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竜に飼われる永遠は  作者: 花見 もみじ
第一部 一
12/106

「約束」

 二階の廊下の突き当たりの部屋が、シャムリルとロザリアのために用意された客室だった。

 シャムリルは部屋に入る前に一応扉をノックし、


「ロザリア様。僕です、入りますよ」


 と呼びかけたが、返事はない。

 もう眠ってしまったのだろうかと思いながら、静かに扉を開けた。


 途端、春の夜風が彼の頬を撫でた。

 薄暗い部屋の外、鮮やか過ぎるほど紅い少女は、バルコニーに出て月に照らされている。

 シャムリルには気付いているだろうに振り返ろうとせず、手すりに寄りかかって夜風に吹かれていた。 

 無言で近付いていき、彼女の隣に立つ。

 町は眠り、かすかに夜鷹や梟の鳴き声が聞こえるだけだ。

 そんな静寂が二人を包む。

 やがて静かに口を開いたのはロザリアの方だった。


「アステラから、呪いの解き方は教えてもらえた?」


 一瞬、返答に迷ったが、シャムリルは素直に「はい」と答えた。


「そっか。ねえシャム。もし私を殺すときは、できるだけ痛くないように、優しく殺してくれる?」


 シャムリルがアステラと話をしている間、ずっとそのことを考えていたのだろう。

 覚悟を決めたかのような静かな口調で、ロザリアはそう言った。

 だがシャムリルは、すぐに「いやです」と返答する。


「というより、無理でしょう? 僕が何度ロザリア様を殺そうとして、失敗したか忘れたんですか? 竜の鱗は人間には傷つけることもできません。それに、」


 言いかけて口を噤んだシャムリルを、ロザリアはじっと見つめてくる。

 口にしかけた言葉を飲み込むことはできただろう。

 だがシャムリルは、その真摯な目に見据えられ、ごまかすことを諦めた。


「ロザリア様の顔だけは、好きなんです。貴女のきれいな顔を傷つけたくありません」


 この呪いを解く方法は一つ。

 竜に口づけされたところと同じ部位に、刃を突き立てること。

 その額に、その唇に、その首に、そして心臓に。


「だから他の方法を」


 探そうと思っています。

 そんなことを言おうとしたシャムリルだが、彼の言葉を遮って、ロザリアが抱きついてきた。

 そして彼の耳元に、甘い声で囁いてくるのである。


「私も、シャムリルが好き」


 シャムリルは動揺しかけたが、すぐにこう言い返す。


「ロザリア様が好きなのは、僕の体でしょう?」


 するとロザリアは、機嫌を損ねた子供のように「うー」と唸って、


「そうだけど、そうじゃなくて」


 シャムリルは「はいはい」と適当に相槌を打って、ロザリアの紅い髪をそっと撫でた。

 そのまま互いにしばらく沈黙していたが、やがてロザリアがこう言った。


「ねえシャムリル。私がシャムにかけた呪いを解く方法、たぶんだけど、もうひとつあると思う」


 シャムリルは軽く目を見開く。


「教えて、いただけますか?」


 するとロザリアは彼の胸の中でこくりと頷く。


「たぶんね、私が寿命で死んだら、シャムの呪いも解ける」


 あまりにも単純すぎて、これまで考えたことがなかった答えに、シャムリルは力なく笑う。


「何百年後なんですか、それ?」

「わからない。私はシャムリルという『竜玉』を食べて、いっぱいエデナを蓄えた。こんな竜、今までいなかったと思う。もともと長寿の竜からしてみても、私は規格外の存在になった。私の寿命が尽きるのは、千年先か、もしかしたらもっと先になるかもしれない」

「それまで待っていろと?」

「でもね」


 とロザリアはシャムリルの言葉を遮るように続ける。


「その千年を、私は、シャムリルと一緒に生きたいんだ」


 まるで呪いの解決法になっていないどころか、自分の望みさえ口にしてくる。

 我儘で、どこまでも自分勝手な竜だとシャムリルは思った。

 だが――何故か、嫌だとは思えない。

 しかしそれを認めてしまうのは、シャムリルのまだ「正常な」部分が許さなかった。


「そんなに長いこと僕を食べ続けたら、さすがに飽きると思いますよ?」

「そんなことない。私はもう、シャムリル以外の人間の肉なんて口にしたくない」

「もし、僕よりも美味しい人間が……僕よりもエデナが多い『竜玉』が現れたら?」

「そんなの、他の竜にくれてやる。私はシャムリルだけでいい」

「百年前に『竜玉』を食べたときも、同じことを思ったんじゃないですか? その後、他の人間の肉なんて食べたくなくなったんでしょう?」


 はっとしたように口を噤んだロザリアに、シャムリルはさらに畳みかける。


「でもその『竜玉』でさえ、ロザリア様はさっき『泥団子だった』とおっしゃいました。『僕に比べれば』とも。同じことが今後、僕と、別の竜玉との間に起こるとは思いませんか?」

「……そんなこと、ない」

「僕にそれを信じろと?」

「なら、どうすれば信じてくれる?」


 そう返されるのは想定しておらず、今度はシャムリルが沈黙してしまう番だった。


「私は今後、シャムリル以外の人間は食べない。三日に一度シャムリルを食べるとき以外は、泥を食べたっていい。他にどんなことをすれば、シャムリルは信じてくれる?」

「ちょ、ちょっと待ってください。さすがに泥を食べろなんて言えません。でも、他の人間を食べないって約束を守ってくださるのなら、」


 言いかけてから「しまった」と気付いたが、遅かった。

 ロザリアは花の咲くように笑みでシャムリルの顔を見つめながら、「うん!」と頷く。


「絶対に絶対に約束する。シャムリル以外の人間は食べない! だからシャムリル、私と一緒に、」


 シャムリルは慌てて、ロザリアの頬を指で挟んだ。

 続きを言わせないためだ。


「待ってください! 今のは、ほんの言葉の綾というか、なんというか、」


 だがロザリアは紅い瞳を涙で潤ませながら、上目づかいで見つめてくるではないか。


「私と一緒に生きるのは嫌?」


 う、とシャムリルは言葉を詰まらせる。

 なぜ自分は、さっきからこの竜の言動に振り回されているのだろう?

 嫌だとはっきり言ってしまえばいいのだ。

 こんな地獄、さっさと解放されたいと願っているのは事実なのだから。

 それなのに言えないのは、やはり自分がどこか「異常」である証拠なのかもしれない。

 だがシャムリルは自分の悪いところは棚に上げて、責任をロザリアに押し付けることにした。


「ずるいです、ロザリア様は」

「なにが?」

 

 小首をかしげる仕草でさえ、どきっとしてしまう。


「そういうところです。……どうしてそんなに可愛いんですか。せめてロザリア様がもっと不細工な竜だったら、僕もきっぱりと貴女を嫌いになれるのに」


 さらに墓穴を掘ってしまった。


「私のこと、可愛いと思ってくれているの?」

「う。……はい」


 もうこうなったら素直に認めた方が、墓穴を広げずに済みそうだと判断した。


「私と一緒に生きるの、嫌じゃない?」

「……はい」


 もう一度頷く。

 だがこう付け加えるのは忘れない。


「ですが千年はさすがに、ちょっと長いかと」

「なら、何年くらいならいい?」


 また返答に困る質問を返してくる。


「百年、くらいなら」


 するとロザリアは安心したように、笑顔を見せた。


「それなら、まず百年一緒に生きよう? それからもし、その後もシャムが私と『一緒にいていい』って思ってくれていたら、次の百年も一緒に生きるの」

「簡単におっしゃいますが、百年で僕が何回食べられることになるか分かりますか? この二年で僕はすでに二百回以上も貴女に食べられているんですよ?」


 するとロザリアは痛いところを突かれたように「う」と言葉を詰まらせる。


「回数、減らそうか?」

「それもきちんと『約束』できますか?」


 また「うう……」と俯く。


「たぶん、むり」

「でしょうね。……いいですよ、今までと同じ『三日に一度』のままで。それでも充分、我慢してくださっているんでしょう?」


 ロザリアはこくりと頷く。

 シャムリルは覚悟を決め、自分にも言い聞かせるように口を開いた。


「『三日に一度』を百年我慢すればいいだけ。そう思うことにします」


 それならなんとかなりそうだと思えてしまうあたり、やはり自分は歪んでいるのだろう。


「他の人間を食べないってことも、約束してくださいね? 僕がどう思うかじゃなくて、単に他の人間の命のためにですが」


 言いながらも、かつて「あの男」に言われたことを思い出す。

 ――お前さえ我慢すれば、この町の女には手を出さんよ。

 だが「あの男」とロザリアは違う。

 決して。


「それから、もう一つ」

「なに?」

「ロザリア様が百年前に食べた『竜玉』……女の子には、ちゃんと謝ってください。村の人間を守るために貴女に食べられたのに『泥団子だった』なんて言われていることを知ったら、きっとその子も悲しみます」

「うん。……ごめんなさい。本当はそんなこと思っていないの。でもシャムリルの前だったから、つい。貴女は本当においしかったよ。ごめんね、セラリル」


 赤詰草(セラリル)

 シャムリルはその女の子の名前を初めて知った。

 もしかしたら、その子の名前も、この紅い竜に名付けられたのかもしれない。


「赤毛の子だったんですか?」

「うん。セラも、私には本当の名前を教えてくれなくて。自分を捨てた親にもらった名前を、どうしても名乗りたがらなかったの」


 やはりそうらしい。

 もしかしたら、その子がこの紅い竜に名前を付けたのかもしれない。

 ――薔薇(ロザリア)の花のようだと、その子が口にしたという言葉を、彼女は気に入ったらしいから。

 だがシャムリルはそれ以上踏み込まず、薔薇のように美しいこの竜に食われた女の子のことを思って、静かに祈りを捧げた。

 きっと彼女は天国にいるだろうと信じ、星空に向かって。

 同じように祈りを捧げるロザリアの瞳から涙がこぼれ落ちたことは、見なかったことにした。

 代わりにシャムリルは、こんな言葉を彼女に投げかける。


「百年は、長かったでしょうね」


 するとロザリアは少し笑って、もう一度強く、シャムリルを抱きしめてくるのだ。


「でもきっと次の百年は、あっという間だよ」


 シャムリルはその笑顔を見て、やっぱりずるいな、と思うのだった。





シャムリルの心境、ロザリアとの関係に、少し変化がありました。

……シャムリルが完全にデレるのはもう少し先になります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] シャムリルが可愛すぎるっっっっ!!なんて尊い被食者捕食者相互関係なんだ!! [一言] 「でもきっと、次の百年はあっという間だよ」が良すぎる。こんなこと言われたらイチコロですよ。
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