表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜に飼われる永遠は  作者: 花見 もみじ
第一部 「薄明」 序
2/106

永遠の始まり

「……あの若造、やってくれたわね。縄張り、ちゃんと見張っておくんだった」

 

 暗闇の中で声を聞いた。

 鈴の鳴るような女の声だった。

 うっすらと瞼を開けると、覗きこんでくる顔がある。

 少女だった。


 「起きた?」


 声を出そうとしたが、ひゅうひゅうと息が漏れる音しか出ない。

 体を起こそうとすると、少女の両手がそれを制した。


「無理しないで。あんなことがあったのだもの。しばらく休みなさいな」


 あんなこと――その瞬間、記憶が蘇った。

 悲鳴を上げなかったのは声が潰れていたからで、声が潰れているのは気を失っている間に散々絶叫したからだった。

 暴れようにも、両肩を押さえつけている少女の手を振り払うこともできない。

 それだけ少年が弱っているのか――あるいは少女の力がすさまじいのか。


「落ち着いて」

 少女が優しい声で言って、突然、その唇を合わせてきた。

「――っ」

 少女の唇は柔らかく、そして甘かった。

「どう、少しは落ち着いた?」

 

 唇を離した少女が、溶けそうなくらい甘い声で尋ねてくる。

 少なくとも少年の方は、彼女の容姿をあらためて確認できる程度には平静を取り戻した。

 年のころは彼と同じくらいか少し上。十五、六歳程度だろう。

 だがあどけなさの中に、どこか大人じみた艶やかさも併せ持っている。

 美醜でいえば間違いなく――それも彼が今まで出会ったことのある女性の中で最も――美しい少女だった。

 暗がりに目が慣れてくると、少女の長い髪と大きな瞳が、そろって鮮やかな赤色であることに気付く。

 赤毛も赤い瞳も珍しくはないが、これほど鮮やかな真紅の色は見たことがない。まるで薔薇の花弁のようだった。

 透けるような白い肌も相まって、彼女の美しさはどこか神秘的でさえある。


 ここは、洞窟の中らしい。彼は平らな岩に置かれたベッドに横にされている。

 と、目と鼻の先にある少女の白い顔が、まるで髪や瞳の色に合わせるように赤らんでいく。

 気のせいか呼吸が荒くなり、体温も上昇しているようだ。


「ごめんね。……キミがあんまりにも可愛いから、我慢できそうにない」


 少年の上にまたがってきて、おもむろに着物の帯を解き始める。


「――ねえ、食べていい?」


 背筋を冷たいものが走り、少年は反射的に彼女の体を突き放していた。

 結果として、それが正解だったのだと悟る。

 服を脱いだ少女の裸体には、宝石のように輝く赤い鱗が生えていたのだ。


「……ひどい。優しくするのに……」


 ゆらりと立ちあがった彼女の背中から、巨大な四枚の翼が生える。

 その赤い瞳は、瞳孔が縦長に広がって竜と同じ形になっている。


 ――おとぎ話の中には、竜が美しい女に変化して男を惑わし、食ってしまうという物語がある。


 少年の心の奥底からふつふつとこみ上げてきたのは恐怖と、怒り、そして憎しみだった。

 こいつが、家族を殺して食った、あの竜――。

 彼は横にされていたベッドから跳ね起き、そして少女の形をした竜につかみかかった。

 勢いそのままに地面に押し倒した。

 が、すぐに体をひねられ、体勢を逆転されてしまう。


「だから落ち着いてって。……よぅく見て? 私をあんな若造と一緒にしないで」


 赤い瞳に赤い髪、――赤い鱗、赤い翼。

 少年の町を襲ったあの竜の鱗と翼は、「深い紫」ではなかっただろうか。

 だが一度沸点に達した怒りが収まることはなく、彼は少女の下敷きになったまま、獣のような唸り声を上げた。喉が潰れていなかったら、言葉の限りをつくして罵倒していただろう。

 少年の怒りと憎しみは、「竜」という存在そのものに対して向けられていた。

 それを察したのか、少女は悲しげな顔をする。


「キミにとっては、私もあの若造も一緒か。……でもね、一応言っておくけど、私はキミの命の恩人なんだよ? キミはあの若造に体の半分も食べられていた。それを私が助けてあげようと、この巣に連れて帰って治療してあげたんだ。……まあ治療の途中でちょっと味見しちゃったけど。……新しい命を与えてあげたことは、感謝してほしいくらいなんだけどな」


 それがどうしたと言わんばかりに、彼は少女を睨み返した。

 巣、と彼女は言った。なるほどここは彼女の巣なのかもしれない。

 うす暗い洞窟で、竜が寝そべることができるくらい広く、そして周囲には何かの動物の――もしかしたら人間のものも含まれているのかもしれない――骨が散乱している。

 なぜ人である自分を寝かせられるようなベッドがあったのか、なぜ自分を治療した痕跡らしい布や包帯が散乱しているのか、なぜ自分をすぐに食べてしまわなかったのか。

 そしてなぜ、体の半分を食べられたはずの自分が、今は五体満足なのか?

 ――奇妙な点はいくつもあったが、竜の考えることなど分からないし分かりたくもない。


 少年は、馬乗りになって自分の体を押さえつけている少女に抵抗した。

 潰れた喉で獣のように唸り、弱々しい拳で少女を叩く。

 だが、唐突に――

 全てがどうでもよくなった。


 抵抗してもしなくても、その後に待っているのは、どうせ痛くて苦しいことなのだ。

 むしろ抵抗すればするほど、その後の痛みと苦しみは増す。

 ――それを悟ったのは、あの男の相手をさせられるようになって一月が経ったころだった。

 だったら、何も感じない、何も考えない、何も願わない。心に蓋をして、感情に栓をして、痛くて苦しいが終わるまでじっと耐えた方がいい。


 男に犯されるのも、竜に食われるのも、たぶん同じだ。

 むしろ竜に食われる方が、その後に待つのが「死だけ」である分、ましかもしれない。

 毎日のように男の相手をしなくていい。夜が来るのを怯えなくてもいい。

 たった一度の「痛くて苦しい」を我慢すればいいだけのこと。

 急に少年の力が弱まったからなのか、少女がいぶかしむような顔をした。

 少年は枯れた声を振り絞り、ひゅうひゅうと掠れた音で伝えた。


 さっさと殺せ、と。


 それを聞き、真紅の美しい竜は、ひどく悲しげな顔をした。


「……ごめんよ」


 少年の胸から腹にかけてを、少女は指で、つつ……と撫でた。

 鋭い爪がなぞった跡に沿って、赤い線が浮かび上がった。

 だがその傷は、みるみるうちに塞がってしまうではないか。


「呪いをかけたんだよ。あのままだとキミ、死んでしまっていたから。……キミは新しい命を手に入れた。死ぬこともない、老いることもない命だ。……私には、キミを殺せない」


 何を言っているのか――少女の発言の意味を遅れて理解して、全身が粟立った。

 馬乗りになる少女を突き飛ばし、ベッドの脇に置いてあった医療用のハサミを掴む。


「……そんなものじゃ、竜の鱗には傷一つつけられないよ」


 そんなことは分かっている。銃弾や砲弾すら弾き返すのを、この目で見たのだから。

 だから少年は、ハサミを逆に握りしめ、刃を己の喉へと突き立てた。

 少女が目を見開く。だが止めようとはしない。次に何が起こるのか分かっているのだ。

 果たして致命傷になるはずだった少年の傷は、ハサミを引きぬいた直後から再生を始めた。

 飛び散った血までもが、時間が巻き戻るように傷口から体内へと戻っていく。


 ――なぜ、こんな呪いをかけたのか。

 地面に膝をついて呆然とする少年を、彼女は抱きしめてきた。

 そして彼の耳元で、歌うように囁く。


「惚れたんだ。キミの体に。肉の味に。血のにおいに。骨の形に。……私はキミを食べたい。でも食べてしまったら、キミは死んでしまう。――だから、呪いをかけた」


 彼女の言葉は、少年の耳に入ってはいても心が拒絶してしまう。

 ――なんのために?


「永遠にキミを食べ続けられるように。食べても死んでしまわないように」


 少女の声は、どこまでも優しくて甘い。 


「すごく、すごく大事にする。キミを食べるのは、三日に一度くらいにする。そのときもできるだけ痛くないように、優しくするから」


 だから、と彼女は少年の顔を見つめながら、まるで求愛するような調子でこう言った。


「だから、私に飼われてくれないかい?」 


 彼女は少年の肩に、唇を当ててくる。

 だが柔らかく温かい唇の感触は、すぐに鋭く冷たい牙が食い込む感触に変わった。


 肉が千切れる音がした。

 思わず言葉にならない悲鳴をあげた。


 腹を食い破られた。

 枯れた声で絶叫した。


 少女の形をした竜は、恍惚としている。


「……ああ、美味しい」

 

 ――竜に飼われた少年の永遠は、こうして始まった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ