天上の国(2)
『ここから先は、私がお話しましょう』
シャムリルの薄桃色の唇から繰り出される、シャムリルのものではない言葉。
シャムリルが纏う雰囲気――純粋無垢な天使と戯れ好きの小悪魔が同居し、そこにおいらんの艶やかさや華やかさを加え、さらに聖女の清らかさと高潔さを混ぜ合わせたような――雰囲気さえ一変している。
慈愛に満ちた微笑、穏やかで柔らかい声、この世の万物を受け入れられそうな、おおらかさと包容力。
シャムリルがあと百年生きたらこんな風になっているのかもしれない。
魂の憑依――聖女の身体を借りての顕現。
「シャムリル……じゃないね。誰?」
「シャムリル、どのに危害を加えるおつもりなら、あなたが誰であろうと容赦致しません。シャムリルどのから出て行っていただきたい」
しかしそんな”奇跡”と讃えられてもおかしくない”彼女”の行動は、シャムリルのみを唯一至高とするふたりにとっては決して赦せるものではなかった。
ロザリアが真紅に燃えさかる炎のごとき怒りを纏い、ベル・ファフティーナは怜悧な容貌に冷たい刃のごとき怒りを湛えて、彼女――シャムリルに憑依した者を睨む。
そんな二柱の竜の殺気じみた怒気にあてられた”彼女”は、慌ててシャムリルの美貌を(困ったわ)という感じに三割、あとの七割を(ひぃ、助けてリン!)という感じに変化させて、旧知の仲であるリンにすがるような視線を向けた。
リンは呆れたように溜息を吐き、
「言うだけ無駄とわかってはおりんすが。そなたはいちおう、聖王教の教義では現世に顕現できないことになっておりんすぇ、ミカナ」
リンのおかげで、わずかに逸らされる竜の殺気。
その隙になんとか自分の言葉をねじ込むことに成功した。
『ひ、久しぶりですね、リン。それから他の皆様は初めまして。ひとまず、落ち着いて私の話を聞いてくださいな』
聖母ミカナの言葉は、怒れる二柱の竜をなだめようとするのに必死で、不憫なくらい震えていた。
* * *
「……あれ?」
ふと気付けば、シャムリルは見覚えのある白い世界にいた。
昨夜の夢で聖母ミカナに連れてこられた場所。
まるで雲で出来ているような白いお城の中――祭壇のある大きな部屋。
祭壇上の立派な椅子には、豪奢なステンドグラスから虹色の光が降り注いでいる。
「また、夢?」
でもついさっきまで、皆と一緒にいたはずなのに。
ぼんやりと、高い階段の上に鎮座する神秘的な祭壇を見上げる。
「パパ、ママ……?」
もしかしたらまた家族に会えるかも。
そんな期待が胸の奥からじわじわと込み上げてきて、周囲を見渡そうとした、そのとき。
――ぐるる。
背後で唸り声がする。それもいくつも。
ハッとして振り返り、思わず悲鳴をあげそうになった。
「なんで、こんなに」
何柱もの竜。大きな、小さな、色とりどりの。
気付けば、いつの間にか周囲を竜に囲まれている。
そのうちの一柱が我慢できなくなったように大きく吼えたかと思えば、他の竜たちが立ちつくすシャムリルへと近づいてくる。
「だめ、食べ――」
――無数の歓喜の咆哮が、シャムリルを襲った。
* * *
『まず、シャムリルちゃんは話が終わったら無事にお帰しします。だから落ち着いて話を――』
シャムリルの体を借りたミカナが言うのと同時、
「ミカナ? ああ、聖母様だとかいう女。何勝手にシャムリルの体乗っ取ってるの? さっさとシャムリルを返して」
「先程も言った通り、あなたが誰であろうと関係ありません。シャムリル……どのをお返しください」
シャムリル第一のロザリアとベルは、やはりと言うべきか聞く耳持たず。
「え、ちょ、聖母ミカナ様!? ってなんで!? シャムリルちゃんが? は? えっ?」
「はわわっ! わ、わたし、とんでもない所に居合わせちゃってますぅ!?」
「……ヴェニカ様、スーも。落ち着いて。というカナナも何がなんやらなのですが」
ヴェニカとスー、そしてカナナはいちおう教会の人間としては正常な反応として、混乱した様子を見せている。
チィとシン、アリスも同様であり、
「おおお、落ち着くのだシン、アリスよ! こういうときにこそドンと構えてだな」
「そそ、そうですわね。シャムリルさんの姉として、このようなときにこそ泰然としなければっ」
「落ち着かなければならないのはチィ様とアリスもです。……しかし、聖母ミカナ様の依代になられるとは。シャムリル様はいったいどこまで凄い方なのでしょう」
そして言うまでもなく、
「聖女様ガ、聖母様に……!?」
「この場合、聖女様を、讃えるべきか、聖母様を、敬うべきか、迷います」
「……? ……!?」
「なんか訳分かんねえッスけど、すげえのは分かるッス」
「聖女め、一体どこまで、我らノ信仰ヲ惑わせルつもりダ」
元モドキたちはこんな感じである。
二人のカムロに至ってはもはや言葉さえ失って呆然としていた。
このままでは埒が明かないと判断したのは、唯一冷静さを保っていたリンであり、話を進める前に一応の確認を行う。
「まず、そなたがミカナであることを証明してもらいんしょうか。悪魔とやらがミカナを騙っている可能性もありんすゆえ。今からいくつか、この場ではわっちとミカナしか知り得ぬ事を質問しんす」
『ええ、どうぞリン。といっても、五百年前のことなんて忘れていることの方が多いかもしれないけれど』
「そなたがこの街にいたころに飼っていた猫の名は?」
『……ベアトリーチェ。メスの白猫だったね。ちなみに私の飼い猫というわけではなかったはずよ。他の遊女たちから“雪だま”とか”おもち姫”とか別の名前で呼ばれているのを聞いたことがあるし』
それからリンが質問をし、ミカナが答えるというやり取りが続く。
その過程で歴史の定説が覆ったり、聖書の記述が否定されたり、と穏やかではない内容も多々あったため、ヴェニカたちが途中から遠い目をしていたが。
* * *
――曰く。
現在、この聖王都がある地とその周辺は、五百年前はある小国の領土だった。
現在の聖王都がある山は、当時は竜――リンが棲む山だったらしい。
リンの縄張りたる山の麓には、小国の首都から隔離された、ある街が形成されていた。
その街こそ現在の花街の原型であり、夜の仕事に従事する者や、首都では暮らせない貧民、一般には忌避される職についていた者、そして当時の周辺国家と頻繁に起こっていた戦争によって身寄りを失った者や、他国からの難民が集まっていたという。
リンは己の縄張りに人間の街が出来たことに関して、時折街に出て”食事”を行うものの、初めは無関心、無関係を貫いていた。
しかしやがて街の者から崇拝され始め、仕方なく(食事を定期的に得るために)守り神として君臨するようになる。
いつしか、貧民窟にも等しかったその地は”花の街”として発展していった。
そしてある日、街にやってきたのが、ミカナと名乗る不思議な女だったという。
――この街で今日より十月十日後に生まれる子に、会いに来ました。
当時のリンは、効率よく”食事”を得るために――人間の女たちを飼うために――自らの妓楼を造ったばかりだった。
不思議な女はその妓楼に押しかけ、リンに会うなりそんなことを言い放った。
困惑するリンに住み込みで働かてくださいと詰め寄り、これを承諾させる。
しかもその後は全く客を取ろうとしないくせに、何故か他の遊女たちと親しくなっていった。
中でも当時、街一番の遊女(おいらんという呼称はまだなかった)とは親友か姉妹のような間柄となり、その遊女の妊娠が発覚した後も、傍に寄り添い続けていたという。
その遊女はもともと体が弱く、子を宿す以前から頻繁に寝込んでいたため、周囲は彼女を心配して堕胎を勧めさえした。
それでも彼女は腹の中の子を産むことを決めた。
そして。
母の命を犠牲にその子が生まれたのは、ミカナが街に来た日から、丁度十月十日後のことだった。
――よく頑張りましたね、レースティナ。
――貴女のおかげよ、ミカナ。……でも、私はもう駄目みたい。
――弱気になってはいけませんよ。
――自分の体だもの。わかるわ。きっと貴女にだってわかるのでしょう?
――……。
――ふふ、不思議な人。この子のことだって、きっと……。お願いがあるの。聞いてくれる、ミカナ?
――ええ。
――この子の名前を決めて、この子の母親代わりになってほしいの。
――わかったわ。でも、名前の候補くらいはあるのでしょう?
――ええ。ライア、というのを考えていたのだけれど。
――男の子の名前ですね。でもこの子は……。なら、ライアレースというのはどうでしょう。貴女の名前から、レースを取って。
――いいわね。素敵な名前だと思うわ。ありがとう、ミカナ。ライアレースを、よろしくね……。
――レースティナ……。どうか新たな生を得るその時まで、天の国にて魂の安らかな眠りを。またどこかで、生まれ変わった貴女に会えたらと思います。
そうして彼女の魂は天の国へと召され、地上には小さな小さな赤子が遺された。
ミカナは親友の最期の願い通りに、母としてその赤子を育てることになる。
* * *
「あの、あたしたち、聞いちゃいけない話を聞いているような気がするのですが」
ヴェニカが青ざめた顔でぽつりとこぼす。
竜であるロザリア、ベル、チィ、そして真実を最初から知っていたミカナとリン以外は、皆似たような反応だ。
『ここにいらっしゃる皆様は、シャムリルちゃんとリンから信頼されている方々ですので問題ないと判断いたしました。リンの誘導尋問につい口を滑らせてしまったのも事実ですが。ですので、どうかこの話はここにいる方々だけの秘密にしてくださいね』
片目を瞑り、唇に人差し指を当てるミカナ。
シャムリルの体を操っての彼女の仕草に、ロザリアがいらっとした様子を見せる。ベルも思うところがあるのか柳眉を寄せ、小さくない苛立ちと怒りをなんとか抑えこもうとしていた。
「秘密も何も、カナたち以外は誰も信じないと思います、こんな話。下手したらこの国が根幹から揺るぎかねませんし。……と、いちおう確認したいのですが、ミカナ様と初代ライア・レース聖王陛下に血の繋がりがなかったのはそれとして、初代陛下の父君は……」
『私も知りません。リンならばおそらく検討くらいは付くのでしょうが。しかしライアの真の母親であるレースティナが、当時の花街の遊女だったと考えれば、聖書とやらの記述が嘘か真かはわかるでしょう』
「……なるほど」
カナナは自分の想像がおそらく間違っていないことを確認するように、アリスとシンに視線を送る。
遊女と元遊女のふたりは、花街中から一心に信仰を集める”聖母ミカナ”が本人により虚像であると暴かれても、立ち直るのは早かった。
初代聖王の父が聖書通りの存在ではないことを示唆されても、納得し受け入れている様子だ。
「まぁ、それはそれとして。聖母ミカナの逸話に関しては真実も含まれておりんしょう?」
『真実? 何のことかしらリン?』
「そなたが処女であるという真実でありんす」
一方で衝撃から立ち直れない聖職者たちを気遣ったのか、そんな指摘をするリンに、ミカナは不服そうに唇を尖らせる。
『そもそも私と人間では、いろいろと違いすぎるもの。それにリンだって同じでしょう?』
「わっちとて、人間をそのような対象には見れんせん。親しみを感じることや情が移ることはありんすが。その点では生粋の竜であるくせに竜玉に恋慕しているロザリアが特殊でありんす」
ふたりは言い合いながらも、話が脇に逸れているのを自覚したらしい。
「さて。そなたが今になって顕現した理由の前に。そろそろ正体を聞かせてはくれんせんか? そなたが人間でないのはわかっておりんすぇ」
リンの質問に、ミカナは紅茶を一口すすってから、穏やかな微笑を浮かべる。
『そうですね。シャムリルちゃんのことにも関係していますし、正体を明かさなければ話も進まないでしょう。私は、貴女方の言葉で言うところの”神の御使い”。あるいは”天使”と呼ばれている存在です』
* * *
『天使が”神の御使い”と、竜が”神の眷属”と呼ばれている通り、私たちは天上世界――天の国に棲まい、神に仕える存在です。いえ、でしたと言うべきでしょう。
散々、貴女方の信ずる聖書を否定しておいて今更ですが、神は実在しています。もっとも、人間の信じる神の性質とは少々異なるものですが。
詳しいことは省きますが、天界の主な役割は「地上世界の監視・管理」と「人間を含めた生物の魂の保全、そして”輪廻の輪”の管理」です』
『そうですね……。地上の世界という広大な領土と、そこに住まう全ての生き物を民として管理しているのが、”天界”という名の国だと例えればいいのでしょうか。
そしてこの天界――天の国を統べる王こそが”神”であり、王を補佐し、膨大多岐に渡る役目に従事する臣下たちを”天使”や”竜”と言いかえればわかりやすいかもしれません』
『天の国に変化があったのは、今からおよそ千年前のことでした。
当時の神が病にかかったのです。不思議に思われるかもしれませんが、神も我々天使も、病にかかることがあります。そして寿命も存在します。もっとも寿命の長さは数千年という単位なのですが。
病に伏せった神は、遠くない未来に己の寿命が尽きること、そして代替わりを察して、次代の神と成り得る者を探すよう、我々天使と眷属たる竜たちに命じました。
天使と竜たちは地上に降り、神と成り得る素質を持った者を捜索しました。そのせいで当時の地上で起こったあれこれは、聖書にも記されていると思います』
『しかし数百年にも及ぶ捜索は実を結ばず、日々弱りゆく神と、次代の捜索のために天使や竜たちが専念せざるを得なかったことにより、地上世界の調整・管理が行き届かなくなってしまいました。
そのために戦乱や疫病、飢饉が頻発し、稀にみる暗黒時代が長きに渡り続いてしまったことは、私たちにとっても悔やむべき歴史です。
その上さらに、神の力が弱まったことで、天上世界のエデナが減少し、天使たちも竜たちも己の権能を使うことはおろか、その存在を保つことさえ危うくなっていきました』
『天使や竜にとって、そして天上世界にとって、エデナとは地上における空気と同じように必要不可欠なものです。
もちろん、地上世界においてもエデナは重要かつ不可欠な役割を担っていますが、地上世界や生き物とは異なり、天上に住まう天使や竜にとってエデナが失われることは即、存在を保てなくなることに繋がります。
それは世界そのものも同じで、エデナがなくなれば天上世界の崩壊は免れません。
天使も竜もエデナがなければ生きてはいけず、そしてエデナがなくなれば天上世界そのものが滅ぶ』
『神にとってもっとも重要な役割の一つに、天上世界と地上世界へエデナを供給し、循環させるというものがあります。
天使や竜は自らエデナを生みだすことは出来ません。
それが可能なのは地上世界で生まれた人間のみ――すなわち二つの世界へエデナを供給する神も、元は人間ではくてはならないのです。
もっとも、人間であれば誰でもいいというわけではありません。
二つの世界を支えなければならないのですから、必要となるエデナは想像を絶するほどに膨大となります』
『神の素質を持った人間とはつまり、二つの世界を支えられるほど膨大なエデナを持った人間。
私たち天使と竜は、そのような人間を探し求めていました』
『そして五百年前――神の寿命がとうとう尽きようとする寸前で、次代の神と成り得る素質を持った子が生まれると知ったのです。
その子こそ、ライアレースでした』
* * *
内容が内容だけに誰も口を挟むことが出来ず、重苦しくもどこか神聖ささえ感じられる静寂の中、ここまでのことをひとりで語ったミカナはようやく一息入れた。
すっかり冷めてしまった紅茶を口に運び、ほうっと息を吐く。
『どこまで話すべきなのか未だに迷っています……ですがやはり、シャムリルちゃんに関係あることは可能な限り全て説明すべきでしょう。
ここで少し話が逸れますが、神が病を患ってから――天上世界のエデナが目に見えるような勢いで減少を始めてから、天使も竜も徐々におかしくなっていきました。
天使の一部は堕天し、さらにその中の一部が”悪魔”と呼ばれて地上や人間たちに悪意を振りまくようになりました。
神の眷属だった竜も一部が地上に降り、人間を――エデナを直接食らうようになったのです。
ここにいるリンも、他の竜の方々も、そのときに地上に降りた竜の末裔と言えるでしょう。もっとも、ベル・ファフティーナ様や、他の半竜の力を宿した人間の方々は異なるようですが』
場の面々を見回しながら言ったミカナに、リンが静かに発言する。
「そう考えると、竜が人を食らうようになったのは随分と最近のことのようでありんすな」
『そうですね、リン。ですがそれ以前も、時折地上に降りて人間からエデナを摂取するといった悪さをする竜はわずかながら存在していたようです。もっともそのような竜は、彼らの主たる神によって制裁されていたようですが』
「神の力が弱まったことで、餌となるエデナが減少し、竜の暴走も止められなくなったのでありんすかぇ」
『その通りです。……話を戻しますね』
リンが相槌を打って続きを促すのを確認し、ミカナは再び口を開く。
『おかしくなった天使や竜は一部で、まともな者はまだ数多く残っていて、弱った神を支えておりました。
その中で、”次代の神となる素質を持った子”――ライア・レースを育て、素質が開花してから天上世界へ迎える役目を命じられたのが、私とシャンドラでした。
いくら素質があるとはいえ、未熟な赤子をいきなり二つの世界を支える神にすることは出来ませんでしたし、ライアが育つまで数十年は神の寿命も尽きぬだろうと、天上の者は皆そう思っていましたから。
それにどちらにせよ、ライアの素質は、そのまま神となるには足りず、磨いて延ばす必要がありました』
『始めは私が母としてライアを育てていました。
ライアとシャンドラを引き合わせたのは、八歳になったころだったはずです。
シャンドラは当時、地上に降りた竜の末裔たちを説得し、それが不可能であれば場合によっては排除するという役割も担っていました。
そのシャンドラは、ライアと引き合わせる直前、説得に失敗した竜に襲われて大怪我を負っていました。
ライアはシャンドラが求めるまま血を――エデナを与え、以降はシャンドラを付き従えるようになります。
それからは皆様がご存じの通り、ライアとシャンドラはこの地の戦乱を鎮め、後に聖王と聖竜と呼ばれるようになりました。
戦乱と飢饉の続く暗黒時代を終わらせるのは、地上だけでなく天上のエデナを安定させることにも繋がるため、シャンドラも積極的にライアの理想に協力していたようです』
『シャンドラがライアに”不老不死の聖呪”を施したのは、ライアのエデナを”神の域”へと高めるためです。宝石となる原石も磨かなければ美しく輝けないように、人のエデナも磨かなければ”神の域”には到達しえない。不老不死の聖呪はいわば”神の資格”を持つ者を選びだすための試金石であり、神に至るための試練なのです』
リンがひとつ納得したように頷いてから、再び口を挟む。
「なるほど。まだいくつか疑問はありんすが、おおよそのことは把握できんした。その疑問の一つでありんすが、そなたはライアが十のときに死にんしたはず。死体が光となって消えたことに関しては、そなたの正体が天使だからで、実際には死んでいないということでありんしょうが、十の子を残し、地上から去ったのは何故でありんすか?」
『そのことに関しても、今から話そうと思っていたところです。ライアを残し、天上に帰った理由は単純です。……神の命が、とうとう尽きてしまったからです。私は他の天使や竜を宥め、統率するために天界へ帰らなければなりませんでした。それからは神が最期に遺された言葉に従って天上を纏めつつ、地上のライアやシャンドラを見守っていました』
ところが、とミカナは悲痛そうな表情となり続ける。
『ライアは、とうとう神に至ることは出来なかったのです』
* * *
『そもそも真の意味で”神”となるにはエデナ以外にも様々な要素が必要となるため、ライアが神になれなかった要因も一つとは断言できません。おそらくという程度ですが分かっている理由は主に二つ。ライアのエデナが神に至るには僅かに足りなかったこと、そして子が産まれたことです』
「子が関係ありんすか?」
『ええ。子を成し、護り、育てるためには、親のエデナが必要となります。そして子がいると、”魂”が子に縛られてしまうのです。人ならざる神へと至るためには、肉体的な意味でも魂的な意味でも、完全に子との繋がりを絶たねばなりません。――私もシャンドラも、真の目的をライアに話したことはありませんが、話したところでライアは子と決別する道は選ばなかったでしょう』
「で、ありんしょうな。わっちら竜に子を持つ感覚はわかりんせんが、長く人間を見ていれば、親子の間に芽生える情や絆といったものが何よりも強いことはわかりんす」
『ええ。私も短い間でしたが、ライアを我が子のように思っていたから分かります。……ライアのことに関して話さなければならないことは他にもあるのですが、今はこれ以上、シャムリルちゃんの体を借りることはできません。なので、どうしても伝えなければならないことを優先させてもらいます』
そしてミカナが告げた言葉は、リンにとって、そしてここまで黙って静かに話を聞いていたロザリアやベルにとって、予想できたものとまったく違わぬ内容だった。
『シャムリルちゃんにも、神となる素質が芽生えています』