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《ネバーファウンド・レルム》シリーズ

冒険者ランディ:竜の騎士

作者: ふゆ


        一


 小さな村の、小さな酒場だった。時刻はそろそろ夕刻かという辺り。客の入りはそこそこで、早めの夕食を取っているらしい村人が何人か。そのうちの三人ほどは、柄の悪い〝いかにも〟なチンピラ風だった。

 俺は円卓で一人空になった杯を弄んでいた。何か適当に腹に入るものでも頼もうか、そんなことを考えていたときだった。

「離しなさいよね!」

「痛っ! この(アマ)ぁ!」

 そんな遣り取りが聞こえてそちらを見てみると、先ほど気になっていたチンピラ風の一人が、十六、七歳の少女と何やら揉めていた。酔客が女給にちょっかいを出し、手をハタかれて終わる、そんな良くある風景かとも思ったが、どうもそういう雰囲気でもなかった。

 そう思ったときには思わず立ち上がっていた。

「おい、やめろお前ら」

「――ああ?」

 にやにやしながら見ていたチンピラの仲間二人が立ち上がり、険悪な表情を浮かべてこちらを向いた。

「ちょっと、お客さん――」

 店主がおろおろした様子で声を掛けてくるが、チンピラたちも俺も、誰も反応しない。他の村人たちは視線を合わせず、他人ごとを決め込んでいる。

「何だ手前ぇは?!」

「関係無ぇ奴はすっこんでろよ!」

 二人は口々に言いながら俺の正面に立ちはだかった。彼らの向こう、少女に手を出していた一人目のチンピラは、俺に向かって「へっ」と鼻で笑うと、少女の方へ向き直り、「ちっと付き合えって言ってるだけだろお」などと言っている。

 俺は手前の二人を無視し、少女の硬い表情を視界に収めながら、一人目のチンピラに向かって、

「嫌がってんだろ。そのコから離れろ」

 言いながら、ゆっくりと両手を腰の左右にやった。そこにはそれぞれ全長七十センチほどの短剣が下げられている。

 それに気付いたチンピラたちの目つきが変わる。

「なんだよ、やんのか……?!」

 一人目が言い、場の空気に緊張が走る。

 そのとき。

「あいたっ」

 入り口の方から間の抜けた声が聞こえた。


 背の高い壮年の男だった。四十代半ば辺りだろうか。明るい色の髪を長く伸ばし、同じ色の髭が頬から顎を覆っている。革の服に革のマントを羽織り、肩からはザックを下げ、背にも何やら長大な荷を背負っていた。

 白い布で包まれた全長二メートル近い何か。それを、店内に入ろうとしたときに戸口にぶつけたらしい。

「えーと……」

 男は、何となく動きを止めた店内を見渡し、

「ふむ」

 何だか納得したように呟くと、ひょいひょいと店内に入ってきた。カウンター席に腰を下ろし、呆気にとられている店主に向かって人好きのしそうな笑みの表情で声を掛ける。

「親父さん、麦酒と、あと何か食べられるもの。安くて量が多いと良いなあ」

「お、おいおっさん!」

 手前にいたチンピラの片方が、男に向かって凄むように言った。

「うん、何だい?」

「何だいって……その、手前ぇ……文句あんのか!」

 気軽に答える男に、支離滅裂なことを言い返すチンピラ。

「別に文句なんて無いさ。見たところ、君たちがそこのお嬢さんに絡んで、それを助けようとそちらの若者が立ち上がった、とそんな構図だろう? 私は邪魔しないから続けたまえ。それとも」と、俺の方を見て、「助けが要るかね?」

「……いいえ」

 場違いな男の様子にどう対応して良いものか決めあぐねつつも、俺はどうにか答えた。

 その返答に男は、うむ、と頷き、言った。

「そうだろうとも。ただまあ、そうだね。一つだけ口出しさせて貰うなら、刃物はやめた方が良いな。君の剣はそんなことに使うためのものじゃないだろう?」

 その言葉に、或いは口調に、俺はなんだか肩の辺りの無駄な力が抜けるのを感じた。思わず笑みがこぼれる。

「確かに」

 チンピラたちに向き直ると、剣は抜かないまま両手を挙げ、顔の横で握りこぶしを二つ作った。

「その人の言う通りだ。お前らなんかに俺の剣は使わない。――来いよ」

「――手前ぇ!」

 対照的にすっかり激高しているらしいチンピラたちが怒鳴り、一対三の乱闘が始まった。


 そして程なく終わった。終わってみれば圧倒的だった。彼らもまあそれなりに喧嘩慣れしているのだろうが、こちらとしても素人相手に手こずってもいられない。攻撃を確実に一つずつ捌き、拳や蹴りを叩き込む。

 五分も掛からなかっただろう。いくつかの椅子や卓が倒れているのに混じって、三人のチンピラは床に伏していた。俺自身は多少呼吸を乱してはいるものの、怪我らしい怪我は無い。

 店主も少女も他の客も、誰も何も言わないまま、俺が息を整える音だけが店内に響く。

 やがて、

「――うん」男が口を開いた。「大したものだ。君はあれだね、西の方で格闘術を学んだことがあるね?」

「貴方は……」

 問いには答えず、俺は男に向かって声を掛けようと口を開いた。

 そのとき、

「あぶない!」

 少女が叫んだ。

 気配を感じて振り返ると、倒れていたチンピラの一人が立ち上がり、中腰の体勢になっている。その手に、何か光るものが握られている。

 小刀だ、と、そう思ったときにはチンピラはこちらに向かって突きかかって来ていた。完全に不意を打たれ、反応出来ない。

「んな――」

 すると、

「ああ、ちょっと詰めが甘いな」

 背後から男の声が聞こえた。思いの外近い位置で。

 その気配が、身体の横をするっと走り抜けていくのを感じた。

 次の瞬間、チンピラの身体が宙に舞っていた。脚が天井の方を向き、空中で完全に上下逆様になっている。その手には小刀が握られ、その手首を、男が掴んでいた。ほんの一瞬前まではカウンター席にいた筈の男が。

「よっ、と」

 掛け声と呼ぶには気軽過ぎる掛け声と共にチンピラの身体が背中から床に叩き付けられた。否、少なくとも形としては投げ飛ばされ、床に叩き付けられた筈だが、それにしては殆ど音がしなかった。

「ほれ」

 チンピラの手から離れた小刀を適当に蹴り出し、男が膝突きの姿勢から立ち上がった。その顔には気軽な笑みが浮かんだままだった。


        二


「ええと、その、ありがとう」

 少女が言った。

 倒れた椅子や卓は直され、店内の村人たちは先ほどの乱闘について盛り上がっている。カウンターの向こうからは店主が料理をしている音が聞こえて来る。チンピラたちの姿はもう無い。

「うん」

 俺は少女の礼に会釈を返した。今、俺と彼女は同じ卓を囲んでいる。

 二人だけではない。俺は視線を転ずると、やはり同じ卓についている男に向かって頭を下げた。

「助太刀、ありがとうございました」

「いやいや」

 男は笑いながら杯を傾けている。

「俺、ランディって言います。冒険者で、旅の途中です」

 男と少女の二人に向かって名乗ると、少女も、

「あ、私はエリナ。この村の近くに住んでます」

 そう言い、そして最後に男が名乗った。

「私はリチャードだ。まあ、旅人、かな。ここへは……旧い知人を訪ねて来た」

 リチャード。その名と、彼がかついでいた――今は卓に立て掛けられている――白い包み、それに先ほどチンピラを投げ飛ばした動きと、今俺たちがいるこの土地。それらが、ある連想に結び付いた。

「あの、ひょっとして〝竜騎士〟リチャード・バクスター卿ですか?! 竜殺しの英雄の」

 口に出したらちょっと興奮してきた。

 が、リチャードは苦笑と共に俺を手で制すると、

「いいや、私は竜を殺したことなんてないよ」

 そう言った。

「ああ――そうですか。いや、すみません。俺、ガキの頃からバクスター卿に憧れてて、それで冒険者になったみたいなとこあったんで」


〝竜騎士〟リチャード・バクスターは有名な竜殺しの英雄の一人だ。今から二十五年前、とある村の近くに棲み着き、村に生贄を要求していた竜がいた。当時正騎士として叙勲を受けたばかりだった若きリチャード・バクスターはその討伐に向かい、そして見事討ち果たし国王から〝竜騎士〟の称号を与えられた。

 以後も、ラファール王国領内各地で、ときには隣国からも請われて、野盗の討伐や反乱の制圧などを行い、英雄としての名声を確かなものとしていった。現在はラファールの自由騎士として騎士団そのものと同等の権限を個人で保有し、各地を周っているという。


 というようなひと通りのことを熱く語ったら引かれるだろうなー、と俺が必死に自制していると、

「貴方も竜を殺しに来たの?」

 不意に、エリナが言った。こころなしか硬い口調と表情だった。

「モルフォト山の竜を殺しに来たの?」

「ん? ああ、実はそうなんだ」

 そう答えると、エリナはもはや睨むような目つきでこちらを見て、

「モルフォトの竜は生贄なんか求めないわ」

「いや、そうだけど……竜への挑戦ってのは冒険者にとっては避けては通れないものの一つで……」

 エリナが椅子を蹴立てて立ち上がった。

「弱っている竜を殺して英雄になって嬉しいの?!」

「えっ……?」

 竜が弱っているとは何の話だ? そう聞こうとしたときにはもう彼女は踵を返して酒場から出て行ってしまっていた。

「弱ってるって……?」

「何だ、知らずに来たのかい、お若いの」

 横から声を掛けられて振り返ると酒場の店主がいた。手に持った盆にはシチューの皿やいくつかの料理が載っている。

「どういうことなんですか?!」

 問うと、店主は黙ったまましばらく俺の顔を見て、それからリチャードの方へ視線を転じた。彼もまた黙ったまま杯を傾けている。

「リチャードさんも……何かご存知なんですか?」


 竜。それはこの世界で最強の生物の一つとして知られながら、しかしその実態はというと殆ど判っていない生き物である。

 生物とは異なる存在である、と論じる賢者もいる。むしろ地震や台風のような自然災害に近く、それがたまたま生物に見えなくもない形をとっているだけだ、と。良くは判らないが賢者という人種が突発的に良く判らないことを言い出すのはよくあることなので深く考えても仕方がない。

 現在、世界各地で十数体の存在が確認されているが、個体差が大きく、〝竜〟とひと括りにして良いのかも良く判らない。概ね共通しているのは、翼や角を持ち硬い鱗に覆われた巨大な爬虫類といった形状(いくつかの条件を満たさない場合もある。翼が無い、角が無い、鱗ではなく毛に覆われている、など)と、人間よりずっと高い知能を持っていることである。魔術に通じていることも多い。

 冒険者や騎士といった人種にはしばしば挑戦の対象とされる。強大な力を持った竜と戦い、勝つ――竜を殺すことが出来た者は例外無く英雄の称号を得る。

 ここ、モルフォト山にも古くから一匹の竜が棲んでいる。それに挑戦するために、ラファール王国中からしばしば冒険者たちがやって来ていた。


「まあだいたい返り討ちだがな」

 店主が言った。

 竜と戦って敗けることは例外なく死を意味する――というのが通説だが、モルフォトの竜は挑戦者の命を奪うことに拘りはせず、重傷を負いながらも生還した者は多い。相対した時点で竜の姿に戦意を喪失した者を戦わずに帰すこともあった。極端に力不足な者が挑んで命を落とすことも無いではないが。

 だからというわけでもないだろうが挑戦者の数は多かった。平均して年に四、五人ほど。

 それが近年増えており、ここ一年で既に十人近くが竜に挑んでいるという。

「竜が弱っている、という噂があるんだ」

「弱っている……何でですか?」

「詳しいことは誰も知らない。病気なのか寿命なのか。まあ弱っていても竜は竜だから今のところ敗けちゃいないようだがね、弱ってる今ならチャンスがあるかもって打算で挑んでくる奴が増えてるのも確かだ。ワシゃあ長年この村で酒場をやっていて、竜に挑む者たちも何人も見てきた。多くは尊敬すべき戦士だ。だがそんな打算でやって来るような連中は尊敬には値しない」

「そうなんですか。知らなかった……」

 竜と戦い勝つことは当然ながら困難を伴う。だからこそ竜殺しは英雄として尊敬される。だがその竜が、病気だか何だか判らないが弱っているのなら、それを殺した者はそれでも英雄と呼ばれるのだろうか。

 俺が黙っていると、今度はリチャードが店主に話しかけた。

「さっきの娘さんも気に入らないみたいだね?」

「エリナかい? ああ、そうだろうよ。彼女はモルフォト山の麓で一人で暮らしている。狩人とか、村に降りてきて雑貨屋や何かの手伝いとか、まあいろいろやりながらな。

 ――彼女は、幼い頃、そのモルフォトの竜に命を救われたんだ」

「竜に?」

「ああ。ひどい嵐の夜だった。増水した川に流されたんだが、そこをな。竜にしてみればちょっとした気まぐれだったのかも知れないが、まあ彼女にとっちゃあの竜ってのは命の恩人なのさ」

「なら竜殺しの挑戦者に対しては良く思ってないんだろうねえ」

「正面から正々堂々来る者に対してはそうでもないがね。なんせ竜自身が受け入れてるもんだから。

 だがここ最近の〝弱ってる竜ならイケるかも〟なんて思って来るような連中にははっきり反発する。数日前もなんか目つきの悪い騎士くずれだか何だかが案内するよう迫ってたが、頑なに拒絶してたよ。そういえばあの騎士、一昨日から見ないが諦めて帰ったのかね」


 やがて夜も更け、俺とリチャードは酒場をあとにした。

 俺は別に宿を取っているのでそこへ戻る。リチャードはこのまま発つそうだ。暗くなってから村を離れるのもどうかとは思ったが、俺なんかよりずっと旅慣れている様子だったので何も言わない。

「じゃあ、あの、いろいろありがとうございました」

「うん」

 頭を下げる俺に、リチャードは小さく頷き、そして聞いた。

「竜への挑戦は、どうするんだね?」

「……判りません。弱っていようとどうあろうと竜は竜です。竜に挑むのはずっと俺の目標でもあって。でもさっきの親父さんや、それにあのエリナの反応を見ると……」

 そのまま、言葉に詰まる。

 リチャードはもう一度頷き、

「ま、考えて後悔のない道を選ぶんだね」

 言った。当たり前と言えば当たり前の言葉だが、何だか十分に重みを感じる口調だった。

「はい――ありがとうございます」

 俺は改めて頭を下げ、リチャードと別れた。


        三


 ランディを見送ると、リチャードはやがて逆の方角へ視線を転じた。

 村から出る方向。その先には、夜の闇の中でなお黒々とした山の影があった。モルフォト山である。

「…………」

 黙ったまましばらくその影を見つめ、そして彼はその方角へ向かって歩き出した。


        * * *


 夕食の後片付けを済ませ、エリナは小さく溜息を付いた。

 村で、あの若い冒険者に取ってしまった態度は些か礼を失していたように思える。彼が何者であれ、ここに何をしに来たのであれ、あの柄の悪い男たちに絡まれていた彼女を助けてくれたことに違いは無い。それに彼は、最近村で見かける冒険者たち――その一人は数日前、竜の住処へ案内するよう彼女にしつこく迫った――とは違うようにも思える。

 家の中には他に誰もいない。幼い頃に母が、数年前に父が他界してからずっと、一人で暮らしている。

 竜に会いたい、とふと思った。ここ最近会っていない。そろそろちょっと様子を見に行っても良いだろうか――別に毎日行ったところで誰かに咎められるわけでもないが。

 そんなことを考えながら、エリナは眠りに就く支度を始めた。


        * * *


 闇の中、それは懐かしい気配を感じていた。旧い友人が、この近くに来ている。

 それはまた、自らに残されている時間が毎日確実に減っているのも感じていた。日々、力が失われている。

 間に合うのだろうか。

 それはただ、そんなことを考える。この頃はずっとそれを考えている。

 間に合うのだろうか。


        * * *


「――おい」

 暗がりから声を掛けられ、三人のチンピラはびくっと立ち止まった。

 一人がゆっくりと振り返ると、民家の陰に一人の男が立っていた。黒いマントを羽織り、背には剣を背負っている。目つきの鋭い、刃物のような男だった。

 三人を暗がりに引き入れ、静かな声で男が聞いた。

「娘はどうした」

「……失敗したよ。何か冒険者風の若造とおっさんが邪魔して来やがって」

 苦々しげにチンピラの代表格がやはり小声で応える。

「そうか」

 男は、何の感情も見せない口調で言った。

「そうか、でおしまいかよ?」

 別のチンピラが男に向かって凄むように言った。脚の震えは隠せていないが。

「――と言うと?」

 男の口調に、どこか面白がるような色が加わった。

「あんたの頼みで俺らはあの女を攫おうとして、こんなしなくても良い怪我をさせられたんだ。そのぶんの落とし前はあっても良いんじゃねえか?!」

「報酬は成功した場合のみという話だった筈だ」

「そーゆーこと言ってんじゃねえんだよ!」

「おい、やめろって!」

 三人目のチンピラがいなそうとするが、二人目は止まらない。

 すると、男が笑みを浮かべた。

「――まあ、安心しろ。別に私もお前さんらをこのまま手ぶらで帰させようってわけじゃないさ」

 言って、懐に手を入れた。

「へへっ、最初からそう言えば良いのによ」

 二人目のチンピラが笑いながら言い、そして男が懐から取り出したものを見てその笑みが凍りついた。それは三十センチほどの針のように鋭い短剣だった。

「お、おい、やめっ……」

 金属が肉に突き刺さる音と、重いものが地面に倒れる音が三つ。それ以外には何の音もしなかった。


 数分後。

「さて、どうしたものか」

 男は口の中で小さく呟きながら村の通りをぶらぶらと歩いていた。夜も遅く、出歩いている人間は殆どいない。

「あんなチンピラを使おうとしたのが失敗だったか。自分でやったほうが確実だが、とはいえ目撃者が出ると面倒だな……」

 と、ふと男の脚が停まった。その視線の先には、一人の若者の姿があった。ランディである。

 酒場から出て、おそらく宿にでも向かっているのであろう彼を見て、男はまた小さく呟いた。

「冒険者風の若造、か。ふむ」

 やがて、男は静かにランディの跡をつけはじめた。


        四


 翌朝。俺は村をあとにすると、村の入り口から続く道に沿って山へと向かっていた。

 目指す場所はそう遠くない。山に入ってほどなく、それは見えてきた。

 それは丸太を組んで作ったらしい年季の入った立派なログハウスだった。

 入り口のすぐ外で、人影が動いているのが見えた。薪割りか何かだろう。

 ふと、その人影が動きを停めた。こちらの接近に気付いたのだ。そう思った途端、人影は素早く戸口に駆け寄り、しかし中には入らず手だけを伸ばして、入り口の内側に掛けてあったらしいものを取り出した。弓――いや、弩だ。

 人影はそのまましばらく俺の様子を観察し、ある程度近づいたところで手に持った弩を掲げて言った。

「停まりなさい!」

 俺は指示に従い脚を停め、ついでに危害を加える意図は無いという意思表示のつもりで両手を挙げると、声を張り上げた。

「あー、射たないで。俺だよ、俺」

 俺は今、革鎧を着てその上からマントを羽織り、ザックを背負い、額には鉢金を巻いて左右の腰には剣を下げている。いかにもな完全武装の冒険者の出で立ちだ。警戒されても仕方が無いだろう。

「貴方は昨日の――ランディ? ……何の用? 竜を殺しに来たの?」

 人影――エリナが問うてきた。

「いいや、殺さない。会いに来たんだ」

「会いに……どういうこと?」

「その前に、もう少し近づいても良いかな」

 問うと、エリナはしばらく考えてから頷いた。俺はありがたく、普通に会話が出来る距離まで近づいて脚を停めた。

「竜が弱ってるって話は昨夜聞いた。というか、それまでは知らなかったんだ。本当に。で、考えたんだけど、戦うのはやめにした。ただせっかく来たから、会いたいんだ。会って話をしたい。だから、君に案内を頼みたい」

「…………」

 エリナは黙って俺の顔を見る。俺も黙ったまま、彼女の顔を真っ直ぐに見返す。

 数分。沈黙の時間が二人の間に過ぎ去り、やがてエリナは小さく嘆息を漏らした。

「――判った。支度をするからしばらく待ってて」


「竜は戦士の種族よ。だから正々堂々と戦いを挑む者からは逃げない。でも……」

 山道を歩きながら、エリナは言う。

「三年ぐらい前から竜は……ラインシェルフトは確実に弱ってきている。まだまだ人間から見ればずっと力強いけど、でもいつかは敗ける。それも戦士としてじゃない。病気なのか何なのか判らないけど、戦いとは違うものに敗ける」

 俺の位置からは、先導するエリナの顔は見えない。その声は、その病気なのか何なのか判らないものに対して怒りを見せているようにも、或いは泣いているようにも聞こえた。

「その前に、本当の戦士と戦って敗けるなら、ひょっとしたらラインシェルフトにとってはその方が良いかもとも思う。でも、ここ最近来るのは弱ってる竜なら倒せるだろうってそんな考えの冒険者ばかり。そんな連中をラインシェルフトに会わせたくなかった」

「……俺なら、会わせても良いって思ってくれたのか?」

「判らない。貴方はたぶん、勇敢で誠実な人だと思う。その点では本当の戦士なのかも知れない。でも」と、こちらを振り返り、「竜と戦って勝てるようには見えない」

 その言葉に俺は苦笑を浮かべた。

「ひどいな。まあ、勇敢だの何だのって誉められた部分だけ受け取っておくよ」


 やがて俺たちは大きな洞窟の入り口に辿り着いた。

「随分複雑な道のりだったな。案内がいて良かったよ」

「…………」

 俺の言葉に、エリナは洞窟をじっと見たまま答えない。

「あー、ええと。入って良いのかな」

 しばしの間を置いて俺が再び口を開くと、それに答えたのはエリナではなかった。

「少し待ってもらおうか」

「――――?!」

 背後からのその声に振り返る。そこには黒いマントを羽織った男が立っていた。背中に剣を背負い、鋭い目つきでこちらを見ている。

「誰だ?!」

 男の放つ気配に、俺は無意識のうちに腰の剣に手をやっていた。

 隣でエリナが言った。

「貴方はこの間の……!」

「知り合い?」

「何日か前に私のところへ来て、竜の住処へ案内しろってしつこく迫って来てた男よ」

「……昨夜酒場の親父さんが言ってた騎士くずれか」

「ふん、騎士くずれ、か。まあ好きに言うが良いさ。程なくこのジェイスン・ガーランドの名が新たな〝竜騎士〟として知られるようになるのだからな」

 男、ジェイスンは背負っていた剣を鞘ごと下ろしながら言った。そのマントの下の身体は金属鎧を身に着けていた。

「私たちをつけてたのね……!」

「昨日のごたごたでその若者は君に気に入られたようなのでね、彼なら竜のもとに案内されるんじゃないかとあたりを付けていたんだが、見事に当たったようだ」

 剣を抜いた。二メートル近い長さの大剣だ。両手で扱うために握りは長く、また鍔より先、剣身側の根本にも中巻と呼ばれるそこを握って扱うための革を巻いた部位がある。

 冒険者の武器ではない。戦場で、装甲に身を固めた相手と戦うための兵士の武器だ。

「もはや君たちに用は無い。私が竜を殺すのを黙って見ていたまえ――と言いたいところだが、ここまでの会話を聞いていると大人しく行かせてくれそうにもないな。どうするかね? もし邪魔をすると言うのなら遠慮無く斬らせて頂くが」

「…………」

 俺は剣は抜かないまま、黙ってジェイスンの気配を探った。

 強い。そう思ったことが伝わったのか、エリナが不安げにこちらを向く気配を感じる。だが彼女を見返す余裕は無い。

 気配だけで相手の技量を察したのは向こうも同様だったらしい。余裕の笑みを浮かべたまま、

「さあ、どうする? 元々君もここの竜を殺しに来たんだろう。それを守るために私と戦うかね? 何なら、私に協力するのなら、私が竜を殺したあとで君も竜騎士の従者ぐらいの扱いにはしてやらんでもないぞ」

「ふざけんな……!」

 俺が覚悟を決め、踏み出そうとしたとき。

「あいたっ」

 横手の茂みから間の抜けた声が聞こえた。


 そこに立っていたのは、

「リチャードさん……?」

「やあ、昨日ぶり、お二人さん」

 彼は昨日酒場で出会ったときと同じ格好をしていた。いや、野宿でもしたのか、やや薄汚れているようにも見える。

 背には相変わらず白い布で包んだ長大な包みを背負っていた。茂みから出てくるとき、それを辺りの岩にでもぶつけたらしい。

「リチャード……?」

 ジェイスンがリチャードを見た。訝しげに眉をひそめ、そして言った。

「貴様、リチャード・バクスター――竜殺しの英雄か!」

「いやいや、違うよ。私は竜を殺してなんか……」

「どういうつもりで隠すのかは知らんがな。私はかつて貴様の騎士団にいたのだ!」

 その言葉を聞くと、リチャードは頭をかきながら、

「あー、いや。別にリチャード・バクスターであることを否定するつもりは無いんだが……」

「老いぼれが今更何の用だ。竜一匹では足らんか? 邪魔をするなら誰であろうと斬って捨てるぞ!」

「待てよ」

 俺はリチャードに真っ直ぐ剣を向けているジェイスンに横から声を掛けた。

「お前の相手はまず俺だろうが」

「ふん、良いだろう。ならばまず貴様からだ」

 ジェイスンが改めてこちらに向き直った。

「お嬢さん」

 リチャードがエリナに声を掛けたのが聞こえた。

「え、はい?」

「こちらにおいでな。巻き込まれると危ない」

「でも……!」

 躊躇するエリナに、リチャードは黙って首を振り、

「ランディ! 手助けが必要かね?!」

「いいえ、必要ありません、リチャードさん……バクスター卿!」

 な? と、彼は再びエリナを見る。

 エリナはまだしばらく迷っていたが、やがて小さく頷くとリチャードの元に駆け寄って行った。

 俺は両腰に下げていた剣を左右の手でそれぞれ抜き、構えた。

「さあ、始めようか」

 ジェイスンが言った。


        五


 冒険者は通常、短めの武器を好む。騎士や傭兵と異なり、冒険者の戦場というのは常に槍などの長物を自由に振り回せる開けた場所とは限らないからだ。そもそも戦闘は冒険者の活動の主題ではなく、従って武器の威力そのものより、取り回しや普段の携行のしやすさといったものが比較的重要な要素となる。剣であれば全長一メートル前後の片手で扱える剣が最も一般的で、それより長いものを好む者もいないではないが多くもない。

 俺の剣は約七十センチと短めで、このクラスの剣は通常〝短剣〟と呼ばれ、どちらかというと補助武器としての色合いが濃くなる。主武器が失われた場合の予備として、洞窟の深部など狭い場所で、或いは積極的に前線で戦うわけではないものの護身用に、そういった状況で使われる武器だ。

 だが、短剣が常に補助武器というわけでもない。結局のところ武器というのは扱い方次第なのだ。

 短剣を補助武器から主武器に変えるためのいくつかあり得る方法論。その一つが、二本の剣を両手で扱う〝双剣術〟だ。


「おおおッ!」

 片方の剣での横薙ぎの一撃を受けさせ、もう片方で逆側を攻める。が、ジェイスンは大剣を素早く切り返し、二撃目も弾いた。そのまま蹴りを放ってきたのでこちらも脚を挙げて受ける。

 踏み込みながらの大剣の振り下ろしを、体を横にずらしてかわす。反撃に移ろうとするが、そのときジェイスンが剣を持っていた手の片方を離した。彼の手の中で剣がくるりと回り、柄頭が真っ直ぐ俺の顎を指した――かと思うと、そのまま突き込まれてきた。間に短剣の柄を挟み、どうにか受け止める。

 一合、二合と互いに決定打がないまま剣戟を重ねる。といってもジェイスンにはまだ余裕がある。剣の技術では向こうが上だろう。俺はどうにか食らいついているといった感じだ。

「ふ、どうした?」

 ジェイスンがにやりと笑いながら、剣を振りかぶる。


 重く長大な剣身を力任せに叩き付け、相手を鎧ごと打ちのめす打撃武器。実物を目にしたことのない人間が、一八〇センチから二メートル近い〝大剣〟という武器をそう思い込むのは仕方ないことだが、実際に持ってみると実は意外と軽く、正しく扱い方を学べば決して鈍重な武器ではない。

 両手で柄の握りを持つのがもちろん基本形だが、片手で握りを、もう片方の手で中巻を持つ〝半剣持ち〟、柄ではなく剣身を持って柄頭や鍔で殴打する〝殺撃〟など、用法によって攻撃の幅は広がる。

 騎士くずれなどとんでもない。ジェイスンは正当な騎士の剣術を修めた強大な敵だった。


        * * *


「あ、あのっ」

 ランディが不利な様子に、エリナは助けを求めるようにリチャードを見た。だがリチャードはかぶりを振って、

「悪いけど手助けはしないよ。これは正式な一騎打ちだ。それに」

 腕を組み、無表情に続ける。

「相手の方が確かに強いが、圧倒的というほどでもない。何かきっかけがあれば逆転は十分に可能だ」

「でも……!」

 と、ふとリチャードは視線を転じ、背後を見た。洞窟の方向だ。

「おや」

 呟く。だがランディとジェイスンの戦いから目を離せないエリナはそれには気付かない。


        * * *


 さらにしばらく撃ちあったあと、大振りの一撃をどうにか受け止め、そのまま勢いに乗って大きく距離を取った。

「ふん……」

 ジェイスンがやや苛立った様子で呟いた。

「そろそろ終わりにするか? 私もいい加減飽きてきた」

 本心半分、膠着状態をどうにかするための誘い半分、といったところだろう。俺はそれに乗ることにした。

「奇遇だな。俺もそう思ってたとこだ」

 言いながら構える。剣先を両方とも相手に向けた、攻撃的な構えだ。

 ジェイスンも黙って大剣を上段に構えた。

 しばしの、間。

 そして、互いに動き出す、その瞬間。

 ふいに、洞窟の方から突風が吹いた。


「――――――――ッ!!」


 咆声が大気を震わせ、そして唐突に巨大な生き物が現れた。

 全高十メートルといったところか。全身は鮮やかな緑の鱗に覆われ、しかしその下に鋼のような筋肉のうねりがあるのが見て取れる。前脚と後脚、それと背に生えた二枚の大きな翼の先端には黒く鋭い爪が、頭部には似たような質感の角が何本も生えている。その瞳は禍々しい赤い輝きを湛えている。

 竜だ。

 最強の生き物の呼び名に相応しい威厳を持って、竜がその場の人間たちを睥睨していた。


「竜か……!」

 ジェイスンが動きを停めた。剣を持つ手に力を込め、竜を見やる。

 一瞬の隙。俺はそれを見逃さなかった。

「よそ見してんじゃねえッ!」

 俺はまず右の剣を放った。斜め上からの袈裟斬りの一撃。これは大剣の剣先に弾かれた。が、構わない。元より防御させるための一撃だ。

 間髪入れず左の二撃目。一撃目とは逆の斜め下からの斬り上げを、ジェイスンは大剣を素早く持ち替え、中巻の片手持ちで弾いた。

「舐めるな!」

 雄叫びと共にジェイスンが反撃に入ろうとするが、それより先に俺は三撃目を放った。弾かれて後方に引いていた右を、真っ直ぐに突き出す。全身のばねを一点に集中した槍のような一撃だ。

 ジェイスンの反応は素早く、先の防御の動きからそのままに手を大剣の剣身に持ち替え、鍔で引っ掛けるような殴打を放って来た。

 だが、

「――――?!」

 俺は空の右手で大剣の柄を受け止めた。剣は持っていない。

 同時に左手の剣を手首の動きだけで地面に投じた――攻撃を狙ったわけではない。当たれば幸いだが、さすがにこの体勢から有効な攻撃にはならない。それは反動で左手を上方へ飛ばすための動作だ。

 左手の行く先。そこには、一瞬前、右の一撃を放つ前までその手に持っていた剣があった。掴めば短剣を逆手に振りかぶった体勢になる。あとは振り下ろすだけだ。

 振り下ろした。

「なっ……!」

 ジェイスンがその一撃を防ごうとするが、大剣は俺の右手が押さえている。

 右の肩の付け根に、短剣の剣先が鎧を貫いて突き刺さった。


「くっ――!」

 ジェイスンが後ろへ飛び、剣を構えなおそうとした。だが、右腕に力が入らないらしく、保持出来ない。

「勝った……?!」

 エリナが言うのが聞こえる。だが、

「まだだ!」

 ジェイスンが吠えた。剣を地面に突き刺し、その場に残したまま再び間合いを詰めて来る。俺から見て右側、剣を持っていない側から、弧を描くような軌道で。

 左手が閃く。そして真っ直ぐ、俺の顔面に向かって放たれた。その手に、いつの間にか細い小ぶりな短剣が握られている。

「ランディ――!」

 エリナが悲鳴じみた叫び声を上げた。

 そのとき、俺は昨日のリチャードの動きを思い出していた。


 次の瞬間、ジェイスンの身体が宙に舞っていた。脚が空の方を向き、空中で完全に上下逆様になっている。その手には短剣が握られ、その手首を、俺の右手が掴んでいた。

「――ぅらっ!」

 そのまま地面に叩きつけた。さすがに彼が見せたような静かな投げは無理だったが。

 仰向けにしたジェイスンのその首筋に、俺は左手の短剣を当て、言った。

「昨日、詰めが甘いって言われたばかりなんでね」


        六


 竜が、俺たちを見下ろしている。でかいことは知っていたし、どう戦うかもいろいろ考えてはいた。だが……話に聞いたり頭の中で想像していたのと、実際目の当たりにするのは、もちろん判っていたことではあるが、違う。


「ラインシェルフト」リチャードが言った。「久しぶりだな」

『久しぶりだ、リチャード・バクスター』

 竜が答えた。どこから聞こえてくるのか良く判らない、不思議な声だった。

『それにエリナよ。そして初めて会う、若き戦士よ』

 なんだか耳がかゆくなってきた。

「魔術だよ。ラインシェルフトは人間のような声帯を持っていない。だから彼は魔術で周囲の大気を震わせて喋る。まあすぐに慣れるよ」

 リチャードが言った。いや、それよりも、

「……知り合いなんですか?」

「うん。と、あー、その前に、ラインシェルフト」

『うむ』

 リチャードの呼びかけに竜が小さく頷き、その瞳が一瞬だけ強く輝いた。すると、

「う……」

 武装解除し、一応右腕の傷に包帯を巻いて応急処置をしておいたジェイスンが呻き声をあげてから倒れた。少しして寝息を立て始める。

「彼にはあまり聞かせたくない話になりそうなんでな。で、ランディ。知り合いかって聞いたな。答えは〝その通り〟だ。昨日言ったろ、旧友を訪ねて来たって」

「旧友……竜殺しの英雄が、何で竜と……?」

「私は竜を殺してなんかいないとも言ったぞ」

 どこか面白がるような口調のリチャードに、

「あ、ひょっとして」

 エリナが何かを思いついたように言った。

「リチャードさんが二十五年前に退治した……退治したことになってる竜って」

『そう、それは我のことだよ、エリナ』

 竜が言った。


「結論から言うと、二十五年前、生贄を求めていたのは竜ではなかった。竜と村人の双方を謀った魔術師の仕業だったんだ」

『かの魔術師は強大な力と術を持ち、我のみでは勝つことは出来なくなっていた』

「竜より強かったんですか? その魔術師は……」

 エリナの問いにリチャードはかぶりを振って、

「互いに何もない状態で正面から〝せーの〟で戦えばまた話は別だったろうがね、やつは竜に対抗するためのあらゆる術を予め用意していた。気付いたときには、竜は――ラインシェルフトは魔術師を倒すことはおろか逃げることも出来なくなっていた。

 ほどなく討伐隊が派遣され、竜が討伐され、全てが闇に葬られる。そのどさくさに失われていた古代の魔術書を我がものとする。それが魔術師の計画だったわけだが、そこにちょっとした綻びが生じた――派遣されたのが新進気鋭の若き騎士、即ち私だったことだ」

 リチャードはここで、どうだ、という顔をしたが、俺たちが黙ったまま反応しないのを見て少しだけ悲しそうな表情になった。ひょっとしてつっこむところだったのだろうか。

「……まあその後いろいろあって私とラインシェルフトは協力して魔術師と戦い、これを倒した。めでたしめでたし、だ」

「……それが何で竜殺しの英雄ってことに?」

 俺のその問いに答えたのはラインシェルフトだった。

『魔術師の企みだったとはいえ我の存在は村人に多くの恐怖を与えた。また、企みの存在を証明することも困難であった』

「ま、そういうわけさ。私は正直乗り気じゃなかったし、積極的に〝私が倒したぞー〟って周囲に言ったわけでもなかったが、曖昧に説明していくうちに何となくそういうことになった。私は〝竜騎士〟と呼ばれ、ラインシェルフトは住処を変え、私たちは盟友となった」

「……貴方は、竜殺しの英雄なんかではなかったわけね」

 リチャードに向かってエリナが言った。

「それどころか、竜を守り、竜に認められた真の英雄。まさしく〝竜騎士〟に相応しいわ」

「やめてくれ、お嬢さん。私はそんな大したものじゃないさ」

『もっと誉めよ、エリナ』

「やめろって」


「弱ってるって話は?」

 俺が問う。

『件の魔術師から受けた呪いの影響だ。時を経て近年ついに発現しだした』

「……でも見た感じ弱ってるようには思えないけど」

 その言葉に、エリナとリチャードは声を揃えて、

「弱ってるわ」

「ああ、弱ってるな」

「絶好調の竜ってどんな感じなんだ……」

「ラインシェルフト、最初彼はお前を倒しに来たんだぜ」

『なんと』

「やめて!」

 本気で慌てた俺に、リチャードは首を傾げながら言った。

「君なら行けなくもないと思うんだがなあ……」

「何を根拠にそんなこと言うんですか」

「さっきのあいつ」と、リチャードは眠っているジェイスンを指差し、「あいつとの戦いさ。ラインシェルフトが現れたとき、やつはビビって身体が一瞬停まったが、君はそのとき戦ってる相手から意識を逸らさなかった。間違いなくそれは勝因の一つだ。君は十二分に戦士の素質を持ってると思うぞ」

「ええー……」

「で、どうするの?」

「……エリナは止めないのか?」

「私ももう貴方は本当の戦士だと思ってるから。正々堂々戦うならアリよ」

「ええええー……」

 俺はラインシェルフトと正面から向き合った。

 エリナとリチャードは竜が弱っていると言っているが、とてもそうは思えない。

 しばらく考え、やがて言った。

「あー……もう少し力を付けてから改めて、ってことで良いすか」

『心得た。いつでも待っているぞランディよ』

 うわ名前覚えられた。

 と、俺はふと重要なことに思い至った。

「あ、でも、そんないつまでも時間があるわけじゃないんじゃ……。その、〝呪い〟で……」

「ああ、そこんとこ、具合はどうなんだラインシェルフト」

 リチャードが問うと、ラインシェルフトは重々しく頷いた。

『うむ、我に残された時間はそう多くはない。我が命が尽きるまでに、我を倒すほどの戦士が間に合うことが出来るのか、これが我にとって最も気掛かりなことだ。だが今しばらく待つことは出来る』

 ここで一端言葉を区切り、そして厳かに言った。

『そう……あと四〇〇年ぐらいは』

「また来ます」

 俺は答えた。


        七


 語るべきことはもうそう多く残ってはいない。

 俺たちはあのあと、ラインシェルフトといろいろな話をした。俺は主に、過去に彼と戦った人間、或いは彼とでなくても竜と戦った人間について、彼らがどのような修行を積み、どう戦ったのかについて聞いた。自分の殺し方について嬉々として語るラインシェルフトに最初のうちは面食らったが、やがてエリナの言った〝戦士の種族〟という意味が俺にもなんとなく理解出来てきた。気がする。

 ラインシェルフトの魔術でジェイスンをどこか適当な土地へ転移させたあと、俺たちは山を降りた。エリナは彼女の家へ帰り、リチャードは別件の待ち合わせがあるとかで村へ戻り、そして俺は俺でまた特にあてはないが別の土地へ向かう。

 別れ際、リチャードに聞いた。

「その長い包みって、剣ですよね?」

「ああ、うん。そうだよ。ある国の王家に代々伝わるものだったんだが、いろいろあって譲り受けた」

 その〝いろいろあって〟にも興味はあったが、それよりも気になったことを聞く。

「ひょっとしてですけど……」

「……うん。必要なら、私がラインシェルフトを殺すつもりだった」

 こともなげにリチャードは答えた。

「本来なら二十五年前にそうするべきだったんだ。人間の魔術師に、しかも策略をもって利用されたなんて竜には本来耐えられないことだ。それでも討伐に来た戦士と戦い、それに敗れるならば、まだ竜としての矜持は保てた――まあ当時の私にその力があったかという問題は残るがね。

 だが竜について良く知らなかった私は人としての道義を優先してしまった。利用されていただけなんだから死ぬことなんてない、と。その後彼とは友情を築いて現在に至るが……それが良かったことなのかは未だになんとも言えない」

「…………」

「最近になって彼が弱ってきているという噂を聞いて、あのときの魔術師の呪いによるものだとすぐ判った。そして、二十五年前の続きをする義務が私にあると、そう思った。けど……」

「……けど?」

 するとリチャードは俺を見て、笑みを浮かべて言った。

「私よりも優れた戦士になり得る候補者を見つけたんでね、まあ無理して今やることもないだろうと思い直した」

 そう言って、竜騎士は軽く手を振ると背を向け、去って行った。

 随分と買いかぶってくれるものだ。だが……

 俺はその後ろ姿に一度頭を下げると、踵を返し、次の冒険を求めて旅を再開した。


       (了)


「中巻」は日本刀の用語で、野太刀や長巻といった長大な刀が備える部位です。西洋剣では通常「リカッソ」と呼ばれますが「鍔」「柄頭」などと日本語表記で揃えたかったので使用しました。が、中巻と異なりリカッソは必ずしも何か巻いてあるとは限らないのでもっと良い訳語を見つけたり思いついたりしたら差し替えるかも知れません。「半剣持ち」は「ハーフソード」の直訳造語です。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  キャラクターの個性が、シンプルだけどその分わかりやすく、魅力的でした。主人公のランディ君は、まさに正統派・王道の冒険者といった感じで、好感が持てました。エリナさんにちょっかいを出すチンピ…
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