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竜に飼われる永遠は  作者: 花見 もみじ
第一部 一
11/106

ロザリアの過去

   * * *


「その人間はの、ある日ロザリアの棲む山に迷い込んできた。

 迷い込んだ、とは少し違うの。正確には捨てられたのじゃ、実の親に。

 今のぬしよりも幼い、子供じゃった。


 子供が泣きながらその山を彷徨っていると、一匹の竜に出くわした。

 真紅の鱗に真紅の瞳。じゃが子供はその竜を前に、恐れや怯える様子はなかった。

 むしろその竜を褒めたそうじゃ。

 『まるで薔薇の花のように美しい竜だ』とな。

 竜の方もその文句を気に入って、子供を食わずに生かすことにした。


 さらには親に捨てられたのだと聞かされると、その子供を巣に連れて帰ったそうじゃ。

 それから一匹の竜と一人の子供は、一緒に暮らすことになった。


 じゃがそんな生活も長くは続かなんだ。

 竜は子供を可愛がり、慈しみを持って育てようとしたが、本能にはどうしても逆らえなんだ。

 それでも必死に我慢しておったそうじゃ。衝動に負けそうになると山を下り、村を襲って他の人間を食らうことで、子供を食いたいと思う衝動を抑え続けた。


 じゃがある日、竜が村を襲っていることを子供が知ってしまったのじゃ。

 すると子供はこう言った。

『私を食べてください。あなたのような美しい竜の血肉になれるのなら、本望です。ですがその代わり、今後村を襲わないと約束してください』とな。


 竜は初めそれを拒んだが、子供の意思は強く、『あなたが私を食べないのなら、私は今ここで自ら死を選びます。その前にどうか、私を食べてください』と竜に頼み込んだそうじゃ。


 竜は子供の意思を尊重し、子供を食った。

 初めの一口は泣きながら、それからは子供の肉のあまりの美味さに、無我夢中でその肉を貪り食ったそうじゃ。


 竜が我に返ったのは、子供の体を首から上だけ残して、すべて腹に収めてからじゃった。

 

 その後、その竜はわしを尋ねてきた。

 死んだ子供の首を抱え、泣きながら、『この子を生き返らせてくれ』とわしに頼み込んできたのじゃ。

 そのときの奴の言動は支離滅裂じゃった。


『この子はとてもおいしかった。きっとこの子は竜の宝――竜玉だったんだ。私はその宝を食べてしまった。できることならこの子を生き返らせ、心から謝って、そしてもう一度食べたい』

 とな。


 しかし死した者を生き返らせる呪術など、存在せぬ。

 だからわしは、代わりにある呪いを教えた。人間を『不老にして不死』にする呪術じゃ。

 もし次に、『宝』だと思えるような人間が現れたら、この呪術を使えばよいと教えた。


 その後、竜は国中を旅した。

 自らが食ってしまった子供の代わりを――奴にとっての『宝』を探す旅じゃった。

 そしてその間、竜は己に誓いを立てたのじゃ。


『次にあの子のような「宝物」が現れるまで、私は一切、他の人間を食べない』

 と。

 

 竜は誓いを守り続けた。

 年月にしておよそ百年。竜が人を食わずにいられる年月としては、異例の長さじゃ。


 そしてとうとう満願を成就し、かの竜は新たな『宝』を見つけたというわけじゃ。

 紅き竜はそれから、『宝物』を永遠に食い続けられる幸せを手に入れたとさ」


   * * *


 アステラは語り終え、葡萄酒を静かに口に運ぶ。

 言葉が出ないのはシャムリルの方だ。

 乾いた口をようやく引きはがし、そして絞り出すようにこんなことを言った。


「どうして、そんなに歪んでしまったんですかね、その紅い竜は」


 するとアステラはおどけるような仕草をして、


「ぬしがそれを言うかえ? その点、ぬしとロザリアはなかなかお似合いじゃと思うぞ。ぬしとてまさか、自分が正常な精神の持ち主だとは思っていまい」

「人聞きの悪い。僕はまだ、何が正常で何が異常かの分別くらいは付けられます。自分が前者ではないと分かっているだけで。でもアステラ様の話を聞く限り、ロザリア様は違う。よほど最初の『宝物』が大事だったんでしょうね。それでそんな風に」


 アステラの話に出てきた子供。

 ロザリアの最初の『宝物』のことを口にした途端、シャムリルの心中に黒い靄のようなものが立ち込め始めた。


 今まで経験したことのない感情だった。

 霧のようにとらえどころがなく、澱のように重く沈んで吐き出せない。泥を飲み込んだような不快さと、小さな針が刺さったような胸の痛み。

 その感情の正体はおろか、どうすれば楽になれるのかさえ分からずに、シャムリルは黙りこんでしまう。

 するとアステラがくすくすと笑いだし、やがて耐えきれなくなったように噴き出した。


「ぬし、やはり可愛いすぎるぞ。妬いておるんじゃろ、その竜玉に」

「な――、にを、どうすればそうなるんですか!」

「よいよい。じゃが一つ良い事を教えてやるぞ。その竜玉はの、娘じゃったよ。どうじゃ? 少しは気分が晴れたか?」

「からかわないでください」


 ぴしりと言ったつもりになった声は、上擦ってはいなかったか。

 シャムリルはそれをごまかすように、心に湧いた毒を飲み込むように、葡萄酒を口に運ぶ。


「最後にふたつ、教えていただけますか? 僕の他に、この『呪い』をかけられた人間は存在するのでしょうか?」

「わしの知る限りでは、ぬしの他にもう一人おるの。否『おった』と言うべきか。そやつはもう死んでおる」

「死んでいる? ではまさか、その人は呪いをかけた竜を殺すことができたんですか?」

「うむ。というより、この呪術は、その人間に呪いをかけた竜によって生み出され、その人間の手によって『解呪』の手段も発明されたのじゃ。――この『呪い』はの、どの人間にでも効果があるというわけではない。効果はその人間のエデナに左右されるらしくての。エデナの少ない人間にこの呪いをかければ、不完全なものにしかならぬ。完全な不老ではなかったり、完全な不死ではなかったりの。そのような『不完全な呪い』をかけられたものは何人か見てきたが、今は皆、この世にはおらんよ。そやつらは当の竜に殺されたり、老いて死んだりしておるの」

「そう、ですか。ではもうひとつの質問です。アステラ様は、他に何人の『竜玉』を知っていますか?」

「これも、ぬしと例の子供の他には、一人だけじゃの。とはいえ、その一人は実在したことは確かじゃが、わしも直接会ったことがあるわけではない。そして先の話にも繋がるが……その竜玉こそ、ぬしと同じ呪いを竜にかけられ、その竜を殺して呪いから解放された者じゃよ」


 シャムリルは思わず唾を飲む。

 自分とまったく同じ境遇の人間がいたと聞かされ、思わず身を乗り出していた。


「その竜玉は、どんな人だったんですか?」

「ぬしも知っておるじゃろう。聖書やおとぎ話の中でな。――かつて戦乱の世に生まれ、竜を従えてこの地を統一した。その偉業を讃えられて『聖王』と呼ばれている、このライア・レース王国の初代国王じゃよ」

「なっ――」


 聖王。

 アステラの言うとおり、シャムリルにとっては、伝説の中でしか知らない人間だ。

 だが当然、初代国王が『竜玉』で、その上不老不死だったなどという話は聞いたこともない。

 下手をすると国史や教会の教えを覆しかねない暴露を聞かされ、少なからず戸惑っているシャムリルに、アステラはさらに続ける。


「かの聖王――竜玉に呪いをかけ、その肉を来る日も来る日も食らい続けた竜は、莫大なエデナを得て強力無比な神通力を操ったという。おとぎ話にあるように、聖王の天下統一を手助けしたのはその竜じゃ。それと同じことが今、ロザリアとぬしの間にも起こっておる。今のロザリアは、その気になればこの国を一晩で滅ぼせるじゃろうよ。ぬしが望めば、」

「僕は、何も望みません」


 アステラの言葉を遮って、シャムリルは言った。

 すると彼女は半ばその返答を予期していたのか、僅かに口角を上げて微笑む。


「そうじゃの。ぬしの望みは『普通の人間になってロザリアに食われて死ぬ』じゃったからの。解呪の方法は、かの聖王が残したものだけとは限らぬ。もしかすると他にも手段があるかもしれぬしの。長い生じゃ。ぬしがそれを見つけることも、いつかは叶うかもしれぬぞ」


 アステラは言って、空になったグラスをテーブルに置いた。


「さて、ぬしもそろそろ部屋に戻るがよい。まだまだ話し足りない気もするが、わしはもうしたたかに酔った。これ以上は理性を保てず、ぬしを食らおうとするかもしれぬゆえ」


 冗談めかして言っているが、もしかしたら本心からの言葉かもしれない。

 だがシャムリルは、金色の竜に礼を言って、その場を辞したのだった。


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