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蒲公英  作者: 東間 重明
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タブレット


 彼は先程、机の上に乱雑に置かれた灰皿、缶コーヒー、ショットグラス、常備している目薬、シガレットケースに納められた煙草の他に、見慣れない人形を発見した。関節を幾らか自由に動かせる骸骨のフィギュアである。骸骨は黒いプラスチックの台座の上に、それ単体では滑稽極まるラオコーンのようなポーズをつけて固定されている。骸骨の斜めに傾いだ頭部から僅かに上方に向けられた視線は、それをやや前方に見下ろす宗助の視線と真正面からぶつかった。


 ――この視点は駄目だ。あらゆる点で駄目だ。


 確かに購入した覚えはあるが、それが何時であるか判然としない骸骨から、宗助は耐え難い視線の圧力を感じた。彼は引き出しからノートと手擦れのした一冊の絵本を取り出すと、骸骨の無言の圧力から逃れるように絵本を押し開き、手垢で汚れた小世界に没入した。


 『星の種子』と題された絵本は、仏教家であり、絵本作家でもあった宗助の父が、生前刊行を成し得た唯一の作品であった。絵本コンクールに佳作入賞した父は、幾分かの費用を捻出して自費出版をしたのである。費用の何割かは出版社が負担した。父の話では八割が自己負担ということであったが、これは彼に言わせれば佳作入賞であれば順当なところであるという。元より出版に関して門外漢の宗助には、高いとも安いとも判じようがなかった。なので、宗助は恬淡に、大分掛かるかねと問うた。内心、採算の取れるかも判らぬ出版に際して金が掛かるなんて馬鹿げた話だと思いつつ。なんとか用意できるくらいだね、と父は笑った。親父はこんなところでも金を絞り取られるのかと、宗助は憤慨した。


 どうして父の面前には、いつも決まって頼りない希望の端緒が見え隠れするのか。そのように不安定なものであれば、一思いに断ち切ってしまった方が当人にとって余程仕合せであるに違いない。そう考えるのだけれども、作品が出来上がるのを心待ちにしている純朴な父を見るに、無粋な横槍を入れるのも憚られる。親父も若くはないのだから、いつまでも夢だの芸術だのと言っていないで、実直に仕事一本に励むのが上分別というものだ。こういった世間並みの意見もある。しかし反対に、俗塵を厭う父の性質を色濃く受け継いだ宗助の胸の内には、非凡ではないにしても確かな父の才能の行方を見届けたいという思いがある。また、超然として我道を歩み、仮託ない苦悩の前に跪く父の在り様に一種の憧憬の念を抱きもするのである。

 

 彼の父は世間並みに軽薄ではなかった。故に世間並みの幸福をなにひとつ享受し得ない人間であった。よしんば手に入れたにしても、端から取り零してゆくような人間であった。理想の業炎に身を焼き尽くさんとする狂気の人間であった。彼は処刑台の階梯を上る度に、人間から遊離してゆく。そうして自らが或る刑により処されるのを最上の喜びとする人間であった。この不器用な自己是認を宗助はつくづく眺めた。父の背中を見詰めながら育ち、父の薫陶に依らず、その在り様を深く胸に刻み込むことで、宗助の心には身も蓋もない程の冷厳な合理主義と、夢想的な人道主義、博愛主義が芽生えた。それらは決して融和することも、理知に依って統合されることもなく、分裂気味な彼の脳髄に奇妙な按配で並存していた。


 宗助の眼には長ずるにつれて、父が聖人の如く映った。そして、最も醜陋な愚物とも映った。また、父を凝視する同じ眼で、自らを仔細に観察することを忘れなかった。宗助は僅かに身の震えを覚えた。父と種を同じくする狂気の種火が、己の腹の内に既に胚胎しているのを確かであると感じたからである。


 正直なところ、宗助は自身の内に父程の熱情を持ってはいないと自覚している。先に述べた心中に二律背反する主義主張の如くも、観念の域を超出する程に強固な形をとってはいなかった。ただ、未だ定まらぬ心をどこか一点に集中するとなれば、自らもまた父と同じようにどこまでも走り続けることしかできないような、そんな気がするのである。むしろ熱情の有無などは問題とされないで、自己を肯定することのできない不安が、父をあそこまで駆り立てていたのではあるまいか。そして父の勇猛がそこに起因するというのならば、畢竟自らも同じ部類である、と宗助は考えるのである。それが憶断であれ、対比的に父を眺めるとき、彼は一種の自己愛、変にもどかしいような、泣きたくなるような、そんな心持ちになった。それは宗助の臓腑に酒のようにゆっくりと染み渡った。


 項をはぐる、この半端な作物が唯一であることのうちに、父が作家として大成しなかったことは明白であった。父の在り様は作家と呼ぶよりは熱烈なディレッタントといったところであったが、その創作熱だけは決して人後に落ちるものではないと宗助には感ぜられた。果たして、父は生活の全精力を挙げて創作に取り組んでいた。それがこの一冊の絵本へと結実し、衝迫が単に夢想的な狂熱の域を脱し、真に鑑賞に堪える諸作品を産み出し得る才覚を有するか否か、その判断を世間が下す前に、彼は呆気なく脳溢血でこの世を去った。世間に認知されることもなく果てた父が遺した物は、膨大な仏教書と数十冊に及ぶデッサン帳、そして、この一冊の小さな絵本のみであった。父の死そのものに涙するよりも、やや鬱屈した形ではあっても彼を尊敬していた宗助にとって、最後に遺されたこのちっぽけな絵本こそが最大の悲哀を惹起した。なにもないのであれば、それはどれだけの救いとなるであろう。なにものも、受け継がれず、遺らないのであれば。父が生涯を賭けて遺したもの。父の生涯の象徴。父の葬儀の後、宗助はこの絵本を胸に掻き抱いて咽び泣いた。


 ――これはなんという象徴だろう。人間の本質的ペーソスの凝結だ。

 

 追想に耽りながら、宗助は幾度も読み返した絵本をめくった。全文は既に頭のなかに叩き込まれている。それが画面の展開に合わせて、父の低く情感に富んだ声音で再生される。父が読経の際にそうしたように、どこか音楽的な抑揚をつけて。


 あるよる きらきら おっこちた。

 とおい おそらの ほしのたね。


 よぞらを みあげて ないている。

 かなしい さみしい かえりたい。


 よがあけ たいよう わらってる。

 げんきを だそう めをだすぞ。


 ぐんぐん ぐんぐん のびていく。

 ずんずん ずんずん めざすんだ。


 あるひ とりさん ききました。

「どこまで いくの?」

「あの ほしさ」


 あれあれ こまった もうのびない。

 さらさら そよかぜ ささやいた。


 ふとみた みんなが あそんでる。

 おおきな りっぱな きになった。


 こどもも いぬも たのしそう。

 ふんわか うれしい きぶんだよ。


 ともだち たくさん できたんだ。

 とっても しあわせ ……。

 あったかい。


 きょうも あのほし みつめてる。

 いつかは かえれる きがするね。


 自動再生が終了すると、直ちに心拍数が上がった。心臓を諸手で絞られているように。不規則に流れる血液がこめかみでごうごうと音を立てている。


 ――生肉の臭いがする。またいつものあれが始まるぞ。


 喉には異物感を伴った圧痛が生じ、吐き気が渦を巻き始める。乾きかけの水彩画に水滴を垂らしたように、今まで明確に認識されていた視界が滲み、曖昧な色彩の混濁へと変貌する。この前兆を過ぎると、今度は本格的な頭痛と、眼底を刺し貫くような痛み、因業な吐き気が延々と続く。そうなると多少前後不覚のような按配になって、ベッドに倒れたまま身動きが取れなくなってしまう。それらは半日以上も取り付いて離れず、毛布に包まった宗助の上半身に暴風雨のように襲い掛かり、近頃彼を悩ませる執拗な咳と年来のアレルギーも手伝って、冷や汗と鼻汁と唾液でベッドを水浸しにし、彼を老人のように困憊させる。

――十年以上こんなことはなかったから、すっかり治ったものと思っていたが、人が病気に侵されていると知ると、神経症も加勢してとどめを刺しにやってくるらしい。それにしてもなんてやくざな身体だろう。碌に考え事もできないんだからな!


 燐の発火するような音が聞こえる。宗助の目の前に地獄が現成する。現成した地獄がシャーマニックな幻視ではなく、単なる抽象観念的な把握であるにしても、些か尋常でない感覚に、宗助は猛烈な吐き気を催した。この絵本に限らず、全体的な調子として明部を強調したもののなかに、隠すに隠し切れない暗部を見出したとき、宗助は一瞬にして相対的な無明に定位される。それは明部を巧緻に強調すればするほどに傾斜の度合いを強めてゆく。文字通りに我を失うような強烈なコントラストに、宗助は眩暈するのである。


 してみれば殊更、この絵本を読み返して暗澹たる心持ちに沈み込むこともないと思われる。しかしながら、彼にはひとつの計画があった。父の遺産を完全に読み取り、それを構造化しつつ、極地上的な地平へと転写することである。彼はそれを文章に認めようと思い、絵本の語る思想的な部分を抽象し、それに様々な照明を当てて再認する作業に着手した。さながら、聖典を紐解く信徒の如くに。


 先ずは父が遺した仏教書を足懸かりに、仏法の深奥を窮めるべく邁進した先人達の書物を読み漁った。父の宗派の内外を問わず渉猟し、蔵書にある仏教書を読み尽くした後は西洋哲学に目を向け、そこから認知心理学、行動心理学などの専門書を耽読した。幽玄な、また或るときは強壮な野生児の如き様相を呈する、玄妙なる仏教哲学に蕩揺する夢想の日々。


 このような浅薄な知識探求を人は冷笑することであろう。実際、宗助の身に付けたものとあっては、脳内を圧迫する使い道の無い術語ぐらいのものだった。無意味であることを自覚しながらも、索漠とした一文の金にもならない仕事に、頑迷なまでに固執するのは他でもない。この空疎な作業に、ある種の仄暗い自涜の悦楽を感得せんが為である。


 無意味であり、無目的なことであればある程、それは彼を夢中にさせた。単に無聊を慰めるというだけではない。空漠たる自己を再認し、世界をもまたそのように分節する。あらゆるものを無化し尽くした先に、生き生きと発出する本源の脈動を感ずる。これはなにも仏教、禅籍からの引用などではなく、以前より自然と彼の内部に萌していた考えであった。父の蔵書はこれをより強固に仕上げた。厭世的、との声は免れまい。その傾向は顕著であるし、少なくとも表層的には、聖化する為に事物を貶めようというのだから。


 超然とした視座と、極地上的な、身も蓋もない社会化された視座が彼の内部に混在する。前者は世界を蔑視し、人間の滑稽味を嘲笑う。現実から遊離した生活を送り、窮乏と孤独のうちに死んだ父を持つ宗助には、当然後者を強く意識する必要があった。


 ――どこまでが父の本当であったのだろう?


 何故、仏教を必要とするのか。それは救いを求めるからである。何故、救いを求めるのか。世に救いが無いからである。世界が自らの望むような在り方をしていないからである。また、自己の本性が望む世界像に著しく背理するからである。そうして或る者は単純な救済を望み、或る者は現世を思い切りよく放擲する為の論理を宗教に夢見る。それは可能であるか? 大悟に至った禅師はこれを迷妄であると一蹴する。


 しかしながらと、彼は考える。仏教のこの態度、悟りを開くだの開かないだの、それが哲学的論理に基づくものであれ、内観によって直接にもたらされたものであれ、それは端的に有・無意味の重層化に過ぎないのではないか。右顧左眄する知識からの脱却を目指し、平穏無事な野生児を打出することを希求した禅の、それが結局のところ知性による凡俗な理性からの遁走という前行動的知的当為であったように。


 屋根のある家に住み、服を着て、日に三度の食事ができれば事足りる。他に特別付け加えるべきなにものもない。それだけで、事足りてしまうのである。このなんのドラマも無い耐え難い無聊。凡そ精神的とは言い難い肉体に緊縛されたこれに耐えられなくなると、人はいそいそと宗教に逃げ込んでみたり、自分でもどこまで本気なのか判らぬままに、社会化という名目のうちに自己を普遍化してみたりする。そうして普遍化された自己、本質的に一クラスの構成員に過ぎない自己に気が付くと、今度はこの逃避をより個体的な、実存的な方向へと狂熱的に推し進める。ここにおいては自己の普遍化でさえ、強烈な痛苦を伴う実存的充実へと転化される。


 この形式のうちに自己の欺瞞を解消してしまう、実存への遁走。それは逃避的に実践した場合に起こる存在様式であるが、実際のところ、どうなのであろうか。父は、どれ程に自身に肉薄したのか。宗助は黙考する。


 無論、付け焼刃の宗助が一蹴できる程に、仏教の玄義は浅薄ではないのであるが、彼の宗教に対する目付きはこのように常に懐疑的な反発にギラギラと光っていた。彼にとって、宗教はただの技術であった。幼年に失った信仰心は、また別の形で宗助の胸中に新生しようとしていたが、しかし、郷愁にも似たその甘い感覚は、ともすれば見苦しい復仇的な態度に反転した。これは宗助自身の性質に起因するのであろう。とかく気の強い面と気の弱い面とが背中合わせに張り付き、捩れたような按配である。そこへ幼年より腹の内で肥大した疑義と経験、磨耗した神経とが加わり、彼の精神構造は一層面妖なものとなった。彼はまるで不貞を働く恋人に粘着するように、いつまでも対象の周りを蝿のように飛び回りあれやこれやと思索を巡らすのに満足で、一向対象自体に向けては働き掛けようとはしないのであった。もっとも、世間一般の人間にすれば奇異に映る宗助も、見ようによってはある種の求道者と言えなくもない。宗助が憂鬱になるのは決まって、自分以上を望むからであった。世間の人間は身の丈にあった事柄に応接の暇なく、常に自分自身に終始していて、そういった憂鬱を持たない。存外、それが仏法の本義であると感じているが故の、宗助の苦悶であるのかもしれないが……。


 ――おれは自己を親父に投射しているな。これは欺瞞だ。おれは親父の原理に仮託しておれ自身を解剖しようとしている。これは親父の仏教に対する在り様より、よっぽど汚らしくて醜悪だぞ。一等下劣なやり方だぞ。しかし……。


 父を知るということは、自分を知るということであった。父の胸の内に穿たれた底無しの奈落は、自分自身のそれと全く同質のものである故に。そうして父の在り方に参究することで、類似する弱さをつぶさに観照し、巣穴から無限に湧いて出る虫のようなそれを、指の腹で押し潰す。父を捉えて終生解き放つことを許さなかった原理、それがどれ程馬鹿げたものであったかを強く認識するとき、宗助は陰鬱な喜びを覚える。先の自涜の悦楽とは正にこのことであるが、そのように自虐的な思索に耽る一方、全く正反対の意志が鬱勃として湧き上がるのを感ずる。あの朴訥で、余りにも感じ易く、故に廉潔でもあれば淫らでもあった父を救い出すこと。それは彼自身の救済を意味していた。


 ――駄目だ……。これ以上頭が回らない。少しだけ……。


 間歇的に湧き上がる取り留めも無い思索を廃して、宗助は常備している観葉植物に投与するアンプルのような、エメラルドグリーンのカプセルを飲み込んで、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。即効性の高い薬とはいえ、十全な効果が現れるのには半時はかかる。宗助は悪寒に波打つ痩身をベッドにぐっと押し込めた。頭痛は更に悪化する。拍動に合わせて、後ろ髪をぐいぐい力任せに引っ張られているような感覚。そうして、宗助の耳元では誰か知らない男が性急に彼を呼びつけているのである。


「おい! おいっ!」


 宗助は身震いしながら、眼を固く閉じた。




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