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竜に飼われる永遠は  作者: 花見 もみじ
第一部 「薄明」 序
1/106

地獄の終わり

 地獄に竜が現れたとき、これでようやくすべてが終わるのだと思った。


 竜。

 人知を超えた存在として敬われ、恐れられ、崇められている生物だ。

 否。もっと単純な言葉で言い表すのなら――畏怖。

 ひとたび人の世に現れれば、町を消し、地形を変え、国を滅ぼす。

 もはや天災と同列の扱いであり、遭遇したらなるべく楽に死ねるように祈るしかない。

 

 その恐ろしくも美しい姿を見た瞬間に心臓が止まるのなら、それが一番いい。

 二対の翼が起こす突風に吹き飛ばされるのも悪くない。

 巨大な四肢に踏みつぶされたり、破壊された建物の下敷きになったりするのでも構わない。


 最悪なのは、「生きたまま食われること」だ。

 竜は人を捕食する。牛や馬などの家畜も食うというが、彼らにとっては「人間」もその分類に入っているらしい。しかし「老若男女問わず」というわけではなく、彼らにも「食」に対する好みやこだわりがあるのだという。


 竜の食に対する嗜好は、人身御供(ひとみごくう)の歴史を見ればわかるだろう。

 すなわち、第一に若い女、第二に子供、以下に成人、老人と続く。――とはいえ、食の好みは竜によっても違うようで、供物として献上する物もその土地によりけりらしい。


 ――少年が知っているのはおとぎ話や小説の中の「竜」だけだ。

 少年の住む町に竜が出たのは、もう百年近く昔の話だという。だがそれ以降、竜の姿を見かけた者はおらず、この地方は縄張りとする竜がいない「空白地帯」なのだと考えられていた。

 竜がいない。それだけで平和を謳歌していた小さな町だった。


 それが三月ほど前に、突然、この町の縄張りを主張する者たちがやってきたのである。

 竜の旗を掲げた、人間の軍隊だった。

 侵攻を企む隣国への防衛線として、この町が部隊の駐屯地に選ばれたのだ。

 駐屯した部隊は、この国の正規軍の証である竜旗の下に食料や物資などの供物を要求した。


 女は――近年、この国の軍隊は、女王陛下の勅令で、強姦や強制売春といった行為を禁止されたらしい――彼の姉妹も、母親も、友人たちも皆、無事だった。


 だが、女を禁止されたその部隊の指揮官は、代わりに男娼を要求してきた。

 そのような者はこの町には存在しない。

 しかし差し出さなければ、町の女たちがどうなるか分からない。

 いくら女王陛下とはいえ、このような辺境の町までその威光が届くだろうか。


 そして人身御供として選ばれたのが、彼だった。

 年は十四。女と見まがうほど美しく整った容姿の持ち主で、町では評判だった。

 化粧をし、女物の服を着て、指揮官の滞在する宿へと連れていかれた。


 ――地獄が始まった。

 耐えられたのは、二人の姉とまだ小さな妹、そして大好きな母のためだった。

 指揮官としての体裁か、あるいはもともとそういった嗜好の持ち主だったのか、少年は監禁され、家族に会いに行くことも許されず、毎日、女装をし、ときには男の恰好のままで、自分の父親よりも年上である指揮官や、その部下の男たちの相手をさせられた。

 

 そんな地獄が三月も続いた、ある日のことだった。

 いつものように指揮官の相手をさせられた後、夜明けまで眠れず、与えられたベッドでうずくまっているときだった。

 突然、町の異変を告げる鐘が打ち鳴らされたのだ。

 ベッドから起き上がって窓の外を見て――震えた。

 町のどの建物よりも大きな生物が、空を飛んでいた。

 

 深い紫色の鱗に覆われた巨大な体、突風を巻き起こす二対の翼、尖ったかぎ爪を持つ四肢。

 巌のような顔は蜥蜴(とかげ)、角は山羊、体は蛇、四枚の翼は蝙蝠(こうもり)に近い。

 何十本もの鋭い牙が生えた口と、あのようなかぎ爪を持った四肢は、該当する他の生物を思いつかない。


 竜だ。

 目の前の生物と頭の中にある単語とが結びついたとき、少年の心を、どす黒い感情が駆け巡った。


 ――何もかも、壊してしまえ。


 我に返ったのは、その竜の羽ばたきが、少年の見知った家々を吹き飛ばしたからだった。

 ――あの一角は、家族の住む家がある通りではなかったか。

 心の中に渦巻く感情も忘れて、部屋を飛び出す。

 女物の服がひどく動きづらかった。軽く悪態をつきながら宿の外に出た。


 途端、無数の銃声が鳴り響いた。

 あの男が指揮する部隊が、竜に向けて銃撃を行ったのだ。

 ついで、いくつかの砲声が轟いた。

 次に聞こえた音は、彼の竜の咆哮と――そして軍人たちの悲鳴だった。


 銃撃も、砲撃も、深紫色の鱗には傷一つ付けられなかった。

 逆鱗に触れた男たちに、竜はその口から炎を吐きだして浴びせた。

 紫色の炎は一瞬で男たちを焼き尽くし、周囲の家々に燃え広がった。

 人間の焼けるひどいにおいが辺りに充満し、少年は吐き気をかろうじて抑え込んだ。

 恐怖で地面に張り付いた足をひきはがそうとしたとき、その足首をつかんでくる者があった。

 指揮官の男だ。その下半身は紫の炎に焼かれ、すでに炭と化している。


「たす、たすけ――。り、竜殺しを、よ、呼、べ――」


 目まで焼かれたのか、少年のことを己の部下か誰かと勘違いしているらしく、意味不明の言葉を口走っている。

 少年は、すがってくるその太い手を蹴り飛ばそうとした――が、男の方から少年の足首をつかむ手を離してきた。

 すでに、絶命していた。

 

 よろめきながら駆け出す。

 一刻も早く、家族の安全を確かめなくては。

 

 地獄絵図と化した町を、逃げまどう人々がやってくる方に向かって走った。

 あの竜は、自身に刃向かおうとした軍隊を一瞬で焼き尽くした後、初めに家々を吹き飛ばした一角に舞い降りて行った。

 そこに何があるのか。

 ――酒場を営んでいる少年の家だ。

 たぶん、きっと、絶対に、家族は無事だ。

 崩れ落ちそうになる膝を励ましながら、立ち止まるとよぎりそうになる最悪の予感に目をそむけながら、少年は走った。


 竜から逃げようとする人々の流れに逆らい、ようやく家のある通りにたどり着いた。

 そこには、家々を吹き飛ばしたあとの更地に居座り、翼を休めている紫の竜がいた。


 その足元に、変わり果てた家族が転がっていた。

 手足がない、内臓がはみ出ている、母、二人の姉。火掻き棒と包丁で竜に立ち向かったらしい父は、首と胴が切り離された状態で転がっている。


「――あ」


 血の気が一気に下がり、その場に立っていられなくなった。

 耳鳴りがして、急激に町の喧騒が遠ざかっていく。

 ひどく静かになった辺りに響くのは、ぐちゅぐちゅと何かを咀嚼する音だけだった。

 竜がその口の端から、小さな何かを吐き出す。

 よだれまみれになって少年の前まで転がってきたのは、十歳になったばかりの妹の首だった。


 竜の巨躯がのっそりと起き上がり、少年の方に近づいてくる。

 巌のような顔が、少年の目の前に突き出された。

 食さずして獲物の味を見極めようとしているのか、少年のにおいを嗅いでいる。

 血なまぐさい息が、少年の顔に吹き付けられた。

 開かれた大きな口の中、無数に生えた牙の間に、家族だった肉片を見た。

 

 ――少年の意識は、そこで一度途切れた。


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