不滅の月と不死の鳥
……仕事が片付いて帰るさ、画家をやっている友人の訃報が届いた。なんでも心臓の病で急死したとのことだった。彼は私と同年の三十五だったから、突然のことに私は酷く動転した。
告別式は身内だけのひっそりとしたもので、誰もが良く見知った顔だった。解らない男だ、解らない男だ、と思っていた友人にあっさりと死に別れ、私は虚脱していたのかもしれなかった。文句のひとつも言ってやろう、おれがお前の人生を再審してやろう、とまで心に決めて掛かっていたというのに、私はどうかすると怖気がついて、友人の死に顔を最後まで見ることができなかった。僧侶の読経を耳にしながら、あいつは結局最後まで無神論者だったのだな、とそんなことを考えた。僧侶は、私の知り得る限り友人の最も嫌った宗派の僧侶であった。けれども、数年も往来の無かった友人の胸中に、晩年どのような変節のあったものか、私の想像の及ぶ限りではなかった。ひょっとしたら、彼の態度も幾分かは和らいでいたのかも知れぬ。私は誰かの葬式で耳にしたことのある、白骨の御文章を必死になって思い起こそうとしていた。
――それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものは、この世の始中終、まぼろしの如くなる一期なり。
それ以降の句は、ちょっと思い出せなかった。私は口をもごもごとやった。
式が終わり、式場の外にあるベンチに連れ合いの車を待つ間、煙草を吸っていた。アスファルトの凹凸がぎらぎらと眼についた。ふと、何気なく式場内の方を振り向くと、どこからか迷い込んだのだろう、一頭の小さな青い蝶がひらひらとこちらへ飛んでくる。上へ下へとてんてん翻る蝶の先、建物の軒に、綿埃が絡んで茶色く変色した蜘蛛の巣があって、蝶の軌道はそれへと誘われるように、盲目的に吸い寄せられるらしかった。私は変に胸騒ぎがするのを感じた。
その時、私は既に予感していたのだった。私の裡にそれは完成されていた。それは正確には予感ではなくて、感覚するところの、知覚であり、与件であり、詰まるところ私の内部空間に於ける展望の、外部との魔術めいた一瞬の融和であった。私は蝶の軌跡に魅入られて、まるで未来の自分が過去の自分を見詰めているような不思議な感覚に支配されていた。蝶はあわやというところで蜘蛛の巣から身を躱して、そのままに建物の外へと飛び立ってゆく。
私は外に向けて眼を放った。そこは、雲ひとつ、限るものひとつとて見当たらぬ、蒼天であった。息詰まるほどの疼痛が、私を見舞った。
――やられた。
私はひとつの賭けに負けたように思った。それでも、妙に清々しい気分であった。私はなにか大きなものに勇気づけられていた。この力は、私を能う限り高くし、あらゆる経験を洗い清め、俯瞰する遼遠なパースペクティブを与え、そこから絶えず成長を加えてゆくだけの力と持続を持たないだろう。しかし、この力が私を生かすだろう。そんな風に考えた。
幾日かが過ぎ、私の元へ故人の家族から荷物が届いた。友人の遺品だった。ダンボール箱二つと、布に包まれたタブローである。箱を解いてみると、中身は友人の遺した画帳や雑記帳であった。私は適当な一冊を手に取って、項をはぐった。表紙の裏に毛筆で、病謀向物違、幽幽草根虫、とあり、私を少々まごつかせた。タブローは一転、どこかのみすぼらしい浜辺に、老人が子供たちと一緒になって朝日を眺めている。皆、鍋物かなにかを食いながら、こだわりのない様子でお互いに笑っている。昇ったねえ。ああ、昇った昇った。そんな声が聞こえてくるような、馬鹿みたいに能天気で、御目出度い絵だった。
私は今、これを電車の車窓を眺めながら書いている。友人の雑記帳の匆卒な覚え書きを、私はどうにかしてひとつの纏まりのある形にしようと骨を折っている。彼が創作の果てに辿り着いた心境とは、どういったものであったろう。彼は、彼の言う父性を、故郷を、生命を取り戻したのだろうか。
私は友人に膝を突き合わせて、念じる。友人は一回性の塑像としてではなく、むしろある全一性の凝結を孕み、緊張する私の裡の影身であった。
車窓には岬から望む純白の海。朝日を受けて、洗い立てのシーツのような、滑らかな乳液のような海面は、幾つもの柔和な自然のドレープを成している。この豊麗な衣装を身に纏い、涼風に晒すがまま、大地は心地良く波音を立てている。
あの友人の、狭量でひたむきな、センチメンタルな偏執を、ヴァルネラビリティを、私にはもう笑い飛ばすことは難しかった。
最後に一節、友人の雑記帳から引用する。彼が高等学校時代に書いた手記で、題には拙い鉛筆書きで、火の鳥とある。
――それは確かに存在する。僕らの肉体の裡にでなく、精神の裡にでなく、その鳥は実体を得ることなく、密やかに生き続けている。これは危険な思想だろうか。でも、僕自身はその存在に疑いを抱いている。無感覚なのだ。果たして僕に生なんてものがあったろうか。今までも、そしてこれからも。その鳥は、時折僕らの頭上に現れては、煌びやかな姿を垣間見せ、身に纏った炎で僕らを焼く。それは天啓的閃きの感覚。高揚と音楽への期待だ。未完成の楽譜がふいに手の届くところに呈示される。錯覚じゃない。全ての人間の上に、あらゆる人生を貫いて存在を赦されたあの鳥は。今、確かに僕は生命に爆撃された。
近頃の私はなにかにつけ誘われ易くなっているらしい。それで、なにか一色に、この片の付かぬ心を据えて、空隙を埋めるように染め上げたいという感じは日増しに強くなっている。
一月程前、啓三に第二子が生まれた。第一子は女子であったが、今度は待望の男子だということで、手を打って喜んでいた。男の子は健やかに育って欲しいという両親の希望から、健一と名付けられた。
〈了〉
以上。お粗末様でした。




