96 第一部エピローグ 旅立ちの話
泣き声がした気がした。
薬草採取のために山に入っていたワシは山の反対側にある小屋の方角を見た。
泣き声など聞こえるはずがない、これは小屋を隠していた幻覚による結界が破られた感覚だった。
ワシの結界を破るだと? そんなことが可能な存在がこの近辺に存在したのか。どんな化物がやってきたのだろうかと、ワシは1世紀ぶりの武者震いを感じていた。
最大限に警戒して、小屋に戻ってみると、だがそこには小さな男の子が扉の前に膝を抱えて眠っていた。
ありえん。まず最初にそう思った。
だが確かにこの子が、この無防備に眠る小さなバロウズが魔道を極め尽くしたと思って追ったワシの結界を容易く突破したは紛れもない事実だった。
当時のバロウズは口数の少ない物静かな子供だった。
才能と共に存在を否定され、屋敷では誰からも相手にしてもらえていなかった。バロウズの中には成熟した精神がすでにあったが、だからこそ、異世界でただ一人誰からも認められないという状況は多大なストレスとなっていた。
それに肉体と精神はお互いに影響しあう。胃の調子が悪ければ好物も変わり、苦痛の中では快活な性格も陰気なものへと変わる。子供の肉体になったバロウズの精神は子供の身体に引っ張られていた。
ワシと出会ってから半年ほど経ったのち。占術で周囲の様子を観察していると、バロウズはリュックサックを背負い、夜のうちに屋敷を抜けだしたのを見つけたことがあった。
耐えられなくなって屋敷を逃げ出すことにしたのだろう。
ワシは魔法で旅の為のセットを揃え、小屋を後にした。
「やぁバロウズ」
「森の魔法使いさん」
「こんな夜更けで旅行かのう?」
「止めないでよ、俺は冒険者になるんだ」
「ほお、冒険者に」
「ああ、俺みたいなのはそういう生き方をするって決まってるんだ、だから止めないでよ」
「なるほど、で、どこで冒険者やるんじゃ?」
「知らない、俺ここらへんの地理何も知らないし」
「ほぉ、さっそく冒険じゃのう」
「…………」
「んじゃ、行くとしようか」
「え?」
ワシは背負った袋を見せた。
「ほれ旅の道具はばっちりじゃぞ」
「なんで魔法使いさんが?」
「決めたんじゃ、ワシはお前を弟子に取る」
「弟子に?」
「そしてお前さんが一人前の魔導師になるまで、ワシが一緒にいてやる。じゃから、バロウズ、いやバズでよいか? バズが旅をするならワシも一緒に旅をする」
「あんな小屋で隠遁してるお爺ちゃんに旅なんてできるの?」
「生意気な弟子め、ワシは世界中をめぐった大冒険家じゃぞ」
バズの顔が笑顔で歪んだ。両目からは涙が溢れだした。
「今日は帰るよ」
「そうか、明日から来れるならいつでもワシの小屋に来い、魔法を教えてやる」
「うん、ありがと爺ちゃん」
あの時、一人で屋敷に戻っていった小さな子どもが、今は仲間と共に旅立とうとしている。
(良かったのうバズ)
少しの寂しさと大きな喜びを感じながら、老タルトスは静かに2人を見送ったのだった。




