呪い
「呪い、かえ?」
もう何本目になるかわからない葡萄酒の瓶を開けながら、アステラが問い返す。
シャムリルは彼女に葡萄酒を注いでもらいながら、
「はい。不老不死と言えば聞こえはいいですが。この体、麻酔も効かなくて。おまけに今日知ったのですが、どうやら酒にも酔えないみたいです」
「それは難儀じゃな。人生の楽しみが一つ消えてしまう。して、何を知りたいのじゃ? ロザリアがどうやってその呪いをかけたのか……それともその呪いの解き方かえ?」
低い声で発せられた後者の言葉に、シャムリルは思わず声を上ずらせた。
「やはり解く方法も存在するんですね?」
ロザリアに何度問い詰めても答えてくれなかったのが、この問いだ。
だがアステラはあっさりと「ある」と頷いた。
「じゃが、それが何を意味するのか、ぬしは分かっておるのか?」
「はい。呪いを解いたら、僕は普通の人間と同じになる。つまりロザリア様に食べられたら、そこで死ぬということでしょう? ……想像できますか? 三日に一度、自分が竜に食べられることを。ロザリア様はその時によって食べたい部位が違うんです。この前は肩、その前は腿、その前はお腹、みたいに」
「ふむ。わしには、ぬしの苦しみは正直に言って半分も理解できておらんじゃろう。じゃが、確か教会の教えにあるの。人間が落ちる地獄の中に、獄卒に食われては生き返り、食われては生き返りを繰り返す地獄があると」
「はい。だから僕は、ロザリア様に食われたら、ちゃんと死ねる普通の人間になりたいんです」
シャムリルがそんなことを言うと、アステラは少しきょとんとしてから、くつくつと笑った。
「歪んでおるの、おぬし。常人なら『普通の人間に戻って、この地獄から逃げ出したい』とでも願うところじゃないのかえ?」
「だって無理だと思いますから、ロザリア様から逃げ切るの。たとえ地の果てにだって、僕を追ってきますよ。うぬぼれではなく、そう思っています」
「さもありなん」とアステラはさらに笑う。
「さて。先ほどのぬしの言葉じゃが、半分は正解で半分は間違っておるの。呪いを解かれたら、ぬしは確かに普通の人間に戻るじゃろう。じゃがぬしはロザリアに食われて死ぬことはできぬ」
「……どういう意味ですか?」
「この呪いを解く方法はただ一つ。呪いをかけた竜を、その手で殺すことよ」
シャムリルは、自分でも思いもよらずに動揺した。
ロザリアを、己の手で殺さない限り、この呪いから解き放たれることはないというのか。
「ぬし、かわゆいの」
動揺を見透かしてからかってくるアステラにも、うまく返事をすることができない。
「この呪いはの。竜が呪いをかけようと思った人間に、四つの口づけをするのじゃ。一つは額に、一つは唇に、一つは首に、そしてもう一つは胸……心の臓に。そして呪いをかけられた人間は、逆に四つの刃を竜に突き刺せば、呪いから解き放たれる。竜の額に、竜の口に、竜の首に、竜の心臓に。……じゃがまあ、それには竜の鱗をも貫き通す強靭な武器が必要じゃがの」
そんなものは存在しない。
それを知っているシャムリルは、何故か、安堵した。
安堵してしまった自分に気付き、苦い毒を飲み込んでしまったような感情に襲われた。
そんなシャムリルの様子を見て、アステラが改めて「やはりかわゆいの、ぬしは」と笑う。
「やめてください。というか、なんで僕、今こんなに安心しちゃったんだろ」
「さて。その答えは自分で見つけることじゃの。他に聞きたいことはあるかえ?」
「はい、もうひとつ」
今度はシャムリルが、アステラのグラスに葡萄酒を注ぐ。
「竜玉のことについて、もう少し詳しく教えてください」
「ふむ。実はの、竜玉というのは竜の間でも半ば伝説化しているもので、わしも詳しいことはよう知らんのじゃ」
「なら僕が、単にロザリア様にとって好みの味だった、という可能性もあるんですね?」
「なくはない。じゃがわしはそうは思わんの」
「どうしてですか?」
「においじゃよ。ぬしは美味そうなにおいがする。とまあ、そんなことを言われてもぬしにはわからんじゃろうがの。じゃが、ロザリアが言うておったじゃろ? ぬしは今までロザリアが食べたどんな人間よりも美味いと。エデナの多い人間は美味い、これは古今東西どの竜でも共通する味の嗜好じゃ。それ以外の性別や年齢、脂肪の付き方などは些少な違いにすぎん。そしてぬしは、ロザリアが今まで食べたどんな人間よりも美味いという。ということは、ぬしは間違いなく竜玉じゃよ」
「全く論理的ではない気がするのですが」
「聞いておったじゃろ? ロザリアは百年前、別な竜玉を食うておる」
あ、とシャムリルは間の抜けた声を出す。
「実はわしも、ロザリアが食らうた後の竜玉を味見したのじゃがの。すでに死体であったというに、その竜玉は、生きている人間のエデナを遥かに超越した味がした。死体でさえ、わしがそれまで食ってきた人間よりも遥かに美味だったのじゃよ。いわんや生きておったときの竜玉は、それこそこの世のものとは思えぬほど至味であったろう。じゃがロザリアは、わしが竜玉と思っていたその人間さえ、ぬしと比べれば泥団子だと言い切りおった」
シャムリルは沈黙したまま、アステラの話を聞いている。
「竜玉の定義には、おそらく絶対的な指標など存在せぬ。じゃが相対的にせよ、常人よりも遥かに多いエデナを持つぬしは、まぎれもなく竜玉じゃよ」
シャムリルは目を閉じ、深々と息を吐いた。
そんな彼の様子を見守り、アステラは静かに話を続ける。
「少しばかり、昔話をしようかの。聞いても聞かなくてもよい。じゃがその様子じゃと、ロザリアは百年前に食らうた竜玉の話を、ぬしにはしておらんかったようじゃからの。ロザリアがぬしにその呪いをかけた理由も、この話を聞けば、少しは理解できるかもしれぬ」
シャムリルは、じっとアステラの話を聞く姿勢を取った。