居場所
俺は町の外縁へと足を向けて、歩き続ける。この町に来た時に、くぐった門の反対側にも、門があると宿屋のおっちゃんは教えてくれた。
顔を合わせた門番に会いたくないため、俺はそちらから町を出る事にする。
これで大丈夫だろうか?
妹は生きていけるだろうか?
不死鳥の羽と妹を関連付けるものは殆ど無くなった。ただ、強いて言えば、魔法使いとして才をみせるリーナと薬屋が放火された日付けが同じだということだ。町全体にこの二つが広まった時、果たして何人の人間が疑いを持つのだろうか?
……気付かない訳がない。
俺は門の外へ歩き続ける。
ならば、もう一つの情報を流さなければならない。薬が別の場所で消失したという事実を。
昏い感情が浮かび上がる。
俺は、殺人を決意し、実行に至るまで、殺人の意味を自問自答し続けていた。……結論は出た。
これまでやった事、これからやる事は、全て、俺のための行動だったと。妹のためでは無かった。妹が生きる事が、俺に満足感をもたらすから、やっただけだ。そうなのだ。妹がこれから生きる道を俺は何も考えてやれない。もし、妹が自身の経緯を気付いた時、どんな気持ちが胸に浮かぶか分からない。罪悪を背負って生きていくかもしれない。生きていればきっと良いことがあるなんて無責任な事は言えない。一回目の人生をあのように終わらせた俺が絶対に言ってはいけない。ただただ、生きて欲しかった。兄として感じたのだ、あいつは死ぬべきではないと。強く感じたんだ。殺人の躊躇いを小さく感じさせるほどに。
……犯罪がバレなければ、俺はリーナの側にいてやりたかった。自身の穢れた考えを妹に隠しつつ、妹が立派になるまで見守り続けたかった。親孝行をしたかった。けど、無理だ。俺は弱い。しかし、妹は違う。あいつは魔法使いとして大成するだろう。ならば、どんな未来が待っているか予想がつく。いずれ立場が逆転する。守られる存在になっちまう。俺はきっと妹の足手まといになっちまう。
……俺は必要とされない存在になど、なりたくない。いずれ、妹の傍には俺の居場所が無くなる。その事実を突きつけられる前に俺は……
……その前に最後のやるべき事がある。
俺は外へ向かって歩き続ける。
昏い感情が、昏い記憶を呼び起こす。
『
aが、幼稚園に入園した時の事だ。
当たり前の事だが、aは見知らぬ他者に対して恐怖しか抱かなかった。今までまともなコミュニケーションをとっていなかったからだ。どうして、自身が幼稚園にいるかもよく分からなかった。だから、他の子に話し掛けられても何も言わずに、ただただ覚えたての笑顔で必死に頷き続けた。そうしないと、何をされるのか分かったもんじゃなかった。恐怖と混乱がaを動かし続けた。
その行動が良い方向へ導いた。
幼稚園とは、他者の心を学ぶ場だ。つまり、初めの頃は、園児たちは自己主張しかしない。そこに自己主張せず、ただただ皆を肯定するaがいた。都合の良い話し相手がそこにいた。自然とaに話し掛けられる回数が増えていった。次第にaは紛い物の人気者になる。また、先生の言う事も熱心に聞いた。それもまた、大人が怖かったからだ。大人からは、大人びいているとの評価を受けた。
こうして、aは皆に受け入れられた。aに初めて居場所が生まれた。aは初めて生きる喜びを感じたのだ。
僕を皆が必要としてくれる。
その事がaに温かさをもたらした。その温かさを小さな体で二度と離すまいと抱きしめた。
しかし長くは続かなかった。それもまた当然だった。周りが他者の心を読み取ること、つまりは思いやりを覚え始めた。そして、aがただ頷くだけの、つまらない人間である事を理解し始める。ただ、先生の言う事を聞き続けることから、辛うじてまだ居場所が残っていた。
どうして、僕は必要とされなくなったんだろう?
どうして?
aは必死に理由を考えた。この居場所を失えば、彼には何も残らなくなる。
何が良くて何が悪かったのかを懸命に考えた。
そして、理由に気づく事が出来た。
今まで人気者だったのは、僕が皆と違って、他者を肯定し続けたからだ。けど、僕自身は何もすごくない。だがら、みんなが僕から離れていく。僕に肯定されてもみんな嬉しくないんだ。だって、僕が話しを聞いても嬉しそうじゃない。
……じゃあ凄い人間にならなきゃ。
温かさが失われつつある状況の中、周囲に目を凝らした。誰が人気者で、どうして人気者なのか。
あの子は走りが早いから、人気者。
この子は賢いから、人気者。
あっちの子は面白いから、人気者。
小さな頭で見つけた理由を、aは必死に真似た。家へ帰って、走る練習をした。幼稚園では、言う事を聞き、課されたものを、必死に考え、読み解いた。面白い子の話しを聞き、皆が笑うタイミングが聞き、どうしてそこが面白いのかを必死に考え続けた。
僕を必要として下さい。
他に居場所が無いこと。あの無味乾燥な家に戻ることが怖かった。
後が無い事が、aを努力させ続けた。
長期間に渡る努力が実り始める。次第に、aは走りが速くなる。周りからは物事を質問されるようになり、面白い奴が話し掛けてきて、そいつと仲良くなった。他の人気者達とも、仲良くなり、またライバルにもなった。他者との間に様々な関係性が生まれ、それらがaを優しく包んだ。
aに再び温かさが戻り始めた。いや少し違う。より大きなものを得てしまった。
僕を……俺を……一人にしないでくれ。
こうして、aは小学生になる。
まだ、トモダチの中に居場所があった。まだ。
』
俺は歩き続ける。
そして、ようやく、目的地にたどり着いた。門番へと近づく。
門番は俺に気付くと、尋ねてくる。
「こんな時間に何処へ行く?」
俺はギルド紋を見せつつ答える。
「母が危篤だと報せを聞いた、すぐに会いたい。薬を届けたい。」
「……分かった、気を付けろよ」
門番は俺を門の横の扉へと導く。
「……」
ギィと扉が開き、外へ出た。目の前、100メートル程先には森が広がっており、森からは下る緩やかな坂になっているようだった。外は既に暗くなり、色の識別が少し難しい。
門番もまた俺の背中を見送るために外へ出た。
(そろそろか?)
俺は10メートルほど歩い所で、手にナイフを持ち、背負っている皮袋に切り込みを入れようとした。
その時、カン……カン……カン……と鐘が遠くの方から聞こえた。
「待て!」
門番が突然話しかけてきた。俺は切り込みを入れるのを中断する。振り返らない。大きな声で問う。
「……なんだ?」
「……お前は見掛けない顔で、夜になろうというのに、外出しようとしている。そして、今、鐘が3つ鳴った。この町で殺人以上の事件が起きたという事だ。悪いがこちらの事情を優先させて貰う。戻って来い。身柄を確保する。誤解を解かなければ、母親が悲しむぞ」
俺は皮袋に切り込みを入れた。大きな切り込みを入れて、顔だけ振り返る。
「……」
そして、森へ向かって急に走り始めた。
「待て! 貴様! 冒険者ギルドを裏切るつもりか!?」
後を追うため、門番も慌てて走り始める。
それと同時に首に掛けていた笛を鳴らす。小さな笛から出るとは思えない大きな音が辺り一帯に鳴り響く。
鳴り終わったと同時にガッチャガッチャと、先ほど見た格好をした軽装の兵士が出てきた。
俺は相手方に聞こえるように大きく叫ぶ。
「くそったれ!」
「追え! 逃げられた!」
向こうの走るスピードは少し速いだけで、俺と同等か少し遅かった。森への距離が半分ほどに差し掛かった時。
ゴト! がら! ジャラララ! がらん!と皮袋が破け、薬屋と宿屋から奪った薬と金が溢れ落ちる。勿論、不死鳥の羽が入っていた瓶も。
すかさず、俺は振り返り、またも聞こえるように叫びつつ、落とした物を拾うとして、来た道を戻る。
「くそッ! 不死鳥の羽が!!」
(あからさまだったか……?)
「何?! 貴様っ!!!」
(良かった、誤認してくれた。)
俺が爺さんを殺したと察する事が出来たんだろう。目の前の走ってくる相手は激怒する。
俺は落とした不死鳥の羽を相手に見せるように拾いあげて、中身を確認しようとする。
「貴様、何という事を!」
兵士の怒号が飛ぶ。
月明かりの下に照らされる、その瓶には蓋はない。そして中身は当然空っぽだ。俺はまた叫ぶ。
「ああ、そんな……溢れて、なくなってる……!!」
俺は瓶と、走ってくる兵士達を交互に見て、悔しそうにして、手の瓶を相手方向の地面に向かって割れるようにして、投げつけた。
パリィンという音ともに不死鳥の羽は無くなった。
「くっ! この馬鹿が!!」
(上手くいった……! これで俺の為すべき事は終わった。リーナ、死ぬも生きるもお前次第だ。俺はお前に生きる道を与えた。俺としては、罪悪を背負い、身勝手は兄を恨んで生きてもいい。とにかく、理由を見つけて、生きて欲しい。ただそれだけだ。元気でな、リーナ。お前が新しい居場所を見つける事を、俺は心の底から望む。)
俺はまた走り出して、森へと急ぐ。このまま行けば逃げ込めるだろう。相手との距離は5メートル程だ。まだ余裕がある。
俺もまた居場所を見つけよう。
今度はより身分相応の。
その時、背後から声がした。
「頼むッ! トーマス!」
聞き覚えのある言葉に記憶を探る。
……? ……なんだ? 聞いた事があるぞ。……トーマス……トーマス……?
―――――――『鉄人』か!!!
宿屋のおっちゃんが言っていた、二つ名。
俺は慌てて振り返る。
一部の兵士達もまた俺を追いつつも視線は背後に向かっていた。
その視線をなぞるように動かす。
町の塀の上に一人の男がいた。
月明かりに照らされて、格好が見える。俺を追いかける兵士と違い、軽装ではない。中々に重そうな装備だ。フルプレートというのだろうか。しかし、頭だけむき出しだ。それでも、とても重そうだった。
その男と、目が合った。
そして、口が動く、『お前か』と。
……やばい。
鷹のような眼つきが月明かりの下、俺を射抜く。本能が危険信号をガンガン鳴らす。
男は、自身の着る鎧を物ともせずに、飛ぶようにして跳ねた。足場にしていた塀が少し崩れる。およそ、10メートル。その距離を一つの跳躍で稼いだ。
人の為せる事ではない。
着地する。小さな轟音と上がる煙が男の姿を隠す。また一つ、轟音が鳴ると同時に姿を現し、背後に土煙りを上げて、俺へと接近する。物凄いスピードで、男は疾走し始めた。それに沿って兵士達は道を空ける。口々に、『鉄人』に激励を送る。それを受ける男は、何も答えない。ただ俺を射抜き続ける。
俺は森へ向かって真っ直ぐと走り続ける。背後を振り返る事はもう出来ない。森へ逃げ込めるか分からないスピードを『鉄人』は出していた。
終わった。
その一言が胸中に浮かび上がる。
背中に男の冷酷な視線を感じる。感じた肩甲骨辺りからぞわぞわが生まれ、脳髄、胸、腰、手足の先へと広がり始める。ぞわぞわが俺の全身を蝕む。身体の動かし方を忘れそうになる。それでも懸命に走り続けた。
森へ。森へ行くのだ。
まだ。まだ諦めるな。
連続して聞こえる轟音は次第に大きくなっていく。
アランの情けなく上がる悲鳴のような呼吸音もまた、大きくなっていく。
既に状況は変わっていた。
兄が妹を守る物語から、
正義が咎人を罰する勧善懲悪物語に。




