色に惑う
色に惑う
それは夏祭りの夜だった
湿度の高い空気の中、
屋台は活気に満ち溢れていた
待ち合わせ場所の神社の鳥居の下、
彼女は僕の姿を見つけて
薄く綺麗な手をヒラヒラとさせた
相変わらず少女のような笑顔で
ブルーハワイ味のかき氷を食べる僕を見ながら、口が青いねと彼女は笑った
僕も、りんご飴で赤くなった彼女の口元を見ながら、君もね、と笑った
指摘し返されて、少しむっとして僕を見た彼女の目は
僕の知る彼女よりも大人になったようだった
彼女の瞳の奥の不思議な艶は
ドクンと僕の鼓動を強く打ち鳴らした
ドドンドン、カカカッ!
ドドンドン、カカカッ!
遠くから太鼓の音がした
僕は彼女の か細い手を引いて
屋台が並ぶ通りを抜けていった
人混みが時折、僕らの行く手を阻んだ
手汗で彼女の手を滑らせないように
しっかりと握って、ひたすら駆け抜けた
ドドンドン、ドドンドン!
太鼓の音は絶えることなく打ち鳴らされていた
やがて、神社裏にやってきた
神社裏の大きな木の下には
僕ら二人だけ
ひぐらしが鳴き、蒸し暑い
漆黒の闇の中、
僕らは草木になじむぐらい静かにたたずんでいた
沈黙をほどくようにして、やがて、
僕は自分の唇を、彼女の唇に押し当てた
そのまま何か言おうとしたが、言葉にならず
パクパクとゆっくり唇だけ動かした
彼女も、少し唇を動かした
(ん? なあに?)
僕は、声なしにきいた
ファサファサ、ファサファサ
彼女も声なしに答えるが、何を伝えたいのか分からなかった
彼女も、言葉にならない何かを抱えていたのだろうか
世界一柔らかな、弾力のある蝶が
僕の渇いた唇にとまっているようだった
彼女の赤い唇に僕の青さが塗り重なり、
混ざり合うのを想像した
互いの表情が見えないぐらい暗いから、
唇の色も想像することしかできなかった
赤いのが彼女か、僕かわからなくなった
青いのが僕か、彼女かわからなくなった
赤、青、赤、青……
頭の中で、パレットの上の赤い絵の具と青い絵の具をグチャグチャに混ぜる映像が浮かんだ
胸が熱くなっていく
僕は彼女に言った
「ずっと一緒にいよう」
でも、それは声にならなかった
声の代わりに、彼女の唇を強くはんだ
すると突然、
神社の本殿に明かりが灯った
誰かがやってきたのだろうか
闇に包まれていた神社裏も、
本殿から漏れた明かりでパッと光に包まれた
驚いた僕は、彼女から少し離れた
あれ?
彼女の姿がない
光に照らされた神社裏には
僕と、僕から伸びた影しか存在しなかった
唇には、まだ彼女の柔らかな感触が残っているというのに……
僕は数歩後ろに下がりながら辺りを見渡した
彼女はいない
唇を手の甲で拭うと、紫色が淡く手にしみた
いや、やっぱり彼女はいたんだ
紫色なんだもの、僕が想像した通り!
と、もう一度辺りを見渡そうと視線を上げたとき、
一匹の蝶がヒラヒラと目の前を通り過ぎていった
薄紫色の、やわらかそうな羽を持つ小さな蝶だった
ファサファサ、ファサファサと
音にならない感触をした、優雅な羽の動き……
僕はただ、
その蝶が林の奥へと羽ばたいてゆくのを
見ていることしかできなかった
ファサファサ、ファサファサと
美しく舞いながら消えていった
キラキラとした鱗粉を散りばめながら
僕の方など 決して振り返ることなしに……
ひぐらしが切なげに鳴いた
僕の知る彼女は……
僕といた彼女は……
彼女を思い出そうとしても、
あの蝶のことしか思い出すことができなかった
ドドンドン、ドドンドン!
太鼓の音が遠くで鳴り響いていた
ところで、僕自身はどんな色をしていたのだっけな?
混ざり合う前の、青く色づく前の……
色を混ぜ合わせすぎたパレットの上の絵の具は、結局、期待していた色にならず、
カチャカチャと絵の具セットの小さなバケツで洗い落とされる
中学の図工の時間をふと思い出した
彼女の色……
僕の色……
どんな色だったのか
答えを出せることなく、
やがて、深い霧の中へ意識が遠のいていった
ドドンドン、カカカッ!
ドドンドン、カカカッ!
太鼓の音とひぐらしの鳴き声は、
ずっと脳裏に焼き付いていた