鈴が鳴る
幾日かが過ぎ、祖母の選んだ極楽鳥の尾羽のような派手な色彩のセーターと、黒いハーフパンツを着込んだ宗助は新しい小学校に転入した。宗助のやって来る前、同じように転入した生徒が一人あって、彼が宗助の面倒を見た。彼の案内で登下校をし、辺りの地理を飲み込む頃には学校にも幾分馴染んだのであるが、当の水先案内人の少年は父の仕事の都合で早々に転校してしまった。彼との間に然程の思い出も残されなかったが、その僅かなふれあいのなかにも鮮明に思い出されるのは、両親が共働きであった彼の住むマンションに招かれたとき、相伴にあずかった、屋台売りのたい焼きである。彼はひとつしかないそれをふたつに割り、おれはいつも頭から食うんだ、宗助くんはしっぽから食うタイプだろう、と言って、しっぽの方を宗助の皿に取り分けた。そちらの方が大きかったのである。それを宗助は不思議と忘れられなかった。そしてこの記憶を辿ると、なるほど、彼にも自分のようにどこか孤独の感じがあったように思われる。転校生に通じる肌触りといったものがあって、お互いにそれを独特な触覚で確かめ合っていたのだ。そういえば……と、それからそれへと彼に関する細々とした記憶が呼び起こされた。宗助は僅か一片の心事から思いもかけぬ豊富な内容が引き出されることを考えると、たった一日の記憶にどれだけの質量があるのだろうと、今更ながら驚かずにはいられなかった。そして、人は他者の思い設けぬ言行をどれほど精確に、また新鮮で独特な仕方で覚えていることだろう。宗助は郷里の友人の胸にも自分に関するこういった記憶の一片があって、それが各々の脳裏に独自に展開し、様々な形で自らが蘇生されるのを観じ、詩情のうずきをおぼえた。宗助は全く宣明したい心持ちであった。彼の少年に、おれはあのときのたい焼きを覚えているよ! と。あらゆる関係、一切事物はいずれ破綻し滅消するものであると、虚無的な行動原理に毒されつつある自身への困惑にも似た焦慮を、それは一時洗い清めてくれるようであった。
このような些細な情動に些か躁病じみた高揚を示す一方、恍惚の一時が過ぎ去ればたちまち反動的にそれを壊しにかかるような陰々滅々とした思考に駆られるのも、常に変わらぬ宗助であった。
――おれの思い描いた彼は、彼自身ではなくて、おれの所有なのだ。それは彼を模して作った像に過ぎなくて、おれはそれに勝手気ままに彩色して悦に入るに過ぎない。精神作用をもてあそんでいるだけだ。人もそうだ、とは断言できない。けれども、おれはそのような仕方でしか他人と接することが出来ない。なるべく綺麗な仕方で。本音を言ってしまえば、なにもかもがどうでもよいから。なにも信用に値しないから。世の中の人間というのは、どうして自分の仕方にあれだけの確信をもっていられるのだろう。何故、平静でいられるのだろう。こんなことを考えるのはおかしい。夢のなかにいるみたいだ。予定調和のように。しかし、綺麗なもの、美しいもの、とはなんだ? 言ってみろ。それは外部に無い。内部にあるのでもない。正にそうあるように所有するということだ。馬鹿らしい! おれには自分という自分など無いのだ。どうしてか他人が当たり前にもっているそれが無いのだ。
それは奇妙な劣等感である。彼は何につけ、没頭したり集中するということが困難になった。同級生と遊んでいる最中にさえ、どこか恣意的な言行が目立ち、皆の反感を買った。小学校卒業時の成績表は五段階評価であったが、全ての項目が一で統一され、欄外には投げ遣りな子、という担任の総評が心情露に投げ遣りな筆致で記されていた。それはまた、彼に対する家族の評価も同断であった。その時分、宗助は覚えたての煙草と酒を自家の裏庭でやっていた。吸殻をいい加減に放置していたのが祖母の知れるところとなり、隣家の住人が投げ捨てたものと勘違いした祖母は早速隣家の板塀に文句を書きつけた半紙を貼り付けた。
――人の庭先にゴミを捨てるなど、人間のすることではない! 地獄に堕するがいい!
舌鋒鋭く、水茎も艶やかであった。書かれた文句に倉皇として半紙を撤収した父は宗助が犯人であることをじっくりと祖母に説明しなければならなかった。後日、父の手から灰皿が手渡された。それは父の使い古した灰皿であった。喫煙と飲酒の事実に対するお咎めはなく、父は少年の反抗というものに理解のあることを示すのみであった。ただお前の信じることをのみ為せば良い、と。父の話を聞きながら、宗助は自分が父親の心中を忖度するのでないということを少年らしく強調することに骨折った。父が離婚の後、宗助に対して迎合的になっているのは誰の目にも明らかであった。自分を信じろと言う父の説は、宗助の外表的に反抗的と見える一切の根底的不安と不信を捉えてはいなかった。それは現行の規制に対する反発ではなく、むしろそういった反発をも含めた規矩準縄を援用することの出来ない自己に対する恐怖である。別段自分を主張したいが為に反抗するのでない。主張するほどの自己がないというだけのことで、これは一種の錯乱であり、飲酒と喫煙はそれを自覚しないでいられるように用いられるタブレットであった。それは父や祖母の宗教のようなものだ、と宗助は考える。甲殻類のように分厚い殻に閉じ篭る。どうして上手い具合に接続しないだろう。
そう捉えてみれば、父と祖母の朝夕の誦経は随分といやらしいものに思われた。
――あんた達だって、そうして持て余した自分を毎度処理しているじゃあないか。
朗々と経をあげる姿を見ていると、二人が今にも薄汚れた外皮を脱ぎ捨てて、新生しようとしているようである。彼らは日毎に新しい自己になる。そういう仕方で生きて行く一個の機関。まるで化け物だ。してみると、おれも一個の怪物に違いない。父が不連続な日常の新生を願うのとまるで同じ在り方でそれはある。日常生活に於ける親和性を欠いた自己の快復こそが宗助の願いであった。言わば日常性といったものの背景に絶えず没してゆく自己を拾い上げ、埃のように降り積もり悪夢のように自他の別なく混沌として朝ごと蹴り込まれる日一日の堆積に、どうにか一貫する確信と明証性が欲しい。そうでなければ、ゴムのような抵抗に絶えず自己を阻碍されるこの現実に、誰が晏如たり得よう。醜くても構わぬ、自欺でも構わぬ。片の付かぬこの身にどうか、真実らしい実感を。思うところは父子ともに同断であれ、いざ鼻先にそれと突きつけられれば顔を顰めるのが世の習いである。
宗助は時とすると自身が外部に向かって無限に開かれるのを感じた。そうして投影された一切事物の間を彷徨い、元ある場所に帰り着くと、そこには不恰好な塑像の一群と、四肢をもがれた自身の残骸が打ち捨てられており、自分はこの致命的な場の底にずぶずぶと際限なく沈み込んでゆくもののように思われた。彼は二つに引き裂かれた自己を健康な本然の在り方に戻す為の綜合的方法を探し求めるが故、他者の、なかんずく父のその方法には批判的な態度を崩さなかった。そこにはやはり意趣めいたものからの反発もあったが、一歩踏み入ればそれが自らの懶惰性と無気力を覆い隠す為の方便ともとれる自らの絵画への姿勢を、父に投射し攻撃することで自己を正当化しようという、あさましい代償行為であることは明白であった。それは宗助も意識するところではあったけれども、一等深刻ということは、こういった精神生活上の暗黒面の細目を倦むことなく解剖し、自らのわずか健康な魂をも乱費する頽廃的生活にあまり粘着する為に、とうとう懐疑の虜となり都合の良い忘却を重ねる結果、人間の光彩陸離たる一面をも否定するに及び、以ってその暗黒面をのみ人間の唯一の可能態であると盲信せしめることにある。事実、彼は父母の離婚から後、厭世的な言行が目立ち、担任教師をして投げ遣りと言わしめた程の倦怠に取り付かれていた。彼の目付きは次第に鋭く卑しくなり、子供らしい快活さなど微塵もなく、老人のようにすがれていった。
そうして現実からどこか遊離した宗助は、この年頃の少年の抱きやすい、妙な具合に確信的な一種鋭利で陰惨な表象に強く惹きつけられていった。それは誰か親族がふと漏らした昔話であった。祖母はそれを頑なに口にしようとはしなかったが、自分のすぐ下に弟があって、その人は十七か十八の時に近所の浅間神社でナイフで刺されて殺されたのだと言う。或る人は女性を巡って男と決闘したと言い、或る人は逆恨みをした男に闇討ちされたのだと言う。人によっては随分な尾鰭がついたものだが、ともかく女性を巡っていざこざがあり、ナイフで刺されて神社で死んだということに間違いはないようであった。それを聞いて、おれの身辺にはどこまでも神仏と女が絡み付いてくるものらしい、と宗助は慨嘆せずにはいられなかった。少年らしい幼稚な憧憬がないでもなかったけれども、宗助の胸中を締め上げるのは粘々と糸引くような疎ましさと、先の妙な確信であった。すなわち、
――おれも早晩くたばるだろう。なにかにぶち当たるようにして……。
鳥居の下で死んだ、親族。俗界と神域。宗助は神社に赴いて、現在する石鳥居を眺め遣った。それは車道の中央に堂々と立っていた。なんの変哲もない、石の塊り。車は鳥居を避けて行く。淫奔の血。狂信者の血。惰弱の血。間隙のような、結界。意識が決壊して、その場に座り込んだ宗助に、通りかかった老婆が、大丈夫? おなかが痛いの? と声を掛ける。それに宗助はいいえ、大丈夫と返し、老婆はなにか信じられないものを見たような顔をして、返事もせずにその場を駆け去った。小さな、恐らくは直径一センチにも満たない極小の鈴がちりちりと鳴って、宗助はその場に嘔吐した。