67 ナヴィ、裏切り者達の恋歌 中編1
奴隷は従順。
人間社会に溶け込むためにまず教わった事はそれだった。
意思を持つな、余計ななことをするな、目的のために卑屈になるのは苦痛ではない。
私達の命は男のためにあるのではなく教団のためにあるのだから。
同じザ・ハーク師父の元にした年上の女性はそう言った。
私もそうあるべきだと思っていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
私は目の前の扉を開くべきか躊躇する。
なぜこんなことをしているのか。
私自身それが分からない。
でも、そうするべきだと思ったからここにいる。
そういうものなのだと、今は思うことにした。
コンコン。
控えめにノックをした。
「誰だ?」
中から男の声が聞こえる。
「パラボクレアと同じご主人様に仕える者です」
「パラボクレア様の?」
扉が開いた。
そこにはパラボクレアと話していた見た男が立っていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「見られていたのか、お恥ずかしい」
中年の男は奴隷である私に対しても、礼儀正しく接してくれた。
日焼けした身体はよく鍛え込まれており、元戦士長という肩書もうなずけた。
「パラボクレア様のことを心配してくれたのか、お嬢様はよい仲間に巡り会えているようで良かった」
「いえ、そんな……」
良い仲間。胸がズキリと痛んだ。
「パラボクレア様は、私が今仕えているお方が嫌いなのさ。当然だろうけどね」
「使えているお方?」
「ダドリー・ネイピア様という魔導師だ」
「確か……没落したネイラント家の従者だった魔導師が興した新興の」
「ああ成り上がりものだな」
そうか、パラボクレアはネイラント家の人間だったのか。
「ネイラント家の没落には直接関わってはいないのだけど、没落後のネイラント家の財産を奪ったのがダドリー様なのさ」
「それでパレアは」
「それに、ダドリーはパラボクレア様のお母上を妾にしていてね……」
「それは」
「ああ、パラボクレア様は酷い嫌悪感を感じているだろう。そしてそんなダドリー様の元で私兵をやっている私は裏切り者だ」
「……裏切り者ですか」
「ああ」
「なぜネイピア家で仕事を? 名門ネイラント家の戦士長経験者なら新興のネイピア家より良さそうな働き口がありそうなものですが」
「そうだな」
じっとダニエルさんは黙ってしまった。
話すべきか悩んでいるようだ。
「もし理由があるのならパレアにも話してあげてください。昔の思い出に裏切られたと感じて、きっと傷ついていると思います」
「黙っているのは逆にお嬢様を傷つけることになるのか」
「あなたと話している時のパレアは楽しそうでした。多分、あなたのことを尊敬していたのだと思います」
尊敬していた者や信じていた理念に裏切られるのは悲しい。
それを私はよく知っている。
裏切る側からも裏切られた側からも。
「俺は……」
ダニエルさんは窓の外を見た。
ちょうど、向かいの屋敷にダドリー・ネイピアが滞在しているはずだ。
「パラボクレア様のお母上、ミランダ様をお慕いしている。例え他人の手の中に抱かれていようとも、彼女を守れる場所に常にいようと決めたんだ」
中年の男がまっすぐそう言った。
「パラボクレア様のお父上とミランダ様は婚約なされていたんだ。ミランダ様の家はそう裕福でない商家だったから玉の輿ということになる。ミランダ様のご家族も大層喜ばれていたよ」
「……その時はすでに?」
「俺とミランダ様、いやミラは恋人同士だった。そりゃもう悩んだ、そして俺は駆け落ちしようとミラに言ったんだ」
「駆け落ち!」
「ミラは承諾してくれた、二人で遠くに逃げようって。約束の日、夕方いつも買い物と称して逢引していた時間、一緒に逃げようって」
「でもできなかった」
「……ああ、俺はミラを裏切った」
「なぜ?」
「人攫いの賊が出てね、俺は町の人々を指揮して戦わなくちゃいけなかった。ミラの約束を守れば、俺は家族や友人を裏切ることになった。俺はどちらか選ばなくちゃいけなかった。戦いが終わって、約束の時間はもうとっくに過ぎて、辺りも真っ暗になって、それでも走って、走って、俺はミラのところに行ったんだけど……」
ミランダの帰りが遅いことで家族はミランダの駆け落ちに気がついた。
ミランダは家族に捕まり、ネイラント家に近い知人の家に送られた。
一介の戦士にすぎない彼に、もう何もできることは何もなかった。
「あの日、俺はミラを裏切ったんだ」
中年の男の顔がひどく寂しそうに笑った。




