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蒲公英  作者: 東間 重明
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月を射る陽


 次第に交際するうち、長田の規律や理論を好む性格が理解された。規律や理論に感情を解消しようという試みは独善的ではあったけれども、あくまで自身に納得のゆく地平に独自の権威ある規範を建立せんとする長田の狭窄な思考を、むしろ宗助は好ましく感じた。そうした偏頗を省みることができることはなお宗助の気に入った。そこで彼は頑固で気の良い友人が自身の失敗を世俗締的な理論とも言えぬ納まりかえった技術に仮託するようなことがあると、なにを笠に着てやがる、と冷然と指摘した。長田はこれに赤面し、宗助の冷ややかではあるが、少しも得意なところのない憤懣に気が付くと、平素そのだらしなさや優柔不断に閉口し軽侮の念を抱いていた自分に恥じ入った。そうして始終口喧嘩をしながらもどうにか今日まで友情の絶えないのは、偏に長田の温厚な性質と面倒見の良さによるものであろう。放っておけばどこに飛んでゆくものか一向わからぬ宗助を、またその性情故に気に入りもし、長田は或る日宗助を自宅に招いた。


 長田の宅は町の中心から南へ僅かに逸れた閑寂とした住宅街にあった。事前に連絡は取り付けてあったものの、塀をぐるりと回り込み、重厚な門扉を前にすると、些か気後れのする宗助であった。話半分に聞いたところでは長田の父親はPTAの会長を勤め、町の中心に商店を構える、言わば古参の顔役とのことであった。それが為とばかりは言えないが、根が小心に出来ている宗助のことであるから、初めて訪問することでもあるし、失礼があってはならぬと無闇に緊張し、襟を正した。


 さて門扉を潜るとそこは丁度良い小庭であった。玄関までたいした距離も無いというのに、宗助はぐずぐずと小庭の苔むした石灯籠だの日光を受けて晴朗な感じのする青桐の葉や、馬酔木や玄関脇の夏椿などに目を向けては気を揉んでいる。やがて決心が着くと、玄関の戸をそろそろと開けて、


「ごめんください」


 応えはなかった。時間を確認してみたが、間違いはない。さて少し声が小さかったのやもしれぬと、今度は声を張った。


「ごめんください!」


 しばらくそのままにしたが、やはり応えはない。なにやら奥から人の気配のするようであったが、家人の応えがないのなら仕方がない。なにか自分に不備のあったことかもしれん。しかし、約束をしておいてこれではまるで門前払いの体であるな、と独りごちつつ宗助は長田宅を後にした。


 後日、長田が昨日は何故来なかったかと聞いたとき、宗助は鼻白んだ。


「行くことは行ったさ。しかし声をかけても誰も出て来ない。だからそのまま引返したんだよ」


「そりゃ悪いことをしたなあ。奥の部屋で本を読んでいたんだ。でも、返事なんてなくても、約束をしていたんだからそのまま上がっても良かったのに」


「家人の返事も聞かないままに勝手に上がり込む奴があるか。おれは泥棒じゃねえんだぞ」


「そうだな。ごめんよ」


 宗助は今になって昨日の自分を馬鹿らしく思った。こうした癇癪めいた感じ易さはおれの弱点だ。どうにかしなくてはいけない。考え出すと毒気も抜けて落ち着いた。


「学校の帰りがけにでも寄らせてもらうよ。お前も一緒のときが都合だな」


「別に一人でも来ればいいじゃないか」


 家の者に気兼ねするのだろうか。妙なところで小心な奴だ、と長田は笑うのであった。


 授業が終わり、用事のあるという宗助と別れた長田は帰宅するとその事を母に話して聞かせた。


「しっかりした子だねえ。話では随分変わった子らしいけど」台所に立って夕飯をしかけながら母は言った。


「家庭に問題があるからか、妙な奴だよ。目付きなんかとろんとしちゃってね。無理無体かと思えば変に真面目だったりするから。突拍子もないことをしでかす割には、自分の傲慢が教師の寛容に狎れている、期限付きの代物だということを良く自覚しているよ、あいつは」


 長田は食卓に着いて頬杖しながら、良く知る幼馴染を思い起こした。自分の知る限りの峻酷な運命のなかにあって、予てよりの明朗な性質を失わぬ知己を改めて頼もしく、快く想った。それは彼を知る母も同様であった。


「やっぱり大きな事件なんかがあると、変わるのかしらね。特別苦労した分。啓三はやっぱり偉いね。あれだけ大変なことがあっても、変に非行に走ったりおかしくならなかったんだから」


「うん。偉い」


 啓三の母は三年前に自室で首を括って死んだ。この心痛極まる事件は幼馴染の心にどれだけの爪痕を残したことだろう。訃報を聞いて駆けつけたものの、友人にかける言葉もなく立ち尽くした当夜の無力がまざまざと胸中に蘇った。一時笑顔を失った啓三もそれから一年、二年と経ち、内心の屈託はともかく、凡そ以前と表面上は変わらぬ大らかな性質を保ち続けている。


「啓三と宗助を引き合せてみたら、ちょっと面白いかもしれないね」


 ふと、そんなことが口を突いて出た。長田にこれは妙案と思われた。ひとつには宗助に対する同情とも憐憫ともつかぬ心持ちから、また互いに全く異なる印象を持つこの二人の少年に、しかし共通するところの拗曲を受けてなお光彩を失わぬ純真と意力とが、どのように互いに作用するのか、どのように化合し、止揚されるものか。この二者の音楽的結合を長田は胸に想わずにはいられなかった。太陽と月のような(これほどしっくりくる暗喩もない)、陽性と陰性に別たれたなかに、極微量の相似を持つ両者を引き合わせたなら……。元来世話焼きでもあり、二人を引き合わせることの煩を厭わぬ長田ではあったけれども、自身の感興を満足させるのに、二人は好個の材料であった。また、歳不相応に超然とした宗助が、困難に直面しながらもねじけたところのない少年に出会い、我が身をどう思うものか、一体にどんな顔をして見せるのか。なにやら後ろめたい期待をする嗜虐の趣味もあった。


 ――どちらにせよ、お互いに良い薬になるだろう。


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