勇者様に祈り《》の言葉を。
拝読ありがとうございますー♪
――――人を強くするのは、誰かを守ろうとする思いである。
「ねぇ……あなたは知っているんでしょう?」
世の中は物騒だ。
戦争もとうの昔に止めて、すっかり平和ボケしてしまったこの国。殺し合いや餓死などというものが起こることは滅多に無くなったのだけれど、その代わりに自殺や過労死が増えた治安の良いこの国。
殺し合いはそうそう無くなってはいるのだけれど、しかしこの国でも毎日のように人は死ぬ。
「知ってはいるけど、自分に聞かれても困るな」
口止めされているんだよ。と、豊和は目の前に立つ少女に言った。階段を降りている途中で声を掛けてきた彼女は目線よりも上段にいて、振り返り気味な体勢と逆光になった太陽のせいで顔はよく見えない。
薄っすらと目を細める。
小柄で、ほっそりとした身体つきの女だった。顔つきや表情はわからないけれど、豊和はこの少女の声や姿形に見覚えがあるのを思い出して、数瞬、思考する。
「君は確か……前に、伊吹と付き合っていた子だよね」
以前、まるで周囲に見せ付けるようにわざと、人が集まっている時に一緒に帰宅する約束を取り付けて教室まで押しかけてきた子だ。
今付き合っている彼女だと伊吹に紹介されたが、幼馴染みの恋人とはいえ、――自分が人嫌いであることを除いても――好印象は持てなかったことを覚えている。
思い出しながら豊和の告げた言葉に彼女は動揺した。……気がした。
「……前じゃないわ、私は伊吹の彼女よ」
「うーん、それは伊吹から聞いたことないけど?」
別れた、とは聞いた。彼女は束縛やアピールが酷くて、思っていたのとは大分違ったのだと。期待はずれだったと言っていた言葉の意味は良くわからないが、豊和だってそんな彼女はちょっと願い下げである。身を持って体験しているのだ、そんな相手は怖いばかりであった。
だって、総じて彼女達は苛烈だ。ふとした瞬間に引火して、大爆発をおこす爆弾。
「っ……うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいっ!!」
豊和の言葉が彼女にとって煩わしいものであったのか、少女は叫ぶように怒鳴り散らす。「これだから苦手なんだ」と思わずぼやいてしまった豊和であったが、髪を掻きむしって錯乱状態に陥っている彼女にはその言葉は聞こえていないようであった。
背中に届く位まで伸びた緩いくせっ毛の黒髪が、彼女自身の手によってグシャグシャに荒らされる。伊吹に紹介された時は肩にも触れない長さであったのに、今まで伸ばしていたのだろうか。
濃い化粧も、制服を着崩すことも、アクセサリーを付けるようなこともなく、清楚然としていた姿が変わり果てていくような、そんな感覚があった。
……何が彼女をそこまで駆り立てるのだろう。
豊和はただ思う。産まれてこのかた、人にもてた記憶など微塵もない豊和にとって、幼馴染みの何処が良くて、何が彼女達を夢中にさせているのか全くわからない。
不思議、だった。彼のような存在を魔性の男というのだろうか。いやしかし、魔性というのは本来女に使うものである筈なのだから、正直意味が解らない。
「……あのさ、」
問いかけようとして、豊和は口を開いた。けれど結局その行動には意味がなくて、言葉を紡ぐ余裕もなく、胸への衝撃と一瞬の間、自覚した瞬間あつく熱くなっていく身体感覚が豊和を襲った。
少女は嗤った。
身体を支えきれなくて、豊和は階段を転がり落ちる。そこまでの段数は無かったが全身が痛くて熱くて、息が苦しくなって、手足がいうことを聞かなかった。
少女は、狂ったように哂った。
手元には血の赤色に染まったナイフ。形状からして料理用の小さめで刃先が鋭いタイプのものだと、刺された傷口から流れ出るのを手で抑えながら、考える。
……こんな状況でも相変わらずの思考をしている自分に、笑いがこみ上げてきた。のっそりと階段を降りてきた彼女は、豊和が微かに微笑んでいることに苛立ったらしい。またナイフを振りかざして、刃だけではなく手までも赤で染めた。
「っうざいのよあんた! いつもいつもいっつも! なんで邪魔するのよ、何でっ!!?」
何度も何度も。
血が出て、流れて、また血が流れる。
「あんたがいるから伊吹は私を見てくれない!! 邪魔なのよ! 消えちゃえっ、消えちゃえっ、消えちゃえよ! 死ね!!」
「…………っ…………ぅあ……ぃっ…………!!」
繰り返し振り下ろされていたナイフが、右目を刺した。そのせいでぼんやりとして鈍くなり始めていた痛みがまた復活して、顔を歪めて呻く。
彼女の言う理論が、豊和には理解できなかった。……何だその結論は、気持ち悪い。お前達の愛憎に自分は関係する余地など無いだろうと、二つの意味で吐き気を感じながら血を吐いた。
――――人を強くするのは、大切な人を思う心なのだという。
死に体であり、死にゆく状態であるというのに、豊和の感情は至って平坦なままであった。
痛みはある。苦しみもある。しかし感じている苦痛はどうにも感情に繋がっていないらしくて、自分が今何を考えているのかもよくわからなかった。
目を開いても、虚ろな瞳は空を映さない。右目が潰されたことはわかったが、左目はどうなのだろうか。痛みが無い混ぜになって、どこに痛みを感じていたのかが豊和には既にわからなくなっていた。
苦痛もわからなくなれば、きっと何も感じなくなるのだろう。もう既に感情はわからなくなっているのだ。意外と死ぬのは呆気ないのだと思って、――――ふと、考えた。
……嗚呼そうだ。自分は何も感じていないんじゃなくて――――…
◆
目を覚ます。
ノワールが寝床としているのは、城の敷地内に造られた植物園の奥地。薔薇の花園になっているのだが、荊棘の棘には毒があるために魔族といえど滅多に人が寄り付かない所である。
何にも邪魔されることなく睡眠に没頭できるというその場所は決して熟睡できるような環境では無いのだが、魔族としての能力による影響か、植物によって引き起こされる害がノワールを傷つけることは無かった。
寝覚めの最悪な夢を見て、顔をしかめる。
豊和としての夢を見ることは、魔族となった今でも度々見ることがあった。豊和の記憶は全部ノワールが引き継いでいるし、二つの意識は分けられているのだが、こうして記憶を掘り返されて見せつけられれば、豊和の感情とノワールの感情がリンクする。
出来るならばもう二度と見たくない夢であった。
「……可哀想な豊和」
僕が守らなきゃあ、とノワールは呟いた。
ノワールと豊和は別ものである。
幼馴染みに惚れた女にめった刺しにされて殺された豊和の身体をベースにして、悪意や憎悪などをごちゃ混ぜに詰め込んで出来た魔族。姿形は豊和のままであるのだが、その中身は二つに別れた。
豊和と黒。傷ついて罅割れて、壊れてしまった豊和は現在、深い深い眠りについている。その傷を癒やすのには時間が掛かる為に、魔族の部分をつなぎあわせて出来たのがノワールと名付けられた擬似人格であった。
裏表な白と黒。
ブランとノワール。
どこまでも豊和を守ろうとする魔族としてのもう一人。
「もう、奪わせない」
天井のガラス越しに空を見上げながら、ノワールは本来右目がある位置に手を触れた。けれどそこには目玉はなくて、あるのは空虚なぽっかりと空いた空洞だけ。
意識をして空洞の中に花を咲かせると、ちょうどその辺りへ眼帯をしているように、白い薔薇が咲く。それを手で触れて満足そうに微笑むと、ノワールはようやく身体を起こした。
トクン、トクン、と静かに心臓の音が聞こえる。規則正しいその音に、今日も豊和はちゃんと生きているのだと確認して立ち上がる。
魔王城で働く小悪魔達の話しによれば、勇者はもう大分こちらの魔王領へと近づいてきているらしい。
恐らくは人間領で言われている被害というものは、此方のせいではなくて、また別の領での魔王だと思うのだから、面倒であるしそちらに行って欲しい。そして此方に踏み込むことなく元の世界に還ってほしいものだ。
……だが、そうはならないことは何となく解っているのだ。
あの男は、正直気持ち悪いほどに感が働く。あっちの魔王を倒したとしても、こちらの領に豊和が居ることを察知してやってくるに違いない。
それならば最初から此方に来てもらって、準備万端にして叩く方が楽である。
「……ほーんと鬱陶しいよねぇ、あの粘着質野郎」
ストーカーより質が悪い、とノワールは吐き捨てた。
豊和は人にもてたことがなかった、というがそれは違う。豊和に近づこうとする相手はどんな人でも圧力をかけて捻り潰すあの男が背後に居たからである。
そのせいで友達も、恋人も、出来たことがない。
昔々は、本当にただの幼馴染みだった筈なのに。豊和だって一番近い相手として心を開いていて、よく一緒に遊んでいた。
……それが壊れたのは、壊したのはあいつの方からである。
あいつは豊和から全てを奪った。
あいつは豊和から豊和を奪った。
あいつは、勇者は、……伊吹は。
伊吹が、自分を呼んでいる声がするのだと豊和に相談してきて、別の世界へ連れて行かれるのではないかと言った時、一体どれほど豊和は喜んだだろう。
伊吹を見送って、その帰り道どんな表情をしていたのか、あいつは知らない。
……嗚呼、そういえば豊和を殺した女の外見特徴は、彼女によく似ていたっけ。
恐らく豊和は、もう既に壊れていたのだろう。
幼馴染みに騙された両親からも追い詰められ、息の出来る場所もなく彷徨って。心は軋んで軋んで、罅が入った。徐々に徐々に砕けていった。
直接的にではないけれど、何度も伊吹のせいで被害を受けた。
わからないまま彷徨って、宛もなく苦しんで。
大切な両親さえも憎んでしまうほどに、豊和の心は追いつめられて、憎悪を溜め込んでいた。
――――人を強くするのは、守りたい人を思う心。
それが一体どこまで強くしてくれるのかは知らないが、確かに真実であることをノワールは知っている。
だからこそ豊和は今まで頑張ってこれたのだし、勇者もここまで近づいて来れたのだろう。
――――だけど、人を冷酷にして目的を達成させるのは憎悪だ。
元来、優しくて穏やかな気性の豊和をここまで、冷酷になれるまで歪めて愛した勇者。
ノワールの姿は豊和のものだ。少し変化があっても、勇者はそれに気づき、何かしらの反応はしてくれるだろう。……その時、一体彼は何と言うだろうか。
どんな風に顔を歪めて、どれだけ傷ついてくれるだろう。そして、どうやったら絶望してくれるのだろうか。
……今から楽しみで仕方がないのだと、ノワールは微笑む。慈愛に満ちた柔らかい笑みとは別に、瞳は一片の光もなく淀んで、冷たかった。
「彼女の為を思うならさぁ…………死んでくれるよね、勇者様?」
題名『勇者様に祈り《呪い》の言葉を。』
『……嗚呼そうだ。自分は何も感じていないんじゃなくて――――全部、諦めているんだ……。』
ヤンデレ?な勇者サマと、被害者の闇堕ち系ヒロインちゃんの話でした。
補足? …………、ノーコメントで。
ギミックとか練習したくて割りと結構悩んで試行錯誤していたのですが……難しい! どれで何を勘違いさせられるのかわからないです! 余計ちょっと理解しづらい文章になりました、後悔しました、おわりです。