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竜に飼われる永遠は  作者: 花見 もみじ
第一部 一
9/106

竜玉

「なるほどの、リルの町とな。話には聞いておるぞ。紫の竜が暴れ、壊滅したとか」

「うん。私がシャムリルを見つけたのと、そのときの状況はそんな感じなんだけど。少し話をずらしてもいいかな、アステラ。その紫の竜について他に何か知らない?」


 シャムリルの出自と、彼を拾ったときの状況をアステラに説明した後、ロザリアは話の流れを切ってそう尋ねた。

 金色の竜は、葡萄酒の入ったグラスを手の中で転がしながら、答える。


「さて。わしも存在を知らなんだ竜じゃよ。紫の鱗、と聞けば西のイーリス老が思い浮かぶが」

「イーリス爺さんなら私も知っている。でもリルの町を襲ったのは、もっと若い竜だった。それに今生きている竜の間じゃ常識の『町を襲うべからず』って教えも知らなかったみたいだ」


 隣でいぶかしむ顔をしたシャムリルに、ロザリアが補足を入れる。


「おとぎ話でシャムが知っているような『竜災』は、今の竜の間じゃ『避けるべき』っていうのが常識なんだ。町を破壊するような行為は、竜の神威(しんい)を貶めることに繋がるし、縄張りの中の人間や動物がいなくなったら、正直に言って竜の方が困るから。縄張りから食べる物がなくなったら、他の竜の縄張りにまで出張らなければならない。そこの竜と喧嘩になって、下手したら共倒れってことにもなりかねない。だから今の竜は、なるべく人前に姿を見せず、人間を食うときにもいろいろと制限がかかっているんだ」

「わしもこの町を縄張りとして長いが、生きた人間など久しく食うとらん。方々に手を回して、できるだけ鮮度のいい死体を手に入れるので精いっぱいじゃよ」

「アステラだけじゃなくて、今はほとんどの竜が苦労している。さっき話に出たイーリス爺さんは、西の一地方じゃ、それこそ土地の神様みたいに崇められていて、人間からの供物が途切れないでいるみたいだけど」

「久しく会うておらんが、飯より酒が好きな老竜じゃったのう。百年前に会うたときは『牛や馬より酒の供物が欲しい』と嘆いておったわ。そのせいかは知らんが、イーリス老の縄張りは今やこの国有数の酒の産地じゃ。西の米から造った清酒は、独特の風味があって美味いぞ」


 懐かしむように葡萄酒を見つめ、口に運ぶ。


「ふむ。イーリス老の話をしていたのではなかったの。(くだん)の『紫の竜』じゃが、実はリルの町で暴れる前にも、別の場所で竜災を起こしていたらしい」

「別の場所、ですか」


 思わず口を挟んだのはシャムリルだ。

 アステラはその金色の瞳を彼に向けて頷いてみせる。


「東の隣国じゃよ。ぬしも知っておるかもしれんが、当時、この『ライア・レース王国』と東の隣国『シュピタ』の間で小競り合いがあっての。……そういえばリルの町で竜災の被害に遭って死んだ百余人の他に、そこに駐屯していた部隊でも百名ほど殉職者が出たそうじゃが」


 ロザリアが気遣うように目線を向けてくるが、シャムリルは動じていない。


「当時、国境を越えた隣国でも、同じように軍隊が展開しておった。リルの町に駐屯していたような末梢の部隊ではなく、ライア・レース国軍とシュピタ軍、双方の主力がの。その数合わせておよそ二万。それが紫の竜に襲われて、壊滅したそうじゃ」


 あまりにも現実離れした数字に、シャムリルは絶句した。

 二万人――それも抵抗する術を持たない民間人ではなく、兵器を持ち、訓練を受けた軍隊だ。

 その数と比べれば、リルの町の被害など奇跡的なまでに小さいと言える。


「血に酔ったんだね」


 ロザリアがいつになく神妙な口調で呟くと、アステラが「じゃろうな」と首肯する。


「どこで箍が外れたのかは知らぬが、ちとやりすぎじゃ。まともな精神状態ではなかったろうよ。そして彼の竜はそのような虐殺を行ったのち、リルの町に現れた、というわけじゃ」

「その後の行方は?」


 ロザリアの問いに、アステラは首を横に振る。


「とんと分からぬ。どこか人里離れたところに隠れ潜んでいるのか、はたまたシュピタへと向かったのか。彼の竜の行方は杳として知れず、というやつじゃ」


 三人の間に沈黙が下りる。

 やがてシャムリルは、手に持った葡萄酒を一気に飲み干した。


「探し出すつもりかえ?」


 アステラが問いかけてくるが、シャムリルは首を横に振る。


「いいえ。以前ロザリア様にも話しましたがが、あの竜を見つけたところで、僕には何もできません。人の手にはどうしようもない天災を相手に、怒っても仕方ありませんし」


「ふむ……」

 アステラは葡萄酒を一口舐めてから、

「変わっておるの、ぬしは。その若さでそれほど達観しているとは。……これまでどれほどの地獄を味わってきた?」


 まるで全てを見透かしているかのように、アステラは金色の瞳でシャムリルを見つめてくる。


「虐げられ、弄ばれ、心を砕かれ……ぬしの目にはの、ときおりそんな過去がちらつくわ」

「で、しょうね」

 

 うつろな目で、感情のこもっていない相槌を打つ。

 そんなシャムリルの様子に、隣に座るロザリアがたじろいだ。


「しゃ、シャムリル?」


 重くなった空気を変えるように、アステラがこんと澄んだ音を立ててグラスを置く。


「この話は終わりにしようかの。してロザリア。竜玉について、この者にはどの程度話をしておるのじゃ?」


 ロザリアが「実は、全然」と答えて、シャムリルも彼女に合わせて首を横に振る。

 するとアステラは呆れたような顔をした。


「ロザリア……。ぬし、何も知らせずにこの竜玉に『呪い』をかけたのかえ?」


 指摘され、ロザリアは「えへへ」と罰が悪そうに目を逸らした。


「あれ? ですがアステラ様、『呪い』のことはまだ話していませんが、何故お分かりになったのですか?」

「ぬしを一目見ただけで、見当が付いたわ。『不老にして不死』そして『再生』の呪いじゃろ? 呼吸、体温、体臭、皮膚の様子、血の巡る音。そういった何もかもがの、ぬしは人とはまるで違う。この『呪い』をかけられた人間はの、一切の成長をせず、老いもしなければ、細胞が死んで生まれ変わる周期さえ存在しないのじゃ。ぬしは汗をかかず、日に焼けず、シミができることもなく、垢も出ず、排泄もしない。そうじゃろ?」


 全てを見通されているようで、少々ぞっとするが、頷いて肯定する。


「まるで生きた人形じゃの。ぬしは綺麗すぎる」


 生きた人形。

 昔から、容姿を「人形のよう」と褒められることは多かったが、そこに一言付け加えられただけで皮肉のように聞こえてしまう。

 とはいえ、アステラ自身は皮肉を言ったつもりはないのだろう。


「さて、ではロザリアの代わりに、わしが『竜玉』について説明させてもらうぞ」

 

 話題を戻し、空になった三人のグラスに葡萄酒を注ぐ。


「竜玉というのは『竜の宝』の意じゃ。ぬしも知っているとおり、竜は人を食う。じゃが、肉であれば豚でも牛でも構わんのに、なぜわざわざ人を食うのか。それは竜が人の持つ『エデナ』を摂取するためじゃよ」

「エデナ?」


 またしても聞きなれない言葉が出てきて、シャムリルは首をかしげた。


「古の言葉じゃ。太古の昔に滅んだとされる文明のな。今ある言葉で訳すのは難しい。『命』、『心』、『魂』、あるいは『気』――そういったものの集合であり、あるいは別個の存在かもしれぬ、実体のない概念じゃよ。そしてこの『エデナ』は、竜のもつ長い寿命、そして神通力の源なのじゃ。何百年の時を生き永らえることができるのも、人の姿を取るのも、空を飛ぶのにも、炎を操るのも、すべて人の『エデナ』が源になっておる。仮に長期間に渡って人を食わず、エデナを摂取せずにおったら、その竜の寿命は大幅に縮むことになるじゃろうの」


 言って金色の竜は、葡萄酒を口に運んだ。


「竜玉の話に戻そう。人の世には極稀に、常人の持つ『エデナ』の量を遥かに超越した存在が生まれてくる。頻度にして百年に一人とも、一つの国が生まれて滅ぶまでに一人とも言われておるの。そして彼の者の肉は、凡人のそれなど泥団子としか思えぬほど、美味なのだそうじゃ。……ここまで言えば分かるであろう?」

「それが、僕なんですか」


 恐る恐る尋ねるが、アステラの返答は曖昧だった。


「さて? どうなのじゃ、ロザリア。百年前に竜玉を食い、わしなど足元にも及ばぬような想像を絶する神通力を得た、真紅の竜よ」


 アステラの口から発せられた思いもよらぬ事実に、シャムリルは目を見開く。

 ロザリアはグラスに満たされた葡萄酒を見つめながら、静かにこう言った。


「シャムリルが竜玉かどうかはわからない。でもシャムリルは、本当においしいんだ。今まで私が食べたどんな人間よりも。もうシャムリル以外の人間なんて食べる気がしない。それと……百年前に食べたあの人間の味は、シャムリルに比べれば泥団子みたいなものだった」


 今度はアステラが目を丸くする番だった。

 彼女は「そうか」と呟き、くつくつと笑い始める。

 そしてその金色の瞳で、シャムリルを射抜くように見据えた。


「わしは長らく生きた人間など食うとらん。来る日も来る日も死んだ人間ばかりでの。エデナは人が死んだ瞬間から失われていく。死体など、酒を搾った後の葡萄の絞り粕みたいなものじゃよ。……なあロザリア、わしにもこの竜玉、食わせてはくれぬか?」


 シャムリルの体は竜の目に睨まれ、再度硬直する。

 だが、


「アステラ。いくらアステラでも、それ以上つまらない冗談(・・)を口にしたら、怒る」


 ロザリアの静かな、だが有無を言わせない声が、アステラの視線を彼から外させた。

 アステラは何事もなかったように葡萄酒を口に運びながら、


「なんじゃ。ぬしはそんなに石頭じゃったかの、ロザリア」


 と笑うが、シャムリルは未だに震えが止まらないでいる。

 玄関で会ったときとは比べ物にならないほどの圧力。おそらくアステラは、本気で彼を食う気でいた。

 恐怖をごまかすように、何杯目かになる葡萄酒を一気に飲み干す。

 やがてロザリアが立ち上がり、


「アステラ、悪いけど今夜はもう眠らせてもらうよ。旅で疲れたんだ」

 とその場を辞そうとした。


「うむ。つい遅くまで話しこんでしまったの。部屋は二階の廊下の突き当たりじゃ。ベッドは一つでよかったかや?」


 アステラもアステラで、先ほどのことなどなかったかのような調子だ。


「重ねがさね、心遣い感謝する。いこ、シャムリル」


 ロザリアがシャムリルの手を引こうとするが、彼はそれを断った。


「ロザリア様、すみませんが、先に部屋に行っててください。僕はまだ、アステラ様に聞きたいことがあるんです」


 ロザリアが驚いたように口を開き、何かを言いかけるが、


「大丈夫です。何かあったら悲鳴を上げますから。それにたぶん、ロザリア様も聞きたくない話でしょうし。――ロザリア様が僕にかけた、呪いについて」


 シャムリルがそう言うと、紅い竜は目を伏せてしゅんとうなだれてしまう。


「そうだよね。シャムはまだ、私がシャムに呪いをかけたこと、怒っているんだもんね」

「ええ、まあ。ロザリア様に聞いても、絶対に教えてくれないですし。ですがもし、どうしても僕に知ってほしくないことだったら、無理やりにでも連れ出してください」

「それは、しない。シャムリルには知る権利があるもの。ちゃんと話そうとしなかった私が悪いんだ」


 怒っている、というのは半分嘘だ。

 ただ、この場にはロザリアがいない方がいい。そう判断して、おそらく最も効果的であろう嘘を吐いただけのこと。

 シャムリル自身、これが卑怯な手だとは分かっているし、ロザリアを傷つけたかもしれないことは、少なからず――本当に少しだけ、悪くは思っている。

 だが他に、アステラと二人きりになる手段は思いつかなかった。


「先に部屋に行っている。おやすみ」


 おやすみなさい、と返事をし、広間を出ていくロザリアを見送った。

 そしてシャムリルは、金色の竜に向き直る。


 彼女の瞳は、興味深いものを見るかのように爛々と輝いていた。


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