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蒲公英  作者: 東間 重明
12/27

スクリーン


 ――正月に帰省した叔父は、十かそこらでもう爺のように背中に哀愁が漂っていると宗助を評した。なるほど、言われてみればその通り、と宗助はその評の適当なことににやにやと微笑んだ。生っ白いでか頭を乗っけて思案げにうつむき歩く自分の姿が目に浮かぶようである。


 まったくそのようですね、などと自嘲まじりに答える少年を想像してみて貰いたい。叔父にしてみれば、随分気味悪い甥である。笑う声にも元気がなく、少年らしい奇妙な矜持も見受けられぬ枯淡の笑いを聞くと、不意に叔父は先程の人物評を撤回したい心持ちがした。宗助の表面的な調子とは裏腹に、彼の内面の見通すことの出来ぬ底には理解の及ばぬ激越なリズムが脈打っているようで、ふとそのアンバランスが不吉に思われた。


「公園に遊びにでも行くか、宗助」


「うん。行くよ。アイス食べたいなァ」


 叔父は宗助を伴って公園に向かう道すがら、広場の外縁にある売店で宗助に菓子とゴムボールとを買ってやった。それを宗助は無邪気に喜んだ。それから、叔父はベンチに腰掛けて、買い与えられた菓子を食いながら、公園の広場に遊ぶ宗助をとくと眺めた。のろくさとボール遊びに興じる宗助には、なるほど少年らしい活発さは見受けられず、覇気のない内気な、極々一般の少年のように思われた。そこには先ほど感じた疎通を障碍するような硬く引き締まった抵抗はなく、どうかすると同年代の子供より余程やわらかい子供らしさを備えているように感ぜられた。


 叔父は自らの少年時代を回顧せずにはいられなかった。彼もまた、凡そ宗助と同じ時分に父を病で亡くしたのである。兄はそのとき中学生で、下の妹を含めた五人の兄妹を母は女手ひとつで育て上げねばならなかった。それまでの環境と状況とに同一化している自己は粉砕され、彼は新しく組成された自己の、まったく新しい眼をもって事態を俯瞰した。彼は今までの柔弱な自己を戒めねばならぬことを知った。彼は父の厳しい倫理と道徳とが、自らの心にぴったりと寄り添うのを感じ、それは彼の身内に清々しい矜りとなって結晶した。環境が変われば厭でも人は自らを変革せねばならぬ。より良き方向に自らを導かなければならぬ。


 そこで、宗助の争闘を好まぬ性質と素直な心根を自らの少年時代に於ける精神的変遷に鑑みると、叔父の心中には一抹の不安が残されるのである。家庭の崩壊と両親の抱える問題とが、彼に上手く内在化され昇華されなくては、その素直な心根からかえって反動的に反発を強め、且つ、争闘に向かぬ内向的性質がそれを助長する形で内攻し、自縄自縛に陥りはすまいか。兄は宗助を放任しているようだが、やはりそこには宗助に対する負い目がありはすまいか。父の重責と、未済の感覚、それを宗助は自らの身に引き受けるようにして感じ取り、鋭敏に見抜いている。形影相憐れむではないが、この父子の歪んだ紐帯が、宗助の父に対する目付き、また社会や慣習に対する目付きに厭世と侮蔑の調子を一段に与えている遠因なのではあるまいか。叔父は宗助を、より真っ当な道に導いてゆく存在が必要だと考えた。


 ――甘ったれるなよ、宗助。お前は自分をスクリーンに投射するように物事を捉えている。だが、誰もがお前のような考えをもっている訳じゃあない。兄貴もおれも、お前じゃない。社会に出れば、自己だの自我だの、そんなものは一切問題にもされない。必要性だけが尊重される。真っ当な人間になるんだ。独立不羈の道は、恐らくお前にそぐわない。兄貴が失敗したように……。只、健全であれば良いのだ。


 咽喉元まで出掛かる言葉を、叔父は苦心して飲み込まなければならなかった。何れ、兄貴の決めることだ。宗助の決めることだ。


「暗くなってきたな。宗助、帰ろう」


「うん」


 叔父は宗助を冷然と分析する自らの玄義が、亡くなった父から受け継がれたものだという感じに、ふと強く胸を打たれた。そうとすれば、宗助の胸のうちにもまた別種のドグマが形成されて良い筈で、恐らくそれは宗助にとっての、父の形見ともなることであろう。そうして先の思索を反芻しながら、叔父は苦笑した。彼は自らが冷静なようで、平静を欠いていることを知った。自分の宗助を見る眼差しの奥底には、誰もが持つであろう己が青春に対する苦々しい悔恨が、暗く鈍くはっきりと輝いていた。


 思えば因果とは悲しいものだ。母が、そして兄が信仰を持つに至ったそもそもの原因は、父のあまりにも早過ぎた死ではなかったか。そうして信仰に済度されたものに、宗助は自分でも制御できぬ荒気ない怒りの矛先を向けている。どのようにも、人間が救われることはないのだ、と彼自身もまたなにものかの赦しを乞いながら。


 夕暮れの公園を先に立って、ぽんぽんと青いゴムボールを蹴り上げる宗助は、叔父の胸中、知る由もない。



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