幸運
宿屋を後にし、冒険者ギルドへ急ぐ。
「向こうで火事があるみたいだぞ」
「いやもう、消火したらしい。近くに水魔法を操れる冒険者がいたとか。」
「それは何とも運の良い話しだ」
「死者は出たのかしら?」
「いやまだ消火し切れてないみたいよ」
「久々の火事だな、また魔法の暴発か?」
「れんが造りだから大した被害は無いと思うが」
所々から会話が聞こえてくる。それらの内容には、老人が殺されたという事実には全く触れられていなかった。安堵しながらも、気を抜かずに歩き続ける。
「急げ! こっちだ!」
向こうから似たような格好をした、軽装の騎士らしき奴らが、2、3人向こうから走ってくる。
……!
緊張がはしる。
落ち着け、俺。まだ薬屋が殺人である事はばれていない筈だ。また、宿屋もまだバレていない筈。ばれたら、前からではなく、恐らく後ろから来るはずだ。そして、俺はすでに冒険者ギルドの一員だ。仮紋員ではない。だから安心しろ。俺は大丈夫だ。
―――妹は?
ドクン。
しかし、妹はまだ冒険者になっていない可能性がある。
その事実に鼓動が大きく鳴る。
いや、違う?……そうか……そうだよ! 火事でも仮紋持ちの拘束に、はしる可能性だってある。やばい、完全に失念していた。
つまり、あいつらは……?
騎士団が俺の横を通り過ぎる前に慌てて話しかける。
「すいません! 何かあったんですか?!」
騎士団の一人が走る速度を緩めて答える。
「火事だ! 薬屋で火事があったらしい。二次災害の可能性がある! 周りに近づくなと伝えといてくれ。」
その大声の内容で周囲がざわつく。
「よりによって薬屋か」
「あの方向は……ラージルフ爺さんの店か?」
「という事は『不死鳥の羽』か」
「歳だったのかねぇ〜」
「あの人にはお世話になっている。無事でいて欲しい……」
これが、騎士団の一人がわざわざ民間の俺に対して受け答えした理由だろう。必要最低限の確かな情報が町民に伝播していく。
「……被害が増える恐れはありますか?」
俺の含みのある質問に、相手は直ぐに返答した。
「いや、増えんだろう。町全体がれんが造りであるからな。」
「そうですか、良かった。それでは。失礼しました。」
俺はその返答を聞いてそそくさと去る。
今の会話のやり取りからして、恐らく、騎士団連中は事件でなく事故として捉えている。事件として考えていたならば、質問した被害の拡大に対して、他の解釈が生まれる。犯人がまだ確保出来ていないという発想だ。あそこまで直ぐに返答する筈はない。少なくとも答えに迷う時間を彼は持とうとしなかった。
まだ俺たちには時間がある。そう信じて良い。だが、向こうにいた騎士団が火事の情報持っていたという事は、冒険者ギルドにも来ているかもしれないな。
早く着かなければ、冒険者ギルドに。
(遅い……)
顔を見られないようにフードを被った俺は冒険者ギルドの前の道の端でリーナを待っていた。
妹には手続きが終わったら冒険者ギルド前に集合だと、道を教える時に伝えていた。当然、さらに加えてリーナに俺との関係性は隠せと伝えている。俺が犯罪者であるとバレてもリーナに被害を被らないように、出来る限り布石を打っている。
一度、様子を見てみようか……
妹がギルドにたどり着けていない可能性だってあるのだから。
キィ……
冒険者を迎え入れるスイングドアをゆっくりと開ける。
異様な光景がそこにはあった。
昼とは違い、所かしこに人が溢れ、それぞれのテーブルには飯や酒が載っている。そして、それらに囲まれた大勢の冒険者は、ヒソヒソと何かに注目しながら話し合っていた。
俺は立ち止まって、その視線の先に向ける。リーナだ。受付のマリッサさんとリーナが話し合っていた。
少し観察してみるが、醸し出している雰囲気が、良いのか悪いのか分からない。
どうなってるんだ? 何で連中全員がリーナを見てるんだ? リーナの可愛さはそこまで轟き、波及されるというのか……あり得ない話ではない。リーナはそこまでマブイから。
……また考えが変な方向へいってしまった。考え直すぞ。
仮紋と火事をもしかして連想されたのか? そこまで直結した物事の考え方をここの全員が持っているのか? そんな馬鹿な……
それに、道中に聞こえてきた会話の中で火事珍しくないように聞こえた。
またも焦りが湧き上がる。否定したい気持ちはあるが、事実が俺の喉元を突きつけてくる。思わずゴクリと喉を鳴らす。
考えろ、考えるんだ。どんな可能性がある……? 何が原因でこの状況が生まれたんだ?
火事と仮紋の関係か? いや、仮紋が単に珍しいだけ? それともまたマリッサさんが、俺の時のように何かしたのか? いやいやそれとも冗談で言ったリーナの可愛さが本当に世間に衝撃をもたらしたのか……? いや、待て。俺が見送った時もリーナは周りから浮いていた。それか……?
……一度、外へ出ようか。考えても答えは出ない。妹がいる事は分かった。まだ問題が発生しているわけでは無い。
俺は冒険者ギルドの前へ出た。
少ししてようやくリーナはギルドを出てきた。キョロキョロ辺りを見回し、俺を見つけてこちらへ歩いてくる。
俺はリーナに背を向けて、緩やかに、追えるように、ギルドのある場所から離れていく。
人通りが少ない所でようやく俺は振り向いた。
「どうだった?」
「……」
黙りを決め込む妹。
明らかに少し不機嫌だ。さっきの変な雰囲気が原因だろうか。取り敢えず他を優先する。
「……妹よ、冒険者ギルドの一員になれたか?」
「……」
俺の質問に行動で示す。袖を捲って印を見せた。
(良かった……)
俺は本当に運が良い。この世界の一般知識がほぼ無いにも関わらず、上手く事が進んでいる。あと少しだ。あと少しで物事は片付く。これからの俺と妹の行く末については、既に方向を決めている。
取り敢えず、妹の不機嫌の原因とあのギルドの独特な雰囲気を聞いてみるか。
「……どうした? 怒ってるだろ?」
「怒ってないよ。何も。」
あいも変わらずの、この受け答え。先に進まない。不機嫌な妹の様子は可愛いけど、顔が少し怖い。よし、謝るか。
「リーナ、ごめんな……言ってくれないと分からないんだ。俺にはもう信頼できる人間はお前しかいないんだ。だから言ってくれ。勘違いなら正したいし、間違いなら治したい。お願いだ。」
リーナが俺に抱きつき、喋り始める。不機嫌がなおる時ははいつもこんな感じだ。
これに俺が妹の頭を撫でれば完成だ。しかし、それは出来なかった。
俺の手は汚れている。顔を埋めたまま、リーナはようやく喋り始める。
「……マリッサが兄さんに対して気安かった。……それだけ。兄さんは謝らなくていい。ごめんなさい。……それよりも兄さん、あの女になにかした? あの態度がムカつく。」
俺の胸の中でもごもごと喋るからくすぐったい。
その質問を考えてみるが全く心当たりが無い。
「いや……何も、……イッテナイヨ」
マリッサとの会話を思い出した時、最後の逃げるようにしたやりとりで心当たりが生まれた。
「……本当に?」
俺の胸の中で顔をぐいぐいと動かし、こちらへ向けた。
「ほんとうだよー」
俺は明後日を向く。
この角度で妹の純真無垢な顔を見たら、思わず懺悔してしまう恐れがあった。話題を逸らそう。
「……それよりもお前、ギルドでなんか浮いてなかった?」
その言葉を聞いて、リーナは顔を輝かせた。
「そうなの! 聞いて! 聞いて! 私ね! 魔法使いとして凄い才能があるみたいなの! 魔力の保有量がとっても大きいんだって! あの女が私に魔法を教えてくれる言ったんだ! むかつくけど良い人だよ!」
つまり、リーナのポテンシャルに皆さんが注目してたって事かな?
「おお! 良かったな! よし、改めて依頼でも受けに行こう!」
妹の笑顔に、つい自分も笑顔になる。
「そうだよ! どうして一度ギルドを出たの? あの女はムカツクけどそのまま向こうで集合して、依頼を受ければ良かったのに。」
「新人が二人いたら、いろいろ絡まれそうだろ。嫌だったんだ。だから、ちゃんと俺との関係は隠したか?」
「言ってないよ。」
「それと妹よ、今日お前が体調が悪かった事は誰にも言うなよ?」
「分かった。」
どうしてと言われる前に俺は強く言い聞かせる。
「両親に誓って、その2点は誰にも言うな。」
「……分かった。」
俺の有無を言わせぬ言動に、妹は強くうなずいた。
両親という言葉にリーナは強く反応した。
(これなら大丈夫だ。)
「ごめんな、今日は命令ばかりして。」
「仕方がないよ。初めての事がいっぱいだもの。……それに危険もいっぱい。あの三人組とか。」
「そう言ってくれると助かる。よし、依頼受けに一人で行ってくれ。終わったらここで会おう。ここで待ってるから。」
「よし! 任せて! 行ってくるね。」
俺は妹の顔を目に焼き付けて見送った。
妹の背中が、往来する人々に紛れて見えなくなると、俺は爺さんの店から奪った革袋を背負って、その場を去った。もう二度とここに来ることはないだろう。俺もまた人ごみに紛れる。そして、誰にも聞こえないように呟いた。
「ごめんな、リーナ。」




