84 聖地ジェー・ヤシュト
聖地ジェー・ヤシュトまでの飛行時間は2時間弱。
これを陸路で歩いたらどれほど時間がかかるのか分からない。やはり航空機は便利だ。
「これを使って師父は迅速に聖地と連絡を取っていたんだな」
この世界の国々が封建制を取っているのは連絡の問題によるところが大きい。真竜やモンスターという脅威によって確実な連絡手段というのに乏しく、また移動にも時間がかかるためなにか起きた時に指示を待っていては事態の変化に間に合わない。だから領主という代理人に全権を委任して管理させているのだ。
領主である貴族の権力の増大や貴族同士の境界線の揉め事など様々な問題を抱えつつも、今の状況では中央集権化は不可能だろう。
だけど、戦竜教団は完全なトップダウン、言い換えれば中央集権的な組織だ。世界各地に散らばった教団員を大師父が師父を通して一人で動かしているようだ。
「もうすぐだな」
地上の景色は未開の黒い森が広がっている。
だが所々に植物に飲み込まれながらも、まだ原型をとどめている建物の残骸が見えた。
「あれは亜竜文明のものか。ここらへんはかつて町があったようだな」
「亜竜ねぇ、私の知っている亜竜は乱暴な怪物のイメージしかないから、昔は賢かったって言われてもピンとこないわ」
俺の隣にいるパレアが呟いた。
「古亜竜と兄さんは呼んでいたけど、実態についてはよく分からないね。かつての都市も大半が風化していて、第二種族の遺跡のような耐久性に優れたものじゃないようだよ」
「荒涼山脈にあった嵐竜ジズの遺跡とは違うのね?」
「魔法に優れていたから、個人の技術に依存した文明だったんじゃないかな。大量生産大量消費という形にはならなかったと思う」
「まずあなたの言う大量生産大量消費が私にはよくイメージできないわね」
パレアは肩をすくめた。
亜竜は魔法を発見した種族だ。魔法を利用した高度な文明を作り上げたと、父さんや兄さんは推測している。魔法が効かない真竜さえ現れなければ、簡単には滅ぶことはなかっただろう。魔法を軸にした生産体勢が確立できていたのなら、資源の枯渇の問題にも対応できたかもしれない。
「十万年前以上のIFを考えてもしかたがないか」
やがて、山間に深い谷が見えてきた。
「あれが聖地?」
地図の示す場所はこの谷だ。
「降りてみるか。みんなはベルトをしっかりしめておいて」
谷はそれなりの広さがあり、この航空機は推力の方向を自由に変更できるのだが、推力自体が機体重量を支えるのに十分ではない。
空を飛ぶ為には、斜め後方に推力を発生させ翼の揚力と併せて上昇するという仕組みであり、狭い場所で飛ぶことはそれなりに難しい。
「…………」
俺は操縦桿にあたる水晶球に触れながら神経を研ぎ澄まし、谷間を下っていく。
谷は太陽の光が直接差し込まず、薄暗い。
「あれ、底のほうがなんか明るい……」
ぼんやりとした光が下に見えた。
やがてその正体がはっきりと見えてくる。
「コンクリートの町並みか」
街灯が並ぶこの世界よりは未来的、でも俺にとっては未来的というより少し古風なコンクリートの町並みがそこにはあった。
ぼんやりの灯りを照らすのは並んだ街灯によるものだ。電気ではなく魔力で輝くにも関わらず、その街灯の光は俺にLEDライトの輝きを思い出させた。アーリマンの記憶になる町は異質で、かつての俺の記憶を刺激することはなかったが、この町はまだ地球の町並みに近いものがあった。
「感傷に浸っている場合じゃないよな」
「こちらのことは気が付かれていると見たほうがいいだろう」
オイノがアゴを撫でながら言う。
「予定にない機の到着。降りた途端すぐに教団員が集まってくるだろう」
「幻術で対応できるかな?」
「幻術破りの方法くらい用意しているのではないか? ここは魔法を使えぬ身で、有史以前から魔導師を手玉に取り続けた怪物どもの聖地だぞ」
「確かに」
「さてエカヌス、そろそろ俺らの出番だな」
「ええそうねオイノ」
オイノが牙をむき出しにし、エカヌスが干からびた口元の端に上品な笑みを浮かべる。
「幻術が効かなければ、私達が相手を引き付けるわ」
二人はそう言った。




