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蒲公英  作者: 東間 重明
15/27

リプレイ

 

 翌日、長田は早速昔馴染みの友人の話を宗助に聞かせた。仄暗い期待と反発は宗助の思いの他素直な返事に打ち消された。


「それは大変だな」同情のこもった様子でもなかったが、頻りに尤もらしく頷いている。


「色々と変わった奴ではあるから、宗助と話が合うんじゃないかと思ってね」


「お互いに家庭環境に問題がある者同士って訳でか?」


「そうは言ってないだろう。まあ、会ってみたらいいさ」


 長田は意地悪くにやつく宗助から目を逸らした。僻み根性から言うのでないことは長田に良く判ったが、それだけ腹の底をまさぐられるような不快感があった。疚しいところがないではないし、家庭の問題に迂闊を言えば、たちまち激するのがこの面倒臭い男なのだ。


 さて放課後の教室に長田の手引きで件の啓三を訪うと、事前に聞かされた陰鬱な過去からどこか狷介な人物像を想像した宗助であったが、当の啓三は陰惨な印象からは程遠い風貌の、極々当たり前の中学生であった。こうした初見になにか儀礼めいたぎこちなさを毎度感ぜずには居られない宗助は、事前にどんなことを話したものかと考え込んでいたものだが、不思議と啓三の面貌を露に目にするとそうした技巧はすっかり放擲してしまった。


「連れて来たよ。こいつが宗助」


「おう」


 短く答え、こちらに手を振ってみせた啓三は骨と皮ばかりで手足ばかりひょろ長い、度の強い眼鏡をかけた赤髪の少年であり、痩せこけた鳥のような風貌にどこかしら飄逸なユーモアを感じさせた。圧迫感の欠片もない様子が、どことなく見る者を悠揚とした気分にさせた。


「なんや、母ちゃん出て行ったんやろ。大変やな」


 突然になにを言い出す、と長田は気が気でなかったが、当の啓三は悪びれた様子もない。元より悪気があって言うのでなく、その口調もまるで昨晩の夕食について話でもするような気楽な調子であったので、宗助には別段不躾な態度とも思われなかった。差し当たって二人に共通の興味ある話題とあってはそれぐらいなものである。一時は身内の内幕を種に興じることに不道徳を思った宗助ではあったが、相手の不幸話を長田の口から聞かされた手前、こちらもそれに応えねば公平でない、などと意気込んだ。話伝手に興味のある相手でもあったし、些かも深刻ぶったところがない彼の顔つきはいかにも気安かった。


「なにも一方的に出て行った訳でもない。きちんと話し合いはしたさ。元よりお互いにあてがあったことだしな。母親は早々に再婚の運びだし、親父に連れられて会社の行事にも参加してな。恐らくはおれに面識のある誰かとくっつくんだろう。こちらはコブつきでもあれば気も遣うしで当分先にはなるだろうけどな。おれがこんなアンバイだしよ」


「おれはそういうごたごたはなかったから、良くわからないな」


「……やっぱりさ、両親が憎いかい宗助は」長田はじっと宗助の目を直視しながらそう口にした。ぎょろり、と目を剥いて、聞き出される宗助の一言一句を待ち構え敏捷に正誤を精査するように。宗助はそれに淀みなく返答した。


「憎いとは思わないよ。本人達の問題だし、だらだらと仮面夫婦を続けるよりよっぽど潔いと思っている。ただ、その後すぐと再婚などに踏み切る母親にはあきたりない思いもするし、なにか問題を先送りにしているような、駄目だな、上手く口に出せない。なんだろうこれは……。粘性の不快感みたいなものを感じる。とにかく片を付けたいんだろう。完全な実利主義だとか理想主義だとか。どんなに上辺をごてごてと粉飾しても結局のところ、みんなはっきりとラチを明けたいんだよ」


 話しながら、宗助は頭で考えていることがまるで口先に接続しないのに苛立った。濃霧のように不分明な量塊が脳内を圧迫している。宗助はそれに稚拙な着色を施して混濁した色斑を吐き出した。最後には自分自身と対話をしているように。そうして無闇と後頭部をぼりぼり掻いた。


「……それより年がら年中聞かされるお経のほうに参るよ。親父にばあちゃんに、近所の誰彼が四六時中家にやって来ては朗々と経をあげるんだ。毎日毎日、一日三時間は経を聞かされる。十年このかた、一日と欠かさずだ。門前の坊主式ですっかり覚えちまったよ。信仰は自由だが、こっちの都合も考えてくれると良いんだけどな。人が悪い訳ではないから、こちらも大っぴらに嫌な顔はできん。まして家がこんな状態でもあるしな。おかげでおれは物心ついたときから頭痛持ちだよ」


 一度箍が外れれば堰を切ったように不満の汚濁は口を突いて出た。みっともないと自制しようにも抑えが利かなかった。じん、と身体を快美感が貫いた。思えば人前にこれだけ具体的な不満をぶちまけたことのない宗助である。ありとある罵詈讒謗が頭に去来した。身も世もあらぬ破壊の衝動に駆られた。


「そりゃ嫌になるわなァ」


 相槌を打つ啓三に、宗助はまるで性的興奮に赤く濁ったような狂暴な目を向けた。


「お前のところもだろう。母親が……」


「ああ。首吊って死んだわ。居間でな、兄貴が最初に見つけて、あ、おれ兄貴がいるんだよ。十歳離れてるんだけどな。それで、兄貴が見つけてな、何事かと思って声かけたら、こっちに来るな、って言うんだわ。でも見えちゃってんだよな。ぶらーん、てな。知ってるか、首吊るとな、小便うんこだだ漏れなんだよ。畳がもうぐちゃぐちゃでな。なんかずっと兄貴がやってたわな」


 本人の口から聞く体験は凄絶そのものだった。他人事のような話し振りが一層印象を強めるようでもあった。宗助は啓三の述懐から、当日のその瞬間へとイメージを逆送させた。畳敷きの和室に吊られた母の死体。その苦悶の表情は窺い知れない。それは宗助の想像の外である。ただ一点、縊死した彼女に駆け寄る兄の浮つき、取り乱したなかに常道の整序を見失わぬ悲劇の足取りを詳らかに目視するようであった。そうして彼の意識には、やや毛羽立った畳の整列したイグサの一本一本が眼に突き刺さるように暗示され、その上を茶褐色の尿や糞塊が汚す様を幻視するに至って、唐突に物理特性のみが支配する日常性の壁にぶち当たった。何者かに後頭部を引っ掴まれ、その畳に押し倒される。目睫に迫る量塊。日常性、日常性、日常性……。想起は断絶する。彼我は分離する。


「やっぱり堪えるよな。おれには想像もつかない」


「ひざにな、こう、がつーんとローキック貰ったような感じだわな。おれにもお前んちの事情はわからんけどさ、めんどくさそうだわなァ。その宗教にしてもアレだろ? お布施とか払ったりするの、やっぱり」


「さあ。現金で、という訳ではないだろう。もっと有益な労働力として還元されるんじゃないか。裕福な家ならどうか知らんが。なんというか、真綿で首を絞められるようだ」


「ははは、真綿でね。じんめりしてんなァ、お前んち」


「断頭台式も御免被りたいけどな。やっぱり家庭なんてのは病の温床なんだよ」


「お前見てたら、松田優作思い出したよ。ほら、あの……」


「家族ゲームか?」


「そうそう。全体にお前、昭和臭いんだよ」


「そんなものを知っているお前も相当だろう。第一昭和の生まれなんだから、なにも問題ありゃしない」


「まあなんにしてもあれだ。糞だな。糞。勝手にしやがれ、だ。不条理、不条理……」


「そのうち人を殺して、太陽のせい、だなんて言い出さないでくれよ」


「なんだそれ、映画の台詞か?」


「ムルソー君を知らないのか。お前の英雄だよ」


 親近感が宗助をしてそう言わしめたが、それは宗助自身の表象ではなかったか。


 ともあれ、こうして啓三との初会を経て、そこに宗助の小学校からの友人である秋山と同級に秀才と評判の井本とが加わり、宗助はもっぱらこの四人と交際した。秋山は宗助と同程度に学業不振な男であったが、一般に素行が悪いというのでなく、酒もやれば煙草もやるが、悪擦れしないという点に於いて純真な当世風の少年であった。どちらかと言えばどこか教師を思わせる面倒見の長田に対して、こちらは女性的な念慮に優れた性質であり、そこから多く女性にも幅広い交友関係を持っていた。青臭い放縦に身を任せるにも、圭角のない丸みを帯びた感情的性向が宗助のとかく事を荒立てる癇症に上手く対応した。


 一方井本は評判通りの秀才であり、加えて運動神経も良かったので教師、生徒ともに覚えの良い男で、何でもそつのない人間もあるものだと宗助は感嘆した。彼は特定の派閥や個人に無闇と恋着執着するということがなく、敏活な若い猫のように颯爽と人間を往来した。無邪気な趣味人振りが怜悧な一面を上手く包み込んで、その人当たりの良さから孤独の感はない。


 こうして自分に物足りなく思う部分を補うように、お互いに敬念をもって交際することのできる人間があることは、どれだけ救いとなることだろう。交遊の誘いを向けても、自家に「御宅の息子さんとはお付き合いさせません」とわざわざ断りの電話を受ける宗助である。皆どこか尋常一般の人間でなかったが、さりとて型通りの不良少年というのでもなかった。それが為、教師連は尚のこと手を焼く羽目になるのだが、宗助などはまったく風馬牛の体であった。


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