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竜に飼われる永遠は  作者: 花見 もみじ
第一部 二
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絶対禁忌と与太話

 朝食の時間を過ぎて昼前、客足が落ち着き始めたころ。

 シャムリルは肉を一本、タレを多めに塗って焼き、それをロザリアに差し出した。


「どうぞ。朝からまだ何も食べていないでしょう。ここまで繁盛したのはロザリア様のおかげですし、そのお礼です」


 美しい少女の手で捏ねられた無発酵パンは、男たちの間で話題になり、パンだけを買い求めに何度も訪れる客がいたほどである。

 ロザリアは顔を輝かせて、「ありがとうシャムリル! いただきはふ!」とその肉を頬張った。

 頬をリスのように膨らませて咀嚼している。絵に描いたような美人の顔が台無しだ。


「おーいしー! やっぱりこのタレが良いよね!」

「だって、ロザリア様が気に入るよう、試行錯誤してようやく完成したものですから」


 山で生活していた二年の間で、この穀醤だけではなく、様々な料理を試行錯誤した。

ロザリアの反応を見つつ色々と試していたのだ。基本的にシャムリルの造る「料理」はなんでもおいしいと言ってくれるロザリアだが、やはり反応は少しずつ違う。

 食べさせる相手がロザリアしかいなかった、というのももちろんあるが、途中からは彼女の笑顔が見たくなっていたのも事実だ。

 だがそれを認めるとまた墓穴を掘りかねないので、シャムリルはここで言葉を切り上げる。


 ロザリアは自分の手で捏ね、鉄板で焼いた無発酵パンを、


「はい、シャムリルにも食べさせてあげる。あーん」

 とシャムリルに差し出してきた。


 少し不格好で、お世辞にもきれいな形とはいえない。

 だがそれを頬張ったシャムリルは、ロザリアに「どうかな?」と感想を求められて、素直にこう答えた。


「おいしいです、すごく」


 ロザリアは「えへへ」と笑い、「愛情を込めて捏ねたからね!」と胸を張る。

 と、ロザリアは手に持った肉と小瓶に分けたタレを交互に見て、それからシャムリルを物欲しそうな顔でじっと見つめてきた。

 すぼめた小さな唇に、指をあてている。

 

「……」

「今、僕の肉もこのタレつけて焼いたら美味しいかも、とか思っていませんか?」


 するとロザリアはぎくっと首をすくめて、


「そ、そんなことないよ! だってシャムリルは、生が一番だもの!」


 そういえば前にもこんな会話をしたことがあるな、とシャムリルは洞窟での生活を思い返す。

 呆れたような声をかけられたのはそのときだ。


「ぬしら、往来の真ん中で何をいちゃついておるのじゃ」


 振り返れば、つば広の帽子を目深に被った金髪の女性がいる。

 外出用なのか、昨晩のようなドレスではなくワンピース姿だ。どこぞの貴族の令嬢がお忍びで出かけているようにも見える。


「アステラ様。って今のどこがいちゃついているように見えたんですか」

「わしにはそうとしか見えんかったがの。書類仕事が一段落したので、ようやく参ることができた。昨日、話そこねたことも色々と思いだしての。――まったく、近頃はビールの質が落ちていかん。ビール職人ギルドにはきつく言っておかぬとな」


 軽い調子で雑談している風を装った後に、低い声で忠告するようにこう囁いてくる。


「一つ目じゃ。教会には気を付けるのじゃよ。この会話もどこかで聞き耳立ておるかもしれん」

「教会?」


 アステラにつられて低い声で囁き返す。

 シャムリルは意味が分からずに首を捻るが、ロザリアはかすかに唸るような声を上げた。


「ぬしの体のことじゃよ。絶対禁忌、というものがあっての」

「絶対禁忌、ですか。ずいぶんと大仰ですね。教会の教えにある十七の禁忌は知っていますが。例の『嘘をつくべからず』から始まるやつなら」

「ふむ。しかしその上にある『絶対禁忌』は知らぬであろう? というより、この禁忌の存在を知ること自体が、教会にとっては罪なのじゃからの」

「今、存在することを知ってしまいましたが。僕の体ということは、竜玉と何か関係があるのですか?」


 アステラは首を横に振る。


「ロザリアがぬしにかけた『呪い』の方じゃ。絶対禁忌の内容はこうじゃ。『不老不死を求めるべからず』。そして『この禁忌を破った者は、地獄の苦しみが与えられるだろう』と続く」

「……ですが、教会の教えを広めたのって、確か」

「うむ、かの聖王じゃよ」


 聖王――神の子として、戦乱の世を鎮め、このライア・レースを建国した初代国王だ。

 教会の教えでは、絶対唯一神として「主たる神」を信仰する。

 その教えを説いたのが、「神の子」として人間界に舞い降りたとされる「聖王」だ。

 そして教会の教えでは、「竜」は「神の眷属」である「精霊」に属するものと解釈される。


「聖王は竜玉にして、初めて『不老不死の呪い』を受けた人間じゃ。その聖王がなぜこのような禁忌を定めたのかは知らぬが。万一ぬしがこの『絶対禁忌』を犯したことを知ったら、教会は聖王の教えの通り、ぬしを監禁し、拷問し、地獄のような責苦を与えるじゃろうの」

「監禁も拷問も、十七の禁忌に入っているのに?」

「それよりもぬしの罪は重いということじゃ。矛盾しているとは思うじゃろうが、聖王が死んで以来、教会の規律など歪みに歪んでおるからの。監禁に拷問はものの例えじゃが、実際に何をされるかは分からぬぞ」


 教会の教えを批判することも十七の禁忌の一つであり、アステラはそれを破ったことになるのだが、あえてそれを指摘する気は起きない。

 それに、


「もしそうなったら、僕の身を案じるよりも……」

「教会なんかにシャムリルは渡さない! シャムが捕まったら、教会なんか全部壊して――ふがっ」


 声を荒げるロザリアの口を、シャムリルは慌てて塞ぐ。

 それから「はぁ」とため息を一つ吐いて、


「僕の身よりも、教会のことを案じた方がいいと思います」


 アステラは「そのようじゃの」と呆れたように頷いた。


   * * *


「さて、二つ目の話じゃが。……その前に、その焼肉を一本もらおうかの。先ほどから食べとうて食べとうて、もう我慢の限界じゃ」


 流石にこの美食家の竜のために肉を焼く時は緊張したが、それを無発酵パンに包んで渡すと、彼女は我慢できなくなったようにがぶりと頬張った。

 そして軽く目を見開く。


「これは美味いの。特にタレが良い。穀醤か。大豆に麦は分かるとして、水もいいものを使っておるの。塩は……岩塩? なるほど。それに隠し味に山椒と……生姜かの」


 シャムリルは苦笑する。 


「ここまでずばり言い当てられるとは、さすがアステラ様ですね」

「いや。こう言った穀醤の類は、造り方を細かに再現しても、他人が同じものを造ることはできぬ。ロザリアに美味な料理を食べさせるために、よほど試行錯誤を重ねたのじゃろう? 穀醤だけでなく、肉の焼き方まで竜好み。まさしく愛がこもっておるわ」

「さっきの会話、聞いていらっしゃったんですか」

「竜の耳をあなどるでないわ」


 案の定、ロザリアは頬に両手を当てて「愛だなんてきゃあきゃあ」と騒いでいる。


「さて、二つ目の話じゃったな。じゃがまあ、こちらは軽い与太話の類と思って聞けばよい。わしも昨夜ぬしと話した後、ベッドに入ってからふっと思いだしたのじゃ。それまではすっかり忘れておったくらいじゃからの。……ぬしら、『竜殺し』の噂を知っておるか?」


 竜殺し。

 なんとも胡乱な言葉に、シャムリルは怪訝な顔をして首を振る。

 一方で「あ、聞いたことある」と花畑から返ってきてそう答えたのはロザリアだ。


「前の旅……シャムに出会う前のことだから、三、四年前だったかな。ある町の酒場でそんな噂を耳にした。まあアステラの言うとおり、与太話っていうか、よくある都市伝説みたいなものだよ。『竜も殺せるほど強い戦士がいる』って」


 なるほど、確かにそれは都市伝説の類だろう。

 銃や大砲に攻撃されても傷一つ付かない、そして二万の兵士を一方的に蹂躙できる竜を殺せる人間など、この世には存在しない。

 この噂を知っている当の竜たちも、軽く呆れているように笑っていた。


「この噂が出回り始めたのは、五年ほど前かららしいの。大方、軍で最も強い兵士にでもそのような称号が与えられるようになった、と言ったところじゃろう」

「その酒場じゃ『竜殺しが殺した竜の死体を見た』なんて言ってる酔っ払いがいたけど、どうせ大きな蜥蜴か何かじゃないかな? それでアステラ、どうしていきなりこんな話を?」

「ふむ。一つはこの話を聞いて、そこな竜玉がどんな反応をするか見たかったのじゃが……。全く動じておらんの。もしかするとその竜殺しがロザリアを殺してくれるかもしれぬぞ?」


 そう言って人の悪い笑みを浮かべるアステラに、シャムリルは曖昧な苦笑を返す。


「すみません、ご期待に答えられなくて」

「うむ、まあ良い。それから、もう一つの理由じゃがな。今日、この町にその『竜殺し』がやってくるという情報があるのじゃ」


 これには少しだけ驚いた。


「それはまた。どうしてこの町に?」

「さあの。わしも理由は知らんのじゃよ。リルの町の竜災――かの紫竜についての調査にでも来るのじゃろう。もしくは、わしを殺しにでも来るつもりか」


 神妙な調子でそう言った金色の竜は、だがすぐに軽く笑い飛ばした。


「冗談じゃ。そのときはそ奴を返り討ちにして頭からばりばり食ってくれるわ。一応、耳には入れておいたぞ。竜玉といちゃつくのは勝手じゃが、くれぐれも教会や竜殺しに正体を悟られるような真似はするでないぞ、ロザリア」

「うん。忠告ありがとうアステラ。教会とか竜殺し云々は関係なしに、面倒事は避けたいし、大人しくしているよ。アステラも一応気を付けて。死体食いもほどほどにね」

「ぬう。これは一本取られたの」


 アステラはそれから焼き肉を五本も買い求めて、


「ぬし、これから看板に『竜も舌鼓を打った』と記すがよい。事実じゃしの」

 と朗らかに笑った。


 飲食ギルドから最高の評価を与えられた店しか、看板に記すことを許されない文句だ。

 光栄ではあるが、「事実である」からこそ辞退させてもらう。

 それに、あまり目立つような真似は避けるべきだと言ったのは当のアステラだ。


「そうじゃったの。ではわしもそろそろお暇するとしよう。今宵も屋敷に泊っていくのじゃろう? 今宵だけとはいわず、次の予定が決まるまでそうせい。なにせ訪れる者などほとんどおらぬ故、できることならしばらくこの町に留まって、わしの話し相手になってはくれぬか?」

 

 シャムリルたちは顔を見合わせ、ありがたくその申し出を受けることにした。

 アステラは「では、また今宵の」と、金色の髪をきらきらと輝かせながら去っていく。

 そんな彼女の後ろ姿を見送ってから、二人は昼のかきいれ時に向けて準備を始めた。


 ロザリアはパン生地を捏ね、シャムリルも同様、肉を切って串に刺していく。

 だが魚の骨を飲み込んでしまったような、得体のしれない不安が、シャムリルの胸中に渦巻いていた。


 自分と同じ呪いをかけられ、それを解く方法を見つけ出した、かつての「竜玉」。

 ――かの聖王は一体、どうやって竜を殺したのだろうか?


 しかし、シャムリルが考えを纏めきれない内に客が来てしまう。

 そして「正時課の鐘」が鳴ると、昼食を求める人々が次から次へと押し寄せてきて、シャムリルたちはアステラの話を振り返ることもできないほどに忙殺されてしまった。

 二人がようやく一息つけたころには、仕入れた食材もほとんど使い果たしてしまっていたほどである。

 予定よりも少し早いが、食材が尽きたら店を仕舞うことにする。


 そして教会が「二時課」を告げる鐘を鳴らした時。

 彼らは、この町にやってきたのだった。



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