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竜に飼われる永遠は  作者: 花見 もみじ
第三部 二章
105/106

天上の国(4)





「しーお兄ちゃん、いっちゃった……」


 天上世界、純白の宮殿、その”玉座の間”。

 今はただ虚しいほど白く広い空間で、シャムリルの妹、フィーナが呆然とした様子でぽつりとこぼす。

 ――やらなきゃいけないことがあるから。

 彼女の、いや彼女たち(、、、、)の愛する『しー君』は、二度目の再会もそこそこにそんなことを言って地上へと帰ってしまった。


「しーの奴、もう少しゆっくりしてけっての」

「だいじょうぶなのかな、しー君」


 中性的な容姿の次女、ニナは不満の中に悲しみを混ぜたように唇を尖らせ、ふわふわおっとりした雰囲気を纏う長女のイーファは心配そうに眉尻を下げている。

 と、今にも泣きそうになっている姉妹たちに声をかけたのは、今回の騒動の原因である”聖母”――そして”天使”であるミカナだ。


「まあまあ。イーファさんもニナさんも、フィーナちゃんまで、そんなに悲しそうな顔をしないでください」


 ”夢の中での再会”のすぐ翌日だったというのに、彼女は焦ったようにシャムリルに憑依し、その魂を再びこの”天上世界”へと呼び寄せた。

 おかげで家族は準備も心構えもないどころか、シャムリルが同じ世界にやってきたことに気付くのも遅れてしまい、二度目の再会はシャムリルが地上に帰還する直前の一瞬だけになってしまったのだ。


「ミカナ様、顔がにやけてる」

「えっ、あら、そうですか?」


 三女のフィーナにじとっとした目を向けられ、ミカナは頬に手を当ててごまかそうとする。


「だって、ようやくなのですもの。ようやく……」


「しー君は『少し待っていて』って言っていましたよ、ミカナ様」

「っていうか今のミカナ様、まるで恋人を待ち焦がれてる女の子みたいっすよ。うちの母さんより五百歳以上も年上なのに」


 こころなしか手を当てた頬が紅潮しているミカナに、長女はおっとりと諭すように、次女も理解はしつつも呆れと苦笑を半々にという感じで告げる。


 その場にいた全員の目に焼き付き、そして今も脳裏で再生され続ける光景は、玉座へと続く階段を昇り、そして”聖杯”に触れて天上世界をエデナの光で満たしたシャムリルの姿だ。


「はぁ……。我が息子ながら、さっきのあの子はなんというか……そう、神々しかったわ」

「別に、あの子があの子でなくなるわけではないさ。そうでしょう、ミカナ様?」


 シャムリルの両親から心配と不安の混じった視線を向けられ、ミカナははっきりと頷いてみせる。


「シャムリルちゃん……しー君の魂は、進化し昇華することはあっても変質することはありません。貴方方の家族のしー君は、しー君のままですよ」


 一家はそろって安堵の表情を浮かべる。

 ミカナから説明はされていても実感などなかった、しー君の”神化”の始まりを目の当たりにし、家族は不安に怯えていたのだろう。

 ミカナはそんな一家を安心させるように微笑む。


「ところで皆様。以前にもご提案しましたが、改めてもう一度」


 実際にあの神々しい姿を見た後ならば、家族もきっと心動かされるに違いない。


「皆様も天使になれば、これからもシャムリルちゃんと……しー君と一緒にいられますよ?」


 シャムリルの家族の”魂”を保護していたのはこのためだ。

 もっとも、彼女たちを保護した段階では、シャムリルが”天上世界の王”となる可能性は半々といったところだったが。


 ――神様にだって、家族は必要だ。


 地上にも、”天使”としてシャムリルに付いてきてくれそうな子たちや、”眷属”となり得る竜たちがいる。

 今はまだ寂しいばかりの天界にも、賑やかな日が訪れるかもしれない。

 ミカナは訪れるかもしれない未来を想像し、微笑を浮かべた。 

 

 ふと、それ(、、)に気付く。

 

「あれ……?」


 一度躊躇いながらも、”玉座”へと続く階段を昇って行くミカナ。

 階段の中央を避けながら――そこは”王”の通り道だ――恭しい足取りで。


「えっと、これは何でしょう?」


 玉座に残されていたのは、シャムリルによってエデナが再び充填された”神の聖杯”だ。

 そしてもう一つ。


「赤い……犬? それとも猫でしょうか?」


 シャムリルの代役とでも言わんばかりに玉座にちょこんと座しているのは、なんだかよくわからない動物を模した、赤いぬいぐるみ(ジョゼフィーヌ)だった。


   * * *


 天上世界にて、シャムリルが玉座の聖杯に触れ、約束の証としてジョゼフィーヌを残して帰還したのと同じ頃。

 地上では――。


 多くの者が、本能に等しい部分で”何か”を感じ取っていた。


   * * *


 たとえば聖王国の東、水と美食の町ツィオーネで。


「む?」

「い、いかがなさったのですか、アステラ様?」

「いや、またかと思っての」


 質素な朝食をとっていた“金翼”は、ふと手を止めて窓の外を見やる。


「二度に渡り、この町にまで届くほどの”癒しの聖呪”。それを引き金にあやつが媒介となって、わし(、、)らに届けた”聖母”とやらの声……。そして此度(こたび)は何をしよったのじゃ、竜玉よ」


 やや古臭いともいえる言葉使いで独り言ちるのは、太陽のように輝く金色の髪と瞳が美しい麗人だ。


「ロザリアが暴走しておらぬか心配じゃの。ベル・ファフティーナのその後も気にかかりおる。そういえば護送団が襲撃された件と、あの若造(、、、、)の行方がどうなったのかも、進捗を確認せればなるまい。……気は進まぬが、王都の”真夜”にまた文を書くかのぅ」


「あの、アステラ様。何か悪いことがあったのでしょうか? 難しいお顔をされていますが」


 新人にも関わらず、給仕係に任命されてしまった使用人の少女は、怯えたように尋ねる。

 なにしろこの女主人は”金翼”と呼ばれている竜なのだ。

 以前、この町で三柱の竜が起こした争いの光景は、未だ恐怖とともに少女の脳裏に焼き付いている。 

 ひょんなことから彼女の正体を知ってしまった少女は、その後なぜか気に入られてこの竜に仕えるようになったのだった


「む、心配するな。悪いことではなかろう。どちらかといえば今回は……ふっ、言い表せぬほどの歓喜が、わしの全身を駆け巡ったような感じじゃよ。朝から祝杯をあげたい気分じゃ。例の葡萄酒を注いでおくれ」


「は、はい!」


 少女は震える手で指定された葡萄酒の瓶を持つ。

 美食家としても有名なこの主人から、「何よりも貴重な竜の宝」「この瓶一つでそなたの人生が百度は買える」とまで言われている代物だ。

 落として割ろうものなら、その償いに少女はこの竜に喰われてしまうだろう。

 いや、それでも足りずに家族まで、下手すればこの町の住民まで皆殺しにされてしまうに違いない。

 実際には、アステラが所望すればシャムリルから同じ物が贈られてくるのだが。

 そんなことは露も知らない使用人の少女は、全神経を集中して主人の杯に”葡萄酒”を注いだ。

 そして、


「わぁ……。綺麗なお酒ですね。まるで宝石みたい」


 透き通ったガラスの中できらきらと光る真紅の液体に、思わず目を輝かせる。


「じゃろう? まぁ、宝石という言葉は当たっておるの。……それにしてもまた熟成(、、)したかの……いや、熟成というよりは……まさしく宝石が磨かれたような……」


 アステラは呟きながらも、我慢できなくなったように杯にそっと口につける。

 そして鼻腔をくすぐる甘美な香りに、舌に触れる至高の美味に、たまらずにほうっと息を吐いた。


「……さて、次はどのような”奇跡”を起こすつもりじゃ、竜玉よ?」


   * * *


 たとえば王都の北、フェルロート公爵領で。


「このような朝から、私めに何か御用でしょうか。レイド・ヴァン・フェルロート公爵閣下」


 屋敷の主人たる公爵の私室。

 豪奢とは言えないが決して質素でもない、この部屋の主人らしい品位と重厚さを感じさせる部屋だ。


 部屋に呼び出されたのは禿頭の小男――ディクト・パ・ヘモ枢機卿である。

 聖職者の課業たる”朝の祈り”の最中に呼びだされたことに、というよりも朝っぱら(、、、、)ということに少々不満を感じているらしい。

 とはいえ相手を批難することも、まして機嫌を損ねることも出来ず、かろうじて皮肉っぽく聞こえる慇懃な口調で用件を尋ねた。

 しかし呼びだした本人は皮肉に気付くことはおろか、挨拶を返す余裕さえない様子だ。


「ディクト・パ・ヘモ枢機卿。聖職者における最高位、枢機卿の一人たる貴卿は何も感じなかったのか?」


 枢機卿はいぶかしげな表情を浮かべる。

 その反応を見てとったのか、公爵は顎の先でそれ(、、)を示した。

 飾り気のない執務机に、まるで宝石を飾るかのごとく大切に置かれている、ひとつの杯。


「ライア・レースの聖杯……?」


 初代聖王の聖遺物にして、国宝。

 そして今は二人の男の野望を成就するために必要不可欠な道具だ。


「なっ……。なぜ、エデナが空に……?」


 あれだけ蓄えられていたはずのエデナの光が、完全に失われてしまっていた。

 聖杯には二つの機能がある。

 ――エデナの保存、蓄積。

 ――そして蓄えられたエデナによる、”竜”の強制支配。

 当然、エデナがなければ竜を操ることなどできない。

 それは公爵と枢機卿の野望が、一歩どころか遥かに遠ざかることへと繋がってしまう。


「わからぬ。だが聖杯が蓄えていたエデナを放出する寸前、私はまるで”悪魔”に睨まれたかのように、全身が凍り付いて動くこともままならなかった」

「悪魔、ですと?」

「もののたとえだがな。実際にこの目で見たわけではない。――いや、だが、あれは悪魔というよりもむしろ……」


 もっと清らかなものだったのではないか。

 感覚としては、子供が必死に隠していた悪戯の証拠を、親に見つけられたかのような。

 そう、まるで……。


「私の悪事を、天に見透かされたかのようだった」


 口にしてから、馬鹿馬鹿しいと内心で吐き捨てる。

 ”悪戯をすれば神様の罰が当たるよ”と脅されている子供ではあるまいし。 


「幸い、聖杯の機能はまだ生きているようだ。これまでの蓄えがなくなったのは痛いが、エデナなどまたすぐに集められよう」


 公爵は小さくない苛立ちと焦り、そして認めたくはないが感じてしまった恐怖と畏怖を押し殺す。

 それから計画に必要なもう一つの道具(、、、、、、、)について、枢機卿に確認をした。


「そういえば、あれ(、、)の様子はどうだ?」

「世話をさせているモドキ共によりますと、やはり食事(、、)をとろうとしないとかで……」


 芳しくない返答に、公爵は精悍な顔を歪めて舌打ちをする。


「だが今、聖杯にはあれ(、、)の餌の代わりに与えるエデナも、あれに命令して無理やり食事をさせるためのエデナもない」

「いかがなさいますか?」

「檻に餌を放り込んだら、そのまま放っておけ。竜の飢餓は想像を絶すると聞く。飢えれば勝手に喰うだろう」


 それよりも、と公爵は進行中であるもうひとつの計画について話題を移す。


「聖王派の貴族たちの離間工作と懐柔策を進めよう。聖職者共は任せたぞ」

「は。……ところで閣下。例の”聖女”についてはいかがなさいますか?」

「当然、我が物とする。ああ、とすると聖職者共の懐柔ついでに、”聖女”の伝説と新たな(、、、)聖書の筋書きを用意せねばならんな」


 公爵は言いながら、あの純白の少女の姿を思い出す。

 ――竜玉の聖女。

 あれを利用し、”真の聖王”たる己が権威の箔付けとする。


「”真の聖王”の証たる聖杯は私を所有者と認めた。貴族と聖職者の大半はこれで(なび)くだろう。竜を支配し、聖竜シャンドラを復活させてやれば、偽りの聖王リリアーヌに(おもね)る者などいなくなる。ついでに神に愛された”聖女”とやらが我が傍らに侍れば、いかな愚民とて誰が”真の聖王”に相応しいのか理解出来よう」


 計画通りに進めば、玉座は我が物となる。

 公爵は満足そうに顔を歪めて嗤い、聖杯に触れようとした。


「……」


 だが、無意識のうちに一瞬だけ身構えてしまう

 脳裏に浮かぶのは、何故かあの純白の少女だ。

 汚らわしい遊女のくせに、この世のものとは思えないほど清らかさ、美しさを纏う”聖女”。

 何故か、あの少女の透明な瞳に、”罪”を見破られているような気がして――。

 

「馬鹿馬鹿しい」


 公爵は吐き捨て、硬直してしまっていた手を無理やりに伸ばす。 

 神がいるというのなら、今この瞬間、私に雷を落とすなり炎で焼きつくすがいい。

 内心で嘯き、神を嘲笑い、聖杯をむんずと掴み取る。

 そして脳裏に響く、あの無機質な声。


(汝、王となることを望むか?)

「ああ、もはや玉座は目の前だ」


 聖杯を手にした男は、まるで悪魔が乗り移ったかのように嗤った。


   * * *

 

 公爵家の広大な敷地内にある、聖拝堂。

 今は当主の命によって封じられているその建物には、使用人はおろか、敷地内に迷い込んできた小動物も、鳥も、小さな羽虫でさえ近寄ろうとしない。


 ――ああア、ああぁっ……、


 聖拝堂内。壮麗かつ華美でありながら、廃墟にも似た静謐な空間に、虚ろな音が響く。

 断続的に響くその音は獣の咆哮のようであり、地獄の亡者が嘆き叫ぶ声のようでもある。


 その音は、声は、聖拝堂の地下から聞こえてきた。

 密かに造られた地下牢。

 堅牢で分厚い石の壁、太く強固な鉄の檻。

 何者かの泣き叫ぶ声に混じって、時折、ジャリ、ジャリ、と鉄の鎖が石の床を這う音が響く。


 地下にある施設独特の土やカビ、埃の臭いに混じり、思わず顔をしかめたくなるような異臭が鼻をつく。

 事実、()のための食事(、、)を運んでくるモドキたちは皆、使命を終えると今にも吐きそうな顔をして出て行くのだ。


 巨大な牢の中に、うずくまる大きな影がある。

 泣き叫ぶ声は何時しか止み、今はすすり泣くような声が地下に()びしく反響している。


 ――タスケて……、だれカ……、


 彼の体躯を覆う白金の鱗は血と土で赤黒く汚れ、ところどころ剥がれて痛々しい傷を露わにしていた。

 四肢の内、一つは失われており、残りの三つには太い鉄の鎖と重石が括りつけられている。

 三本の手足の爪はこの地下牢から逃げ出そうとし、それに失敗したのか無残に折れ欠けていた。


 首の付け根に、血で彫られた奇妙な文様がある。

 彼が弱弱しく叫びながら鉄の檻に体をぶつけると、文様が不気味な赤い光を放ち、彼の全身に激烈な痛みを与えた。

 血縛呪。

 たとえあの聖杯の力が弱まっていたとしても、この呪縛がある限りここからは逃げ出せない。


 ――アア、


 耐えられぬ痛み。

 耐えられぬ空腹。

 同時に襲いかかる、彼の理性を奪うほど強く、抗いようのない衝動。


 ――おナカ、すいタ、


 牢の端には、昨夜モドキが運んできた”食事”が残されたままだ。

 すでに何度も”聖杯”に――父上に命じられ、思考と理性と感情を奪われたまま、食してきたもの。

 聖杯の効力が消えた後で、後悔と絶望が襲ってきた。

 

 今は違う。

 聖杯に縛られているわけでも、父上から「喰え」と命令されているわけでもない。


 それなのに、どうして――。

 体が勝手に動く。

 涎が湧いてくる。

 あれだけ酷い悪臭だと思っていたものが、とても芳しく美味しそうな匂いに感じてしまう。 


 ――イヤだ、いやだ、いやダ、いやだ! 


 己を支配する衝動を振り払うように叫び、暴れ、牢屋の壁に身体をぶつける。 

 血縛呪が発動し、激痛に襲われても、彼は自傷行為を止めなかった。

 

 ――いやだ、食べたくない、いやだ、いやだ……、


 しかし痛みで意識が朦朧とすればするほど、体が本能に従って勝手に動こうとする。

 ふらりと”食事”の方へ歩み寄り――、

 血縛呪の反動が余りにも大きかったためか、途中で力尽きて倒れこんでしまう。

 

 ――このまま、死んでしまえばいい。


 赦されない大罪を犯したのだ。

 自分など、死んで地獄に堕ちて、何百年でも何千年でも罪を償うべきだ。


 目の前が暗くなる。

 それが死の前兆なのか、それとも単に意識を失おうとしているだけなのかはわからない。

 願わくば前者で会って欲しい――。

 その思いとは裏腹に、彼の口からは無意識に願いが溢れ出た。


「たす、けて……」

 

 そして。

 意識を手放す寸前、彼は小さな光を見て、光のような声を聞いた。

 あまりにも清らかで、美しく、神々しい天使の姿。

 その少女は――なんとなく、女の子だと思った――純白の服を纏い、白銀の髪をなびかせ、透明な瞳で、彼に優しく微笑んでくれる。

 慈愛に満ちた微笑で、柔らかくて優しいばかりの声で。


 ――待ってて。

 

 と。


   * * *


 強い光は、時に暗い影を生む。


 王都近郊の森に潜むその男も、確かにその光を感じていた。

 しかし彼にとっては――、


「コの、におい……、」


 傷を負い、地面に横たわっていたその竜は、深紫の瞳にどろりと暗い闇を纏う。

 彼が感じた強烈な光――それは、彼が今まで食してきた中で最高の人間と言い切れる、あの少年の甘い香りへと変換された。


「喰っテやる……」


 今でも鼻に、舌に、脳に、全身に残る最高の美味は――しかし最悪の記憶とも直結する。


「ぐぁあああ! 殺ス! コロす! 喰って喰って喰いまくって殺してやる! 

 ――白いのも、ベルも、赤いあいつも、ぜんぶ、ぶぶ――!」


 そして深紫の竜は、光が放たれた方へ――最高で、最悪な甘い香りがする方へと、歩み出した。


   * * *


 多くの竜が、一部の人間が、感じた”光”。


「……ん?」


 それは王宮の自室で目を覚ましたばかりの聖王リリアーヌにも、


「いかがなさいましたか、リリアーヌ様。……っ! これは……」

「なんだか、ほわっーってするね。りりー様」


 リリアーヌ付きの白い双子にも、感じ取れたようだった。


「ほわほわーっ! なんだかあった~かい」

「また、癒しの聖呪でしょうか? 聖王庁の呪術院に調査を依頼しますか?」


 リリアーヌはエミの天真爛漫な様子に思わず微笑み、不安そうに眉尻を下げているナミには優しく「その必要はない」と告げる。


「それより、聖女殿を一刻も早く王城へお招きしたい。……とはいえ、二人を使者にその旨を伝えてからまだ二日か。返事を催促するにも、少し焦りすぎだろうか?」


 まるで恋する乙女だな、とリリアーヌは内心で自嘲する。

 どうしてこれほどまでに、あの聖女を求めているのだろう。

 ただ、是が非でも聖女に会わなければならないのだ、という強迫じみた焦りがリリアーヌの中にある。

 と、半ば独り言のようだったリリアーヌの言葉に、エミが元気いっぱいに反応した。


「はい! かしっこまりました、りりー様! それじゃあシャムちゃんにお返事を聞いてくるね! 行ってきまーすっ!」 

「え、ちょ、ちょっと待て」

「エミ、待っ……、行っちゃった……」


 リリアーヌとナミが止める間もなく、エミは全速力で部屋を出て行ってしまう。

 主人の望みを叶えるべく、聖女の元へ向かったのだろう。

 しかし聖女は確か、花街の竜花楼へと戻っているのではなかったか。


「……ナミ。急いで文をしたためるから、それを持ってエミを追ってくれ。竜花楼の一等花おいらんは、子供が身分証明もなく行って会えるものではないだろう」

「は、はい!」


 リリアーヌは執務机へと向かい、聖女と竜花楼の楼主へと当てた手紙を書く。

 手紙には封蝋で封をし、聖王の証たる”聖璽(せいじ)の指輪”を印璽に使用した。

 非公式ではあるが、立派な王の勅書である。


「任せた。……聖女殿には、色良い返事を期待している、と伝えてくれ」

「か、かしこました。それでは行って参ります」


 手紙を持たせたナミを送りだすと、リリアーヌは椅子にもたれかかった。

 そして小さく息を吐き、


「しまった。朝の紅茶を淹れてもらってから送り出すべきだった」


 ナミの見よう見まねで自分で淹れるか、それとも手の空いていそうな侍女を呼ぶべきか、と逡巡する。

 と、その瞬間だった。


「……っ!?」


 脳裏に、不思議な光景が映し出される。

 そこは王城の謁見の間にも似た、けれど白く広大で、そして荘厳で神秘的な空間だった。


 天へも続きそうな階段を、一人の少女がゆっくりと昇っている。

 少女はやがて頂上へと辿り着き、そこに置かれた玉座にそっと何かを置いた。


「赤い、ぬいぐるみ……?」


 リリアーヌが声を発したのは、夢の中でだったのか、それとも現実か。

 少女はまるでその声に気付いたように振り返り、彼女を見上げるリリアーヌにそっと微笑んだ。

 その微笑に見惚れてしまい、息が止まる。

 夢の中で流れる時間さえも止まったようで――。


 唐突に、リリアーヌの意識は現実へと戻される。


「……今のは、いったい……」


 リリアーヌは呆然と呟く。

 白昼夢にしてはあまりにも明瞭で、何よりも今見た光景の美しさは、一生目に焼き付いて離れないだろう。


 だが、どうしたわけか――、

 あの少女は、きっと私たちを(、、、、)救済してくれる(、、、、、、、)

 そんな思いを、リリアーヌと、そしてリリアーヌの中にいる誰か(、、)は、無意識化で共有していたのだった。





   * * *


 



「……ふむ。エデナは安定したようでありんすな」

「というかリンよ。先程、我らが見たあの光景はなんだったのだ? 竜玉が見せたものか?」


「シャムリル……どの」

「ベル、気持ちはわかるけど落ち着いて。さっきからモドキさんたちが、ベルとロザリア様にすっごく怯えてる」

「そーそー。まー、飴ちゃんでも舐める?」


「シャムリルさん、あたくしたちの声が聞こえていますか? 聞こえていたら、お返事なさってください」

「シャムリル様、どうか目を開けてくださいませ」


 ゆっくりと覚醒していく意識の中、皆の声がシャムリルの耳に入る。


「……ん」

「シャム!」


 目を開いた途端、ロザリアの顔が迫ってくる。

 抱き付かれた。ぎゅーっと、かなり強い力で。


「ロザリア様……」

「心配したんだよ! あの聖母……じゃないんだっけか。あの天使はシャムリルの中から追い出したんだけど、中々目を覚まさないから!」


 顔を上げて周りを見回せば、皆がまだ心配の混じった顔でシャムリルを覗きこんでいる。

 どうやらおいらん専用サロンにある長椅子(ソファ)に寝かされていたらしい。


「皆様、ご心配おかけしました」


    * * *


「アリスお姉様。ごめんなさい、ジョゼフィーヌを置いてきてしまって」


 一同が落ち着いたところで、シャムリルは自分に起きたことについて、皆はシャムリルがミカナに憑依されていた間のことについて、情報を共有し合う。

 そこでふと気付いたのだが、シャムリルが首からぶら下げていたはずのジョゼフィーヌがどこにもない。

 あの赤いぬいぐるみはもともとアリスから譲り受けたものなのに。


「ああ。お気になさらないでくださいまし。……まぁ、ジョゼフィ―ヌが光になって消えて、その光が天へと昇って行ったときにはびっくりしましたけれど」


 あちら(、、、)でふと思いついてやったことが、こちらではそのようなことになっていたのか。


「あの、犬だか猫だか兎だか分からないぬいぐるみが、天に召されていく光景。なかなか面白かったよ」

「ぷふっ!」


 カナナが大真面目に言い、その光景がどうやらツボだったらしいヴェニカが思い出したように噴き出す。


「ぬいぐるみのことはようござんす。あちらで何があったのか、話しておくりゃんせ。といってまぁ、わっちら竜はなんとなくわかっておりんすが」

「そうなのですか、リン様」

「あい。上手く説明はできんせんが、ここにいる竜は皆、そなたの血肉を食らいエデナを摂取したことがあるからでありんしょう。どうやらある程度、そなたとわっちらで魂が繋がっているようでありんすぇ」


 ちょっとばかりびっくりして竜の面々を見回すと、彼女たちからは神妙な面持ちで肯定する仕草が返ってきた。


「竜は神の眷属と言われています。不思議ではないかと」

「うむ、じゃの」


 ベルとチィがそう言ったのに続けて、ヴェニカが小さく手を挙げて発言する。


「あたしら”半人半竜”もそうみたいよ。あたしに、猫さんや蛇さん、モドキさんたち。半分竜だから、ってことだと思うんだけど。一緒に見た光景も、竜の皆さんよりちょっと曖昧って感じだった。ああそれと、ここにはいないギノさんやハルト先輩はどうかわからないから、確認した方がいいかも」


 シャムリルがまたびっくりして、後ろに控えるようにして立つ”モドキ”たちを見る。


「ヴェニカ様の、おっしゃる通りデス」

「はい、聖女様。とても、美しく、清らかで、神々しく、あらせられました」

「……! ……!」


 猫さんと蛇さんの完全に崇拝しきった視線が痛い。

 兎さんはいつも通り無言ながらも、何度もコクコクと頷いている。


「お嬢、いえ聖女様。マジで凄かったッス」

「小癪だガ、認めテやろう。ヤハリ貴様は聖女なのダナ」


 鶏のとさか(、、、)のようにツンツンした髪型の鳥さんが目をきらきらさせ、狐さんはツンツンした物言いながらも認めてくれる。

 そうやってモドキさんたちから確認を終えると、次はシンがおずおずと口を開いた。


「あの、シャムリル様。どうやら竜の皆様、それとヴェニカ様やモドキさんたちだけではなく、私たち人間も……私、アリス、カナナさん、スーさんも、ある程度ですが同じ光景を見ているようなのです」


 シャムリルは先程以上にびっくりし、困惑して、リンに助けを求める視線を送った。

 よくわからないときはリンに説明してもらうのが一番早いのだ。


「わっちに聞かんでおくんなんし。というより、そなただって察しくらいついているのではありんせんか?」


 リンに言われて、すぐに答えが出てしまう。

 今のシャムリルは、どうやって知り得たのか分からないような知識や情報を、完全に把握していた。


 ――”天使”。

 ――シンやカナナは、その候補となる人たちだ。


 そして半分は人、半分は竜であるヴェニカやモドキたちは、王の遣いである天使にも、王の眷属たる竜にもなり得る。


 しかしこれは、今伝えるべき情報ではないのかもしれない。

 何よりも人が”天使”となるのは死後、魂だけの存在となったときだ。

 そして天使になるか、再び人として”転生”し生まれ変わるのかは、本人の意思が尊重されるべき選択である。

 シャムリルがもし「お願い」してしまえば、その選択に大きな影響を与えてしまうだろう。


「あの、そのとき(、、、、)がきたら、お伝えしようと思います」


 シャムリルは今ここでは伝えないことに決める。

 リンもそれで納得したのか、賛同を示すように頷いた。


「それがようござんしょう」


   * * *


「ねぇ、シャム? 『やらなきゃいけないこと』って何?」


 実際に天上世界でのやりとりを見たわけではないはずなのに、ロザリアはシャムリルが口にした言葉を繰り返し、意味を尋ねてくる。

 ロザリアとシャムリルの魂の繋がりは、誰よりも深く強い。

 とはいえ流石に”心の中”まで読めるようにはならないようだ――ロザリアならもしかしたら、そのうちシャムリルの心を読めるようになるかもしれないけれど。


「はい。まずは聖杯……”ライア・レースの聖杯”を回収します。あれは本来、地上にあってはならないものですから」


 シャムリルはたおやかな仕草で、白く細い人差し指を立てながら、一つ目の目標を語る。


「本来であれば”天界の王”の権限であり、権能でもある、”エデナを管理する力”と”竜を支配する力”。……あの”聖杯”は、わずかとはいえその力を持った聖遺物です。あれが悪用されると、地上にも天界にも多大な悪影響を与えてしまいます。野放しにしておくわけにはいきません」


 リンが「で、ありんすなぁ」と相槌を打ち、他の面々も真剣な面持ちで話を聞いている。


「本音を言えば、五百年前のやむを得ない事情があったとはいえ、地上にあの聖杯をもたらしたミカナ様ご本人に回収してもらいたいんですけど」

「まぁそれは無理な相談というものでありんすぇ。そなたが再びミカナの依代(よりしろ)となるのならともかく」


 リン自身も無茶を言っているのが分かっている口調だ。

 そして不可能な理由を裏付けるかのごとく、真紅の竜と漆黒の竜がとんでもない怒気と殺気を放った。


「……あんっの女ぁ……! 次シャムリルに同じことしたら、魂ごと消滅させてやる」

「シャムリル……どのには、一切手を出させません」


 チィが「ひゃん!」と悲鳴をあげ、半分は竜であるヴェニカや”猫”、”蛇”、”兎”も顔を青ざめさせる。

 純粋な人間である少女たちは、ガタガタと震えて涙目になっていた。

 そしていちおうは半竜である”鳥”と”狐”は、何故か泡を吹いて気を失う寸前だ。

 以前、彼らがまだギョクの手先だったときに、ロザリアとベルにぼっこぼこにされたことがあるからかもしれない。

 ついでに天井、いや天上(、、)の方から「ひぃ!」とミカナの悲鳴が聞こえたような気もするが、それは気のせいとして。


「ロザリア様、ベル様。落ち着いてください」


「……ん」

「はい」


 シャムリルになだめられたことで、ロザリアとベルは怒気やら殺気やらを瞬時に鎮める。


「ひとまずミカナ様のことは置いておいて。僕の『やらなきゃいけないこと』の一つめは、今言ったとおり、聖杯の回収です。……それと、もしその過程で、ダリアシュネフ様のように聖杯に操られている竜がいたら、助けたいと思っています」


 付け加えながら、シャムリルは悲痛な表情を見せる。

 と、それを気遣うように声を発したのはカナナだった。


「シャムはやっぱり優しいね。ダリアシュネフ様は竜災を起こしたのに。助けようとしている竜も、同じように竜災を起こすかもしれないのに」

「聖杯に操られている竜に、罪はないよ。カナちゃん」


 シャムリルの表情と声に何か違和感のようなものを感じ取ったカナナだったが、何かを言う前に、リンの発言によって遮られてしまう。


「聖杯を回収するということは、あの男(、、、)と間違いなく敵対するということでありんしょう。カナナ・ロ・フェルタ、そなたの父である、レイド・ヴァン・フェルロート公爵と」

「ああ、そうですね。……そっか。気をつかわせてごめんね、シャム」


 カナナは父親についてはあっけらかんと、シャムリルに対しては申し訳なさそうに言う。

 ううん、と首を振ったシャムリルの方が、泣きそうになるのをこらえている顔だった。

 

「どちらにせよ、聖杯はいずれ回収せねばなりんせんと思っておりんした。まぁ、この件の細かい打ち合わせは後にしんしょう。して、これが一つめと言うからには、二つめの『やらなきゃいけないこと』もあるのでござんしょう?」


 リンが重くなった空気を変えるように、シャムリルに話の続きをうながす。

 シャムリルも気持ちを切り替えるように一つ頷いて、


「はい。最初にいっておきますが、この二つめの件に関しては、おそらくミカナ様もご存じありません。ですからミカナ様を責めたりしないでくださいね」


 リンは訝しみ、不思議そうな顔をする。

 やんわりと宥めるように言われながらも、ロザリアは紅い唇を尖らせ、ベルは柳眉を寄せたままだ。

 とはいえふたりとも「シャムリルがそういうのなら」という態度を示し、話を聞く姿勢となる。


「助けなくてはいけない人たちがいます。正確には、助けなきゃいけない魂が二つ、あるんです」

「助けなきゃいけない魂?」


 繰り返したロザリアに、シャムリルは首肯を返してさらに続ける。


「そのふたりの魂は”輪廻の輪”から外れ、天上世界へ還ることも、転生することも出来ずに、ずっと苦しんでいます。しかも先代の神様の呪いのせいで」


 皆はそれぞれに驚いたり、唖然としたりと反応を示しながら、シャムリルの言葉を待つ。

 シャムリルは気持ちを落ち着かせるように小さく息を吸って吐いてから、意を決したように口を開いた。


「先代の神様に呪われ、五百年もの間、苦しんでいるのは――」


 ロザリアとの永遠(、、)のためにも、彼らを救わなければならない。

 彼らを救わなければ、シャムリルが真に”天上世界の王”となることは出来ないのだから。


「――初代聖王ライア・レース様と、聖竜シャンドラ様です」



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