一つ目の可能性
目の前の爺さんが外に注意を向けた事に構わず、思考を続ける。
周囲の情報、今迄のやり取りから望ましい可能性を抽出する。そして、練る。
妹を助けるために。
薬はここにある。
あると仮定して物事を進める。
ある事を隠した理由は単に恐れたのだ。兄の必死さが犯罪に繋がることを。何をしでかすか分かるものだ。
話を元に戻す。
俺は、その薬を得るには二つの可能性と一つの方法を思いついた。どちらも名案でなく、凡人から出る発想だ。それに二つの可能性はただの望み。こうなったら良いなというただの甘え。
けど、俺は既にそれに縋る事しか出来ないんだ。
一つ目の可能性では、皆が幸せになる。
二つの目の可能性でも皆が幸せになる。
けど、これはきっと通らないだろう。
一つの方法は皆が不幸になる。
それに少しでもしくじれば、俺が妹を不幸のドン底に落とす。俺が。
可能性のために、方法のために、これから何度か賭けをしなければならない。
そのためにも…
「……あるんだな? 俺が欲する薬がここに?」
さあ言ってやった。
同時に俺は爺さんの視線と合わないように視線を妹に移す。そして、片方の手で握って、もう片方で顔を撫でる。汗で濡れた顔は、妹がどれだけ苦しんでいるかに比例する。その事がとても苦しい。
妹の様子は薬を飲ませる前よりは少しマシになっている。荒かった呼吸が少し収まっているのだ。薬のおかげだろう。けど、時間が経つと共にまた悪化する……早くケリをつけなくては。
そういえば、いつの間にか敬語で無くなっていたな。
その事に気付ける程には自身に冷静さが戻ってきている事に安堵する。
「いいや、此処には置いておらん」
爺さんは先ほどよりも低い声で話す。
俺は爺さんの言葉をなぞるようにして直ぐさま言葉を切り返す。
「いいや、此処には置いてある」
俺は妹を撫で続ける。もう触れなくなるかもしれないから。フードが外れて見える妹の顔。俺と妹の顔を爺さんは見てしまっている。
相手が何か言う前に俺は言葉を重ねる。
「じゃあ……」
俺は言葉を溜める。
そして何か言われる前に放つ。
「どうして、あんな風に俺の懐事情を聞いたんだ……? 薬が無いなら無いって言えばいいのに。まるで……此処にあるように聞こえた。」
またも言葉を重ねる。
「どうして……動く素振りを見せたんだ? 初めに妹の容態を診てくれた時。……あの動きは、薬を取りに行こうとしたが止めた動きに見えたんだ……」
何度も言葉を重ねる。
「教えてくれよ、爺さん……。
納得がいったら此処を出るよ。妹を抱いて此処を出る。だから……。」
ここで爺さんの目を見る。見つめる。まるで、その行動をした爺さんが、俺にそう考えさせた事が悪いように。つまりは俺が被害者ぶるような……相手に罪悪感を抱かせるような言い方。
この人は優しい。妹を助けたいと少しでも考えたから、あんな風に俺に懐事情を聞いた。
だから、きっとこの言い方は相手にとって辛い言い方。揺さぶられる言い方。
人は、内側の思考と外側の思考を同時にする事は出来ない。内側から外側、外側から内側へと切り替わる瞬間が一番無防備になる。その瞬間だけ、相手の挙動が直接心の内に繋がる。
心の文脈がほんの少し見える。
老人は沈黙していた。そして、俺の視線に気づくと目が合い、慌てて目を逸らした。
アランはここまでの流れを想定していた。そして、この沈黙が一回目の
コイントス。この沈黙は二つの意味に分岐する、俺の考えが検討外れである事を伝えるためのものか、それとも、俺の考えは図星であり、その事を隠すためのものか。
俺は光を見つける。爺さんの沈黙が俺にとって望ましいものである可能性を。だが、少し足りない。まだ確信には至らない。
だから間髪入れずに声を低くして鋭く言葉を紡ぐ。
相手に落ち着かせる余地、
考える余地を与えない。
「爺さん、俺から逃げないでくれ。目を……合わせてくれ。……受け止めるからさ。」
爺さんは、恐る恐る目を向ける。何かを言おうとするが、口をパクパク開くのみ。またその瞳には怯えが含まれていた。微量ではない、明確な怯えが。
確信する。
薬は此処にある。
妹に背を向けて立ち上がり、近くの壁を手で撫でる。 俺は薬がある事を前提で、緩やかに喋り始める。俺が相も変わらず弱者である事を際立たせるために、少し声を震わす。
さあ、一つ目の可能性を探ろう。
「この店は歴史を感じるな。内側が木造の造りだからかな? 年季を感じさせる……。この店は長年続いているのかな……」
老人は俺が話を変えたことに戸惑う。ただ、嫌な話題から変わった事に安堵し、少しの警戒をもって、その話に応じる。
「そうじゃ……そうなんじゃ。この店は三代に続く歴史ある老舗。そうなんじゃ……! だから気軽に渡せはせん。少量なら売ってやらんでもと思った……! じゃが、あの娘では此処にある量の半分をもっても! 全てをもっても救える可能性は低い……! まず、今も生きている事が不思議……。もし……もし……救えなかったら。店の象徴を無様に失う。儂は、三代目としてこの店の看板を失わせてしまう。それだけは……! それだけは……」
違う方向に話が進み始めて戸惑うが、その内容も気になる。だから問う。大丈夫だ、まだ軌道修正はできる。
「どういうことだ……? どうして、店の象徴を失うんだ?」
「……やはり知らなかったか。お主が求める薬の別名は……『不死鳥の羽』……なんじゃ。
……この薬を起点にしてこの店は始まった。この薬を保有する事で実績をみせ、町の人に信頼を得て、ここまで繋がったのじゃ。戦争や不況、様々な苦難を先代様、先先代様がこの店と共に乗り越えて此処まで。そして儂も。」
(なるほど、そういう事か。それでも……知った事ではない……)
胸にズキリと痛みが生えるが押し込む。
俺が言葉を放つ前に爺さんが畳み掛けるように言う。
「じゃから……じゃから……!諦めてはくれんか? この世の中じゃ、若くして死ぬ事も不思議では無い。お主の不甲斐なさで死ぬわけでは無い。それが仕方の無い世の中なのじゃ……」
老人は自分でも言うことが辛くなって、目を逸らす。
俺は静かに心を燃やす。
それでも、俺は。妹の死を俺の人生の過程にする事は出来ないんだ……
家族が俺に新しい人生を与えてくれたのだから。
軌道修正しよう……
これから間抜けな台詞を言わねばならない。こんな間抜けな考えでも俺にとっては可能性。
「そこまで大事なこのお店……他に人はいないようだ……4代目はいるのか? 後継者はいるのか? もし……もし……だ、いないのなら……」
縋る目つきでまた俺は見つめる。相手の良心に縋ろうとする。本当に情けない。
「いる……いるぞ。此処には居ないが、息子がおる。今は修行中じゃ。
止めてくれ……そんな目で儂を見つめるな……」
俺は落胆する。心とは裏腹に。
(そうか、此処にはあんたしかいないのか)
一つ目の可能性は潰れた。呆気なく。これでも考えたんだ。けどやっぱり夢物語……甘えだったか。
じゃあ次は二つ目の可能性を探ろう。俺が転生者である事に触れる二つの目の可能性に……
……ああ、『本物』なら何か皆が幸せになる方法を思いつくのかな。




