彼我に共通する性格的な欠点だとか、すでに手を加えようもない部分に惹きつけられていたのではあるまいか。お互いの傷や欠損を慰撫するかのように。自己愛に耽るようにして、宗助は父親と、智子は母親と。
そのような両親の膝下にあって、概ね不足無く育てられた宗助少年であったが、小学校に上がった頃から、僅かにその幸福にも影が差し掛かってきた。
学校からの帰り道、交友のある数人のグループで神社に集まり、缶蹴りをして遊んでいる時である。一段落が着いて何気ない会話をしているうち、お互いの両親の仕事に話頭が転じた。順繰りに話を進めていって、宗助の番になり、
「そんで、宗ちゃんちは車作ってんだろ」
「うん。そうだよ」
「絵も描くみたいだよ。こないだ家に行ったときに見せて貰った。宗ちゃんも絵上手いし、いいなあ。おれにもなにか才能があったらなあ」
「つってもなんか有名な宗教やってんだろう。おれはいやだよ。親が宗教やってるなんて。法華キチガイって奴だ」
「あはは、まあ、そうだあね」
子供らしい拙劣な対抗意識か、単に覚えたばかりのスラングを使いたかっただけかは判らなかったが、友人の不用意な発言に宗助は内心ぎょっとせずにはいられなかった。自他の別がつき、他者の自己に向けられる無遠慮な視線をはっきりと意識するにつれ、このような小事件は度々、宗助の胸に快癒することのない極小の傷を負わせた。
暴言を吐いた肥満した少年は、宗助がなんら抵抗らしい抵抗をせず愛想笑いをしているので、得意になった。彼の眼には宗助が幇間のように映っていた。集団のなかで宗助を揶揄しては外聞が悪いのでまだ大人しいものであったが、二人きりでいるときには思う存分扱き下ろした。柔和な顔つきで今晩のおかずを話題にするように、なあ、法華キチガイ、などとやり、舌なめずりをしながら宗助の反応を愉しむのである。また、宗助が拒まないのを良いことに半ば強引に聞き出した経の一節を歌い上げることも時にはあった。
その日、宗助はいつものようにへらへらと愛想笑いを浮かべて、肥満した少年に対していたのであるが、不意にこのような対応が馬鹿馬鹿しくなった。そうなると全身に沸々と怒りが漲ってきて、制御できない。宗助は真顔になって、満腔の憤怒を込めた拳を少年の顔面に叩き込んだ。感情的になり感覚の鈍磨した手に、じんと痺れるような痛み。少年はその場にぺたりと尻餅をついた。
「てめえはよ、いつもおれがへらへらしているからよ、なにしてもいいって思ったのか?」
少年は今まで見たこともない宗助の様相に色を失っていた。ただ恐怖に眼を瞠って黙り込んでいる。しかし、宗助は抵抗する様子もない少年に容赦をせず、身が竦んで動けないところを蹴り上げて地面に押し倒すと、馬乗りになって首を絞めた。少年は宗助の腕を引き剥がそうとしたが、体勢が悪く力が入らない。脇腹を殴られながらも宗助は地面に押し付けるように首を圧迫した。少年の爪が腕に突き立ち、跳ね回る膝頭があちこちを打った。痛覚が麻痺して、ぶんぶんと血液の流れる音が聞こえる。全身に発条のように力が充填される。視界が狭い。少年の顔は次第にどす黒く変色し始める。宗助は頓着しない。
「てめえの頭はどうなってんだ? いったいどんな教育を受けたらよ、そんな残念なオツムになっちまうんだよ」
宗助は相手が失神する前に手を離したが、収まりがつかず、再度彼の顔面を殴りつけて立ち上がった。それ以上なにを言い残すこともなく、僅かに血の色を取り戻し鼻から血を垂らしている少年に背を向けると、未だ激情の余波に震える身体を引きずるようにしてその場を後にした。すると、ごっ、という音とともに腰骨に鋭く後を引く痛みが走り、宗助は後ろを振り返った。少年が宗助に石を投げたのである。二人は僅かに視線を交差させ、しかし、それ以上なにをするでもなく、互いに自分の家に帰って行った。
さてこうなると平気ではいられないのは暴力を振るった宗助の方で、仮にも友人であろう少年を殴りつけ、蹴り倒し、果ては首を絞めて失神せしめようとまでした自らの暴力性と、先の放言にただただ恥じ入るばかりで、慙愧の念に堪えぬとはこのことである。
――てめえの頭はどうなってるって、そりゃぼくのことだろう。いきなりあんなことをしでかすなんて、どうかしてる。どうして口で説明しなかったんだ、どうしてああなるまでなにも言わなかったんだ。ぼくは1か0だ。こんなことじゃあだめだ。
毛布を頭から引っ被ったまま、たっぷりと一日、宗助は悶え苦しんだ。
後日、宗助は件の少年から神社に呼び出された。二人は境内にある慰霊碑の前に揃って座り込み、一言も発しなかった。宗助と同様、少年も酷く傷ついていた。永遠に続くかと思われた沈黙をふと破り、少年がごめん、仲直りしよう、と呟いた。僅かな抵抗が、空気を震わせた。その言葉には些かの諷諫の気味も込められてはいなかった。ただ、美しく伸びやかで阻害するもののない、真心だけがあった。宗助は自らが銃撃されたかのような衝撃を味わった。
――ちがう。あやまらなければならないのは、ぼくの方なんだ。ぼくが先にあやまらなければならなかったのに。だめだ。ぼくはだめだ。
宗助少年は、うんそうしよう、と答えるなり、半べそをかきながらその場から脱兎の如く逃げ去った。それで彼を含む一団との親交が途絶えた訳ではなかったが、以降、宗助は特定の人間と親しく付き合うことを苦手とした。一つには自分が協調性を著しく損なった人間だという度を越した認識と、特定のグループや派閥から自らを意図的に遠ざけているうちに、いつか異質な存在という周囲の認識が磐石になっていたからで、こうなるともう本人がどう思おうとどうなるものでもない。異質な者同士、はみ出し者の相互依存的コミュニティーにも足を向けることの無かった宗助は、ますます孤絶を深めていった。一人、童話やら小説やらを手当たり次第に乱読し、黙然と絵を描いた。勉学には一向身が入らず、この頃から慢性的な頭痛と喘息の発作に悩まされるようになり、度々学校を休んでは祖母に手を引かれて町の病院に通った。
時を同じくして、宗助の両親にも軋轢が生じ、一家は揃って事態に動揺した。両親の不和の種が金銭的問題であったのか、異性問題であったのか、その時は勿論、今に至っても宗助は明確なところは知らない。恐らくは結果からしてその両方であったろうと思っている。
次第に両親はお互いの陰口を言うようになり、それでもしばらくは表面上大きな衝突はなかった。父親は宗助にだけ離婚の可能性のあること、そうなった場合にどちらにつくかを考えておいて欲しいということを言いつけた。宗助は妹に対し、厳重に口を箝した。宗助は両親に離婚しないでくれと懇願したりはしなかった。達観しているのではない。事態が自らの手を離れ、及ばざるところで推移するのを見ていることしかできなかっただけである。
事態が進行し、離婚が決定的になると、宗助は両親の間で翻弄された。手始めに、母親の愛人と引き合わされた。目付きが鋭くて細面のヤクザのような風体の男であった。細長い髭を生やしていて、それが宗助には酷く不快であった。そうして、正式の離婚調停が済む前に次の旦那を用意している明朗闊達で前向きな処理、以前の旦那と同じ蹉跌を繰り返すことなきよう周到に対照的な男性を選び抜く女の嗅覚と、余りにも脆弱な生理に絶望した。
車で市街を流して食事を済ませると、インター付近のボーリング場で球を転がした。憤懣を隠そうともせずに、いい加減に球を放る宗助の態度に知らず自尊心を刺激された愛人は、宗助に向かってゆっくりと、噛んで含めるように言い聞かせた。
「宗助くん、あのね、なんでそんなに不機嫌なの。ここはさ、遊ぶ為にある場所なんだよ。協調性ってわかるかなあ。宗助くんがつまらなそうだと、こっちまでつまらなくなっちゃうでしょう? わかるよね」
いったいなにが判るというのか? 宗助は文字通り慄然として危うく腰を抜かすところであった。どう答えたものか思案しているうち、母親が愛人の言に便乗して宗助を宥めすかしに掛かった。
「そうだよお、宗ちゃん。ここは皆で愉しまなきゃあ。せっかく来たんだし、ね?」
――なんてこった! なんてこっただ。おれは再三に渡って絶望した。下らないお追従をするこの馬鹿な女とその股座からはい出てきたおれ自身に。一体協調性とやらがケツジョしているのはどっちだ? おれはここでおれの不満を盛大にぶちまけ、逆に現にある家族の結束を取り戻すべきか? きっと、それも可能だろう。
宗助は、そうしなかった。彼は母親の言に笑いながらそうだねと答え、元気一杯にボーリングをし、帰りの焼肉屋では上機嫌で上タンを大量に喰らい、家の流しに盛大に反吐をぶちまけた。
――ぶち壊れろ。一刻も早く。
ここに、父母の像は一対の男女と象徴された。この愛染妄境に惑う身も蓋もない一対の男女に。愛欲と利己心と世俗諦的規制に絡め取られ、もはやなにものをもそこに加えることもできず、従ってお互いを異化することも叶わぬ、青褪めた一対の男女に。
宗助の眼は段々と澄み渡っていった。
――もうどうにもならない。お互いに夫婦ごっこをしているより、すっぱりと別れて新しくなにかを始めるがいいんだ。なにを始めるって、それはまた新しく繰り返すんだ。今度は失敗しないように。そう、失敗しないことを前提として繰り返すんだ。安定した幸福を目指して。それで失敗したら? 当然やり直す。もう駄目だというところまで、幾らでも。ぽこぽこぽこぽこ際限なく繰り返す。あの人達に対して感情的になっても仕方がない。そういうルールだから。そうするしかないから。……本当にそうか?
そもそも功利的目的を目指すことが可能であろうか。功利的限界を正確に計ることができない以上、とうとう失敗に終わったという否定的契機を媒介として、今一度機を新たに同じような分節を行い、その蹉跌を乗り越えることができようか。結局、それは規模の異なる事態の再演ではないのか。また否定的契機を媒介に演繹される論理は同じ否定的契機によって無化されるのではないか。真に否定さるべきは、徹底して否定さるべきは、事の方法論ではなく自分自身なのではないか。直接無媒介的絶対幸福などという沢山なものが世の中に無いように、目指されるべき幸福も、功利的な幸福も存在などしない。ただ、目睫に据えられた幸福だけがある。先の論理の展開は、幸福とも愛情とも、一寸の関わりも無い。それはむしろ否定さるべき否定契機に過ぎない。
――なんにしろ、あの人達に感情をぶつけても仕方ない。おれの本当に腹の立つのは、あの二人をこの現状に追いやったルールと、それにあらがえない人間の無力なんだから。
機を新たにする生活力を肯定的に捉える一方、どうあっても、両親の離婚に対し率直には首を縦に振れぬ宗助であった。
対して父親の方はといえば、こちらは以前にも増して仏壇に向かうことが多くなった。一時間でも二時間でも、中座することなく一心に経をあげている。口汚く言い争うのが愚劣なら、こうしてお互いを避けるのも、無論同じように浅薄な欺瞞であろう。
或るとき、宗助は父親の大事にしている仏壇に足を引っ掛けて転倒した。並べられた仏具は引き倒されて床に散らばり、線香の灰がそこかしこに降りかかった。それを見咎めた父親は激怒し、宗助の玩具を窓から放り投げた。玩具は中庭の塀にぶつかって粉々に砕け散った。そして父親は宗助を仏壇の前に跪かせ、仏壇に謝るように言い付けた。父の余りの剣幕に宗助は言葉を失った。普段の父親からは想像もできない様相であった。まるでヒステリーの発作のように。事実、そうであったかもしれない。父親の分厚い手の平で頭を押し付けられ、鼻水やら涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、宗助は父親に言われた通りに仏壇に懺悔した。
「もうしわけございませんでした。どうかおゆるしください。もうしわけございませんでした。どうかおゆるしください。もうしわけございませんでした。どうかおゆるしください」
三度、繰り返した。彼はその文句を口にしながら、おれはどうして父親ではなく、仏壇に謝っているのだろうと訝った。そして普段温厚な父がこれほどに拘泥するもの、父を鬼のような面相へと変貌させたものに、激甚な恐怖と微かな憎悪を覚えた。
以来、仏壇になにか粗相をした場合には謝罪するという決まりが設けられた。そうはいっても仏壇は寝床のすぐ脇に置いてあった為に、ちょっと布団の中で寝返りを打てば手や足が当たってしまうのである。しかしまた怒られたり、父に嫌われたくなかったので、宗助はきちんと仏壇に謝った。母親はその決まりを知らなかった。見て見ぬ振りをしていた。その決まりは宗助の為だけに用意された。
しばらくして宗助は自宅に遊びに来た友人の前で仏壇に足をぶつけてしまった。宗助は跪いて懺悔した。宗助にとってそれは最早習慣のひとつになっていた。友人は宗助のその姿を見て目を丸くした。
「なにそれ、宗助くん」
「うん。家の決まりでぶつだんに悪いことしたらあやまらないといけないんだ」
友人はふーんと鼻を鳴らした。そしてふざけて仏壇に足をぶつけて見せた。
「こんなんでもあやまらないといけないの?」友人は心底不思議そうな表情をしていた。
「うん、ごめんね。あやまってもらっていい? 決まりなんだ」
「ええと、なんて言えばいいんだっけ」
「もうしわけございませんでした。おゆるしください、かな」
友人は宗助の言葉を繰り返した。そうして頭を上げたり下げたりするのが楽しかったのであろう。興の乗った友人は両手を大げさに広げておどけてみせた。
「宗助くんち変わってるね!」
「うん、ちょっとね」宗助はにこにこと笑った。
友人が帰って、部屋に一人きりになると途端に涙が溢れた。声も無く泣いた。絶え間ない嗚咽。動悸が激しくなり、こめかみを走る血液は打ち鳴らした銅鑼のように震えた。耐え切れなくなって宗助はカーペットに倒れ込んだ。赤い、毛足の短い安物のカーペット。這いつくばりながら宗助はそれに爪を立てて引き毟った。爪が剥がれかけて、血が滴った。零れ落ちた涙が黒い染みになって広がった。理由が判らなかった。それは発作のようであった。憤懣、憎悪、憐憫、恐怖、そして純粋な悲哀。その何ひとつとして宗助には理解ができなかった。恐らくはその全てが同時に湧き上がった為に。だから、誰を恨んでいいの
か、なにに憤っているのか、なぜ悲しいのかが判らない。自分を締め上げている感情を理解できない。感情の狂濤に呑み込まれ、宗助は床の上を翻弄される木屑のように転がされた。
やがて泣き疲れると布団を引っ張り出して寝転んだ。目の周りが涙でごわごわになっている。早く寝ようと思った。できるだけ長く。宗助は小さく笑った。なにが可笑しくて笑っているのか判らない。へっ、へっ、へっ。自然と笑っていた。
明日になれば、きっと平気になっていることだろう。そう確信した。ごっそりと、なにかが抜け落ちた。